表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/33

伏見瀬名《愛すべきトラウマ》

気が付けば、もう陽が傾き始めていた。

ルイスさんたちの話は、それだけの時間を忘れさせる何かがあった。


みんなそれぞれ、お酒を飲んだり喋ったりしながら過ごしている。


「『おい瀬名、お前はなんか無いのかよー』」


カレルさんたちと肩を組みながら、周さんが父さんに声をかける。

確かに、今日の父さんは聞き役に徹しているような気がする。


「『俺?そうか…俺ねぇ…』」


まるで予想外だったかのように顎に手を当てて考えている。

僕も久しぶりに父さんの話を聞いてみたいと思ってた。


「『それじゃ、凛も完全にこっち側に来たみたいだし。ちょっと嫌な話でもしてみようか。』」


明らかに嫌な話をする顔ではない、落ち着いた笑顔で語りだした。









俺のレース人生を振り返るにあたって、必ず語らなきゃいけないことってのは、『吐き気』と『トラウマ』だ。

どっちもいい言葉じゃないな。

まあ当然だ。


だけど、その中身を見てみると、別に悪いもんじゃないんだ。

どっちも俺の思い出に残ってる要素だね。


凛も、緊張すると吐き気がしてくることってあるだろ?

本来、俺はあんまり緊張するタイプじゃないんだけど、一度だけ吐き気がするほど張り詰めた気持ちになったことがある。


ゆっくり、ゆっくり過去を遡っていくぞ。


俺の、現役最後の一戦。

最終戦、アブダビグランプリの…予選直後だった。

俺はポールポジションを勝ち取った。


その瞬間からだ。


色んな感情や思いがありとあらゆるところからこみ上げてきてな。

俺は口元を抑えて、人の居ないところへ逃げ込んだ。

それは単純な緊張だけではなかったはずだ。


今までやってきたことの集大成が、実りそうになっている実感。

世話になった人たちの思いを乗せているという重圧。


過去に見た、デカいクラッシュのトラウマ。


それらを全てひっくるめて、『緊張』と言うのかもしれないが…。

ただ、その二文字に詰め込むには容量が大きすぎる何かが、俺の胃の中に居座り始めた。


そんな状態の俺を助けてくれたのが…。

はい、はい。分かりましたから。

ジャンニさん、あなたですって。

そんな全身で表現せんでもちゃんと紹介しますって。


…ま、とにかく。


結果から言えば、俺はここで一旦吐いた。

凛も病気とかで経験あるよな。

気持ちのいいもんじゃないわな。


でも、この行為には大事な意味があったんだ。


むかーし、むかし。


俺がまだ大学に行っていた頃の話だ。

尊敬してた先輩がいた。

よくできた人だった。


傷を隠すのが上手くなることを世間じゃ『大人になる』と言うらしい。

その人は誰よりも『大人』だった。


…。


そう。その人が教えてくれたんだ。

緊張して吐くのは良い事だ、ってな。

何言ってんだかわかんないだろ?


でもな、これは俺の、人生のハイライトなんだよ。

その人との思い出も、レース人生の全ても。


俺の、愛すべきトラウマだ。






とにかく、俺が言いたいのはだな。


生きてるならラッキーだ。

それは全人類に言えることだが、そのラッキーな命をどう使っていくか。

そこに、豊かさも有意義かどうかも全て関わってくる。


『大人』になり、忘れることもあるだろう。

ただ、忘れなかったことの中には、忘れてしまったことを思い出させてくれるものも隠れている。


俺は、あくまで俺としてはだが。

隠している傷も、得た安定も、少しの痛みも安いもんだと思っている。


だが、時折フラッシュバックするんだ。

愛すべきトラウマの影が。


『これでよかったのだろうか』と自問する。


その答えは、日によってまちまちだ。

でも、そのトラウマによって俺は食っていけている。

母さんやおまえたちを養っていけている。

自分なりに好きに生きてきたつもりだ。


多かれ少なかれ、後悔することもある。

でも、俺はこのまま爺さんになって死ねるとするならば。

笑って逝けると、自信を持って言えるよ。











重たい話のはずなのに、微塵もそれを感じさせなかった。

終始笑顔で、楽し気に話しているようにすら見えた。

全く知らなかった、父さんの過去。


今まで僕が見ていたのは、ほんの表面上のものでしかなかったのではないかと思うほど、色んな経験をしてきたのが分かる。


皆さんはこの話を覚えていることは無いかも知れないけれど。

僕は、僕にとっては一生ものの講義となった。


次第に、西の空が紅に染まっていく。

それは楽しい時間の終わりと共に、戦いの始まりを告げていた。


夏の終わり。


その、最後の戦いを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
本編を読んでのエピソードをたくさん思いだしました。 カーレースはカッコいい、熱い、魅力的……というだけではなかった。事故もあるし、プレッシャーもあって、ただただ楽しいだけじゃない世界。 でもそれだから…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ