110 打ち上げられるように
限界を超えて練られた魔力が術式によって形となる。至近距離から放たれたそれは螺旋状になって、あたかもドリルのように激しく回転しながらまずは分身、そしてロードリウスを巻き込んで周囲に破壊を撒き散らす。白と黒の激しい明滅が進むたびに土と血が舞って──閃光となって弾けた。
「は、あ……」
術の終わりを見届けて、体が傾ぐ。口からは熱を帯びた吐息が漏れる。危うく力が抜けて座り込んでしまいそうなのをカザリはぐっと堪えた。
疲労が圧し掛かっている。体中のあちこちの骨が折れているし、腹部右側には穴。そろそろ魔力量も心許なくなってきた。コンディションは最悪もいいところで、このまま傷を放っておけば遠からず死ぬだろう。特に致命的とも言える脇腹から流れ出る血をできる限り少なくしようと手で抑えながら、けれど少女にはそれだけに集中できない理由があった。
安静にしていられない理由が──目の前に立つこの男。
「と……途方もないことを、するものだ。よもやこんな……こんなにも馬鹿な手を取るなどとは、思いもしなかったぞ。ふ、ふふ……」
ロードリウスは健在であった。鎧は欠片すら残らず剥がれ落ち、肉体も著しく負傷してはいても、その命にまで傷は及んでいない。あと少し。もう一歩でカザリの一撃は彼の命へ届いただろうが、しかし、螺旋魔弾はそれを叶えるだけのポテンシャルがありつつもそうはならなかった。
位置関係の都合上本体よりも先に分身が被弾したことで──無論それは偶然ではなく、カザリが何をしようとも分身を盾にできるようロードリウスが立ち位置を抜け目なく調整していたが故だ──螺旋魔弾の威力が幾分か散らされた。それでも破壊力と貫通力の双方を高めたカザリ決死の新技は本命たるロードリウスへ深刻なダメージを押し付けはしたものの。
けれども彼は魔族である。先制としてカザリへ攻め入っている最中であったために魔力防御こそ彼も欠いてはいたが、自慢の麗渦鎧が生きていた。そして種族的優位として人間よりも遥かに頑丈な肉体を持っているのだから、負わされたその傷は深くあっても致命傷には至らなかったのだ。
既に傷付いていた体へ新たな裂創が、とても魔弾による被害とは思えない鮮烈な傷跡が増えはしたが。血に塗れ息を荒げ目まで血走らせようとも、ロードリウスに問題はなかった。
何故なら出血量も呼吸の乱れも、そして睨むその目の暗さにおいても。カザリのほうがロードリウスよりも余程に酷いのだから。
「一か八かの賭けだったのだな。どちらがより死に近づくか一世一代の大勝負へ打って出て……そして、貴様はあえなく負けた。自らを追い込むだけに終わったわけだ!」
賭けに勝てば、それ即ち得られるものはロードリウスの死。リターンは限りなく大きい。しかし代償としてリスクもまた大きい。それ即ち自分の死。幸いと言うべきかカザリは即死こそ免れたものの、とても満足に戦える状態にない。ただ傷口を抑えながら立ち尽くすだけで精一杯なのだ。
対してロードリウスにはまだ余力がある。彼とて万全からは程遠いがふらふらの少女一人を縊り殺す程度はなんの支障もなく行える。なんなら、分身と違って生き残っている土蛇に命令を下せば自らは指一本も動かすことなくそれを実行可能だ。
「貴様まで土蛇に食わせたのでは、味気ない。せめて直接涅槃に送ってやろう……この栄達の手にかかることを光栄に思いながら逝け、勇者カザリ」
ロードリウスの両手に魔力が集う。ごぽりと青紫の水がそこに湧き出す──彼流の水の魔弾、カザリで言うところの強化魔弾に相当する術を放とうとしている。そう気付いてもカザリにはどうすることもできない。なけなしの魔力を総動員して身を覆うが、できるのはそれだけだ。
一歩でも動こうとすればその瞬間に崩れ落ちて魔力操作すら覚束なくなる確信が彼女にはあった。回避はできそうにない。当然、反撃などもっての外だ。とてもではないが今の自分に術式の構築は叶わない。詠唱による補強を試みたとしても、完成には通常の何倍もの時間を要する。既に術が出来上がろうとしているロードリウスを前にそんな悠長な真似なんてしていられない。
まんじりともせず魔力で体を覆う、それだけに専念するのが正しい。ただしそれは正しいだけで正解ではない。どのみち、この程度の魔力防御でどうにかなるわけもないのだから。ロードリウスが練っている魔力は、それから繰り出される魔弾の威力は、真正面から受け切れるほど軟な代物ではないと。カザリにはそこまで確信が持ててしまっているだけに──敗北がまざまざと目を焼く。
「貴様はよくやったよ。片割れを失って尚ここまでの手傷を私に負わせたのだ、誇りに思っていいぞ。なればこそこの一撃は敬意でもある。せめて貴様だけでも苦痛なく──」
引き絞られる。魔力と、それに伴ってロードリウスの腕も。死にかけの少女一人に対しては過剰とも言える力の入れ方。それこそが彼なりの手向け。ここまで自分を苦戦させた敵への餞であった。
足を捥がれ土蛇の体内で押し潰され、相棒は地獄の苦しみを味わっただろうが。それだけにカザリは一瞬の内に死なせてやろうと。どこまでも紳士的な自分に酔い痴れながらロードリウスは最後の一撃に猛る。
「──華々しく旅立たせてやる!」
集まった力が放たれる。
その直前。
グォエ、と奇怪な声が響いたことでロードリウスの手が止まる。
「土蛇……?」
声を発したのは土蛇だ。だからロードリウスは深く戸惑う。何故なら彼は土蛇に鳴き声を発する機能など設けていない。生物のように動きはしても土蛇は所詮、彼の魔力から生み出された水が浸透することで操作権を得た土の集合体でしかない。あくまで蛇らしさはガワだけ。そも、本物の蛇とてシューシューと口から息を漏らすことはあってもハッキリとした鳴き声なんて出さない。ましてや「グォエ」などと低く苦しげな声が聞こえるはずは──苦しげ?
そうだ、土蛇自体に鳴く機能がないのならその口から出た声とはつまり、別の要因によって体内から空気が押し出されてのもの。そう見做す他にない。そして、要因足り得るものと言えばこの場合はただひとつ。
ただ一人だけしかいないではないか。
ロードリウスがそう察した瞬間に。
「グッ、ォ、ッゲエエエ」
土蛇の腹部から何かが込み上がってくる。それを抑えんと、ロードリウスがそう命じた通りに体内に取り込んだそれを閉じ込めたまま圧し潰さんと口を開けず土の体をいっそうに凝縮させんとする土蛇だったが──まったく押し留めることはできなかった。腹から上ったそれが暴れているのだろう。急速に土蛇の頭部が膨らみ、いびつな形に綻びが生じ、またしても悲痛な声にしか聞こえない音漏れがそこから起きて、そして。
「なぁッ……!?」
ロードリウスが間の抜けた驚きの声を上げたのも無理はない。まるで打ち上げられるように。土蛇の頭を木っ端みじんにしながら飛び出したそれはやはりハルコ。失ったはずの片足を復活させた五体満足の状態で宙を舞った彼女が、素早く敵を捕捉。ギロリと尋常のそれではない目付きで見下ろしてくるものだから彼の戸惑いもピークになる。
何故生きている? 何故足がある? 何故土蛇から出られた? 何故、何故、何故──冷静さを取り戻したはずの彼がまたしても完全なる予想外、不測の事態に動揺を示したその瞬間を狙い撃つようにハルコは空中で糸を伸ばしていた。
糸が縮む。流星のようにハルコがロードリウス目掛けて一直線に迫る。
食らわせるは勿論、彼女の十八番にして得意技。
「どっっっせい!!」
取り戻したその足での蹴りだ。