153 スペシャルパンチ
変形蹴りを繰り出すだけの余力もなく、本当にただ蹴っただけになったけれど。だけど右足の形そのままではあってもミギちゃんである以上、「右足での蹴り」こそ今の私に出せる一番の攻撃方法には違いない。ちゃんと本気だし、ちゃんと全力だし、ちゃんと殺す気で蹴った。それがけじめになると思ったから。
落ちる頭を横から掬い上げるようにぶつけた感触は、確かにぽっきりと。ぼっきりとイレイズの首を折ったそれだった。跳ね上がった彼女の顔、その口と鼻から少しだけ血が噴き出して、そして改めて倒れていった。べしゃりと地に伏せたイレイズの身体はなんだか薄く見えて。ああ、ホントに華奢な奴だったんだなと場違いな感想を持った。細くて肌も白くて美人で、女として何もかも負けてんな、私。
でもまあ、見かけで負けてたって中身では勝ってる……よね? もしも性格の良さではどっこいだったとしても魔族特有の殺傷衝動を持ってないってだけでだいぶ私にアドバンテージがあるはず。って、そんなの持ち出さないといけない時点でなんだかなって感じだけども。
「ふうー……」
息と一緒に力も吐き出されていく。うーん、いかんなこれは。またいつものあれだ。疲労と、緊張感の途切れ。それから血が足りないせいで思考が散り散りになっちゃってる。まだ終わっちゃいないっていうのに。
もう動かないさっきまでの強敵に目を伏せて、まあ、個人的な祈りってことにして。それから重い体を動かす。向こう側ではまだナゴミちゃんが戦っているんだ、加勢しないと──って、なんだ。わざわざこっちから出向く必要もないな。
だって向こうから来てくれた。
「よォ、くゥ、もォ! イレイズをォおおおおおおッッ!!」
キャンディ。イレイズの姉を名乗る魔族で、イレイズと同じく四災将。おそらくはイレイズと同等かもっと強いはずのそいつは、見るも無残な姿になっていた。妹と同じく傷だらけの血塗れのボロボロ。それは私だって一緒なんだから何か言えたものじゃないけど、角が根本から折れて羽も片方失くしている惨状には思わず笑いたくなる。あれ、もしかしなくてもナゴミちゃんがやったんだよな。のほほんとしていて誰にでも優しく明るい彼女が容赦なくあそこまで叩きのめしたんだと思うと、頼もしさと怖さを同時に感じちゃう。味方でよかったなって思う。
「ハルっち!」
そのナゴミちゃんはキャンディの後方で慌てた顔をしている。急にキャンディの矛先が私に向いたっぽい? イレイズと何か術的な繋がりでもあったのか、それとも姉妹の絆がなせる業か。とにかく何かしらでキャンディには妹の死が察せられたんだろう。それで怒り狂って、目の前の標的を置いてでも妹を殺した相手を殺そうとしている。つまりは戦い終わって気の抜けている私の大ピンチ……と、ナゴミちゃんの目には映っているんだろうな。だからあんなに切羽詰まった顔をしているんだ。
ナゴミちゃんもけっこう傷だらけだ。キャンディを追いかけようとするその動きもいつもよりはっきりと重い。それだけ攻撃をもらっちゃったってことだよね。とんでもない身のこなしをするナゴミちゃんをこれほど痛めつけるなんて、やっぱ強いんだなキャンディ。でもダメージの度合いで言えばキャンディのほうが深刻だからナゴミちゃんはもっと強い。そこは間違いない。
だからって油断できる相手じゃないってのはわかってる。どんなに弱った状態だとしても私にとってはヤバい奴だ。イレイズが瀕死でも脅威だったみたいに、どうやってかは知らないが片方しか残っていない羽で飛んでくるキャンディだって、容易く私の命を奪える存在なんだ。
怒りのパワーもある。どこからどう見てもブチ切れているあの形相を見ちゃえば身も竦んでしまいそうだ──まあ、竦まないけどね。
だいじょうぶ、と声に出すのも億劫なので口の動きだけでそう言えば、ナゴミちゃんはちゃんと読み取ってくれた。焦り一色だった表情にちょっとした困惑が混じった。とまあこんな具合に、今の私には不思議とよく見えている。この距離でもナゴミちゃんの些細な変化に気が付くくらいに目敏く敏感になっている。変な感覚だ。身体は弛緩していて思考も空回っていて、痛みすらもあやふやだっていうのに。なのにこんなに、何もかもが手に取るように感じ取れるのは──。
「死ッ、ねぇええええええ!!」
爪。翳して振るわれるそれを足を引きつつ半身になって躱す。過ぎていく鋭利な先端は私の顔から一センチもない。魔力防御もままならないところに食らえば頭が団子みたいに串刺しになっていただろう。それがありありと想像できながら、私の中に恐怖はまるで湧かなかった。
「糸繰り──」
「!?」
「──縛り投げ」
すれ違う一瞬に糸を伸ばし、巻き付け縛り、キャンディの速度を利用して投げ落とす。アンちゃんにもやったアレの改良版だ。拘束をより強固にした上でぶん投げるのではなく地面へ落とす。短い時間で複雑なことをやらなきゃいけないんで難しい技だが、今ならなんてことはない。この死にかけの体でも難なくできると思ったのでやってみたら案の定できた。いい感じだ。
激闘の余韻と死がすぐ横にあるせいか……そしてなのにまだ戦いが終わっていないせいか、私はこれまでになく研ぎ澄まされている。イレイズがあのウロコで余分なものも削ぎ落してくれたのかな? なんてね。
思い通りの姿勢と速度で落ちて体育館の床とキスをしたキャンディ。へ、下ろし蹴りを見舞う。妹と同じように首を折ってやるつもりで放ったそれは残念ながら差し込まれた腕に阻まれてしまう。けど、逆さまの上に向こうも体力がなくなってるせいで力が入らないんだろうな。思ったよりもあっさりと蹴り脚を押し込むことができた。
「ぐエっ」
自分の腕に喉を押されて苦しそうにしながらキャンディが半回転する。おぉ? いくらなんでもこれはビックリ、こうはならないんじゃない? 全力の変形蹴りをぶつけたってんならともかく今の私はこんなにヘロヘロだってのに……まあいいや、理解はできないけどとにかく都合がいいんだからありがたくあやかっておこう。糸を引いてもういっちょ地面にダイブさせて、今度こそ蹴りで決めよう──と、思ったんだけど。
さすがに甘く見すぎたか。手の爪、それから羽のあちこちにある棘が一段と鋭くなっていて、糸が切られた。むう、イレイズのウロコ同様にキャンディの生来の武装も相当に強力だな。単純な糸の拘束は通用しないってわけだ。
でも構わない。仕留め損ないはしたけれど何も問題はない。だってこの間にもう彼女が──拳を振り被ったナゴミちゃんが、追いついてきているんだから。
「えい!」
「ッぎぃ!?」
なおも私を殺すことに拘って追撃しようとしていたキャンディだけど、その背中に思い切りナゴミちゃんの右ストレートを受けて悶絶。目玉が飛び出しそうな苦しみ方からその威力が窺える。
でもキャンディが吹き飛ばないのは彼女が堪えたからじゃなく、ナゴミちゃんの打ち方が上手いから。拳が生む衝撃の全てを相手の内部に完結させる打撃。見かけは地味になるけど派手に吹っ飛ばすよりもずっとずっとえげつない技だ。妹もこういう殴り方をするんだよなー。私にはいくらやっても真似できない技術のひとつ。だからとにかく相手をぶち抜く勢いで当てるってのを大事にしているんだけど、妹やナゴミちゃんのそれとどっちが上等かは言うまでもない。
「足止めしといたよ、ナゴミちゃん」
「にゃはっ、ありがとハルっち。トドメは貰っちゃうね?」
もちろん、と手で示す。私たちのやり取りの間に挟まれているキャンディはものすごい顔をするけど、どうしようもない。先の一打でしっかりと何もできなくさせられている彼女には、もう受け入れることしかできない。
ナゴミちゃんの本気の一撃を。
「スペシャルパンチ~!」
気の抜ける技名と発声で放たれたそれは、一打でキャンディの顔面を粉々にした。