99
空港を出てからの記憶が、あまりにも薄れすぎている。
飛行機に乗った時には既に寝ていたのではないかと思うほど、機内の情景は全くと言っていいほど記憶されていない。
寝起きは軟着陸と共に、すっきりと。
こちらの夏は、日本に比べれば過ごしやすい。
今、僕が居るのは。
僕の中で全てが始まった、あのカートサーキット。
ルイスウィルソン・レースウェイ。
「ちょっと待って、ここって勝手に入って良いの!?」
「ああ、俺がちょっと怒られるだけだ。」
「良くないよねぇ!?」
サーキットに勝手に侵入し、レーシングカートを引っ張り出してくる父さん。
ルイスさんはまだここに到着していない。
それはそうだ。
僕たちは、富士でのレースが終わってすぐに、最短でここに向かっているわけで…。
ルイスさんもエリックも、まだ来ないだろう。
そして、居るのは。
「『なんでこんなオッサンになってから怒られる恐怖と戦わなけりゃいけないんだ…???』」
「『面白いじゃん、怒られるとしてもやるね。ぼくなら。』」
「『…凛のサーキットデビュー、めでたいな。』」
まぁ、いつものメンツです。
あの後空港に向かったところ、出発待ちをしていたジャンニさんたちに追いついたのだ。
結局五人で飛行機に乗り、イギリスまではるばる向かってきたというわけ。
この施設へは、父さんたちは顔パスで入る。
僕は見逃さなかった。
フロントのお姉さんが、誰もいないサーキットに向かっていく父さんたちを、『知らんぞ~…』という顔で見ていたのを。
止まらなくなった大人たちに頭を抱えていると、父さんが不意に問いかけてきた。
「凛。カーナンバーはどうする?」
手元のタブレットを操作しながら、ジャンニさんとカレルさんにカートを持ってきてもらっている。
その端末に入力した数字が、マシン前部の表示板に示されるらしい。
…そうか。
ナンバー…どうしようかな。
好きな数字か…何か意味を持たせるか…。
でも、こういうのは単純な方がいいよね。
「…99。99にする。」
「オッケー。…でも、なんで99?」
そんなに深い意味は無い。
シンプルで、真っすぐな意味。
でも、これは願掛けでもあるんだ。
「二桁の数で一番大きいから。」
一番勝つ確率が大きくなるように。
99%、勝てるように。
何事も100っていうのは無理があるものなんだ。
だから、それよりも1つだけ小さい99。
「『良い理由だと思うぜ。ほら、ヘルメットだ』」
周さんが持ってきたヘルメット。
ちょっと待ってと合図をし、髪を上の方で纏めた。
長髪だとこういう時は不便かもな。
ま、切る気は無いけどね。
ヘルメットを受け取って、マシンの方へと歩く。
しっかり『99』と表示されたマシン前部を眺めると、いよいよ乗り込んでいく。
「危険がある時は衝突安全装置やリミッターが自動で作動する。思いっきり攻めていいぞ。」
「『今キミが着ているレーシングスーツには、過度な横Gや加速Gで首が揺さぶられないようにアンチGシステムが搭載されてる。だから大丈夫だよ。』」
これらの装置は、父さん達の時代にはなかったものらしい。
そう聞くと、本当に安全になったんだなぁと実感する。
「よし、おまえはもう自由だ。風になってこい!!!」
シートベルトを締めると、僕は思いっきりアクセルを踏んだ。
『『…無線の調子はどうだ、凛。』』
「『しっかり聞こえてます!』」
カートコースならではの、タイトなコーナーが続々と目の前に現れる。
できる限りアクセルを踏んで、ハンドルを切る。
そうしていくうちに、速く走れるラインが分かってくるんだ。
『『…アウトインアウトの基本はバッチリのようだな…驚いた。』』
この間のシミュレーターで気づいたことを、そのまま実践してみる。
『『エリカが記録したコースレコードから、1秒落ちのタイムだ。』』
すいません、それって凄いんですか???
イマイチちょっと分かってないんですけど!!!
一口に曲がる角度を緩くする走り方を、と言っても、様々なコーナーの抜け方があることに気づく。
あるコーナーでは、奥まで突っ込んで直線的に抜けるのが速かったり。
またあるコーナーでは、内側に付くのを早めにした方が速かったり。
そんなこんなを試行錯誤しているうちに、無線越しにどよめきが聞こえてくる。
『『…コースレコードまで0.2秒だ。とんでもない。』』
あの、カレルさん。
カレルさんテンション感が分かりづらいです。
凄いことならもう少し喜んでもらってもいいですか!!!
とは言っても、今の周回は自分なりにそこそこ速く走れた実感があった。
すると。
突然無線越しではなく、直接耳に入ってくる音で声が響く。
『『こらー。お前ら俺の居ないところでー。』』
単調な、棒読み感の漂う声。
施設のスピーカーから聞こえてくるその声の主は、ガラス張りの壁の前でトランシーバーを口に当てたルイスさんだった。




