第75話 お散歩とお揃い
「わー! すごーい!」
畑の全面に一斉にシャワーが降り注ぐ。雨ではない、水属性の魔術だ。一から水を生成し、広大な範囲に万遍なく行き渡らせるという、私にはどうやってもできなかったことをいとも簡単にやってのけるのは、我が契約者の水棲馬・ルビオンである。
「すごいね……いや本当にすごい……天才過ぎる……」
「そりゃドーモ。何をそんなに手こずってたのか知らないけど」
「何をって全部よ! 水から作ってるとすぐバテちゃうし、じゃあ川の水精製するかってなったらまたバテちゃうし!」
「それ単にアンタが雑魚なだけじゃね」
「……あのねルビオン、本当のことを本当に言ったら揉め事になることもあるんだからね。私はいいけど気をつけようね。私はいいけど」
「ふーん。手っ取り早く怒らせるには図星突けばいいってことか」
「嘘でしょ最悪の学習をさせてしまった」
「マスター」
振り返ると、作業場からウルドさんがやって来るところだった。その顔には爽やかな笑みを湛えており、寝不足であることを微塵も悟らせない。
実は私、昨夜の寝入りばなの記憶が曖昧である。ウルドさん曰く「とても可愛がっていただきました」(全員朝食を吹いた)とのことだが、夢でひたすら撫でていた水色の塊が彼女だとしたら、私のせいで満足に眠れなかったに違いない。
実際、起きた瞬間こちらを凝視しているウルドさんと目が合って、正直言えないものを漏らしかけた。聞けば、ほぼ一晩中そうしていたらしい。その程度では巨人族の強靭な肉体に影響はないそうで、今朝もこうしてゴーレムに野菜を積んでくれたのだけれど、非常に申し訳なくていたたまれなかった。やはり余っている部屋を早く整えなくては。
「積み込みが終わりました。いつでも出発できます」
「ありがとうございます! じゃあ行きましょうか」
そのために今日は町に繰り出すと決めている。私は頭を振って邪念を振り払い、首を傾げるウルドさんと共に家を後にした。
◆ ◆ ◆
「あの日以来です。やはり人里は活気がありますね」
人混みから飛び出る空を写し取ったような髪。一般的な高身長の男性より少し大きいくらいのウルドさんは、視界を遮られることもなく、悠々と景色を堪能している。そんな彼女にいくつもの視線が集中する理由──それは、類を見ない上背や涼しげな風貌といったものばかりではないだろう。
──首に嵌まる輪。見た目は少々筋肉質な女性が首輪をしている、その絵面がもたらすインパクトといったら。
「マスター?」
「それ、苦しくないですか……?」
真新しい黒革を指差すと、ウルドさんは薄く笑って首を振った。
「全く。むしろ良い気分です」
「そうなんですか?」
「ええ。これで誰が見ても私がマスターのものだとわかるでしょう」
もちろんマスターが私のものだということも。悪戯っぽくそう付け加えられ、私は頬が熱くなるのを自覚しながら、革の端と端を繋ぐ銀のタグを盗み見た。そこには主たる私や登録仲介人であるトアンくんの名前が彫られている。
首輪はここに来る前に寄った牧場で渡されたものだ。通常、魔的存在と契約を交わす際は届け出が必要になるが、魔術的契約を結べない場合は、さらに指定の拘束具を契約者に着用させる義務が発生する。トアンくんの契約魔物であるエカくんにもこの首輪はついており、仮に契約者が問題を起こした時は、この情報を辿って契約主が責任を負うことになっている。
ちなみに契約主がギルド員だと、革の色はバングルの石と同じ色になり、昇級ごとに代わる仕組みである。一般人は危険の少ない草食系の魔物等、限られたものとしか契約できないので、この違いは密かな自慢らしい。私にはあまりピンとこない感覚だ。なまじウルドさんの外見が人間に近しいせいか、それよりも倒錯感の方がすごいのだ。
「きゃっ」
不意に、ぶつかったのか足がもつれたのか、すれ違ったうちの一人が小さく悲鳴を上げてよろけた。倒れかける女性を咄嗟にウルドさんが支える。
「お怪我はありませんか?」
「だっ、だいじょぶです……!」
「よかった。混んでいますのでお気をつけて」
たちまち赤面した彼女に内心ウンウン頷く。わかる、わかるよその気持ち。男装の麗人って感じで恰好いいよね。
心の中でサムズアップしていれば、騎士あるいは王子様のようなその人がくるりと振り向く。
「マスター、私達も手を繋ぎましょう」
「うえっ!? 手っ!?」
「私の宝物が攫われでもしたら危険ですから」
「っそ、あの、それ……そういう、ことは、あまり外では……!」
今日──否、昨日──否、ウルドさんに再会してからずっと、私は事あるごとに茹でタコになっていないだろうか。でも、だって、無理なものは無理。口説き文句に勘違いしかねない台詞をこんなにもつらつらと並べられて、平気な人がいたら見てみたい。
今の私は全人類の前で素っ裸になった気分で、俯いた顔を上げられずにいた。どうして彼女は平然としていられるのだろう。もしや人間ほど羞恥心みたいなものがないのだろうか。
ドコドコ暴れ回る心臓を何とか撫でつけていると、ひそ、と耳朶に吐息がかかる。
「では家でならよいのですね。せっかくの二人きりですが……参ったな、早く帰りたくなってしまった」
「かっ……!」
本当に、本当に勘弁してほしい!
「かか、帰ったらだめです、まだっ! かぐ、家具をっ、見に行かないとっ!」
「ええ、マスター。覚えていますとも」
「なななならよかったですっ! 行きましょうッ!」
「はい、マスター。お供します」
ニコニコしているウルドさんの方を見ないようにしながら、冒険者ギルド前を抜け、東門へ続く路地に入る。途端にまばらになる人影にほっと息を吐いて、工房『キャニス・ルプス』を覗き込んだ。
「ごめんください」
「あ? ……オウ」
絶賛お仕事中だったロンドルフさんが、握っていた金槌を置いて立ち上がった。首にかけたタオルで汗を拭きつつ、床に散らばった木屑や端材を蹴飛ばしてスペースを作ってくれる。
「ありがとうございます。お元気でしたか?」
「フン、一週間やそこらじゃホイホイ変わらねェよ」
「へへ、すみません。お話するの、すごく久しぶりな気がして」
「あれ! アオイちゃんじゃーん! ウェンデルウェンデルっ」
「見えてる。もう療養は済んだのか」
「はい、おかげ様で全快です」
奥からルドガーさんとウェンデルさんも姿を見せてくれた。彼らが通り過ぎた棚の上にはいつかの紫の花があって、胸にホワホワしたものが広がる。
「ン……このヒト、アオイちゃんの知り合い?」
「あ、この度契約させていただいたウルドアニスさんです」
「デケェな」
「半身ですが巨人の端くれですので」
「半身?」
ピクリと鼻を動かしたロンドルフさんに、あっ、と思った。彼が厭う混血──『半端者』の括り。また怒り出してしまうだろうかと、ぎこちなく身構える。
果たしてどのくらいの時間が経過しただろう。しばらく見つめ合っていた獣人と半巨人だが、唐突に前者がフイと目を逸らし、私にマズルの先端を向けた。
「で? 今日は何だよ」
「、ええと、ベッドを二台、見繕っていただけないかと。一つは成人男性くらいので……」
拍子抜けしたものの、今は機嫌が良いらしい。これ幸いと注文書に要望を書き込んでいく。
「もう一つは彼女がちゃんと足を伸ばせるくらいのものを。あと、材質も丈夫なものであればあるほどありがたいです」
「マスター? お気遣いはありがたいのですが、私には不要かと」
「いえいえ、いくらウルドさんがお強いとはいえ睡眠は大事ですから」
「ええ、ですから。昨夜のようにあなたと寝るのでこれ以上ベッドは不要です」
──ゴッ、トン。何かが地面に落ちた鈍い音が木霊した。
「寝る……? このデッカいヒト、アオイちゃんと一緒に寝てるってこと……?」
「潰しかねないだろう。理解に苦しむ」
「どうぞそのまま苦しんでいてください。私はマスターを傷つけるような愚は犯しませんので」
「なんだと?」
「あれえ、好戦的じゃーん」
獣耳をビッと起立させた双子を無視して、ウルドさんは私の肩を掴む。期待の合間に僅かな不安が見え隠れする様子にウッと喉が引き攣った。
「マスター、約束してくださいましたよね……? 一緒に眠っていいと、確かに私はこの耳で聞きましたが」
「す、すみません、昨日だけの話かと……」
「────!」
「あっははは! フラれてんじゃん! だっさ~!」
「どう考えても現実的じゃない。オレでもわかる」
「くっ……!」
「ごめんなさいごめんなさい誤解させてごめんなさい」
まさかパジャマパーティーでなく添い寝希望だったとは。ウルドさんは本気の本気で、心底悔しそうだけれど、さすがに毎夜ああでは身が保たないだろう。私は言わば巨人族からお姫様をお預かりしている立場なので(これは事実で、一族の中でも小さい彼女はたいそう可愛がられてきたという)、集落を出たせいで弱らせたともなれば、三兄妹に顔向けできなくなってしまう。
「マスター……私ではダメなのですか……?」
「いえ、ウルドさんがダメとかじゃなくてですね……大の字でのびのび寝た方が絶対疲れが取れますから! ね!」
「ではせめて一日おきに……」
「それもちょ……っと多いかな……」
「二日に一度か三日に一度ならどちらが?」
「うーん……それだったら後者の方がまだ……うん?」
「決まりですね!」
「うわ、今何かすごい要求の通し方しなかった?」
「言い方変えただけで前半も同じこと言ってるのにな」
「ふっ、マスターの寝顔も知らない連中が何か吠えている」
「はあーっ!? ちょっ、なにコイツ! ねえアオイちゃんどうしたの!? 最近イカレてんのばっか仲間にするじゃん! あのケルピーもめっちゃ鼻で笑ってくるし!」
「悩みか? 聞いてやる。ついでに尻尾もモフモフさせてやる」
「マスターにニオイをつけるな獣めが!」
「お前に言われたくねーよデカ女!」
ああ、これはきっと簡単には終わらない。頭上でギャアギャアと交わされる応酬を尻目に、私はロンドルフさんの指示の下、黙々と羊皮紙の空欄を埋めた。途中、ウェンデルさんが長男の分も併せて尻尾を寄越してくるので、ちょちょいと撫でさせてもらうのも忘れずに。
「じゃ、よろしくお願いします」
「おう」
「気をつけて帰れ」
「ありがとうございました。ウルドさん、行きましょう」
「はい、マスター」
「まだ終わってねえっつーのイダアッ!? なんでオレだけ殴んのお! 兄ちゃんのばかあっ!」
半泣きの声に後ろ髪を引かれる思いで工房の扉を閉める。心苦しいが、そのうち手足が出そうなのでやむを得ず。彼のご機嫌取りはロンドルフさんとウェンデルさんに任せるとしよう。かえって余計に泣かせそうだけれど。
「……ウルドさん?」
ふと、長身が向かいの鍛冶屋『イーヴァルディの金床』の前で立ち止まっているのが見えた。何をしているのかと問えば、「馴染みがあって」と微笑まれる。
「父が集落で鍛冶を担っていて、私もよく仕事を見学させてもらっていました。火の爆ぜる音はどこも同じなのですね」
懐かしいです。そう呟く横顔に想いを馳せる。ここでの生活に慣れて落ち着いたら、もっと故郷を思い出すことが増えるかもしれない。その時、少しでも似つかわしいものが彼女の心の安寧になればいい、と。
そうして束の間二人で聞き入っていると、当然の如く店内に透ける人影を訝しがられてしまったようで。
「アオイちゃん……?」
「わっ、ヘザーさん! すみません!」
「構わないけれど……どうしたの、そんなところに立ったまま……」
暑いでしょうから入って、と黒いワンピースの彼女が招いてくれる。ウルドさんも興味があるみたいなので、厚意に甘えて寄らせてもらうことにした。
最低限の照明だけがぼんやりと照らす室内は、相も変わらず表通りの喧騒と隔絶されている。ほんのいくつかの物音と、時折鉄を打つ音が響いてくるくらいで、この店はいつも森の奥のように静かだ。ともすれば氷面の巨人族が暮らす雪深い地とそう変わらないのではなかろうか。
案内されて間もなく、ティーセットを運んできたヘザーさんが、それぞれに冷たい飲み物を配ってくれる。
「どうぞ……」
「ありがとうございます」
「いただきます!」
「ふふ……あなたのところからいただいた薔薇だけど……とても気に入っているの」
「良い香りですよね。あれ、でも何か甘い……?」
「ハーブ漬けシロップにしてみたから……この時期は町中で花を使うことが多いわ……」
曰く、毎年行われる開花祭で使用した花をただ廃棄してしまうのはもったいないということで、お菓子やドライフラワーなんかに有効活用されるそう。ヘザーさんは、先日私がミネフに提供したものの一部を早速応用してくれたようだ。
ソーダで割ればすっきりした飲み口になりそうだし、アイスクリームやヨーグルトにも合いそうなシロップ。果汁と混ぜたりお酒にしても面白いかも。まだまだ知らないことばかりで勉強になる。
「失礼。あれは魔石でしょうか」
ウルドさんの目線の先、カウンターには仄かな光を放つ様々な形状の石がたくさんあった。どれも常よりずっとちっぽけで、断面が露になっているものもあるが、そこを活かして台座にしたり紋様を彫り込んだりと巧みに作り替えられている。
それらをサッとヘザーさんが集め、私達の近くに持ってきてくれた。
「ええ、そうよ……割れた魔石を細工しているの……開花祭に出品しようと思って」
「ホワア……綺麗ですねえ……!」
トレイの上で色とりどりの粒が煌めく。赤や青、琥珀に白──かつて宿っていた属性ごとの魔力を補充しつつ使い続けると、いずれ魔石はこうして砕け散るのだ。ヘザーさんは使い道がなくなったこれらを加工し、アクセサリーとして販売しているとのこと。
ウルドさんは余程気に入ったのか、お茶を飲むのも忘れて熱心に見入っている。
「このようなものは見たことがありません。素晴らしい技術です」
「ウルドアニスさんは巨人族の方で、ミネフにいらしたのも最近でして」
「まあ、そうなの……ありがとう、嬉しいわ……よかったら好きなものを持っていって」
「え」
驚愕に見開かれた双眸がぎょっとヘザーさんを仰ぐ。
「いえ、それは……私には支払える対価がなく」
「いいのよ……試作品だから」
「ですが」
「あなたのご主人様にはいつもお世話になっているもの……アオイちゃんもよかったらどうぞ……」
「私もいいんですか!? やったー! ありがとうございます!」
「ね……どうしてもと言うなら……お揃いで宣伝してきてくれたら嬉しいわ……」
「お揃いですって! そうしましょう、ウルドさん!」
「……おそろい」
ぱち、ぱち、と緩慢な瞬き。まるで初めて耳にしたかのように同じ言葉を繰り返したウルドさんは、そろそろと私の方を窺う。
「マスター、こちら、魔石の代わりに……」
「はい! 私はウルドさんの選んだものをいただくので、私が選んだのはウルドさんが持っててください。契約ですからね!」
「マスター!!」
打って変わってはしゃぎ出した彼女が早速トレイに齧りつく。それを眺めていたヘザーさんと私は顔を見合わせて噴き出した。普段はキリッとしているのに甘え上手で、たまに末っ子感を出してくるのが憎めない。こういうところも巨人族は慈しんでいたのだろう。
その一族のお姫様に白いピアスが飾られることになるのは、数秒後の輝かしい未来の話である。




