107 行き過ぎた連携
痛烈な顔面への衝撃に、ロードリウスの視界を黒い星が瞬く。
なんだこれは、と鼻から舞った血を眩む目で追いながら彼はどこか他人事のように考える。カザリのそれと違って内部にまで響くような深刻なダメージではない。鞭糸とかいうあの妙な金属とも液体ともつかぬ力を組み合わせた糸の技は、威力としてはロードリウスが恐れるレベルに達していない。
だが痛い。とにかく打たれた感触が痛烈で、顔が痛くて痛くてたまらない。鼻から血を零している、などという普段なら許容できない無様を晒しているのもさして気にならない程度には何もかもが痛い──これはカザリの巨大魔弾を食らった影響もある。
ロードリウスが見積もった以上に威力が高められたカザリの魔弾。それに合わせて力不足ながらに的確に嫌な攻撃を差し込んできたハルコ。これは、この二人の同時接近を許してしまったのは、想像よりも面倒な事態を招くのではないか。理屈家の彼にしては珍しく論理的な思考というよりも感情が先行して思い至ったその予想は、果たしてまったく正しかった。
「発射」
「鞭糸連打ぁ!」
「ちィっ……!」
鎧が崩れ、体勢も崩れ、次への対応がどうしても遅れる。そんな追撃に絶好の機会を少女たちが逃すはずもなく、速攻が降り注ぐ。
複数の魔弾に加えてその合間に顔や股間、足元を狙ってくる鋼鉄の鞭。いくつかは防ぐが、いくつかは防げない。鎧が万全であれば、あるいはそうでなくともいつも通りのロードリウスであれば話も別だったろうが、今の動揺を隠せずにいる彼では凌げるものも凌げない。
いや──仮にダメージも焦りもなかったとしても、全てを完璧に防げはしなかったかもしれない。それくらいにカザリとハルコの連撃は激しく、そして息が合っていた。ロードリウスに後手を押し付けられるほど隙間も途切れもない完璧な連携。
「ッぐ、貴様ら!」
成形し直した部分から鎧が弾かれていく。纏う水の量が増えたと見るや即座にその部分へ重点的に攻撃が注がれるからだ。これではいくらでも形を変えられること、直せることを強みとしている麗渦鎧の機能性がまったく活かされない。
それによって流水加速。麗渦鎧自体が動くことによってロードリウスの機動力を大幅に高めるもうひとつの強みもまったく機能してくれない。当然だ、流水加速にはまず鎧をきちんと纏う必要がある。それを少女たちが許してくれないからには加速もへったくれもない。無論それは意図的に行われている鎧封じに他ならず。
その事実に。つまりは自慢の術が完封されているという──自分が手玉に取られているという事実に、ロードリウスは強く歯噛みする。
「こ、の──がふっ!」
だがどうしようもない。彼とてただ後手に回っているだけではないのだ。折を見て、多少の無謀も良しとして反撃を試みている。しかし被弾覚悟のそれが尽く通らない。一撃でもまともに当たってくれさえすれば連携を崩せるというのに。けれどその連携故に一撃さえ当てることができない。
ハルコを狙おうとすればそれに先んじて魔弾の数が増え、ならばとカザリを射程に収めた途端に鞭糸が顔を打つ。魔力防御で無理矢理に突破したとしても少女らは巧みに攻めと引きのタイミングを合わせることでどちらに対しても有効打が打てないようにする。時によってはハルコがカザリの体を糸で操り思いも寄らぬ動作を取らせたり、反対にカザリが魔力でハルコを覆う(!)ことで彼女の薄い守りの手助けをしたりと、まったくもって当意即妙の変幻自在。
苛烈な攻勢を演じる合間、如何様にしてこれだけの密度と複雑さを保ったままに動けているのか。二人で一人、いやさ一人が二人になったのかと思うような。ロードリアスをして自身が知らず知らずの内に何かしら未知の術中に嵌ってしまったのではないかと疑うほどの、言ってしまえば「行き過ぎた連携」──個人と個人が合わさるどころか掛け合わさって戦力を増大させるなどと。
それは個人主義が種族単位で根付く魔族にとってはまさしく未知なる術に同じで。たった二人とはいえ部下を率いる程度の組織力を待ち合わせるロードリウスにとってもこの水準での共闘は、それによる単純な計算では表せない爆発力は、少しも理解の及ぶところではなく。
そのことが一層に彼を不利に、少女らを有利にさせているのだと、そう現状を正しく把握できている者はこの場に誰一人としておらず。
「槍糸ッ!」
「連鎖・発射」
攻め続けること。敵の反撃にも止まらず、互いが互いを守ること。カザリとハルコはそれだけしか考えていない。それ以外の雑事には捕らわれておらず、一切としてリソースを割いていない。
ロードリウスとは正反対。今の自分の情けない姿すら俯瞰的に眺めてしまい、だからこそ矜持を傷付けられ余計に動きが悪くなる彼とは違い、少女らは一意専心。この猛攻によって敵を倒し切ることのみを頭に入れている。そうしなければ勝機を逃す。勝ちの目がなくなってしまうのは自分たちのほうだとよくわかっているからだ。
だから攻める、攻める、攻める。ますます激しく、ますます苛烈に。一気呵成としか言いようのない間断なしの連撃を二人で協力して止めどなく繰り広げていく。その勢いは完全にロードリウスを飲み込んでいた。流れる水を自在に操ることを武器とする彼が、あたかも波濤に押し流されるかのように。少女らを当初は雑魚扱いしていた彼が、あたかも無力な稚魚であるかのように──。
──このまま私を殺し切るつもりか。
ある種の神がかりを体現している奇跡のような息の合い方は彼に強い作為を感じさせた。
勇者に与えられた才能と、加護。これが真実神がかりであるならそれはかの女神によって成し得られたものであり、かの女神が描いた奇跡であり。勇者が魔族を倒すという筋書きを遵守させるための作為であると、彼にはそう感じられた。
倒されるべくして倒される──殺されるべくして殺される。魔族とは、自分とはそういった存在なのか。これまでの魔族も、歴代の魔王も、そしてスタンギルも。こうやって理不尽な強さを得た勇者に当て馬の如くやられてきたのか。
(ふぅ、ふっ……ざけるんじゃあないぞ、卑神めがッ!!)
四人種の跳梁跋扈を許し、魔族ばかりを目の敵にする『慈母の女神』。魔族が世を支配するというのならそれも自然な形だろうに、世界のあるべき在り方であろうに、それだけはなんとしても阻止せんと限りなく直接的な介入までしてくる世界の守護神。その存在に最も恨み骨髄なのは勿論「世界の敵」として認定されている魔王であろうが、しかし、この瞬間のロードリウスは魔王すらも遥かに超える憎しみを女神に対して抱いたと自ら確信できていた。
許せない。あまりにも許し難い。魔族という括りだけでなく今この場では自分こそが侮られている。ただの端役として、いち早く倒されるべき敵の一人として蔑まれている。そんなことは許せない。許せないのだ、何があろうとも。たとえこうして劣勢に追い込まれているのが事実だとしても、だとしても──。
こんな自分をロードリウスは決して良しとしない。
高きプライドと、生涯最大の怒り。身を焦がし命を燃やすようなその初めて得る熱量が、彼にもまた神がかりの如きを与えた。
(──間に、合った!!)
それはハルコの糸の罠と同じく、密やかに行なわれていた仕込み。完了にはどうしても短くない時間がかかるために保険としても微妙な部分があったが、しかし策士を自称する彼としては念を入れて進行を着々と進めていて、そして今。
思いもかけず訪れた窮地。致命的な傷を負うまでにそれが終わることはない、という当初の計算と予測を振り切ってロードリウスの手の中に力が握られた。
「水整割地」