105 選ぶべきではない択
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少女二人の様相が変わった。スイッチが切り替わったような印象を、ロードリウスは受けた。
諦めない、どころかより軒昂に戦意を燃やすか。やはり勇者。見目こそ幼く頼りなくとも侮れない者たち。
もはや勇者という存在に懐疑的だった彼はもういない。今ならわかる。ザリークが必勝を予感させる策を練りながらも今代の勇者を恐れていることも、魔王その人が勇者の一人に熱を上げていることも──そして旧来の敵にして友人。ロードリウス最大のライバル、スタンギルが敗れて命を落としたことも。全てに疑問の余地はない。
彼女たちならばあるいは。それが勇者という存在ならば、ザリークの警戒は正しいものだったのだ。確かに今回の魔王期は何かがおかしい。魔族側にも人類側にも過去に例を見ない特殊なことが起こっている。「百日の猶予」の経過を待たずしてこうして自分が勇者と相対しているのもその例のひとつ。
果たしてイレギュラーは魔族と人類、どちらへ最終的な利をもたらすのか。魔王より出撃の許可を頂いた際にはまるで気にならなかったその懸念。ザリークがやかましく口にしていた「どうでもいいこと」が、今になってやけに気にかかる。
だが、真剣に悩もうとは思わない。それは自分の役割ではないからだ。
ロードリウスは策士であってもそれはあくまで戦術家、戦う者としての知恵であって、戦略レベルで魔王を勝利へ導くのはそれこそザリークのような戦うことを好まない──魔族には非常に珍しいタイプだ──でなければならない。と、そう解している。どこまでいっても一戦士でしかない己が下手に大局を見ようとしても目の前の一個すら見えなくなってしまうのがオチだ。
だから考えない。今ばかりは忠義を誓う相手も、魔族の行く末も、スタンギルのことさえも忘れて敵だけを見据える。そうしなければ敵たる少女二人への礼儀に欠けるというものだろう。また、他の何かに気を取られたままで戦えるほど御しやすい二人でもないために──まあ。
(たとえ何かしら奥の手があるのだとしても。それが彼女らの戦意が潰えない理由だとしても、それはこちらも同じこと。どんな手でも使ってくるがいい。私はそれを悠々と上回って見せよう。──私の勝利に揺るぎはないのだ!)
ロードリウスは待つ。再び自ら仕掛けても良かったが、連携による特大の一撃が決まってなお敵が健在、という劣勢において勇者たちがどのような攻め方をするのか。どのようにして優勢を得ようとするのか、それをじっくりと味わいたい思いがあった。
相手の手札を楽しめるのは強者の証。自分にはそういった態度こそが相応しい。そして勇者はそんな己を最大限に楽しませねばならない義務がある。精々とそれを果たしてほしいものだが、さて。
(……何?)
少女二人にどんな変化があれど、しかし強者の矜持として。あくまでも高みから見下ろすつもりでいたロードリウスだったが、余裕綽々とした彼の表情は思わぬ光景を前に戸惑いを露わとした。
カザリとハルコが共に駆け出し、一直線に近づいてくる。ここまでの戦闘からしてどちらも近接向きではない。そう答えが出ているだけにこれはロードリウスにとって虚を突かれた展開だった。
何を考えているのか? いや、その目論見自体は見え透いている。彼女らがこのような行動に踏み切った要因とは麗渦鎧にこそある。ロードリウス自慢の超技であるこの鎧は適宜その形を変えることで攻めにも守りにも最適を取る攻防一体の水術だ。
特に防御面においてはロードリウス自身が常に身に纏う多量の魔力と合わさることでまさに鉄壁となる。それによってカザリの──おそらくは最大かそれに準ずる──巨大な混合魔弾にさえも耐えたのが今し方。
その結果を受けての、共だっての突撃。巨大魔弾が受け切られた事実はそれだけ鎧の性能が優れていることをよくよく少女たちに知らしめ、しかして同時に鎧がほとんど剥がれ落ちていたこと。つまりは「まったく通用していないわけではなかった」という一定の戦果もまざまざと見せつけた。
(つまりこう考えたわけだな──求むるは突破力! それさえあれば麗渦鎧があれど問題なしと。だが、そうだとしても……)
結論に不備はないが些か奇妙ではあった。これまでの戦法のままでは鎧を突破できないと理解したとしても、だからとて接近戦に望みを見出すものだろうか? 少なくとも巨大魔弾は鎧の形を崩すことができたのだ。であるならここはむしろ遠距離での火力戦にこそ──魔術師の本領にこそ突破口があると信じるべき場面ではないか。
撃ち合いになろうとも不利なのに変わりはない。守りが万全であるロードリウスのほうが砲台に徹する火力戦でも実力を余すことなく発揮でき、逆に守りに不安のある少女たちは身の安全という担保がないだけに攻撃のみに全てを捧げはしない。よって、遠距離で戦うか近距離で戦うか。これらが選択肢になるのは道理だ。それはわかるが。
(選ぶべきではない択だろう? 一見してどちらにもリスクとリターンがあるように思えるが、麗渦鎧は接近戦にも強い! それも君たちはその身を以て理解したはずだがな)
ロードリウスとて魔族としては非力なほうだ。ザリークほどではないが、しかし魔闘士タイプであるスタンギルなどと比べればどうしても肉体的な強度では──拳の繰り出し方ひとつ取っても──劣る自覚があり、それも隠さず勇者たちへ教えてやった。けれどそれは間違っても自虐でもなければ自嘲でもない。その前提を踏まえてもなお自身の有利が、勝利が脅かされることはないという絶対的な自信の発露であった。
もしも、肉弾戦が得手ではないと打ち明けたのを彼女らが真に受け過ぎたのだとすれば。術の鎧という担保なしには敵に我が身も晒せぬほどに脆いのだとでも考えたのだとすれば……生憎と言わざるを得ないだろう。そんなものにか細い勝機の幻影を見てしまったのだとすれば哀れですらある。
何故ならば。
(これだけで勝機は潰える)
緩やかに腕を広げ、構えを取る。一見すれば少女らの吶喊とも称すべき接近に対しての用心としか思えぬその行為の真意はしかし、まったく別のところにある。彼は用心などしていない。そもそも近接戦に備えての構えなどもまったく知らない。そんなものは必要ないからだ──ロードリウスの目的は他にあった。
手を。正確には指先を標的へ向けること。
(どちらに撃つか……と、悩むまでもないな)
小威力、その代わりに飛距離はそれなりで、発射際も無動作かつ無反動。ただ指先という銃口で狙いを定めるだけでそれは撃ち出される。無色透明の水滴。常の水術が青紫に彩られているからこそ余計に見えにくいその弾丸は、まさにそれを目的としてロードリウスが開発した隠密狙撃用の攻撃術である。
速く、小さく、目に映らずに着弾する。接敵に先んじて勇者一行の足を狙い撃ったのもこの術、清影雫だ。そしてつい先ほど、ハルコが防魔の首飾りによって被害を免れた「見えない攻撃」の正体でもあった。
(的はハルコ一択。清影雫では何発撃とうとカザリの纏う魔力は抜けない。だがハルコなら別だ──奴の自動防御はそう持たない)
あの奇妙な守りを突破するには清影雫が役に立つ。本来は連射に向かない技だがロードリウスの技量であれば狙撃の精密性と引き換えに四、五発程度であれば間を置かずに撃ち出せる。
清影雫の使い方はとかく急所に当てることが肝要だが今回は別だ。急所だろうとなかろうと体のどこかに当たりさえすればいい。撃てるだけの全てを撃った後には無防備なハルコが残る。そこに大技を一発だ。清影雫を知覚できず、また迂闊に距離を詰めてしまっている彼女にこれを回避するすべなどない。
片割れを失えば、カザリの辿る運命もまた同様である。
(チェックメイトへ自ら飛び込んだのだと教えてやろう──!)
見えない弾丸が飛ぶ。