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その男の姿を目にした者は皆、不快そうに眉を顰めた。
「汚い」「貧乏臭い」
その理由は男の持ち物にあった。鎧、手甲、剣、脛当て、剣士なら定番の装備品の数々だが、それらが全てサビていたからだ。表面は赤茶色のサビが浮き鉄が層になって剥がれ、時折茶色い粉となって崩れ落ちる。あかずの倉庫か海の底にでも長年眠っていたかのような腐食具合に、誰しもが剣士を憐れみ馬鹿にし軽蔑した。
「そんな錆びた剣で戦えるのかい。鎧だって一撃で潰れちまいそうだ」
心配して声をかけるものもいたが、男の無愛想な態度に鼻白んで声かけたのを後悔しながら去っていった。
その内男はサビ男とかサビの剣士と呼ばれるようになった。
「はいよ、サビの人。いつもの特製スープね」
大きな器をテーブルについた男の前に置きながら、肉付きの良い女主人は言った。男は無言で僅かに頷くのみだが、毎度のことで慣れている女主人は気にもとめない。
「おい、ニーナ。そんなやつにメシ出したら、店ん中まで錆びちまうぜ」
少し間離れたテーブルから、赤ら顔の男がヤジを飛ばしてくる。
「何言ってんだい。こちらはあんたなんかより余程上品なお客さんさ。錆びてんのはあんたのオツムの中だろ」
ニーナと呼ばれた女主人があしらって返す。
「へっへ、言うじゃねぇか。俺が錆び付いてるかどうか、今晩じっくり試してみるかい」
下卑た笑いを浮かべ、卑猥に腰を振る。ニーナはため息をついて無視し厨房へ戻った。この店には、ニーナしかいない。3年前に旦那が死んで以来、ずっと1人で切り盛りしている。カウンターが5席と4人掛けテーブルが3つの小さな店。出すのは酒と簡単な食事。市場の売れ残り食材を仕入れているので値段は安い。初級から中級の間でうだつの上がらない冒険者の御用達となっている。
「なんだなんだ愛想がねぇなぁ。このモッソ様の女にしてやろうって言うのによ」
無精髭に欠けた前歯、顔や体に残る古傷の跡。モッソは見るからに荒くれ冒険者の典型だった。しかし装備や腰の剣は古くくたびれている。向上心もなく弱いモンスターだけを相手にして日銭を稼ぎ、弱い人間相手に威張って喜ぶ底辺冒険者の見本のような男であった。
「おいサビ野郎。冒険者にとって装備は命だ。手入れのひとつもできてねぇお前見てると腹が立つんだよ。鉄臭えから帰りやがれ」
サビの剣士は、モッソの言葉に全く反応せずスープを口に運んでいる。
「おい、耳の中まで錆びてやがるのか。俺は帰れと言った……」
その時入り口の扉が開かれ、若い四人組が入ってきた。
「あー、腹減ったー。やっぱ昼抜きは無理だって。死んじまうよ」
「何言ってんのよ。ウルティがカバン落とすからでしょ。しばらく分の干し肉入ってたのに」
「あれはしょーがねーよ。ダークウルフが突然飛び出てきやがったんだから」
「だからって何もわざわざマッドアントの巣に落とす事ないじゃない。あれじゃ後から拾いにも行けないわよ」
「たまたま落とした所に巣があったんだよ。今日の晩飯代は俺が出すから許してくれよ」
「デザート付ね」
「うげぇ。足りるかな」
大きな声で話すのは、先頭の小柄ながら筋肉質な戦士風の金髪青年と、三角帽子もローブも髪の毛も紫という紫尽くしの魔法使いの女の子。後ろには長身で坊主の武道家と修道女か僧侶に見える黒髪の女性。後ろの2人は黙って2人のやりとりを眺めている。
「ニーナさん、俺とりあえず肉!安くて多いやつ!」
「私もお肉!高いやつ!」
「おい!奢りなんだから俺と同じのにしろよ!」
「嫌よ。奢りなんだから1番高くて美味しいやつにするわ」
「この店のは安くても美味いだろ」
後ろの喋らない2人が、うんうんと頷く。話を聞いていた周りの席の人々も、同じように頷く。
「それはそうだけど、とりあえず私はエネルギッシュボアのステーキ。それとビール!」
「ちぇっ、こうなりゃヤケだ。俺も同じの!ビールは大で!」
修道女がメニュー表を見て心配そうにしているが、横で坊主が自分の財布をのぞいているから大丈夫だろう。実力は知らないが、キャラ的にはバランスの取れたパーティーだ。
「おいおい若造、注文の前に、まず先輩に挨拶だろうが」
モッソがグラス片手に立ち上がり、若手パーティーの先へ近づいていく。
「まったく、礼儀がなっちゃいねぇな最近の若い奴は。俺様がお前たちくらいの頃にゃ、店で先輩に会ったらまず最敬礼して挨拶。それから新しい酒のグラス持って席を回ったもんよ。先輩に対する敬意ってもんがねぇと、この世界じゃやっていけねぇぜ」
「……誰?こいつ」
「ちょっとウルティ、この人あれよ、モッソさん」
「モッソ?……ああ!たかりの!ハイエナモッソ!」
「バカ!本人の前でいっちゃダメ」
「おい若造!!今なんて言いやがった!!俺様を、たかりのハイエナだと!?」
「ああ、有名だぜあんた。実力も無いのに威張り散らして、ルーキーにたかったり獲物を横取りするばっかりのクズ野郎なんだろ。へー、見た目はハイエナってよりタヌキだけどな」
「小僧、貴様……!!」
モッソが怒りに震え出すと、ウルティの仲間たちは立ち上がり、小柄な戦士を守るように後ろに控えた。
「やるんだな小僧。死んでも知らねぇぞ。ダンジョンでモンスターに食われたってことにしとけよな」
モッソが脅しの文句を吐きながら腰の剣に手を伸ばし、抜いて前に構えかけたその時、
フンッ
気合を掛ける声がして、赤茶色の何かがモッソとウルティの間を通り過ぎた。あまりに早くて、何が通ったのか見定めることのできた者はいなかった。
「ちょっと、店で喧嘩はやめとくれよ!外でやんな」
ニーナが厨房から慌てて出てきた時、カラーンと音がして床に金属製の何かが落ちた。見るとそれは剣の刀身だった。半ばで断ち切られ、先だけが床に落ちている。見るとモッソの剣が見事に真ん中で切り分けられていた。
モッソは心底驚いていた。剣が斬られたことにではない。そのぐらいは、レベルの高い剣士ならば軽くやってみせる。驚いたのは、斬られた感触が無かったことに、である。しっかりと剣の柄を手に握っていたのに、全く衝撃を感じなかった。長年底辺にいる自分が陰で蔑まれているのも知っている。確かに早い段階で力が頭打ちになり、中級ダンジョンでは命からがら逃げ帰るのがやっとだった。それ以来初級ダンジョンだけで生計を立てている。それも最近では自ら戦わず、同類の仲間と一緒に、新人や気の弱そうな連中から戦果を掠め取ることに専心していた。でも、それでも、人生の半分以上ダンジョンに潜り剣を振るってきた。その自負はある。それが、剣を斬り折られていることにすら気付かなかったのである。剣先が床に落ちた音で初めて気付くというていたらく。そんな事が可能なのか。しかもそれをしたのは、先程まで馬鹿にして見下していたサビの剣士である。何もかもが信じられなかった。
「ふぇえ。あんた、すげえな。サビサビだけど」
若い戦士も、目の前の錆色の鎧を纏った剣士の力を感じ取ったのだろう。素直に賞賛している。
「なんかよくわからないけど、あんたが収めてくれたんだね、サビの人。ありがとよ」
ニーナがサビの剣士の肩を叩いて礼を言う。剣士は相変わらず無言だが、チラリとニーナの顔を見て、恥ずかしそうに顔を背けた。
その場は結局、そのままそれぞれが自分の席に戻り落ち着いた。モッソは黙って机を睨みながら酒を飲んでいたし、二度と周りに絡んだりはしなかった。ウルティ達は相変わらず騒々しかったが、咎める者もいないし、むしろ陽気で他の客も愉快な気分になった。サビの剣士はと言うと、カウンターの端でチビチビと安酒を舐めていた。さほど酒に強くないのか、顔は赤らんでいる。頬をピンクに染めながら、時折忙しそうに働くニーナの方を見つめていた。