表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
166/200

166 それはなんのために?

 両腕が徹底的に破壊された。潰されるたびに情けなく喘ぎ、浅い呼吸を繰り返しながらも、幸か不幸か私の意識はまだ繋がっている。心は、折れていないらしい。本当に? 痛みと苦しみで何も考えられなくなっている。現実感が薄い。ただ思考が錯綜して自分がどんな目に遭っているのかもわかっていないだけなんじゃないのか? 血の匂いがする。それすらも遠くから漂ってくるみたいだ。


 私の背中を預かるキャンディが可哀想にと言った。彼女は私を横にもさせてくれない。こうして座らせたまま、支えたまま私のことを壊す。淡々と着々と私を死に近づけていく。耳元で強いばかりにと聞こえた。


 強いばかりに? 強かったらこんなことになるだろうか。あるいは強くて、こんなことにならなかったからって、なんだっていうのか。変に強い私も変に弱い私もそれはもう私じゃない。ここにいるこうして生きている私じゃない。別の私、他の誰かだそれは。確かにこうやって苦しむこともなかったかもしれないけど……私が味わってきた喜びだってなかっただろう。


 私が私として生きてきて得られた全てを無価値にするのは、ごめんだ。私は私でいい。死ぬにしたって私のままで死にたい。そういう気持ちはわからないのだろうか? あくまで魔族には殺すことが全てで、殺される側の気持ちなんて想像もつかないんだろうか。キャンディは答えてくれなかった。薄い吐息が耳たぶを撫でていく。


 両手を上に向けられて、握られた。壊れた腕を動かさないでほしい。それだけで痛いんだ。いやもう痛くはないな。熱くて冷たくて、悲しい。壊された部分は熱を持ち、でも急速に失われていく。怜悧な寂しさだ。大事なものが零れてしまう寂しさ。とても気軽に死が私の傍に立って覗き込んできている。でもまだ触れようとはしてこない。ただ待っている。それも義務感だ。死の為すべきこと、使命。


 見えているのかな、キャンディにも。私の死が。彼女は彼女の思ったように私を壊せているのか。手が握り潰された。右も左も同じように、ぐしゃりと。勝手に腕が跳ねて、また熱が生じて、消えていく。痛い、ああ、今のはまだ痛かった。覗く死の顔がさっきよりも近い、気がする。


 キャンディが何かを言っている。朦朧だとか譫言だとか……ちょっと今は難しい単語は控えてほしい。何を言いたいのか理解ができない。国語の成績は、他の科目に比べたらいいほうだけどね。それだって自慢できるような点数を取ったことはないんだから。顔をさらりとひと撫でしたキャンディは私をとうとう横に寝かせて、背中から離れた。足元に回り込む。死の横を通り過ぎて。今二人はぶつかったように見えたけど、ぶつかっていない。互いに見向きもしていない。キャンディも死も私のことしか見ていない。


 キャンディがしゃがむ。ああ、今度は足なのか。両腕はまんべんなく壊れた、だから次は両足の番。なのか。握られた感触。左の太ももだ。二の腕までは掴めたけどキャンディの手の大きさじゃ私の足は苦労しているみたい。でも結局は同じだ、無理矢理握り潰された。肉が削げる。熱が漏れる。体の内側に空気が触れる感触。死の顔が近づく。冷たくなる。寒くなっていく。熱が浮かぶ。今度は膝が潰れた。掌でぺしゃんこにされたようだ。もう痛くなかった。あとはぽっと出る熱とその立ち消える風味だけが私に残されたもの。世界が暗い。見えているものが遠い。何も見えていないのかもしれない。ぐっと、死の顔が近づく。


 音がした。落雷みたいな。衝撃もあった、と思う。でもはっきりとはわからない。そばに落ちた? うそ、こんなに空は青いのに? キャンディが何かを言った。私を見た。なぜか笑ってしまった。なんでだろう。馬鹿みたいだからだろうか。誰が? 私か、キャンディか、首を長くしてそのときを待ち構える死か。こんなことをしている何もかもが馬鹿みたいだからだ。


「私は死なない」


 自然と口をついて出た言葉。それは自分に向けたもの。でもキャンディは、怒ったみたいだった。目の色が変わった。ねぼけまなこでもちゃんとわかる揺らぎだった。火が灯るみたいな感情。反対に私は沈む。凪いで、落ちていく。殺気が膨れ上がる。腫れ上がる。でもなんとも思わない。痛くもない、痒くもない、もう何も私に触れるものはない。


 死だって。


「殺す! あなただけは確実に──」


 キャンディの叫び。絶叫。殺す? そうだろう、そうしたいんだろう、苦しめて殺したいんだ。だからいそいそと私を壊している。いまさらのことだ。だけどまだ私は壊れきってはいない。声が途中で切れたのはいよいよ私の耳がダメになったからなのか。視界からもキャンディは消えた。目も、おかしくなったか? だけどまだだ、まだだいじょうぶ。私は生きている。死んでいない。壊れていない。


 いつの間にかそこにいた死もいない。少しだけ見えるものも明るくなった、気がする。空の青さがもっと。音も聞こえる。でもなんの音だ? 体のどこも動かせない私にわかることは少ない。絶叫が。キャンディ? やっぱり怒っている。それを上塗りするような声。誰だ? どこにいる? 戦っているのか、キャンディと?


 違う……戦いじゃない。キャンディの声はすぐ小さくなって、もう聞き取れない。弱っているんだった。私ほどじゃないにしろ、キャンディも。限界なんだ。だから抗えていない。何か彼女にとっての理不尽が起きているんだろう。そしてそれに飲み込まれようとしている。どうしようもない状況に置かれている。本人の意思も行動も関係しない、関与できない結果だけに襲われている。そういうときに何を感じるか。私なら、多少なりわかってやれるけど。


 共感にも体力がいることを知った。キャンディに何があろうと、どうでもいい。いや、私はどうでもいいとすら思っていない。何も感じていない。ただ観測しているだけだ。自分と、自分の周囲を。切り離されたように孤立しているこの世界を眺めているだけだ。寒い。氷の海に浮いているみたい。すると私は孤島か? いや、私自身が氷塊なのかもしれない。この海を寒々しくさせている原因。ああ、血が落ちていく。熱が消えていく。


 また誰かが何か言った。それがキャンディか、他の誰かか、自分が喋ったのかも区別がつかなかった。瞼はほとんど落ちている。青が薄い。辛うじて目の中に差し込む陽の光が最後の頼りだった。口元の泡が弾けた。血とよだれと、他にも何か。交じり合ったものが垂れていく。その感触だけがやけに鮮明だった。光が揺れた。


 傍にいる。そこにいる。死か? 違う。キャンディでもない。顔が見たい。でももう無理だ、目が明かない。見えるものはなにもない。私にはなにもわからない。たったひとつ、あるものはただひとつ。残されているのは死んでたまるかって思いだけ。こんな目に遭っても、こんなに馬鹿馬鹿しくても私はまだ。まだ私は生きようとしている。生きなければならないと知っている。


 それはなんのために?


「死なないよ……私は、死なない」


 肯定された気がした。肯定してもらえた、気がした。気がしただけかもしれないけど。閉じた瞼の上から光る。眩しい。そして温かい。消えるだけの寒い熱じゃない。労わるような優しい熱。溶けそうだ。氷じゃなくなる。溶けた氷は海に帰るのか? たぶんちがう。また別の何かになるんだ。


 私は死なない。私は、生まれ変わるんだ。

 新しい私に。これまで通りの、これまでとは違う私に。


 ──意識が途切れた。心は折れないままに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ