長髪男子と男装女子
傾き始めた日差しが、午後の時報代わりだ。
サーキットに赴き、セッション終了のチェッカーフラッグを振る。
続々とピットに入ってくる無数のレーシングカートの中から彼女を見つける。
愛弟子、ということになるのだろうか。
カートの車体から降りてこようとする彼女に手を差し伸べようとする。
いつもの如く振り払われるのだが。
「『エリカ、このセッションはどうだった?』」
ヘルメットを脱いで頭を振ると、サラサラとショートの髪が揺れる。
「『…いつも通りですよ、ルイス。』」
彼女の『いつも通り』の水準は、途方もなく高い。
それを分かっているから、俺はあえて何も言わない。
「『そうか。なら良いんだ。』」
「『良くありませんよ。』」
それに続き、こちらもまたいつも通りの言葉が紡がれる。
「『私の目標は、あなたでも伏見瀬名でも松田裕毅でもない。』」
ああ。
知ってるさ。
キミが、前人未到の領域を志していることくらい。
「『その時付けられたあだ名が、グァンちゃんね。』」
「『…本人的にも気に入っているようだった』」
「『うるせえ』」
ジャンニさんたち三人組と話してみて分かったことその1。
この人たち、本当に喋らない時間が無い。
マグロが泳ぎ続けないと死ぬみたいに、喋り続けないと死ぬんじゃなかろうか。
おしゃべりマグロ。
お、おしゃべりマグロ…。
「フフッ…」
自分で考えたクセにちょっと吹き出してしまった。
ともかく、三人の中で役割分担がきちんとされているから会話が続くんだと思う。
司会のジャンニさん、ボケるカレルさん、ツッコむ周さん。
たまにジャンニさんもボケ側に回るので、周さんの消耗が激しい。
そして消耗が限界点に達すると、『うるせえ』しか言わなくなる。
そのくらいの適当さで良いと思います。
ちなみに今僕たちが居るのは、建物の二階。
ガラス張りの壁に隣接した、三方をソファで囲まれている机。
一階よりも更に一段下に位置しているコースは、ここからだと一望できる。
今は特にカートが走っている様子はない。
「『…サーキットが気になるか。やはり瀬名の子だな』」
「『えっ』」
二人掛けのソファに、ジャンニさんと仲良く座っていたカレルさんが呟いた。
「『いや、それは無いと思うぜ?』」
一瞬離席していた周さんが、人数分のコップを持って対面の席に座り直す。
「『あ、これイギリス名物の紅茶な。無料で提供されてるんだと。』」
なんて太っ腹な。
コップを受け取り、一口啜る。
寒いから熱い紅茶が沁みる。
「『で、それは無いってどうして?』」
背もたれにこれでもかと寄りかかり、もうそれ前見えてないんじゃないかというくらい仰け反っているジャンニさんが聞いた。
「『なんだ、お前ら瀬名から聞いてないのか?』」
なんだか申し訳なくなってくる。
僕はどうしても、あの世界には飛び込めない。
「『…聞いている。だがそれでも、だ。』」
「…?」
カレルさんはさっきまでの天然ボケムーブはどこへやら。
真剣な眼差しで僕の方を真っすぐ見てくる。
「『…才能や素質がある、なんて当たり前のことは言わない…。凛。』」
隣のジャンニさんもうんうんと頷きながら紅茶を啜る。
直後、熱かったのか顔をしかめていたが。
「『…凛。おまえは、いつか必ず自分の足でこちらに踏み込んでくる。』」
「『そう。それは運命だよ。運命と書いてディスティニーよ』」
ちょっと何言ってるか分からない。
…けど。
彼らが正しいのなら、何言ってるか分かる時が来るのだろうか。
だとするのなら…。
「『…凛、ジャンニは思いついたことを喋っているだけだからな。惑わされるな。』」
あっはい。
ジャンニさんは『不服』と顔に書いてカレルさんを見る。
そんなことを気にもせずカレルさんは紅茶を飲むものだから、今日初めての沈黙が辺りに訪れた。
すると。
「『ほら、次のセッションまでジャンニ達に遊んでもらってなさい』」
「『ルイス、私にはそんな時間は…』」
会話する声が、遠くから聞こえてきた。
ヘルメットを小脇に抱えてルイスさんと言い合いをしている…少年?少女?
遠くからではよくわからない。
だが、僕と年の頃はそう変わらないように見える。
その様子を見て、どうしたものかと固まっていると。
「『おーい、エリカちゃーん!!!』」
ジャンニさんが立ち上がり、手招きして彼女を呼んだ。
名前からして女の子だろう。
エリカと呼ばれたその子は、ジャンニさんの声に飛びあがると怒りの形相でこちらにツカツカと歩いてきた。
「『ジャンニさん!私のことはその名前で呼ばないでって言いましたよね!?』」
「『えー、だってエリカちゃんはエリカちゃんじゃん』」
「『その『ちゃん』っていうのもやめてください!私ももう15なんですよ!?』」
「『あれ?小学校入ったばっかりじゃなかったっけ?』」
「『ボケ老人ですか!!!』」
カレルさんが今まさにサラサラと書いて手渡した、『若年認知症診断書』と記されたメモをビリビリに破り捨てながら会話を続ける。
ヤイヤイ言っていると、彼女の動きが急に止まった。
どうしたんだろうと今一度彼女を見やる。
彼女の視線の先に居るのは、僕だった。
「『あなた…伏見瀬名の息子でしょ!!!!!』」
面倒ごとの予感がする。