126 自然の防壁
当然、高低差があるとはいえすぐそこに魔物がいるとあっては私たちもぎょっとする。
「バ、バーミンちゃん!? このまま進んで大丈夫!?」
「それが大丈夫なんすよ、ほら」
呑気なバーミンちゃんの言葉とは裏腹に私の焦りは大きくなる。何せあの巨体があそこから飛び降りでもしてきたらそれだけで馬車はおしゃかだ。確実に馬はやられるし怪我人が出たっておかしくない。そこからロックリザードの群れとの乱戦が始まったらもう目も当てられない状況になる。
「──あ、あれ?」
なんて内心のおおわらわもすぐに静まった。なんでって、こっちを見下ろしていたロックリザードたちがぷいっと目を逸らしてしまったからだ。なんだ馬車か、興味なし。みたいな感じで。私たちに構うつもりなんてまったくないのがその態度からよくわかる。
「これは、どういうことですか?」
なおも困惑が顔にありありと浮かぶコマレちゃんの問いは私たち全員の気持ちの代弁だった。だってそうでしょ、これまで出会った魔物はひとつの例外もなく──スライムだけはこっちを襲う意思があったのかなかったのかよくわからなかったけど──人と見るや明らかに獲物と認識し、殺意満々に襲いかかってきていた。
もちろん、宝石蟹ことクランシュみたいに魔物扱いはされていても危険度の設定がされていないようなのもいたにはいたけど、そういうのは魔物について詳しくない私たちの目から見ても「危ない」とは感じない、小さくて無力な生物ばかりだった。
外見が厳つい奴は総じて危険。という認識は絶対のものだと思っていたのに、厳つさで言えばブラックワイバーンにも負けないようなロックリザードがまったく人に関心を示さないのは意外どころの話じゃないんだけど。
「ロックリザードは偏食の魔物なんすよ! 主食は天然岩。それ以外には肉食の魔物や動物しか食べないっす。元のリザードは普通の肉食なんすけどね。どうしてそんな食性になっているのかは解明されてないっすけど、ロックリザードのおかげでドワーフタウンが平和だってことだけは確かっすね」
な、なるほど? 周辺の山岳地帯がまるっとロックリザードの縄張りになっていて、群れがあっちでもこっちでも闊歩しているから他の魔物はドワーフタウンまで入ってこれないと。要するに人に害のない魔物が害のある魔物除けになっているってことか……こりゃすごい、エルフタウンの川を利用した堀以上に『自然の防壁』じゃん。
「ロックリザードが人を襲った例はないの~?」
「あるっすよー。でもそれは人のほうから手を出したり、あとは食事の邪魔をして怒らせた場合とかに限られるっす。そうでもなければロックリザードは人と争ったりしないみたいっすよ」
「そうなんだぁ」
なら安心だねぇ、とシズキちゃんと頷き合うナゴミちゃん。うむ、確かに安心だ。街の守護者みたいな存在だと思うと遠ざかっていくロックリザードの姿もなんだかさっきまでとは違って見えるね。なんとも頼もしくてどこか可愛らしいようにも感じる。まあ、ロックリザードからすればただ縄張りを守っているだけでドワーフタウンを助けているつもりなんてないだろうけどさ。
「でもあれだよね、空からの敵とかにはロックリザードもさすがに何もできないよね?」
「そうっすねぇ、ロックリザードは岩を吐き出す攻撃をすると聞くっすけどそんなんじゃ空の危険な魔物……ドラゴンとかワイバーンには敵わないと思うっす。でもドラゴンやワイバーンが攻めてくるようならどのみち、どの街だろうが大パニックっすからね」
「あー、それもそうか」
塀があって兵士がたくさん見張っているような大街でも、空から襲われる備えなんてしていないもんな。というか端からその心配を切り捨てているように思える。それはきっとバーミンちゃんが言ったみたいに、空の魔物で危険度が高いのがドラゴンやワイバーンくらいしかいなくて、そしてその二種がどちらも数が少ない上に生息圏が人のそれに被っていない魔物だからだろう。
つまり、そういうのに襲われるっていうのは落雷に当たるみたいな極稀かつ防ぎようのない事態だってことだね。まあ、最初の試練の地であるロウジアはそんな稀な事態を引き当ててしまっていたわけだけど……だからこそ試練の地に選ばれたんだけど、そんなことはそうそうない。
他にも鳥型の魔物とかもいるみたいだけど危険度はバーゲストとかとそう変わらず、街中に降りてきても住民が棒なんかで叩き落としたり追っ払ったりしてんだって。うーむ、やっぱ強いねこの世界の人たちは。それが当たり前の認識ならそりゃ空への特別な警戒なんてしないわな。する意味がないもの。
そう色々と腑に落ちている間にも馬車は低山の山間を進み、ドワーフタウンの入口である大きな門の前に辿り着いた。門、と言っても他の街で見られる鉄門とは違って石造りかつ扉も開け放たれている、ただ「ここが出入口だ」と示すためだけのオブジェクトでしかなかったけど、一応はそこに人の出入りを確認する門番は常駐しているようだった。ドワーフじゃなくて人間だったけどね。
いつものように印書を提示している傍らですぐ横をのっしのっしとロックリザードが並んで歩いていく様に慄いたけど、門番さんはそれをなんとも思っていないようだった。彼にとってこの光景は日常でしかないんだろう。
「あの、怖くはないんですか? あんな大きな魔物がこんな近くに寄ってきて」
理由がなければ人と争わない、と言っても逆に言えば理由さえあれば容赦なく襲ってくるわけで。そして何体ものロックリザードが向かってきたらこの入り口に常駐している数人くらいじゃどうにもならないと思われる。もちろん門番さんたちが一人でロックリザードを数体まとめて相手できるような超手練れであるなら別だが……こう言ってはなんだけど人の良さそうな雰囲気もあってそこまで強そうには思えないものだから、つい心配になってしまう。
「ははは、もう何年もこうして連中の行き交うところを間近に見てきていますからね。赴任してきた当初こそおっかなびっくりでしたけどもう慣れましたよ。最近ではよくここを通る個体の見分けもつくようになってきたくらいです」
ロックリザードの中でも人に無関心なのとけっこう懐っこいやつとがいるんですよ、なんて朗らかに笑いながら言う門番さんは紛れもなく英傑だった。すごいなぁ、私だったらいつまで経っても慣れなさそう。遠目にするぶんにはまだいいけどこの距離間じゃあどうしてもゴツさとデカさにビビってしまう。だって見てよほら、あそこ。岩をがりがり砕いて食ってるよ。顎の力も半端ねぇ~。怖ぇ~。
でもこれはあれか、大きくて嚙む力が強そうなのを私が過度に恐れ過ぎているってのもあるか? やっぱ右足を嚙み千切られたのがね、どうもね。トラウマってほどじゃないけどちょっと苦手意識とか出ちゃってるかもしれない。やったのは魔物じゃなくて、術で作り出されたただの粘土細工の偽物の蛇なんだけどね。
いけないいけない、こういう怯えって大事なところで足を竦ませて状況をもっと悪く、大事にしちゃいかねないからな。恐怖の克服は大変だけどちゃんとやっておかないと……ロックリザードのことももっとフラットな目で見てあげるべきだ。
私がじっと見つめれば、その視線を感じたのか一体のロックリザードがこっちを向いて──でもすぐにぷいと目を逸らし、元の方向に向き直った。無関心のほうの個体だったみたい。
んー、残念なようなホッとしたような。
「何してるっすかハルコさん! 行くっすよー!」
「あ、うん!」
いつの間にか馬車に乗り込んでいた皆に私も続く。さあ、いよいよドワーフタウンだ!




