163 正気じゃない!
拘束に用いるわけでもなければ攻撃手段にもできないのに、私がせっせとさっきから何を作っているのか。今このときも編み続けているこれがなんなのかキャンディにはわからないんじゃないかとも思ったが、察しは悪くないらしい。
あるいは私にできることが「何もない」と彼女にも理解できているからこその発想であり気付きだったのかもしれないが、なんにせよキャンディはこれから自分の身に何が起きるのか──どんな目に遭わされるのかを正確に悟ったのだと、その目を見れば私にもわかった。
「まさかあなた! このまま!?」
「そうだよキャンディ。くっちゃべっている間に私たちもだいぶ落ちた。もう地面はすぐそこだ──このまま一緒に落ちようか!」
「ッ~~!!」
ギリィ、と噛み砕かんばかりにキャンディが歯を噛み締める。その内心は明らかだった。最初から私がこれ──諸共の地上へのダイブ──を狙っていて、その誘いにまんまと自分が乗ってしまったことに忸怩たる思いを抱いているんだ。
けどどうしようもないよね。言ったように私はミギちゃんによって彼女の全身を絡め取っている。全身とはもちろん、二枚の羽も含めている。飛ぶために欠かせないそれを覆って固定して動けなくさせれば、当然キャンディだって飛べない。今の彼女は私と一緒にただ自由落下に身を任せているだけだ。
この速度で地面に激突すればいくら魔族が頑丈だからってタダじゃ済まない。一発絶命も大いにあり得る……!
「正気じゃない! 私よりもあなたのほうがよっぽどタダでは済まないでしょう──いいえそれどころじゃないわ、確実に死ぬ! こんなものをまるで冴えた策みたいに……!」
確かに、これももっともな指摘だ。私は人間で、激闘明けのボロボロで、だからこそ位置エネルギーに頼らないとキャンディを倒せないわけで。
だけど対するキャンディは魔族であり五体満足。どういうわけかナゴミちゃんに潰されたはずの顔面はもちろん、角や羽まで元通りになって新品ピカピカの状態だ。落下が致命的になるのはどちらかと言えば、天秤に乗せるまでもなく結論が出ている。どう贔屓目に取り繕うとしてもそこは素直に私のほうだと認める以外にない──けれども。
私はただの人間じゃなく、勇者だ。あのあんちきしょうの女神からも元気さだけはお墨付きを貰っている言わば生命力の塊。そんでもって私だってただ無策で落ちようってんじゃなく。
「糸で編んだこのクッションは我ながら傑作だよ。充分に命を預けられる」
「っ、だから! そんなものひとつで助かる気満々って面してるのが! 正気じゃないと言っているんでしょう!」
「そうだねキャンディ、たったひとつじゃどうにもならないかも。私もそう思う」
言いながらも編み込むのをやめないのは少しでも助かる確率を上げるためだ。このクッションを作るのに硬度はいらない。とにかく柔軟に、何層にも織り込み、その合間に空気も取り込みながら膨らませていく。そうやって迅速に、だけど丁寧に人一人を受け止められるくらいのクッションに育てていく。
あやとりが得意で良かったとこれほど切実に感じたこともない。そうでないと糸繰りの技術が上がってもここまでスムーズにクッション作りはできなかったはずだ。とはいえ、キャンディの言う通りこのクッションが見た目の素朴さに見合わない私の糸繰りの過去最高傑作になったとしても、それだけで高所からの落下で生じる衝撃の全てを殺し切るなんてことはできっこない。卵をスカイダイビングさせてその落下地点に座布団一枚敷いたところで割れるのを防げるか、という話だ。
答えは不可能。卵は割れる。私も割れる。そんなことは私だってわかっている。だから──。
「だから、クッションはひとつじゃない」
「!?」
ミギちゃんにも手伝ってもらって、キャンディを引き寄せつつ体勢を入れ替える。私が上に、キャンディを下に。私たちの上下の位置関係が引っ繰り返った。クッションもちょうど完成した。急ぎに急いだのもあって百パーセント納得のいく出来とはいかないけど、地上で落ち着いて時間をかけて作ったってここまでの集中力は出なかっただろうから、結局完成度としてはどっこいにしかならないかも。なので命を預けられると言ったのは嘘じゃない。ちゃんと精一杯を込めた。充分な出来だ。
そのクッションをよいしょと広がるミギちゃん、つまりはキャンディと自分との間に挟み込むようにすれば、キャンディも私が何を頼りに生き残るつもりでいるのか理解できたらしい。わなわなと微かに声を震わせながら彼女は言う。
「ク──クッションは、私だっていうの? このキャンディを使ってあなたは落下の衝撃を和らげようって……?!」
「大正解!」
そうだ、糸製のこれだけじゃなく共に落ちるキャンディだって立派なクッションになる。正確にはキャンディと、その上のミギちゃんと、更にその上の糸クッション。この三層構造で行こうと思っている。つまり衝撃吸収材は合計で三つだ。三つもあれば一番上の私にまで届く衝撃は相当に緩和される……と信じたいんだけど、どうだろうね。これでもまだまだ甘く見過ぎてる感は否めない気もするんだけど、でもこれ以上は手の施しようもないからなぁ。
まあとにかく、仲良く落ちるとは言っても落ち方は同じじゃないとこれでキャンディもわかってくれたことだろう。
「落下ダメージを直に食らうのはあんただけだよ、キャンディ」
「ふざけないで……!」
ここに来てミギちゃんがもっと押し返されるようになった。キャンディも助かろうと必死だ、なんとか今からでも脱出できないかと全力を超えた全力を出しているんだろう。でももう遅い。仮にそのパワーがずっと続くにしたって脱出の猶予なんてない。だって地面は目の前なんだから。
「ミギちゃん。頭から落としてやって」
「ばっ、」
私のリクエストに応えてミギちゃんがキャンディの体を傾け、頭側がより下に向くようにした、その次の瞬間に私たちは地面に到達した。
おそらく罵倒を放とうとしたであろうキャンディのセリフも飲み込まれ、搔き消され、暗転。覚悟をしていたはずの私でさえ何が起きたのか理解が及ばなくなるほどの、意味不明なまでの力。真下から突き上げて一瞬で全身を貫いたそれに何も言えず何も考えられず気付けば私はもう一度宙を舞っていた──あれ、今落ちたはずなのに何故? なんて間の抜けた思考がまとまる前に、激突。硬い場所へ体を打ち付けられた。
「ウっ、ぐう……!」
か、体が……体中が痛い! バラバラに砕ける寸前、いやもう砕けたあとみたいな、前後も上下も分からなくなるような痛みが全身に満遍なく広がっている……!
呼吸が……できない。背中を打ったせいで横隔膜が上がっているんだろう。何度か経験があるからそれはわかる。わかるんだけどしかし、過去のそれとはまったく程度が違う……こ、ここまでぴっちりと空気の進路を塞がれている感覚は初めてだ。
激痛と酸欠で私の意思とは関係なく体が身じろぎするが、それすらまともにできない。まるで関節という間接、骨の接合部の全てが錆び付いてしまったみたいに軋んで仕方がない。まったく正しく動いてくれない。
これが、墜落。高い位置から落ちたのだって何も初めてってわけじゃないが、さすがに上空から地上への直ダイブは、今までの経験とはレベルが違う。あまりに痛すぎる──が、死ななかった。どころか意識も飛ばしていない。いや、地面にぶつかったその瞬間だけは飛んでいたかもしれないが。ともあれ私は生きている。またしても賭けに勝ったんだ。
では……キャンディは、どうなった?




