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下巻:舞台後

 静まったテントの中、栄太郎はガラス箱に挑戦していた。ガムテープで亀裂を補強し、充分な柔軟体操をこなし、区戦の末、箱に収まった。

 しかし、安堵は続かなかった。どう体を動かしても箱から出られなくなったからだ。亀裂部分は広がり、ガラス面は放物線を描きだしている。もがき、ガラスが爆ぜる手前。


「無茶すんなよ」


 箱の側面を取り出したのは宇賀理だった。鍵を使えば四方の壁が解除出来る仕組みである。


「お前にも病院送りになってもらったら叶わんぞ」


 呆れた宇賀理に誰が病院送りになったのか聞いてみた。志村は肩を脱臼していた。骨を元に戻せなかったのは、筋肉まで切れていたからだ。車で帰宅したとばかりに思っていた栄太郎は教えてもらった病院に駆け込んだ。



「大袈裟なんだよ」


 包帯を巻いたTシャツがいびつに盛り上がっている。強張らせた口角を向けると、志村はベットからはみ出ている足の指を上下に動かした。


「見舞に来ている時間は無いぞ。一週間後には俺の代役だからな」


 それを聞いた栄太郎は動きが止まっていた。高なる鼓動、青白い顔、傍目からすれば、どちらが病人なのかわからないだろう。


「怪我は年のせいで硬直してきたからだ。本番は特に辛い」


 栄太郎は練習をして成功寸前のところで、宇賀理に助けられたことを話した。


「早く出て行け!」


 声が響き渡った。病室に駆けこんできた看護婦に対し、


「何でもありません」


 と言う。栄太郎は入れ替わりで後にした。

 限られた時間での、サーカス会場の引越し作業と練習は流動的な雑念を排除し、むしろ栄太郎の向上心をかき立てた。手助けなくしてガラス詰めの巨体に成功し、宇賀理他にも名前で読んで貰えるようになった。


 栄太郎の初舞台は海沿いの公園だった。ビル群が立ち並ぶ中、都会にあるオアシスのような場所である。そこでの野外サーカス、通行人でも無料で観覧出来るサービス付きだった。控え室で身を潜めている団員全員が集まっていた。しかし、引退したはずの一名も加わっている。


「ボロ小屋を揺らすな」


 志村は包帯姿で駆け付けていた。怒鳴ったことをまったく失念しているのだろうか、フレンドリーに接して来る。栄太郎にはどうでも良くなっていた。


「でかいから、貧乏揺すりでも地震になり得るんだよ」


 と言うと、団員は爆笑した。ふざけて踊り出す団員さえいる。志村は地方新聞を広げると、目を落とした。


「逃げたい……」 


 栄太郎は聞こえない程にひとり言を言った。体は舞台と逆の方向に進んでいる。


「最初はそんなものだ」


 達観している志村は言う。しかし、素直に同意する余裕はなかった。外には高校時代の同級生も見に来ているかもしれない。そう思っただけで今までの練習成果が失われる感覚に襲われた。栄太郎の足は裏口まで進んだ。


「ただな、逃げてしまえば、次に同じ場面に出くわした時、倍以上の重圧と戦う羽目になる。お前に耐えられるか? 耐えられるなら今すぐ逃げてみろ」


 栄太郎は裏口を出た。

 晴天が動員数を増幅させた。あいも変わらず口の悪い宇賀理のアナウンスは市長の参加を紹介した。人だかりが人を呼び、演目を終えた団員がなるべく場所を取らないようにと規制する状態にまでなった。

 栄太郎の記憶は新人紹介を受けた後から数十秒間消えていた。早すぎる登場タイミングは観覧客の失笑を買っていたとしてもわからずにいた。

 理性とは裏腹に、栄太郎は体が勝手に動く体験をしていて、霞んだ目で大勢を見やった。

 すべてが志村のマネ事だったとしても、暖かい眼差しで冷静となり、堂々と両手を広げた。

 志村の一件以来、内密でガラスの強度を増した箱を用意してくれた宇賀理のトリックは成功していたのだ。

 演目を成し遂げた高揚感は背骨からの鈍痛をも凌駕していた。

 控え室に戻ったら、志村の姿はなかった。地方新聞チラシの余白にこう書かれていた。


――まだまだだな――


 折り曲げて、ボケットに仕舞った。

 サーカスの片付けをしている栄太郎の背後から肩を叩くものがあった。

 振り返ると、同級生がいる。彼は女性か友達を引き連れて出かけるのが当たり前を自負していた。一人でデートスポットを徘徊する奴は考えられ無いとまで言っていた。栄太郎の苦手なハンサムで紳士を演じている男だ。


「あんな特技知らなかったよ」


 栄太郎が不思議がっている様子を見てから頭を掻いた。


「今度さ……遊ばないか?」


 自分の顔を指さす。彼は頷き、邪魔になるからと言って立ち去った。



 近くの居酒屋で打ち上げとなった。ジュースを飲んでいる栄太郎を除き全員大酒飲みだった。石像のように無口だった団員が饒舌であり、練習中は吸わなかった煙草に火を付けている団員もいた。

 終電間際になっても盛り上がりは陰りがなかった。栄太郎は酔い潰れた宇賀理をタクシーまで導いた。


「演技、中々良かったな」


 重くなった瞼をやっと開いたかのような彼が言ってきた。

 栄太郎はマクロまで見えた客観性を得ていた。それは学生時代までに向けられた視線に耐え、ひた隠すベクトルが強大となり空に籠ったり、時にはナルシスティックなまでになった栄太郎の殻を破っていた。


「次はもっとすごいもの見せますよ!」

「お前はペルソナか?」


 宇賀理は見上げて聞いてきた。


「明と暗の原理ですね」


 頭を垂れた宇賀理はタクシーに揺られ、相模に向かった。栄太郎はいつまでも手を振り続けた。 


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