154 だってドワーフタウンは今
スペシャルパンチ。それはスペシャルキックと並ぶナゴミちゃんの二大必殺技のひとつだ。
バロッサさんとの修行の日々の時点で雛型が出来ていたそれらは、試練の旅路での実戦を経て完成を見た。拳が生む威力を取りこぼしなく敵の内部のみで炸裂させるという、「打撃」を突き詰めた先で誰もが行き当たる大きくて分厚い壁を破った者だけが可能とする絶技にして妙技。才能があり、かつ基本が出来上がっているからこそ進める次のステージとでも言うべきところの打ち方……を、魔力強化の一点集中も乗せて放つ拳。
つまりスペシャルパンチとは言葉にすれば単に「全力で殴る」だけだ。ナゴミちゃんからすれば、ただそれだけ。引っ繰り返ってもそれだけを真似できない私からすれば実に信じられないことに、ナゴミちゃんは純然たるセンスだけでその域に辿り着いている。それは個人的に並ぶ者なしと信じてきたあの妹と互角のセンスだってことでもあって、二重に信じ難いわけだけども。
けど、なんと言ってもナゴミちゃんは女神をして優れた身体能力と評するだけのものを元から持っているんだから、そこに祝福っていう上乗せの才能まで加わったんならまあ納得と言えば納得だった。
元々妹並みだから女神に選ばれたのか、女神に選ばれたから妹並みになったのかは……魔力無しで、なおかつ妹と同じくらいにナゴミちゃんがバトルの対人経験を積んだ状態で直に競い合ってみないことには、ハッキリとは言えないかな。
私以外の勇者パーティの全員がそうであるように、ナゴミちゃんも例に漏れず魔物・魔族とのバトルにばかり経験が偏っているからね。しかもそれは魔力やら魔術やら能力ありきのトンデモバトルなのだ。街中での喧嘩なんかよりもよっぽど危険だし規模の大きい戦いをしてきているけれど、そのせいと言うべきかおかげと言うべきか、ともすれば地に足着いた常人との戦闘においてはそこで得た知識や常識ってものがむしろ邪魔をしかねない。
なので仮に今のナゴミちゃんから魔力を取り除けば、ハードな──この場合はハード過ぎるってのがかえって良くないわけだけど──実戦の経験があってなおVS妹とのカードでは俄然に妹有利。と、私は予想する。オッズとしては二倍以上ってところか。
「──なんてことを言ったって、ね」
たった一発。スペシャルパンチによって顔が原型を留めていないキャンディの有り様を見て苦笑いする。
妹の前にまず自分と比べろって話だよなぁ。そっちのほうがイーブンで比較対象として成り立っている。でも冗談じゃないよ、魔力ブースト込みの変形蹴りよりも高威力の技を拳ひとつで出せてしまう相手に何をどうすれば対抗できるって言うのか。
同じ格闘タイプなだけに(魔闘士とはあえて言わないよ)、ナゴミちゃんとの間にある格差が一番目立つっていうか浮き彫りになってるっていうか。もちろん私にはナゴミちゃんにない糸繰りっていう別の手札もあるんだけど、いやーそれ込みでも全然並べてる気はしないよね。やれやれだよ。
キャンディは糸が切れた人形みたいに床へ落ちて、細かく痙攣している。それからビクッと大きく体を跳ねさせたかと思えば、そのあとにはもうまったく動かなくなった。
「ナゴミちゃん、構えといて」
「おっけ~」
いつでも打ち抜ける姿勢を作ってもらっといて、私がしゃがんでキャンディの生死を確認する。本当に死んでいるのか確かめるのは大事だからね。これまで魔物にも欠かしたことはないし、魔族ならなおさら念を入れてやっておくべきだ。特にキャンディは「勝つためならなんでもやるのが真摯さ」だという魔族の価値観を教えてくれた相手でもある。死んだふりだって上等でやってくるだろうし、慎重に慎重を重ねて悪いことはない。
「……ん、ふりじゃないね。もう死んでる」
こんだけ頭がへっこんでいたらそりゃそうだって感じだけど、キャンディは絶命していた。呼吸もしてないし脈も止まっている。ま、あの痙攣は演技にしては真に迫り過ぎていたもんな。それが逆に怪しい、と疑心暗鬼にさせられちゃっていたけどこれでもう安心だ。
「ナゴミちゃんの勝ちだよ」
「ほんと~? よかったぁ」
あんなにしっかりと拳が入ったんだからナゴミちゃんにも仕留めた感触があったに違いないけど、どこかに不安もあったんだろう。キャンディの死が確定したことでふにゃっとした笑顔を見せた。
「ちょっと疲れちゃったや」
「! ナゴミちゃん」
足元がふらついている。それに気付いた私は傍に寄って支えようとするが、おっとと。お、押される。そーだった私もヘロヘロなんだった。ナゴミちゃんの体重さえろくに支えられないくらい体力もなければ血もないんだな、私。
手に付くぬるりとした血の感触……はこれ、ナゴミちゃんのか! よくよく見ると彼女の体にはところどころけっこー深い切り傷がある。確実にキャンディの爪によって刻まれたものだろう。それらを中心に出血もそこそこしている。魔力による止血が追いついていないと見える。魔闘士のナゴミちゃんがこんな状態になるなんてよっぽどだ。
それだけキャンディとの戦いが激闘だったってことだね。私は自分の戦いに精一杯だったからどういう流れを辿ったのか詳しくはわからないが、防魔の首飾りを受け取った際に見たあの攻防だけでもその苛烈さだけはある程度の想像もつく。
「防魔の首飾り、本気で助かった。あれがなかったら勝てなかったと思う」
「にゃは。そうかなー? なんだかんだ、ハルっちならそれでもどうにかしちゃいそうだけど」
ひとまずはお互いにお疲れ様を言い合って──それからすぐに思考を切り替える。戦闘後だからこそ浸れる勝利の余韻の味を打ち切り、戦闘前の張り詰めた意識へと戻す。
だってドワーフタウンは今、戦場になっている。戦闘音はまだ四方八方から聞こえてくる。この場での戦いこそ終わっても私たちがやるべきことは残っているんだ。
「ナゴミちゃんはまだ行ける?」
「そ~だねぇ……四災将クラスじゃなければ、魔族の一人二人くらいは倒せるかなぁ?」
ナゴミちゃんは以前にロードリウスが連れていた部下の魔族と一対一で(正確にはシズキちゃんともう一人の部下も加えた二対二のシチュエーションだけど)やり合って勝っている。それを元に、ドワーフタウンで暴れている魔族もそのレベルであるなら最低でも一人か二人は片付けられると判断したわけだ。
見るからに疲労困憊でありながら魔族一人くらいなら訳なしと言い切れるナゴミちゃんは最高に逞しい……のだけど、姉妹曰く街へ放たれた魔族はざっと百人。いくらなんでも多過ぎだ。ナゴミちゃんが一人倒したところで、あるいは私が協力してスコアをもう少し伸ばしたところで、そこで打ち止めになるんじゃ誤差にしかならないよね。
いや参ったな。改めてヤバすぎる状況だ。ドワーフタウンを潰すために本気になり過ぎだろ魔族。アンちゃん発案なのか参謀ポジだっていうザリークの発案なのかは知らないけど、腹が立ってきたぞ。何かが崩れたり爆発するような音に混じって悲鳴のようなものも聞こえてくるのが、余計に私の苛立ちを募らせる。
「行く? ハルっち」
「……いや。五分、集中して体を休めよう。こんなに血を垂れ流したまま参戦はできない」
魔蓄の指輪こそイレイズとの殴り合いの最中にいつの間にか切れてしまっているが、自前の魔力にはまだ余裕がある。それは魔闘士だから低燃費なナゴミちゃんも同じで、少なからず減ってはいるだろうけど残量が心許ないってことはないはずだ。
自己治癒を急ぐ。コツは魔力をふんだんに、けど穏やかに全身へ巡らせることだ。少しでも体を回復させ、万全には程遠くても最悪ではないコンディションに整える。戦場へ打って出るならそうしないと、ただの足手纏いにもなりかねないからね。
「わかった。ハルっちがそう言うなら──あ」
と、そこでナゴミちゃんは困った顔をして。
「向こうから来ちゃったみたい……」