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169 涙は出なかった

 シズキの様相はひどく平坦だった。四災将が放つ、ただそれだけで並みの人間であれば行動不能に陥るような轟々たる怒気にも殺気にもなんの反応も示さない。およそ人らしからぬ静けさのその訳は、なんてこともない。単にシズキの内部で渦巻く怒気と殺気がキャンディのそれを凌駕しているからだった。


 傍目には滔々と、清々と。流れる川の如く、それが世の理であるかのようにショーちゃんを操り、シズキは実に素早く効率よくキャンディから自由を奪い去った。掴み取った手刀、ハルコを殺そうとしたを捻り潰しながらキャンディの全身にショーちゃんを巻き付かせ、食い込ませ、締め上げる。かはっと枯れた息を吐き出す魔族。それを何色も浮かばない無表情で眺める少女の瞳、その内に、隠し立てのしようもない赤があった。突き動かす灼熱の壮絶な色が滂沱もかくやと零れ落ちていた。


 キャンディは藻掻こうとするが彼女にはそれすら許されなかった。ハルコの右足に体を掴まれたのと似ているようで、まるで違う。シズキの拘束は完全無欠だった。完全なる無情だった。命を捕まえているなどとシズキは思っていないのだ。自分は今標本にされた虫けらよりも命として価値がなく、死へと追い詰められている。そう悟る。既に二度の復活を果たして後がなければ力も残されていないキャンディにこの状況を打破する手段など皆無だった。確実な終わりが与えられる。射貫く少女の眼差しが克明にそう告げている。


 キャンディにもまた、恐怖はなかった。彼女にあるのもやはり怒りだけだ。それを吐き出す。とても内に留めておけない勇者への怨嗟を罵詈雑言として浴びせかける。縊り殺されようとも口を閉じるつもりはなかった。これだけが動けない彼女にできる最後の足掻きだったからだ。


 打算と計算もあった。妹の死。それから、本当はなんとも思っていないが──少なくとも妹のそれと同様の悲しみはない──仲間の死への憤りを抱いているのだと強くアピールし、目の前の小柄な勇者に魔族とて人と変わらない部分もあるのだと気付きを持たせたかった。そうして動揺を、躊躇を誘い、少しでも拘束が緩めばと画策していたのだ。


 殺意を更に募らせ、全身全霊で少女へ浴びせかける。言葉と気の暴力をあらん限りにぶつける。緩め、緩め、緩め。怯え竦み悩んで迷え。その瞬間に脱出して喉を引き裂いてやる。裏に企てあれど勇者への怒りは本物だ。死に瀕してキャンディの怒気は、何がなんでも殺してやるという怨讐はボルテージを上げ、もはや一角の戦士でさえも相対すれば息切れや眩暈を覚えるのを避けられない。そういったレベル、まさしく思いだけで人を殺せる境地にまで達していたが……それでもシズキは静寂を保っていた。


 キャンディが吹き荒す気配のみの暴威。嵐の如きそれに晒されながらシズキは凪の中にいた。そもそも彼女はもうキャンディを見てすらもいなかった。それだけ拘束が完璧であると自負しているのだろう、ついと目を逸らし、耳を貸さず、喚く内容を聞き取ろうともしなかった。シズキの関心は全て、足元で横になっているハルコの惨状にのみ向けられていた。


 惨状。そうとしか言い表しようがなかった。ハルコの手足がなくなっている。いや、存在はしているのだ。ただ、どれも異様に細く、不恰好だ。一目では腕とも脚とも思えぬほどに常とは形状フォルムがまるで変ってしまっている。


 両腕は指先に至るまで潰れ、赤い枯れ枝になっている。右足はミギちゃんの擬態が解かれ液状に、左足は太ももが裂けて血肉が飛び出し、骨まで見えている。膝はぺしゃんこでぺらぺらだ。痛々しい、どころではない。これは悪意の産物だ。戦いの経過や結果での傷ではなく純然たる拷問の処置。傷付けることだけを目的に傷付けられた、卑しい意思によってなされた破壊行為。


 涙は出なかった。感情のが溢れる余地は、とっくになくなっていた。ハルコはまだ生きていた。それだけを願ったシズキをして一瞬、本当に刹那だけ、四肢の全てを失いかけているその姿を見て。血溜まりの上で伏すその光景を見て、死を連想した。もう助けられないと思いかけた。なのにハルコは生きている。虚ろな目で、絶え絶えの息で、だけどその口からはっきりと聞こえた。死なない、私は死なないと。声量など比べるべくもないキャンディの怒声はさっぱり聞き取れずにいるというのに、微かに過ぎるハルコの命の訴え。途切れかけて尚いっそうに眩く輝くそれはしかとシズキの胸を打った。


 彼女にはそれが誰より尊敬する人物からの叱咤に聞こえた。


「はい。ハルコさんは、死にません。死なせません。わたしがあなたを守ります……今度こそ、わたしは」


 何も失わない。そのために。


 懐からエオリグを取り出し、ハルコの血濡れの腕に嵌める。手早く、だけど優しく、この世で最も尊いものに触れるように丁寧に。四つの内の最後のひとつである勇者専用の魔道具は装着の完了と同時に独りでに起動。瞬く間にハルコの全身が魔闘士用のアーマーに覆われた。装備者が瀕死であることをエオリグ自体が理解し、その延命と治療のために自動展開されたのだ。この持ち主にまで働く修復機能の効力はコマレとカザリの身で証明されている。それなりに深い傷を負っていた彼女たちはものの数分で小康状態にまで回復され、ついには全快した。ハルコの状態は二人よりもずっと悪いが、エオリグはきっと助けてくれる。


 そしてシズキはエオリグだけにハルコの救命を任せない。如何に修復機能が優れていると言っても、魔術の神秘が詰め込まれた純魔道具と年若い少女の生身の体とでは勝手が違う。ハルコは少々削られ過ぎている。それは文字通りに肉体の欠損が著しいという意味であり、つまりは治るための「元手」が不足しているということでもある。これではエオリグを纏わせたとてコマレたちの例に倣うかは怪しい。ならばどうするか。足りない血肉ものをどう補うか。その解決策としてのアイディアがシズキにあった。


 自身の異能力ショーちゃんだ。エオリグ内部のハルコの肉体へ、己が力を癒着させるように重ねていく。キャンディを拘束している本体に、ナゴミに預けてきた分体四体。既にショーちゃんを増やせるだけ増やして許容限界キャパシティいっぱいいっぱいの状態でありながらシズキは容易くその壁を打ち破った──これ以上増やせるという根拠があったわけでも、自らの力でハルコの欠損を埋め合わせられるという根拠があったわけでもなかったが、シズキはさも当たり前のように思い付きを実行に移した。どこか俯瞰的に今の自分を、まるでハルコが乗り移ったみたいだと彼女は感じていた。あるいはそれが勇気になったのかもしれない。


 だいじょうぶ、とシズキは誰にともなく言い聞かせる。きっとなんとかなる。ハルコは死なない。死なせない。そう信じる。


 恐怖はなかった・・・・・・・。ミギちゃんという実例もある。ハルコは既にショーちゃんを取り込んでいる。自分の物にしている。だったらもう少しその割合が増したってぺろりと平らげて、己が血肉に変えてくれることだろう。そのために必要ならいくらだって差し出そう。どれだけだって増やしてみせよう。それでハルコが救われるなら、生きてくれるなら、唯一の友達だったあの子ショーちゃんみたいに奪われずに済むなら、いくらでも、いくらでも。だから。


「だからお願い、ハルコさん……どうか」


 赤しかなかった彼女に視界に、限りなく薄く透明な青が混じった。



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