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ファンデア・テイル  作者: 八架
二章
80/80

第79話 恋に嵐

「……あれ、俺……」

「起きられました?」


 半身を起こしたレグさんがぼんやりと瞬きする。ミネフ到着後、半日程眠ったせいか、血色はさほど悪くない。

 水を差し出せば、彼は礼を述べつつ一気に飲み干した。しかし案ずることなかれ、魔力水はサイドテーブルに乗りきらないほど用意があるのだ。即座に次の瓶を渡すとレグさんは目を丸くしたが、発熱もあって相当渇いていたのだろう、すぐに口をつける。ブツクサ言いながらもベッドと水をくれたルビオンに感謝だ。


「ごめん、随分長居しちゃった。ここ、アオイちゃん()だよね?」

「はい、でもお気になさらず。具合はどうですか? 何か食べられそうなら、ちょうどスープが──」


 立ち上がりかけたところで手首を掴まれ、「座って」と引かれる。椅子に腰掛け直した私を見るレグさんの表情は硬い。


「傷がなくなってる。見たでしょ、服の下」

「……はい」

「ああいやごめん、怒ってるとかじゃなくて。むしろありがとう、助かったよ。俺、回復魔術って得意じゃなくて、テキトーに処置して出てきちゃったからさ。そのうち治るだろって思ってたんだけど、近くにもう一個新しいのできちゃって」

「どっちも……かなり、深い傷でした」

「ホント? しくったな、気をつけるよう言っとかないと」


 自分の怪我なのに他人事みたいな言い方だった。正確には()()()()()()()()()()()()()()。胸の奥がざわざわと落ち着かなくなってくる。

 けれどそのモヤモヤは、機微に聡い商売人には全て筒抜けだったらしい。飲み終えた二瓶目を除けながら、レグさんは軽い調子で言う。


「俺の召喚獣ってさ、俺の魔力でできてるから、受けたものは全部こっちに還ってくるんだ。大抵は出先でアレが美味しかったとか景色が綺麗だったとか平和なんだけどね。その中でたまーに怪我することもあるってだけ」

「たまに……」

「たまに」

「いつもじゃ、ないんですね」

「うん、そうそうないよ。今回はちょっと運が悪かったかな。心配してくれてありがとね」


 人好きのする、気さくでにこやかな笑みが向けられる。優しい笑い方だ。見た目はアクセサリーがジャラジャラと派手な人だけれど、それだけは初めて会った時から同じ。

 ──だから安心していられたのに。

 時々、そして今日は一段と、かえってそのことが不自然に浮き彫りになる。まるで何かを覆い隠そうとしているかのよう。私は膝の上でぎゅっと拳を握った。


「……わたし」

「うん」

「何が起こってるのか、全然理解できてなくて。レグさんに協力するのは私が、す……きだからとか、それに対する忠告とか、もう何が何だかって感じで」

「うん」

「れ、レグさんも私のことを、その……」

「恋人同士?」

「、そ、あの、それ……どうして、そんな……」


 降って湧いた突然の出来事にどうしていいかわからなかった。レグさんが目を覚ますまでずっと考えていたけれど、それでもやはり答えは見つからなくて。

 だって彼は──。


「どうしてって、なってほしかったから。それ以外に理由ある?」

「……っ!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「…………ああ、そっか。順番がめちゃくちゃか」


 ぽつりとした独り言の直後。ごく自然な動作で片方の手を掬われ、そこに五本の長い指が巻きついていく。体温の生温かさと硬質な指輪の冷たさ。交互に這うそれらの感触に思わず退きかけた身体は、妖しげな眼差しによって縫い留められてしまった。

 ふつふつと鳥肌が立っていくのをありありと感じる。蛇に睨まれた蛙とはこのことか。


「スキデスって言わないといけないんだよな。悪り、やり方忘れてた」

「あ……の」

「だってアオイちゃんさ、結構評判いいから。見習いとかほざきながらご立派なモン作りまくるわ、ヤベェ奴ら片っ端から手懐けるわ、おまけにミネフ(ウチ)を救った大英雄。別の用で集まってんのに、大概途中からあんたの話になってんの」

「レグさ、」

「なのに表じゃ牽制し合っててバッカみてえ。皮一枚剥がせば皆同じなのになァ」

「レグさんッ!」


 は、と零れた息は震えていた。滔々とまくし立てていたレグさんはようやく止まってくれたけれど、私を見下ろす眼光は鋭く、昏い。殺気にも似たそれに心臓が苦しくなっていく。

 路地裏で遭遇したあの時と同じ目、同じ口調。冷たく、乱暴で、叩きつけるような威圧感を放っている。生まれてこの方、恋愛経験なんて爪の先ほどもないが、間違ってもこれが好きな相手に向ける感情でないことだけは確かだった。


『店長は若い頃調子に乗ってたから恥ずかしいんだって』


 そんな可愛い黒歴史であるものか。彼に渦巻くものは襲い来る魔的存在に匹敵する、積年の憎悪や細胞レベルの嫌悪である。普段奥底に閉じ込めている反動なのか、こうして姿を現すと、その静かな凶暴性に息もつけない。

 例えばこの瞬間、突然殴られるかもしれない。そこの空き瓶を振りかぶられるかもしれない。魔物じみた気配を纏う彼はそれほどまでに恐ろしかった。故に極度の緊張感で景色が潤み出しても、このヒトの形をしたモノから目を逸らすことができなかった。


「はは、泣きそ」


 乾いた指先が私の頬骨をなぞった。反射的にビクッと肩が揺れて、クスクス笑われる。

 目尻を蕩けさせる彼は、魔獣車で見たウィドーさんの横顔とそっくりだ。おそらく、二人の間にあるのは生半可なものではない。


「レグ、さん」

「ん~?」

「なにか、あったんですよね……?」


 今一度レグさんの瞳を捉えると、淡いイエローの虹彩が僅かに揺れた。その一瞬の虚を突き、繋がれていた手を解く。そうすることで明確な一線を引いたつもりだった。

 彼の知られざる過去から続く、その何かが此度の引き金ではないのか──私にはある種の確信があった。決して探るつもりはない。ただ思い詰めているなら、力になれることがあるかもしれないと思ったから。


「協力は、させていただくつもりです。今まで通り。恋人とかじゃなくても」


 背筋を伸ばして自身に言い聞かせる。触れ合う肌や手慣れた雰囲気に飲み込まれるな。直感だが、これはなし崩し的に受け入れるべき話ではない。


「私、そういうの詳しくなくて、どうして『恋人』にならなきゃいけないのかわからないですけど……少なくとも、こういう始まり方じゃないことくらいは知ってます。だから──」

()()さ、なんか勘違いしてない?」


 唐突に、崖から突き飛ばされたような衝撃だった。吐き捨てられた台詞を咀嚼する間もなく、強い力で後頭部を引き寄せられ、ベッドに片膝を乗り上げてしまう。咄嗟にシーツについた片手も、いつの間にか一回り大きなそれに押さえつけられていた。


「俺は今『恋人』っていう存在が必要なだけで、そこに裏付けとか余計な手出しとか要らねえの。女なんてどれも同じなんだからさ」


 宥めるように声を潜ませながら、彼は悪魔の如き囁きを私に吹き込んだ。鼻先にかかる甘やかな吐息。擦れ合う前髪の向こうには半月型に歪んだ双眸がある。

 故意に嘲けられているのがわかって、視線を逸らそうとするも、許さないとでもいうようにいっそう力が加わって。ごつ、とぶつかった額にかすかな痛みが滲む。


「後腐れない、部外者のお前が一番手っ取り早かったってだけ。別にあのサディアって子でも──」

「ッ!」

「あれ。ハハハ、また泣きそうじゃん」


 大袈裟な驚きように、虫の翅を千切る子供のような無邪気な残酷さを感じるのは、水中みたいにゆらゆらする視界のせいだけではないだろう。

 いつものレグさんじゃない。これは誰だ。一体誰なのだ。


「サディアさん、は、やめてください。今のあの人に、そんな風に強い言葉を使わないで……!」

「あ、そ。じゃあ誰かさんが頑張んなきゃ」

「だから、私はっ……!」

「いいの? 俺が瘴気を呼び込んでも」


 一切の音が消えた。全身が凍りついていく中、場違いに穏やかな低音だけが鼓膜を撫でる。


「何もかもどうでもいい、全部ブッ壊したくてしょうがない、理性なんてクソくらえ、……っていうのが好きなんだろ? 瘴気とやらは」


 本人も破れかぶれになってるところがあってね──いつかのフェイの溜め息が過ぎる。不健全な精神が瘴気に蝕まれやすいことは確かに報告したが、こんな交渉に使われるためじゃなかったのに。ちくしょう、ちくしょう。彼の豹変を知らなかったあの頃に戻りたい。


「俺が感染したら……そうだな、まずはこの指全部ブチ折るか。そしたらリマもチャーリーもアルファも、全員止まらなくなって……アハハ、どこまで潰せっかな」

「冗……談」

「に、したいならそれでもいいけど。俺がどういう奴か見分けんのも仕事なんじゃねえの?」


 本当だとも言わないけれど嘘だとも言わない。レグさんはただ見透かしたような微笑を浮かべて、こちらに最後の一押しをさせる気でいる。

 どうしよう。どうしたらいい。考えろ。考えろ。考えろ。


「どーする、浄化師サン?」


 ニンマリと弧を描く唇に、食い縛った歯がギリリと鳴った。今となってはどれが本来のレグさんなのか見当もつかない。彼には商売を通じて町の発展に貢献してきた功績があるし、真面目で誠実だったあの姿が演技だとは思いたくないけれど。でも、それさえも作られたものだったら。

 開き直ったこの人には、ある日突然盤上をひっくり返しかねない一抹の危うさがあった。そして私は付き合いの浅さ故に現時点で真実を判断しきれず、拒否したり見過ごしたりすればまずいことになるかもしれないことばかり。

 中でも瘴気という、浄化師()の存在意義を引き合いに出されては──。


「…………裏付けとか、要らないんでしたよね」


 どんなに恨めしくても応じる他なかった。私は最初から彼にとっての必要条件が整い過ぎている。元より取引という土俵で勝てるわけがなかったのだ。


「あくまで対外的な『恋人の役』……今日みたいに否定せず黙ってればいいなら。というか、むしろそれしかできませんが」

「そーそー。飲み込み早いじゃん、よくデキマシタ。ご褒美に一つくらい既成事実やろうか」

「、いっ……らない!」


 不意に覗き込まれ、衝動的に押し返してしまった。相手が病み上がりであることにハッとしたのも束の間、顎を跳ね上げられたのがツボに入ったのか、レグさんはアハアハと声を上げる。


「ホントに慣れてねえのな。ま、その方が好都合だけど。じゃ、とりあえず契約成立ってことで、今後ともヨロシク~」


 そうしてひらりとベッドから飛び降り、私の頭をわしゃわしゃと撫でていった。聞き分けの良いペットにするようなその対応に悟る。契約とは、既に決着がついていることを相手にわかりやすく知らしめるためのものなのだと。

 私は火を見るよりも明らかに格下の相手だった。百戦錬磨の彼の掌で、さぞ軽快に転がっていたことだろう。それだから、悔し紛れの一言だって無様に震えてしまう。


「ほ……本当に、大丈夫ですか」


 長いコンパスが止まる。振り返ったレグさんはしばらく私をじっと眺め──やがて、ニッコリと口角を上げた。


「そっくりそのまま返すよ」


 ああ、やっぱり。ひらひら振られる手が見えなくなると、私はがっくりと首を落とした。今更本音なぞ語られるはずもない。承知の上で聞いたものの、悩みの欠片の欠片くらいは共有してもらえると期待してしまった。

 ぽふ、とふかふかのシーツに顔面を埋める。レグさんの全ては知らなくても、様子がおかしいことくらいは察しているのに。そんなに役に立たないと見くびられているのだろうか。あれ、何かちょっと腹立ってきたな。


「……ごめん、後でシーツ洗う……」

「…………」


 部屋の持ち主──ルビオンがすぐ後ろに立っていることには気がついたが、身体が重くて起き上がれなかった。思考も情緒もどろどろのぐちゃぐちゃ。モテるレグさんに改めて『恋人』が必要な理由すら、結局わからず終いで。残ったのは私が偽の恋人役を演じるという、意味不明でワケワカラン現実。全くもって頭痛の原因にはピッタリだ。


「……話の内容、聞こえてた?」


 ベッドに片頬を預けて見上げると、ルビオンは無表情で「別に」と(のたま)った。いつも通りの態度に(いささ)かほっとする。


「よかった……もし、万が一聞こえてたとしても、ユーンくん達には黙っておいてね。単純な話じゃなさそうだからさ……どうにか、見極められるまで……」

「……アンタ、マジでバカだろ」

「……自分でもそう思う」


 あれよあれよという間にとんでもないことになってしまった。それでもこの町を巻き込みかねないなら黙っていられないし、瘴気を吸い寄せる憂いを祓うのは浄化師の定め。可能性の芽を一番近くで見定められる運に恵まれたのは、いっそ誇るべきことか。

 そうやって、どうにかこうにか視点を切り替えてはみるけれど。知人の只ならぬ側面と、予想のつかないこれからへの不安で、私は胃がシクシク悲鳴を上げるのを止めることができなかった。

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