151 最後まで意地を張れるか
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気が遠くなる、意識も遠のいていく怒涛の連打。もはや清々しいまでに圧巻の乱打がいつまでも止んでくれないことに私は本気で死を覚悟した。
体感的には何時間も攻められ続けていたような気がするけど、実際には十秒も経っていないくらいなんだろうな。その十秒が私にとっては恐ろしく長かった、ということだ。
耐え抜く。耐え抜いた先でないとチャンスは巡ってこない。そうわかっているから気合も入ったけど、それでも危うかった。痛くて苦しくて段々と訳がわからなくなっていった。この地獄から解放されるなら意識を手放してしまいたい。それで死んでしまってもいいから眠りたいと、一瞬本気でそう願いかけた自分がいた。
諦めないと決めてなお諦めかけた。もしも私が一人だったら本当に諦めていたかもしれない。それくらい辛かった。でも、今ここで私が負けを認めてしまったら……死んでしまったらどうなるかを考えたら、おちおちと眠るわけにもいかなかった。
イレイズは強い。スタンギルやロードリウスみたいな場を支配するような特殊な能力はないみたいだけど、それを補って余りある肉体的な強さ。物理的な殺傷能力を有している。私が負けて死ねばこいつの牙が──ウロコが皆を餌食にする。誰も彼も殺してしまう、そう決まり切っているからには死ねない。負けられない。
だから耐え難きを耐えた。諦めずに最後まで、イレイズの乱打が止むまで耐えて耐えて耐えて。ようやく訪れたその時が、待ちに待ったチャンスでもあるとすぐに気が付いた。全身の筋肉の異様な膨張。が、躍動して動き出す。イレイズの力の全てがその右手のみに集まってぶつけられようとしている。大技。真の隠し玉が切られたのだと私には理解できた。だってそれを待ち望んでいたからだ。
蛇鱗殺法の、進化版? が、単なる繋ぎでしかないことは察していた。何かしら根拠があってそう推測したんじゃなくて、ただそう感じただけ。イレイズの殺意は本気だったけどでもまだ奥があると、そう直感的に思ったから。何がなんでもそれを待つと決めた。その途中で音を上げることだけは絶対にしちゃいけないと。
こちらから逆立ったウロコに殴りかかって拳が傷付いたとき。首に提げている防魔の首飾りのオートガードが機能しなかったことで思い付いた。このアイテムは私を勝手に守ってくれる優れもの。不意打ちや予測できない攻撃も防げる最高のお守りで、それは私の意識の有無にかかわらず働いてくれるからこそだ。だけど、今まで私は必ずしも首飾りの自動判定だけに頼ってきたわけではなかった。意識的に首飾りの防御機能を発動させた例だって何度もある──だったらその逆もできるはずだ。と、そう閃いたのだ。
自動防御をあえて機能させない。イレイズの攻撃がどれだけ重く殺意に塗れたものでもわざとそれを防がない。いざというそのとき、チャンスをモノにするための絶好のタイミングまで我慢する。防魔の首飾りの最大防御は魔王の本気さえ、スタンギルの魔力砲さえ一発なら防ぐ。信頼性は抜群。なら、一番効果的なのはイレイズの最大の一撃が切られたとき……その瞬間こそが最も冴えた使い時であると、私はそう考えた。
甲斐はあったと言うべきだろう。イレイズの本命までの繋ぎは思った以上に強力で、覚悟した以上に苦しめられて、おかげさまで私はボロ雑巾。いや捨てられる寸前の雑巾のほうがまだしもいくらかマシだと言い切れるくらいの惨状になってしまったけれど。これも覚悟によるものか、諦めない心がもたらしてくれた奇跡なのか。私の意識はまだはっきりしていて、どうにかこうにか体も動く。
もしもここでイレイズの予定通りに蛇穿ちとやらを食らっていたら──なんの手立てもなしに直撃を貰っていたら、きっと私は死んでいた。胸を刺し貫かれて奇跡の余地もなしに即死していただろうが、防魔の首飾りはちゃんと私を守ってくれた。
イレイズの決め手になるはずだった渾身の一打を、きちんと受け止めてくれた。
「なっ──」
「残念、イレイズ。根競べは……私の勝ち」
当たった、としかイレイズには思えなかったろう。なのに何かが私を守った。その守ったものの正体が彼女にはわからない。その不可思議に目を見開く彼女は今この瞬間、完全に無防備。大技を繰り出し、でも不発に終わった直後のどうしようもない隙。私の射程圏で晒すその隙を、どれだけ待ち焦がれていたか!
教えてやる!
「変形蹴り──」
「ッッがぁ!?」
「──プラス! 闇レーザー最大出力!! 発射ァ!!」
蹴りつけたのは先の変形蹴りで腹に付けた傷。小さな穴になっているそこにはウロコもなく、明確な弱点になっている。そこを今の今まで狙ってこなかったのもわざとだ。比較的ウロコによる守りが薄い顔面ばかりを攻撃し、傷への追い打ちをかける素振りなんて欠片も見せなかったのは、ここで付け込むためだった。
傷の上から鋭い棘になったミギちゃんがイレイズの体内へと食い込む。その着弾と同時に、右足首に嵌めた攻魔の腕輪を解放。残りの魔力を全部まとめてぶっ放す。ゼロ距離、どころか蹴り込んだマイナス距離で闇の魔力レーザーが発射されたことでイレイズは苦悶の声もなく吹っ飛ばされた。
建物の内壁に激突し、だが勢いは止まらず、壁を突き抜けてイレイズはその向こうへ吐き出された。逞しいドワーフたちが暴れてもビクともしないようにとその建築技術を使って頑健に作られているというこの体育館が、あっさりと壊れるほどの超威力。我ながら会心の蹴り&レーザーだった。それを傷口にクリーンヒットさせられたんだからいくらイレイズがタフネスの権化みたいな魔族だとしても無事では済まない──。
「……!」
おそらく命を落としている。蹴りの感触からしても私はそう予想したが……それは覆された。壁の穴から這いずるようにして姿を見せたイレイズは、死体が動いているようにしか見えない有り様ではあれど、確かにまだ生きていて。
その眼差しからはまだ戦意が潰えていなかった。
「は、……はは、は。冗談キツイって、イレイズ。あんたまさか不死身なの?」
「それは、はぁっ。こちらこそ、問いたいですね……ハルコ。あなたは何故、……そうも、そんなにも」
イレイズが一歩、一歩と、踏み締めるように近づいてくる。それが最速らしい。初めのあの地上を滑るような身体の使い方はもう影もない。対する私も、彼女を待たずにこちらから歩み寄っていくけど、どうにも遅々として距離が縮まらない。傍から見えれば私も幽鬼のような足取りになっているんだろうな。
それでも互いに近づいているんだからいつかは向かい合う。肩でぜえぜえと息をしながら、血をあちこちから垂れ流しながら、鏡映しみたいに私たちは三度正面から相対する。
「まるで、ハルコ……死からあなたを遠ざけているようにすら、思えますよ」
「そう? そりゃラッキー……死なんて私も、大っ嫌いだからさ。相思相憎なら、お互い様だ」
「ふ……わたくしたち魔族には、容赦なく死を振り撒きながら?」
「まーね。とんだ都合のいいやつだって、それもお互い様なのよ」
口を閉ざす。息を整える。こきりとイレイズの手首が鳴った。ぎゅっと私は拳を握る。まだ戦える。まだまだ戦い続ける。ただの意地だけどさ。イレイズも同じだってんなら、上等。どっちが最後まで意地を張れるかもう一度根競べといこうじゃないの。
それで勝ったほうが、最後まで立っていられたほうが、勝者だ。
これ以上なくわかりやすい決着になる。
「──かかってきな」
「──言われずとも」
終わりの攻防が始まった。