Episode.2 山本寿美
「貴方の人生、聞かせてちょうだい。」
目の前の女性、山本寿美は小森レビの言葉に大きく困惑しているようだった。
「え…っと…」
「貴方は何歳なの?」
「23です…」
レビは確認したように頷くと、続けた。
「じゃあ、寿美の23年間の話を。」
寿美はまだ理解しきれていないように曖昧に頷き、ぽつぽつと話し始めた。
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「私は、平凡な家庭に生まれました。」
私、山本寿美は山本家の次女として生まれた。両親は共働きで、兄弟は3人構成。姉、私、弟だ。
私の学生時代の通知表は、5段階中全て4。平均は超えているけど、高すぎるわけでもない、そんな評価だった。親の反応は、「頑張ったね。次も頑張りなさい。」だけで、怒られることも無かった。
そして、普通の高校に通い、普通の大学を卒業し、今は普通の会社に勤めるOLだ。
今までの生活に、不満はない。友達もいるし、自立できている。仕事だって順調だ。でも、
「最近、何処かに穴が空いている気がしてならないんです。」
私の人生、流されるままに生きてきた。自分の意志が強く働いて、赴くままに動く。自分のやりたいことがたくさんあって、毎日忙しくてたまらない。そんな生活は憧れているけど、いろいろ考えるうちに自分から行動を起こすことを忘れていた。
「私の人生、つまらないな…………って」
いつだったか忘れたけれど、こんな事を言われた。
『山本さんって、生きてて楽しいですか?』
言われた瞬間は、特に考えなかった。「はい。楽しいですよ。」とだけ答えて、その話は終わりだった。けれど、今思い返してみれば、あれは私のことをからかっていたのではないかと思う。
『お前はつまらない人間だ。』
『同じような人間なんて山ほどいる。』
そう言われているように聞こえた。
ただ朝起きて、仕事をして、寝るだけのつまらない毎日。
私は本当にこのままでいいんだろうか。
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「ふぅん。」
話を聞き終わったレビは、そう呟いた。
寿美は、「自分のこと話すのって、少し照れます。」とちょっと恥ずかしそうにしている。
そんな寿美を差し置き、レビは突然、棚をガサゴソし始めた。取り出してきたのは、オレンジに近い赤い色をした花、小瓶、レモネードのような色をした液体だ。それらを机に置き、透き通った瞳で突然ガサゴソし始めたレビを不思議そうに見つめていた寿美を捉える。
「寿美、『木漏れ日のジュース』をつくりましょう。」
「……そんないきなり…?」
「手伝って。」
「は、はい……」
少しばかりの迫力に気圧されながら、寿美はレビの横につく。
まずは、赤い花を鉢と乳棒ですり潰す。
茎から葉をむしり、花の花弁から茎とがくを外す。そうして赤い部分だけ取り出せたら、木製の鉢に入れ、少し水も注ぐ。水に濡れた花弁が、窓から差し込む光に暖かく包まれでキラキラと光る。
「この花は何という花ですか?」
「オハイアリイよ。」
「…………」
「…………」
会話の続かない気まずい雰囲気が流れる部屋には、ごりごりと花をすり潰す音が響く。それと同時に、何だか甘い香りが充満する。
「いい匂いがしますね。何だか…………っ」
突然、寿美が額を抑える。
彼女の脳内に激しい頭の痛みと、朧気な意識の中である記憶が流れ込んできた。
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高校の進路相談、担任に将来の夢を聞かれたとき、こう答えた。
『私の将来の夢は、画家になることです。』
それを聞いた担任は、1度目を閉じ、こう言った。
『画家なんて、一握りの人間しかなれないのよ。もっと安定した職のほうがいいわ。』
『で、でも…先生…』
『私は貴方のことを思って言っているの。大人の言う事にはきちんと耳を傾けておきなさい。』
『は…い……』
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「…………っ」
「寿美、大丈夫?」
「はっ!」
心配そうなレビの声で、意識が引き戻される。
「今……何か…」
「寿美、次の工程に行くわよ。」
「は、はい……」
気の所為にしたいけど、気の所為にしてはいけない気もする、不思議な気持ちに抱かれながら、再び作業に集中する。
続いて、すり潰したオハイアリイの花弁をガーゼにくるむ。そうして小瓶に絞り出すと、赤い液体が瓶の半分あたりにまで溜まった。
「綺麗……」
「光にかざしてご覧。」
レビに言われた通り、寿美が窓の光にかざしてみると、下から赤、オレンジ、黄色がグラデーションを作っているのがわかった。
寿美は思わず見惚れてしまう。
「不思議な色でしょう?」
「はい。初めて見る色です。本当に綺麗…………っ」
その時、先程と同じような痛みがまた寿美の頭を襲った。
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家に帰ると、キッチンにお母さんが立っていた。
『お母さん、私、この大学に行きたい。』
『どれどれ?』
進路希望の紙を差し出す。それを見た途端、母親が首を傾げた。
『○✕大学って……寿美、画家になりたいんじゃなかったの…?』
『……っ』
『お母さんもお父さんも、あなたがなりたいものになって欲しいのに。』
ああ。お母さんは優しいな。私のことを一番に考えてくれる。でも、この優しさに甘えていたら、私はきっと駄目になる。だから、
『将来のことをよく考えたの。画家も素敵だけど、私はこの大学で日本文学について学びたいな。』
『本当に?寿美が良いならいんだけど……』
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「…寿美、寿美、」
「っは……はっ…………」
またもやレビの声で意識が戻る。
「続きをやりましょう。」
「……っはい、」
「辛そうね。」
「いえ…」
レビは少し寿美を見つめた後、作業を続けた。
最後に、先ほどできた赤い液体と、レモネードのようなものを混ぜ合わせる。
「このレモネードのような液体は何ですか?」
「それは『木漏れ日の原液』よ。」
「こ、『木漏れ日の原液』?何ですかそれは…」
「さあね」
レビはそうとだけ答えると、小瓶に漏斗を装着し、丁寧に木漏れ日の原液を流し込んだ。
それを細長いスプーンで慎重にかき混ぜると、美しいオレンジ色になる。
「わぁ…………」
寿美は子供のように目を輝かせ、感嘆の声を漏らした。
レビはどこからかコルクの栓を取り出し、寿美に差し出す。
「寿美、栓を閉めなさい。」
「は、はい……」
恐る恐る手に力を込め、キュッという可愛らしい音が鳴った瞬間に、寿美の目の前で何かが弾け、大量の記憶が流れ込んできた。
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幼稚園の時、初めて両親の似顔絵を描いたとき、
『お父さん!お母さん!見て見て!』
『まあ!上手!』
『寿美は天才だなあ!』
胸に何か温かいものが広がった。
小学生の時、地域の絵のコンクールで優勝を取ったとき、
『素晴らしい。小学生でこんなに上手にかけるなんて。』
『(嬉しい……!)』
胸の温かいものがさらに広がった。
中学生の時、授業で絵を描いていたら、
『わぁ!寿美ちゃんめっちゃ絵上手だね!』
『そ、そんな……』
『もしかして、画家になれちゃうんじゃな〜い?』
『うふふ、嬉しい。ありがとう。』
胸の温かいものが、さらに温かくなった。
そうして高校生になって、大学に上がって、周りの環境に飲まれて、いつしか胸の温かさが消えてしまった。
どうして忘れてたんだろう。
どうしてあの時人の言うことに流されてたんだろう。
どうして私の意思はこんなにも弱いのだろう。
そうだ、私はーーーーー
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「私は、やっぱり画家になりたい。」
「…………」
「…………」
「……………………?」
「…はっ!すみませんいきなり!!」
突如として高らかに宣言した寿美は、自分が今どんなに恥ずかしいことをしたか自覚し、顔が真っ赤になった。そんな寿美を見たレビは、無表情だ。
「えっといや……これは…その…」
「寿美。」
「はっ、はい!……………!」
恥ずかしさで手を振り回していた寿美は、名前を呼ばれたので思わず背筋を伸ばし、レビに向き直る。その時に見た、無表情だったはずのレビの顔は、笑っていた。
あまりにその笑みが柔らかかったので、思わず瞠目してしまう。
「今日はありがとう。もう帰っていいわ。ジュースはあげる。」
そう言って、レビは後片付けをしだした。
と、寿美はまだ何かいいたそうにしている。
「あの…………」
「なあに?」
「お代は…いくらですか?」
そう言って、長財布を取り出しだした寿美の手は、レビの手によって止められた。
「お代は、いらないわ。」
「え…」
「貴方は、貴方の人生を聞かせてくれた。私は、私のジュースをあげた。これで良いでしょう。」
「…………」
「さあ、おかえりなさい。日が暮れてしまうわ。」
「…………」
呆然とする寿美を立たせ、ジュースの入った小瓶を握らせ、ドアの外へと背中を押した。
「ありがとう…………ございました…」
寿美がそう呟くように言い、自分の手にある小瓶と先ほどまでいた家をちらちらと交互に見やりながら、ゆっくりと足を進めた。
聞こえたのか聞こえてないのか、店員らしくお辞儀をしたレビは澄んだ声で挨拶をした。
「貴方に木漏れ日の光を。」
頬を撫でるような風がさぁっと吹き、森の木々と寿美の髪を揺らした。
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いつの間にか家に着いていた寿美は、スマホで「オハイアリイ」という花を検索してみた。初めて聞いたので、とても気になったからだ。
「ん、オハイアリイの花言葉?」
今のネットはそんなことまで載っているのかと感心しながら、「花言葉」の欄をタップしてみる。
「オハイアリイの花言葉……」
『強い意思』
寿美はごろんと寝転がり、部屋の窓から差し込む月の明かりに照らされながら、ほっと笑った。机の上には、美しい液体の入った小瓶と、スケッチブックが置かれている。
「……私、そういえば美術の成績だけは5だったなあ。」
あの時、胸に広がった温かさが、また戻ってきた感覚がした。