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152 わたくしには

 突き込まれる掌打。さっきまでとは打って変わってほとんど力の入っていないそれを、だけど私は躱せなかった。胸の中心に受けて、軽いはずのそれに吐血する。ウロコすら逆立っていない、ただ撫でただけみたいな一撃。そんなものでさえ今の私には命を揺るがす脅威になっていた。痛くて苦しい。それはあのめちゃくちゃな乱打を浴びせられていたときと変わらないけど、もっと深刻に、死へと押しやられている感覚があった。


 そもそもとっくに死にかけなのだ。仮にイレイズが何もしなくても、ここで気を失ったりしたまま放置されでもすれば私はそれだけで死ぬ。出血で確実に助からない、それは間違いないことだった。そこに攻撃されればたとえ赤ちゃんのパンチだってそりゃあ効く。ましてやイレイズは魔族。鉛筆も折れないような細腕から信じられないパワーを発揮する、人間を遥か下に置く「戦うために生まれたような」種族。どんなに力を失ったってまだその腕には人を簡単に殺せるものが宿っている。


 それは私にはないもの? いや、そうじゃない。


「おぉお!」

「かッ……、」


 倒れかけたのを下げた足で堪え、そのまま踏み込む。揺らぐ身体の不安定さを勢いに変えて横っ面を弾く。イレイズの口から血が塊になって飛んだ。ギラリと瞳が蠢いて睨む。私も負けじと睨みつける。


 私にだってある。負けられない理由。勝たなきゃならない理由。イレイズに劣っていると認めるばかりではいられない理由ってものが、確かにここにある。この胸の中に、握った拳の中にしっかりと。


 それが私の力だ。失くした力の代わりになるものだ。イレイズの強度と殺意に決して引けを取らない立派な武器が、まだある。どんなにボロボロにされたって折れないし陰らない不屈の闘志となって私を支えてくれている。


 この両の足で立たせてくれて、この両の手を拳にしてくれている。


「蛇鱗、打ち……」

「っ!」


 子どものような殴り合い。泥のような打って打たれての血みどろの最中、イレイズが不意に意地を見せた。あるはずもない力をかき集めて、できるはずもない技の披露を叶えた。ウロコこそ付いてきていないもののその一打はちゃんと彼女本来の打ち筋になっていた。幾度もそれを食らった私にはわかる。脇腹に抉り込まれたこの拳底打ちが並みならぬ執念によって成し遂げられた誇りの一撃であることが、ありありと伝わってくる。


「ぐ、く……っぅううおおぉおお!」


 受けた衝撃が全身を駆け巡り目の前に火花が散った。明滅する視界は私の意識の灯火が点いたり消えたりしているのを表している。いよいよ、気絶してしまいそうだ。けど冗談じゃない。なんのためにここまで眠りこけるのを我慢してきたと思っているんだ。勝つためだ。守るためなんだ。こんなとこで屈するわけにはいかない。屈していいわけがない。なら。


「!?」

「い──糸繰り」


 今度こそ倒れる、と信じていたんだろう。なのにすんでのところで踏みとどまった私にイレイズが唖然とした顔を見せる。倒れてなんか、やるもんか。次は私が意地を見せる番だ。


 伸ばした糸。強度だとか硬度だとかに割り振らない、そんな余裕もなく作ったそれで、私とイレイズは結ばれた。彼女の首の後ろから通した糸を自分の首にも通して、お互いを支点にした。そうすることで私は倒れるのを防いで、なんとか姿勢を戻す。


「へ、へへ……知ってる? 首相撲ってんだよ、これ」

「……存じませんね」

「だろうね。だから、教えてあげる」

「いえ──せっかくですが、お断り」


 します、と言い切らせない。踏み入りのエルボー。フックの軌道で顎を狙ったそれは目測を誤って首に命中。イレイズの息を詰まらせた。そこにボディブローも追加で送る。軋む手応え。イレイズの身体だけじゃなく打った私の腕まで悲鳴を上げているが、関係ない。イレイズだってそれは同じなんだ。私たちは完全に同条件。対等の勝負の土俵に立っている。私だけ情けなく嘆いたりなんてできない。私が先に折れたりなんて、しない。


 イレイズが組み付こうとしてくる。これ以上殴られないようにってことだろうけどそうはさせない。捕まれる前にこっちからイレイズの腕を掴んで止め、押し合う。っく、私が有利な形だってのに押し切れないか。まだこんな力を残してるなんていっそ笑えてくる。魔族ってのはこれだから本当に。


「ぬぐぐ……いい加減に! ぶっ倒れろって!」

「ですから、それは……わたくしの台詞なんですよ!」


 尻尾に顎をかち上げられた。イレイズの股下から出てきてアッパーをかましたらしい、と食らってから気付く。目のチカチカがいっそうに酷くなる。星が舞いまくってる。まるで夜空になった気分だ。そんな気分を味わえているってことは、まだ気を失っていない証拠だ。


「~~っっ、ぉおッ!」


 仰け反った頭を、大きく振って叩き込む。額と額の正面衝突。ウロコが消えていても素の肉体の頑丈さはイレイズのほうがずっと上なんだろうけど、それも関係ない。打ち込めるなら打ち込む。打ち込めるだけを打ち込む。有効だとか効率だとかは考えない。考えている暇があるならとにかく体を動かす。少しでも休もうとしてしまえばその時点で終わる。終わらないために、イレイズを先に終わらせるんだ。


「か、は……」


 意外、と言っていいのかどうか。私の頭突きは思いの外にダメージを与えたようだった。イレイズの目玉がぐるりと回り、体から力が抜けかけて……でも、堪える。まだ耐えてくる。わかるぞ。私には手に取るようにわかる。とっくに限界、だけど気力だけでそれを誤魔化している。限界の値を塗り潰して素知らぬフリをしているってのが、我が身のことのように伝わってくる──だってそれは実際に私のことだから。


 訂正するよイレイズ。根性が足りてないってさっきは言ったけど、ありゃ間違いだった。


 根性あるよ、あんた。それが自慢の私にだって劣らないくらい……!


「だけど!」

「ッ!」


 ぐらつくイレイズはもちろん、頭をぶつけた反動で私も後ろへ倒れかけるけど、私たちは糸で繋がっている。お互いを支え合っているからには倒れないし、離れない。ぴんと伸びた糸が私たちの体勢を強引に正し、目と目を合わせて、また殴り合いへ導いていく。先に拳を突き出したのは私で、イレイズはそれに反応して横へ引き気味に掌打を返してきた。


 振り被った私に対してコンパクトな打ち方をするイレイズの掌打が先に突き刺さり、つっかえ棒みたいに腹を押される。自分から突っ込んだようなもので打力以上の威力にさせてしまった──が、それもまた関係ない。知ったことじゃない。胃から上がって来そうになる血だか胃液だかよくわからないものを喉で無理矢理せき止めて、つっかえ棒もなんのと殴り抜く。


 イレイズのくぐもった呻き声に混じって何か致命的な音がする。削られ擦り減っていく音。全ての動作が互いの命に届く戦い。そこから聞こえるそれは、まるで古びたシーソーがギシギシと鳴っているみたいだった。どちらに傾こうとしているのかはわからない。私たちは今それを決める権利を奪い合っている。


 共に力を、あらんかぎりの気力を振り絞る。


「ハルコ……!」

「イレイズ……!」


 音はもうすぐ聞こえなくなる。だったらここだ。最後の力と、そして防魔の首飾り。たった一撃(蛇穿ち)を防いだだけで大きく魔力を減らしつつも、まだゼロにはなっていないこのアイテムの助けを借りるべきは、今。


 今度は同時だった。私の拳とイレイズの裏拳がまったく同時に命中し……けれど、血を吐いて崩れ落ちたのはイレイズだけだった。


「か──かないません、か。わたくしには……」

「いや……そんな差はなかった。偶々だと思う」


 でも、勝ちは勝ちだ。

 そう告げるとイレイズは静かに笑った。そして倒れる──その前に、私は彼女の頭部へ目掛けて右足を蹴り抜いた。



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