First Stage
ご覧頂き、ありがとうございます。
見たこともない和室で目を覚ました。部屋には布団と最低限の家具しか置いておらず、ひどく殺風景で温もりを感じない。
「どこだここ?」
風邪でもひいたのか声がいつもより高い気がする。そういえば汗もすごい、脱水症状になる前に水でも飲まないと。
体を起こすと、見たこともないのに知っているような不思議な感覚で台所を目指す。胸の辺りが重いからやはり風邪を引いてしまい、意識が朦朧としているのかもしれない。
湯呑みに水を入れてすぐに飲み干す。普通の水だけどすごく美味しい。水分を補給して頭が回るようになると周囲を見渡した。
やっぱりおかしい、オレの家は1Kで台所なんてすぐそこにある狭い空間のはずだ。廊下や広縁がある旧家になんてなんでいるんだ? 昭和初期にでもタイムスリップしたみたいだ。
古びた鏡台に掛かった布を取った。そこには赤い褌と白いサラシを巻いただけの和風美女の姿が……
「えっ!?」驚いて、下を向くと同じ白いサラシが見える。
……触ると柔らかい……
「ん? えっ! ええ!?」
オレはロスジェネと呼ばれる最悪の世代生まれだ。必死な思いで大学を出たときには就職先は無く、何百社とエントリーし何十社と圧迫面接を受けて、たどり着いたのが拝金主義の理事が牛耳るブラックな介護職だった。
夜勤をしているのに日勤のアルバイトよりも時給は悪かったが、生活のために必死で働いた。父はリストラで早期退職した後に急死、一家で食べていくためと、弟を大学に出すためにお金が必要だったのだ。
弟は頭が良かったので周りから期待されたが司法試験を3回落ちて精神を壊した。結婚なんてできるわけもなく、1人で老齢の母の介護をしながらなんとか生活をしていたけれど、さすがに限界が来たらしく15連勤の夜勤明けに意識を失った。
オレの人生って何だったんだろう、意識が混濁しながら過去の記憶が次々と頭に浮かぶ。これが走馬灯というやつか……苦労した記憶ばかりでろくな思い出がない。楽しい記憶といえば……そういえば高校時代に格闘ゲームにハマったな。特に『龍虎伝説』は思い出のゲームだ。
格闘ゲームを初めて見たときは衝撃を受けた。それまでのゲームは小さなドット絵のキャラクターが2つか3つの単純な攻撃をするのが精一杯だった。それが格闘ゲームになるとパンチだけでも遠距離、中距離、短距離の三種類。しゃがむ、ジャンプ、防御など画面の半分ほどを占める大きなキャラクター同士が多彩なアクションで戦える。もちろん最新のゲームとは天と地の差だとは思うが、当時は一番リアルで自由度の高いゲームだった。
よく100円玉を集めてゲームセンターに出かけたな。普段使うキャラクターはバランスが良くて強いリック バワーズだったけど、心のメインキャラクターは藤原 香織だった。
合気道を習っていたことがあるから、袴姿の古武術は親近感があったというのはもちろん建前で、小柄で生徒会長でもしていそうなキリッとした和風美人がポニーテールで戦う姿がすごく可愛かったからだ。
本当はもっとプレイしたかったけど、可愛いだけで使いづらく勝てないキャラクターだったのであまりプレイできていない。高校生の貴重な100円を無駄にできないからしょうがない。もっと使いこなしてクリアーしたかったというのが心残りといえば心残り。
「くしゅん!」
可愛らしいくしゃみが出た。朝早くからサラシと褌の下着姿だとそりゃあ寒い。部屋に戻り、和箪笥を開けて首を捻った。
「学校の制服と道着、それと巫女服? ……マニアックだな」
普段着や寝間着どころか下着もない。サラシと褌だけは10枚ほどあるけど、そんなに必要か?
「――違う。服が買えないからこれしかないんだ!」
ちょっと待て、藤原 香織ってどんなストーリーだったっけ? 昔の格闘ゲームは意外とストーリーがしっかりしていて、資料集なんかも出ていたから細かく設定が決まっていたはずだ。
確か龍神流古武術使いで、師である父親がライバル流派に負けて失踪中、その父親を見つけるためにストリートファイトに参戦が大まかな流れだった。
母親は幼いときに亡くしており、姉は体が弱く入院中……父親が多額の借金をしているせいで極貧生活。家の神社を守りながら、優待生として授業料免除でなんとか高校に通っている……
「……詰んだ……死ぬ前と何も変わらない……」
◇◆◇◆◇◆
どうやら格闘ゲームの弱小キャラクターに転生してしまったみたいだ……安心して欲しい。オレ自身、何を言っているのかさっぱり分からない。
とりあえず、一番無難そうな道着を選択して着替えた。ゲームキャラだけあって均等が取れた体だ、前世の胴長短足と比べるとため息が出る。裸にドキドキするかと思ったら、自分の体という感覚が強すぎて欲情しない。サラシは息苦しいので外したら、ポヨンっと胸が突き出てきた。貧乳をいじられるキャラだったはずだけど、これは……セクシーキャラの女忍者には負けるけど、結構大きい。そりゃあこれだけのものをギチギチに縛っていれば苦しいに決まってる。何か隠したいエピソードでもあっただろうか?
着替えが終わると台所に向かった。混乱しているがお腹は減るので仕方がない。釜戸とかだったらどうしようかと思ったけど、普通に昭和のキッチンだった。
冷蔵庫には調味料程度しか入っていない、なんとなく予想通りだ。確かお供え物の野菜があったはず。じわじわと香織としての記憶が呼び覚まされてくる。
神社の本殿に向かうと、近所のお婆さんが参拝をしている。オレが姿を現すと驚いた顔でこちらを見た。
「あら、香織ちゃん。今日は学校はいいのかい?」
「……ええっと、ちょっと体調が悪くって……」
「あらあら、大丈夫? ちょっと待っとき、今、栄養ある物持ってきちゃるから」
「あ、お梅さん、だ、大丈夫ですから」
お梅さんは近くの農家のお婆さんで、よく野菜をお供えしてくれる信心深い人だ。香織の食生活の生命線だったりするので、ちょっと騙すような形になって申し訳ない。
80歳近いはずなのに元気な人だ。止める暇もなく階段を駆け下りてしまった。よく考えると箱いっぱいの野菜なんて重い物を簡単に持ってくるし、あの動きは只者ではない。それとも格闘ゲームの世界ってこんなものなんだろうか?
学校か……体調が良くないのは本当だからちゃんと電話をして休もう。
お供え物の野菜の中から人参とキャベツを下げさせてもらい、学校に体調不良で休む旨の電話をする。
香織の家庭の事情を知っている先生からは大袈裟に心配された。優等生で皆勤賞だったから急に休むと悪い想像をしてしまうのかもしれない。
「ちょっとした風邪ですから、明日には行けると思います」と言ってなんとか納得してもらえた。なんだかんだで周りから気にかけてもらっている香織は幸せ者だ。
人参とキャベツで味噌汁とマヨネーズ和えの温サラダを作る。立派な野菜で美味しそうだ。モヤシしか食べられなかった前世よりもよっぽど恵まれている。
長い一人暮らしと介護の仕事でよく作っていたから料理は得意だ。凝ったものは作れないけど、有り合わせで作るならなんとかなる。
香織は苦手だったようだけど、決して不器用というわけではない。この辺りは経験値の差だろう。
ピンポン
食べようと思ったら、玄関のチャイムが鳴った。お梅さんが何か持ってきてくれたのだろうか? インターホンのようにマイクやモニターなんて便利な物は付いていないから、玄関まで確認しに行く。
「どちら様ですか?」
「リックです。藤原さん、風邪の具合は如何ですか?」
「えっ! リック!?」
誰かと思ったら、オレがよく使っていたリック バワーズが玄関先に立っていた。
「おお、懐かしいな」
『龍虎伝説』はシリーズがいくつも出ていて、その都度プレイしていた。就職してからはやっていないから学生以来か。実物として見るとハリウッドスターでも通りそうだ。主人公が熱血系だったから、サブ主人公のリックはクール系なんだよな。
「……そ、そうだな。確かにこうして話すのは久しぶりかもしれない……」
あ、あれ? そういう意味ではないんだけど……ゲームでは自信満々で落ち着いていて、物事に動じない性格のリックが申し訳なさそうにこちらを見つめてくるのにはビックリした。
リックと香織の関係ってなんだったかな? ゲームではよく言い争うカットを見た気がするけど。
「龍神流古武術を捨てた者と話すことはない!」だったか、今考えると結構取り付く島もない感じだ。
チクリと胸が痛んだ。仲の良い幼馴染に裏切られたという記憶が思い出される。これは香織の過去の記憶だろうか?
香織が小学生の頃、外交官をしていたリックの父親が龍神流古武術を習いに来ていて、一緒について来ていたのがリックだった。
ただ見ているだけでは手持ち無沙汰だろうと、香織がリックに古武術の手解きをしたのが始まりで、同い年ということもあってすぐに仲良くなった。
当時は経験の差もさることながら、リックの優しい性格と女の子のような線の細い体つきから組手の相手にもならなかった。
道場の隅で必死に香織の技を真似ようとするリックに、なんとなく弟が出来たみたいで喜んでいたことを覚えている。
小さい頃は容姿が少し違うとからかいの的になる。金髪碧眼で気弱なリックは格好の獲物だったのか、よく男の子にいじめられていていた。それを撃退したり、慰めたりするのは香織の役割だった。
酒の席の冗談で父親からは許嫁にすると言っていたけど、どちらかというと手のかかる可愛い弟分。だから帰国することになったときは酷く悲しかった。
頻繁に連絡を取り合っていたが、ある日を境にバッタリと連絡が取れなくなる。遠距離で顔も合わせない相手よりも近くで久しい友人が増えたらそんなものだろうと思いながらながらも、もしかしたら何かあったのではと心配していた。
そんなモヤモヤとした中、高校の留学生として突然再会することになる。
それもライバル流派である虎神流古武術の師範代として……こちらが心配していたことなんて知ったことではないような振舞いで、俳優のような容姿と文武両道の天才事業家として高校内は騒然、テレビ局の取材まで入って世間にもてはやされていた。
日本に来るという連絡も無ければ、流派を変えたという報告もない。よりによって虎神流に乗り換えるなんて破門だ! 香織にはリックに裏切られたとしか映らなかった。
悲しい記憶だ、思い出すと同じセリフを言いたくなるけど、オレにはゲームの知識もある。リックがなぜ龍神流古武術のライバル流派に入ったかを知っているだけに無下にする気持ちは起きなかった。
「久しぶりじゃん。ちょっと遅いけどこれから朝ご飯なんだ。よかったら一緒に食っていくか?」
「え? いや、俺は……」
今は授業中のはずだ。リックはオレが休んでいるのを聞いて、飛んで来たのではないだろうか?
本当に裏切ったのだとしたら、わざわざ心配して家まで来ないだろう。少なくともただの知人枠ではないはずだ。
「遠慮するなよ、作り過ぎて困ってたところだ。」
強引に居間に通して、先ほど作った味噌汁とサラダを出す。食べ盛りの男子高校生相手だしもう少しコッテリした物を出してあげたい気もするが無いものはしょうがない。
「……料理上手なんだな……」
遠慮がちに食べると、驚いたように口を開いた。
「お~ 何だそれ、出来ないと思ってたのか?」
「……いや、そういう訳ではないんだが……」
調子が狂う。リックはもっと自信満々で王子様キャラだったはずなんだ。もしかしてライバル派閥に入ったり、音信不通だったことを気にしていたりするのかもしれない。気にするぐらいなら連絡ぐらい寄越せよな。
「へへっ、いつも美味い物食ってる実業家様の口に合ったのならなによりだ」
リックに顔を近づけてニカッと笑う。多少の皮肉も入っているけど、美味いと思ってくれているならなによりだ。
「香織……キャラ変わってないか?」
「そうか?」
まあ、おじさんが入ってきたんだから、性格は変わっているのだろう。オレ自身はいつも通りで、不思議と香織としても違和感はない。
ちょっと緊張した雰囲気が崩れたのか、家や学校の他愛のない話をしてご飯を終えた。
「さて、そろそろ黙って日本に来た理由と虎神流の師範代になったことについて話してもらおうか」
「ぶっ、ぶふぉ」
食後に出した緑茶を盛大に吹いた。王子様らしくないな。リックこそキャラ変わったんじゃないだろうか。
「聞く権利はあるよな。手紙もメールも無視しやがって、あげくに事業を起こして大成功って、オレへの当てつけか!」
うん、後半はただの妬みだ。
「……香織には悪いことをしたと思っている。だが、それは言えないんだ。言えるときがきたらきっと言うから、少し待ってくれないか」
こちらを真剣に見つめながら、影のある顔で諭された。相変わらず絵になる。女の子ならキュンときて言う事を聞いてしまうのだろうけど、オレに効く訳がない。
「そんな言葉に納得できるか、言いやがれ」
「香織のためを思って言っているんだ」
「オレのためを思っているなら、ちゃんと言え」
「そんな駄々をこねないでくれ」
……なんだこの痴話喧嘩は、段々と言ってて恥ずかしくなってきた。
確かマフィアが関わっているから香織に言わないのだったか、ゲーム知識として知っているから無理に聞き出す必要はないんだけど、本人の口から聞きたい。
これは香織の感情なのかな? オレがリックよりも強ければ良いのだろう、せっかく格闘ゲームの世界に転生したのなら、どのくらい戦えるのか知りたい気もする。
「よし、分かった。じゃあ、手合わせするぞ。オレが勝ったら喋ってもらうからな」
うん、拳で語るのが格闘ゲームだ。
試行錯誤の勉強中です。
よろしければ感想や評価(★)をお願いします。




