契約
エリカの初優勝は、劇的とは言えないレースだったかもしれない。
全く順位の変動がないレースで、終始1位を走り続けた。
レース中のドラマなんてものは指折り数えるまでもなく0だった。
でも、それは彼女がもつ実力の証明でもあった。
これをもって、X1グランプリの夏シーズンが終了。
およそ2か月の、オフシーズンへと入っていくことになる。
「で、なんでここに居るの?父さん。今日は仕事じゃなかったの?」
「そうだぞ?仕事で来たんだよ。」
何を言ってるんだこの人は。
今日はX1の運営の仕事があるって言ってたはず。
じゃあなんで、僕が練習してるルイスウィルソン・レースウェイに寄る必要があるんだろう?
「『王手!王手ってチェスだとなんて言うんだっけ?』」
「『チェックメイト、よ。裕毅さん。』」
エリカと裕毅さんは、まるで父さんが来ることを知っていたようで。
平然とチェスに打ち興じている。
一体どうなってんだコレ。
「まぁまぁ、せっかくだから走りを見せてくれよ。父さん、成長した凛の姿が見たいな~」
見たことがないテンションだ。
ちょっと気持ち悪いまである。
こういう時は大抵、隠し事をしている気がする。
…まあ、いいか。
丁度僕も、走りたかったところだ。
階段を降りてサーキットに向かうと、そこには既にジャンニさんたちいつもの三人組が待っていた。
「『おう、凛。マシンの準備できてるぞ。』」
「『カーナンバーもバッチリだよ!』」
「『…ほれ、ヘルメットだ』」
なんだなんだ???
トントン拍子と言ったらいいのか、理解が追い付かないままにシートへ座る。
「じゃ、行ってらっしゃーい!」
テーマパークのアトラクションかっ!!!
不信感と、少しの期待と共に、僕はアクセルを踏み込んだ。
「『さて、と。じゃあ始めるか。』」
「『…私がタイムを記録する。瀬名は最終確認を、ジャンニと周はルイスたちを呼びに行ってくれ。』」
「『あいよっ!』」
みんなが一斉に動き出す。
俺は膝の上に置いていた鞄を開け、一枚の書類を手に取る。
「『…なんだ、もうルイスのサインはしてあるではないか』」
カレルさんが後ろから覗き込み、呟く。
それに俺はチッチッと指を振って。
「『分かってないですね~。せっかくおめでたいことなんだから、みんなでお祝いしましょうよ。』」
「『…ま、それも一興だな。』」
そんな話をしながら、ただひた走る凛の方を見やる。
この数か月で、状況が大きく変わった。
一年前の俺に今の状況を話したとしたら、まず信じなかっただろうな。
あの凛が、あんなにコーナーを攻めるようになって…。
攻め…。
ん?
速くないか???
「『カレルさん、この周のタイムは?』」
「『…ん?ちょっと待てよ…。』」
確認に行ったカレルさん。
だが。
一向に帰ってこない。
「『カレルさーん?どうかしましたー???』」
モニターを見るカレルさんは、横から見ても驚いていることが明らかだった。
目を見開き、こちらを見ることもせず。
「『…待て、瀬名。予想外だ。これを見ろ。』」
その声に急いで車椅子を漕ぎ、モニターを覗く。
そこに表示されていたのは。
【-0.243 New Course Record】
その文字列を確認した俺は、モニターから目を離さないまま、カレルさんの前に拳を突き出す。
カレルさんもそれに拳を合わせる。
静かながら、思考停止しながらの、歓喜のグータッチ。
「『やってくれたわね、凛』」
「『やっちゃったみたいだね、僕。』」
ピットに戻ると、そこには皆さん全員集まっていた。
父さんに見せるために張りきったラップは、エリカの持つコースレコードを更新。
そして、なにやらジャンニさんたちが一対の机と椅子を用意している。
「『よーし、凛。ここに座りなさい。』」
「『え、なにお説教???』」
そんな改まって座らせるなんて、僕何かやらかしたかな。
でも、一瞬でそれは無いと分かる。
みんなの表情が、それを物語っていた。
父さんはペンと、一枚の紙を持って対面に座る。
渡されたその紙に書かれていた文字。
それは。
『X1グランプリドライバー契約書』
「『ここにサインをすれば、おまえは冬シーズンからX1グランプリに参戦することになる。』」
僕の人生に生まれてきた、新たな夢。
その夢が、こんなに早く叶うだなんて。
「『ぶっちゃけ冬シーズンからとなると、結構ギリなんだ。運営トップの権力ってやつで何とかなってるけど…だから、心の準備をしたいならまた次の機会を待つでもいい。だが…』」
そんな父さんの言葉なんて、聞くこともせず。
僕は、しっかりとした筆圧で記入する。
『Fushimi Rin』と。
「『今更怖気づくようなココ、してねえよな。』」
父さんはそう言って、自分の胸を叩いた。
周りからは拍手が巻き起こる。
「『では、ここに宣言しよう。X1グランプリ運営会長、伏見瀬名の名のもとに。』」
レーシングスーツ越しにも分かる、少し強い風が。
「『伏見凛が今年度冬シーズンよりX1グランプリに参戦することを、承認する。』」
僕の、長い髪を揺らした。




