133 負けない、ではなく
癖や呼吸。つまりは行動のリズム。組手なんかでも相手のリズムを読めるかどうかで勝敗が変わってくるっていうのは、経験で実証済み。それは単なる殴り合いよりスケールの大きい戦いでもおそらく変わらない。戦闘の通念的な概念、ってところか。これも妹からの受け売りの言葉だけど。
シズキちゃんのリズムを読めるか。そしてそこに付け入る隙を見出せるかどうかに懸かっている。それができれば勝ちへ近づけるし、できなければ一気に遠ざかる。なかなかわかりやすくていい。
「参考になったよ。じゃ、頑張ってくる」
「……賭けているものが賭けているものだけに応援はしにくいですが。とにかく無事を祈ります。あなたもシズキさんも、どうか大きな怪我だけは」
「あはは。うん、しないしさせない。できるだけそういう風に戦うよ」
有効打判定はあくまで攻撃を届かせるだけでいいので、威力を乗せなくたっていい。シズキちゃんもおそらくは身の入っていない手数で攻めてくるだろうから、言うほど大怪我のリスクは高くないと思われる。でもまあ、言ったようにこういうことに事故は付き物でもあるから気を付けるに越したことはない。
体育館みたいな広い部屋、その中央で一定の距離を開けて私たちは対峙する。気力は充填されている。シズキちゃんの佇まいからそれがよくわかった。顔付きがいつもとぜんぜん違う。戦うときの顔だ──手合わせでも、私が相手の勝負でも負けるつもりはまったくない。本気の顔ってわけだね。
私だってそれは同じだ。まだ実際の戦闘で役立ったわけじゃないけど、説明だけでも充分にわかる。勇者装甲は信じられないほど優秀な装備だ。あれを身に着けているかどうかで戦力としても、生存率も大幅に変わる。絶大な力を持つ純魔道具でも及ばないくらいのスーパーアイテム。あれはそういう代物だ。……魔王との戦いも近づく今、私はどうしてもその最後のひとつをシズキちゃんに着てもらいたい。
私ではなく、シズキちゃんに。
だって私、人の怪我のほうが見ていてイヤだからさ。
「ハルコさん」
「なーにシズキちゃん」
「あなたの気持ちが、伝わってきます。わたしのことを、そんなに優しく想ってくれる人、他にはいません」
「……なに言ってんのさ、私だけじゃないでしょ? コマレちゃんもカザリちゃんもシズキちゃんも、バーミンちゃんやバロッサさんだって。みんなシズキちゃんことめちゃくちゃ大事に思ってるよ」
「はい。それも、伝わってきます」
そう言いつつもシズキちゃんは口元だけに小さな笑みを浮かべながら、ゆるゆると首を振る。初めて見る表情。どういう気持ちで彼女がいるのか、私には伝わってこない。元は彼女の力であるミギちゃんを介しても、今はもう何も。
「わたしはぜんぶが怖かった。失うことが何よりも怖かった……たった一人の味方でいてくれたショーちゃんが死んじゃった日、わたしの世界はまた壊れたんです。だから」
「…………」
「だから、夢みたい、です。人と一緒に笑えているのが。楽しいと思える時間を過ごせているのが、夢みたいで。おかしいですよね? もっと怖い目に遭っているはずなのに、わたし、ちっとも怖くない。時間が過ぎなければいいって願うくらい」
「シズキちゃん──」
「いまのわたしが怖いのはただひとつ。まだ失うことへの恐怖だけが、わたしを離さない。わたしが離さない──ハルコさんを、失いたくない。そのためにわたし、負けません。エオリグを、あなたの物にするために」
自分なんかが着るよりも、そのほうがずっといい。シズキちゃんは心からそう思っている。何がなんでも私にエオリグを譲る、強い意思が。痛烈なまでの意志がまるで目に見えるように彼女から迸っている。
でも。
「悪いけどね、シズキちゃん」
「……、」
「それ聞いたらますます私も譲れなくなっちゃったよ」
元の世界で何があったかは知らない。どんな環境にいたのかはあえて訊いてこなかったし、これからも無理に聞き出そうとはしない。仮にシズキちゃんのほうから話してくれるのなら別だけど、そうでもなければノータッチを貫くつもりでいる。だってそれはこの世界を救うこととなんの関係もない、救おうとしている間の私たちとはまったく無縁の、切り離された一方の事情でしかないからだ。
シズキちゃんだけに限らず、他の皆に対しても実生活のことは努めて触れてこなかった──だけどそれは皆がどうでもいいからじゃない。どうでもよくはない相手だからこそ、そうしてきたんだ。それを変えようとは今だって思っていない、けれど。
「シズキちゃんが失いたくないって怖がってるのと同じくらい、私たちだってシズキちゃんを失うのが怖いんだって。それだけはわかってもらいたい。だから──そのために私が勝つ」
負けない、ではなく、勝つ。
ここで負けてしまうとシズキちゃんがもう二度と、恐怖から離れられない気がするから。そこに本当の彼女の楽しさはない気がするから。だから私は負けられないと思った。
勝たなきゃならないと、改めて決意した。
「──二人とも、準備はいい?」
「はい」
「オッケーだよ」
審判役のカザリちゃんが両脇にロゴンさんとドードンさんを従えるように立たせて、腕を上げる。
「はじめ」
その腕が下ろされると共になんの力みもなく放たれた勝負開始の合図に、私とシズキちゃんが同時に動き出す。いや、正しくは私とショーちゃんが、だね。
「糸繰り!」
シズキちゃんの衣服の内側から飛び出たショーちゃんは瞬く間に体積を増やしながらこちらへ向かってくる。その勢いを止めようと壁糸で妨害する。通常、壁糸は左右でも上下でもいいから二点の引っかける場所を設けなくてはならず、地面以外には何もないこの場所では一点でしか支えられずに不完全な壁糸にしかならない。
が、ミギちゃんという芯が通うようになった新しい糸は単純に強度において増しているし、操作のしやすさも各段に上がっている。
簡易壁糸でも塞き止める力は充分……と言いたかったけどダメだった。ショーちゃんが止まったのはほんの一瞬。糸の刺さっている地面ごと掘り返す勢いでそのまま前進してきた!
こりゃマズい、ってことで私のほうは前進をやめて下がり気味に追加で壁糸を作るんだけど、それもあっさり飲み込まれたことで意味がないと気付く。
下がるのも守るのも、意味がない。本気で攻め込んでくるショーちゃん相手に中途半端な防衛戦なんて通用するはずもなかった。
そもそも下がっちゃ駄目なんだよな。私が本当に相手すべきはショーちゃんじゃなくその奥に控えているシズキちゃんなんだから。
彼女の下へ辿り着くには下がっている場合じゃない。ショーちゃんに負けじとこちらも前へ突き進まなくてはならない──からには、腹を括るとしますか!
「行くぜミギちゃん!」
どんと来い、と気持ちのいい了承が返ってくるのを感じながら私は跳ぶ。跳び上がる。後退をやめてショーちゃんを迎え撃つ、と見せかけての逃走&前進だ。ミギちゃんのパワーと変形を活かしての大ジャンプは、以前までの私なら糸による移動でないと実現できないものだった。この何も掴めない場所じゃできっこない芸当が、今なら片足の力だけでできる!
これにはシズキちゃんも驚いている。かくいう私も思った以上の跳躍力に驚いている。ちょっと高く跳び過ぎた!
「っ、ミニちゃん!」
すると過ぎった危惧の通り、着地する前に向こうからの攻撃が来てしまった。ヤバいぞどうする……!?