106 理屈を飛び越えて
「ミニちゃん」
「!?」
無動作・無反動。連射であってもそれは変わらず、清影雫は確実にその気配を漏らしてはいなかった。ロードリウスは身構えるように見せかけてそれとなく指先を向けただけ。とてもそれを射撃姿勢などと見抜くことはできないはず。
だというのにハルコは見えない弾丸の発射と同時に防御態勢へと移行──右手の五指から撃ち出された合計五発の清影雫を全て防いでみせた。
(地面の上を滑っていた謎の板! 回収したかと思えば今度は盾に──いや、それよりもだ!)
自動防御以上に不可解なその力の原理も気になるところだが、今気にするべきは察知のされにくさこそが唯一にして絶対の持ち味である清影雫をいったいどうやって看破したのか。どんな手段を以てして見えない弾丸をハルコが見つけたのかという、それこそが最大の謎。
連射を意識するあまり透明度や魔力の静けさが常より落ちていたか? あるいはその前段階、発射準備における「指先を向ける」という仕草にどこか不自然さがあったか……いや、どれも違う。これらの全てにミスなどなかった。いつも通り完璧にこなしたという自負がロードリウスにはある。
では、何故露呈した?
──ロードリウスには知る由もない。カザリと歩調を合わせるために回収したミニちゃんを盾として展開したハルコのその判断が、およそ理屈の通らない直感的な行動であったなどと、彼自身が理屈家だからこそどれだけ思考を巡らせたところで思い至りようもない。
考えた末の結果ではないのだ。身体に任せた咄嗟の、言わば限りなく生物的な反射に近しい防御。それは間違いなくそうなのだが……けれどそこにまったく道理がないわけではなかった。
バーミンの受けた被害。目の当たりとした鋭くも小さな傷。続けて狙われた馬。自身が受けた知覚できない攻撃。その際のロードリウスの表情や出で立ち。
線でこそ繋がってなくとも点となってハルコの無意識下にインプットされ、表層には表れない埋没した思考群。雑多な海の中に漂うそれらが確かに訴えた警告──それこそがハルコを突き動かした根拠だった。
考えてはいない。しかして考えなしではない。理屈を飛び越えて正解に辿り着いた。「何かイヤな予感がしたから反射でミニちゃんという最も信の置ける防御を選び、それがたまたま功を奏した」。言葉にするならそれだけのこと。
つまりは戦う者としての優れた嗅覚が直感となってハルコを助けたのだ。と、彼女と同じく好んで理屈よりも感覚に身を任せる者であれば充分に納得できただろうが……それこそ考えるまでもないことだとあっさり捨て置けただろうが。
ロードリウスはそういった性質ではない。己が知識と知能に誇りを持つ彼にはとうてい理解に及ばず、そういうものだと飲み干せもしない。解けるはずもない謎に脳内が振り回され、結果、体はその間硬直する。隙を晒してしまう──。
(──いいや! 気にするべきはそこでもない! 口惜しいが謎は捨て置き、今はとにかく清影雫以外の術でどちらかだけでも遠ざけねば!)
根深い理屈家ではあっても凝り固まってはいないロードリウスは、すぐに思考のリセットを図った。不可解を不可解のままに放置するというのは彼の趣味ではなく、我慢ならないことではあったが、戦闘中にひとつのことに捕らわれるのがどんなに危険か彼は知っている。
だからつい、それこそ無意識下でも考えてしまいそうになるのを意識的に抑えつける。無意識が体を動かしたハルコとはまったく逆の、己が理知を武器と認識している彼だからこその切り替え方。無謀と評を下しつつも我武者羅な接近の仕方からどこか不気味なものを感じずにはいられないロードリウスとしては、やはり二人共に近づけさせることはしたくない。
故にここで瞬時に思考を切り替えて、たった今無効化されたばかりの清影雫とは別の手段で改めてどちらかを遠ざけようとして。
──彼のスタンスの変更は充分に早いものだったが、けれど、それでも遅きに失した。
「糸繰り、網糸!」
「何っ!?」
それは周辺に散らばっている檻糸の残りを利用した──使い終わったあとの糸が消える前に新たな糸と「再接続」することで「再利用」を果たした、ハルコがこの土壇場において編み出した初使用の技術だった。糸を伸ばす手間と、元が檻糸なだけに改めて織り込む手間の大半が省け、完成にかかった時間は走る最中のほんの一瞬。それでいてロードリウスの不意も突いた。
まさか自分の手で確かに切り裂き、その後はカザリの巨大魔弾によって塵も残らず吹き飛ばされた(はずの)糸の残骸が、清影雫よろしく目には映らない残骸となってまだ足元にあったなどと、彼は予想だにもしていなかった。
しかし考えれば用心くらいはできそうなものだった。檻糸に嵌められた時点でハルコが単に糸を操るだけでなく、その形状。硬度だけでなく細さや色味といった視認性に関わる部分まで操作できることは判明していたようなもの。であるなら一度破った術とて、切って捨てた糸とて無視していいものではない。無力と警戒を解いていいものではないと、それくらいは察せられたはず。
普段の己ならばそこまで読んで行動していた。そう確信が持てるだけにロードリウスの動揺は一入だった。
何故かはわからないが、このハルコという少女に関してだけ自分は、何も予想が当たらない。何も読めない、見えてこない。その強ささえも、こうして当初の想定以上に厄介だと認めてもなお、とんと感じない。まるでそこに誰もいないかのように欠片さえも強者特有の存在感というものが伝わってこない──本当にこれはいったい、どういうことなのか。
「光、闇──混合魔弾」
「っく!」
再び思考の渦に。いくら考えても答えの出ない無為の問いに脳のリソースを奪われそうになりながらも刃化させた腕の麗渦鎧を振るうことで檻糸からの脱出に臨んだロードリウスだったが、これで二度目の硬直。僅かな時間と言えどもまたしても隙を作ってしまったからには間に合うはずもない。
「三重・増大……発射」
ハルコと同様に駆けながら準備を済ませ、完全詠唱を伴って放つ巨大な混合魔弾。一体には混ざり合わない、けれど光と闇が一個となってひとつの強大な力となっているそれは、今し方ロードリウスが浴びたものと相違ない。ただしまったく同じではなくて。
(これは、先の術よりも……!)
より多量に魔力が込められ、より力が増していること。そして今度は離れた位置からではなく至近距離から撃ち出されていること。それらがカザリの最大術である巨大混合魔弾の威力を更に上昇させた。
全てはロードリウスの守りをぶち抜くため。
「食らえ」
直撃。網糸から脱するまでもなく魔弾によって糸ごと、鎧ごとに、防御のために纏い直した魔力すらも含めて何もかもを引き剥がされ、痛みを味わう。
がはっ、とロードリウスの口からとても自分が漏らしたものだとは思いたくない苦しげな息が吐き出される。軽い眩暈と、吐き気。これは胃液ではなく血だ、血が喉奥からせぐり上がってこようとしているのだ。それを理解して、今の一撃で自らがそこまでのダメージを負ってしまったことを理解して、彼は。
「舐めっ──」
「鞭糸!」
「──ッガァ!?」
激昂し吠えようとした、矜持の噴出さえも鋼鉄に覆われた糸によって先に潰された。