195 そういう正論が聞きたいんじゃないの
天に祈りが通じたか、不測の事態は起きなかった。魔物との遭遇自体はあったんだけど、はぐれと思われるゴブリンが一匹だけ街道に迷い出てきたって感じで、少数かつ弱い魔物と出会った場合の恒例通りにコマレちゃんが魔弾一発で処理。馬車を一時停止させることなく、速度を落としすらもせずに私たちはそのまま走り抜けた。おかげでバーミンちゃんが言っていた通り、なんならそれより少し早いくらいのペースで宿泊予定の街に辿り着くことができた。
目的地であるアーストンの一個手前の街であるここはウィズデム。大街としても格段に充実していてかなり特徴的だったティアハとは違ってなんの変哲もない、これまでにいくつも通り過ぎてきた小街の中のひとつといった風情だったが、正午から日の入りまでを爆速で駆ける馬車の中でひたすらに過ごしたあとに訪れたということもあって私はこの朴訥とした雰囲気が嫌いではなかった。
落ち着けるのって大事よ、うん。ティアハも良かったし楽しかったけど、こういう雰囲気はこういう雰囲気で悪くないものだ。凝り固まった体(お尻)を休めるための場所としては満点と言っていい。街と区分されてはいても景色も住民も牧歌的で、空気も美味しい気がするし。や、気がするってだけで本当にそこまで他の街と差があるのかはちょっと断言はできないけどさ。
「どうしてお腹は減るのかねぇ」
閑静な街だけど立地の故なのか外から来る人もそれなりに多いらしく、ウィズデムの宿はなかなか立派で、食堂もしっかりしていた。他にも利用者がそこそこいる中でひとつのテーブルについた私たち。運ばれてきた肉料理(ブイヨンスープ的な煮込みだ)をつつきながらふと素朴な疑問を口にすれば、コマレちゃんが呆れたように言った。
「なんですか急に、童謡みたいなことを言って」
「だってさ、私ってお昼はあんなに食べたじゃん?」
「はあ。どれだけ食べたのか同行していなかったコマレは具体的には知りませんけど。本当に食い倒れる寸前までいったとまるで武勇伝のように語ってくださったからには、相当な量を食べられたんでしょうね」
「そうそう、相当な量。大半は三人で分けたって言っても品目が品目だからね。最後らへんなんかお腹がはち切れそうになったんだから。ねえナゴミちゃん」
「そーだねぇ。とっても美味しかったねぇ」
「ねー。っと、それはいんだけど」
問題なのは、と席に着く一同を見回しながら言う。残念ながら、私はこんなにも真剣に、それも深淵の如き命題について話そうというのに、誰も傾聴の姿勢を取ってくれていないけれど。カザリちゃんなんかこっちを見もしないで魚料理をお上品に切り分けている。
「それだけの量を詰め込んだ胃がだよ? もう空っぽになって空腹を訴えてきているってことだよ。冷静に考えたらこりゃちょっとした恐怖体験じゃない? ホラー以外の何物でもないっしょ」
「そんな結論に達するほうがずっとホラーだと思いますけどね」
しれっとコマレちゃんはそう告げて冷たい水の注がれたグラスを口に運ぶ。そのあまりにも気のない態度と言葉に私は「ちょっとちょっと」と反論。
「それだけ動いたってんならわかるよ? 蓄えた燃料が空っぽになるくらい激しい運動とかをしたんだったら、納得もいくのよ。そりゃ胃の中の物も消えるなって。でもそーじゃないじゃん?」
「ええ、まあ。動いてはいませんね」
「そこよ、そこ。動いてたのは馬たちであってさ、私はただ運んでもらっていただけ。まー馬車の振動でずーっと微動はしてたっちゃしてたけどあんなの運動の内にはならんでしょ? ただ疲れるってだけで」
「ええ、まあ。ハルコさんの言う運動の定義には含まれないかと」
「そこなのよ、そこ。なーんもしてないのになんで腹が減るのか。あれだけ詰め込んだ食べ物はどうなったの? 他の内臓が押し退けられるくらいにパンッパンになったのを私はしっかり覚えている。あれから七時間ちょっとくらい? ただ座っていただけなのに、たったそれだけの時間でこの胃はもう空腹を訴えてるわけよ。これをホラーと言わずしてなんてーのよ。燃料はどこへ消えた?」
「そんな寓話みたいな訊かれ方をしましても」
はあ、とため息をひとつ漏らしてからコマレちゃんはグラスを置いて、しっかりと私のほうを見た。
「いいですかハルコさん。燃費は人によっても違いますから一概には言えませんが、しかし通常、満腹になるまで物を食べたとしても七時間以上もすれば人体というのは当然に空腹を訴えるものですよ。ましてやハルコさんは大食漢の部類に入るじゃないですか」
「女子を捕まえて大食漢とは言ってくれるじゃん」
「表現ですから大目に見てください。少なくとも一般的な同年代の女子よりもたくさん食べているという自覚はあるでしょう?」
ま、それはある。私は小さいころからよく食べる子だった。この面子内で言っても私とナゴミちゃんの食事量は飛び抜けているからね、明らかに。バーミンちゃんは食べるスピードこそすごいけど量的にはそこまでじゃないし。勇者の中でも肉体派(?)な私たちだけが健啖家──大食漢ではなく──なのはわかりやすくもあるよね。
「だから疑問を呈しているわけよ。肉体派だからこそ、その肉体を酷使どころかぜんぜん使ってないっていうのにガス欠になるなんておかしいじゃん」
「ハルコさんの代謝についてはコマレからはなんとも。とはいえ普段からして戦闘や運動を介さなくてもハルコさんはよく食べているじゃないですか。元々の燃費がそうだということです。たくさんエネルギーを摂取できる代わりにその消費も早い。これは日頃から体を動かすアスリート等に見られる特徴ですね。つまり、たとえどれだけの量をハルコさんが食べて、その後にただ座っていただけだとしても、七時間もすれば胃が空になるのは何もおかしくないということです」
「はあ……」
「む。なんですか、その含みのある感じは」
証明完了、とでも言いたげに結論を出したコマレちゃんに、お返しというわけではないが私もため息を零せば、コマレちゃんは睨むようにジト目を向けてくる。だけどそれに私が怯むことはない。
「わかってない。てんでわかっちゃいないよコマレちゃんは」
「な、なにがですか」
「私はそういう正論が聞きたいんじゃないの」
「はい?」
「求めてるのは共感! 女子ってのはね、共感の生き物なんだって。コマレちゃんがすべきだったのは呆れ混じりに常識を語ることじゃなくて、優しく共感することだったの」
「なんですかそれ。『ハルコさんの気持ちよくわかります。納得いきませんよね』なんて中身のない台詞が良かったってことですか?」
「まさに」
「まさに、じゃないですよ。共感するだけじゃ会話にならないじゃないですか」
「やれやれ。それじゃ女子にモテないよ、コマレちゃん」
今度こそコマレちゃんは心底から呆れたように私を一瞥して、食事を再開。私も食べかけの肉にナイフを入れる。食事中の軽口でしかないから着地点はこんなもんでいい。けど、燃費を問題視しているのは割とガチだったりする。
というのも妹とかは私より肉体派の武闘派でありながら低燃費も実現している究極の戦士だからさ……こっちの世界の住民たちを差し置いて実妹に対し「究極の戦士」なんてワードを当て嵌めなくちゃいけないってのは姉として(そして選ばれし勇者としても)遺憾の意を表明したいところだけど、純然たる事実なんだからしょうがない。
今更だけど私じゃなくて妹が選ばれていたら、ロウジアの時点で魔王を倒せてとっくにハッピーエンドになってたんじゃねえかな。……女神がそうしなかったってことは妹を選べない理由が何かしらあったのかもしれないし、いくら自分より遥かに強いからといって私もあの子に危ない目に遭ってほしいわけじゃないから、これでよかったんだって気持ちもあるにはあるけども。なんにせよちょっと複雑な気分だよね。
「皆さん。食べながらでいいんで明日のことについて聞いてほしいっす」
と、今日も今日とていの一番に食事を終えたバーミンちゃんがそう言った。




