波尾
ーーーーご乗車ありがとうございます。特急慈濃行き、次は、波尾ーー波尾に停まります。普通車ご利用のお客様は、着きました向かいの4番ホームでお待ちください。次は波尾に停まります。ーーーー
ガタンゴトン…… ガタンゴトン……
電子端末やSNSが普及して以降、人々は一様に死んだ目をして乗車している。まるで生気が感じられない。だが、そんな様子を眺めている私には、彼等を社会の歯車に甘んじているだのなんだのと揶揄する権利はない。
私は普通に働いていない。働くことができない。私には、視えてしまうのだ。この世ならざる物たちが。彼等も大抵はまるで生気が感じられない虚ろな目をしている。違いは、生きているか死んでいるか。
ガタンゴトン…… ガタンゴトン……
ああ、憑いてるな。そう思っても、その人に伝えることはまずない。良かれと思って伝えた結果、そのコミュニティー内で迫害されるなんてことは目に見えているのだから。視えているだけに。なんてふざけてはみても全く笑えない。同じ轍は踏まない。そう決心し、自身と社会を切り離してからは、これでもわりと楽に生きて来られた。
ところで、目の前の女性の乗客には憑いている。無論、伝えはしない。
ガタンゴトン…… ガタンゴトン……
ーーーー波尾、波尾です。ーーーー
列車が減速を始め、目の前の乗客が席を立った。少し離れた所に立っていたおじさんが、これ幸いとばかりに入れ替わる形で着席する。
ーーーー普通車をご利用のお客様は、当駅でお乗り換えください。次は黒灯川で普通車と接続いたします。ーーーー
おじさんには憑いて行かない。いや、ややこしいな。付いて行かない。あ、これも違うな。おじさんには憑かない。元々憑いていた女性に付いて行くのが視える。その様子から、列車やその座席、この波尾駅への怨念ではなく、今しがた車両を降りたあの女性に目的を抱いて憑いているのだと断定できる。
フシュー……
電車が、停車したついでに息継ぎをするみたいに、気体を吐き出す。
件の女性は、やや熱気を帯びたそれを浴びて、暑く感じたのだろう。肩掛けの麻のトートバッグから、小さな充電式扇風機を取りだした。その一連の動作の中で、憑き物がバッグの中身を覗き込んだ。そして荒れ狂うように騒ぎだした。
グギャアアァァァ!!
うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。周りの人には聞こえてない。なぜ私だけこんな苦しい思いをしなきゃならないのだろう。工事現場でコンクリートを砕いている真横に突然放り出されたぐらいにはうるさい。なのに、聞こえているのは私だけ。
あの怨霊は何を見て怒ったのだろうか。そう思案し、視線を再び降りて行った女性の方にやると、女性は落とした何かを拾おうとしていた。ブレスレットか何かだろうか。淡い色の石がついているソレを見て、怨霊はまた叫んだ。
グギャアアァァ!!
やはりソレを見て怒り心頭らしい。
「うっ……」
女性が呻いた。怨霊が女性を背中から殴りつけている。かわいそうに。原因不明の肩こりと腰痛が、あの女性をこれからも襲い続けるだろう。あのブレスレットを持っている限り。