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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
72/80

第71話 町依頼:裏山の調査を開始せよ!──浄化──

「始まりは覚えておらぬ。唐突に我の中に何かが現れ、たちまちのうちに瘴気の根を張り始めた」


 魚と二人、闇色の丘を登る。

 一歩踏み出すごとに、一度こびりついたら拭えないような、濃くて重い瘴気の気配が強くなる。気休め程度に魔力の膜を重ね掛けすると、気づいた魚が尾鰭を振った。


「我はそれがこの世のものではないと理解した。理屈はない。だが、瘴気を生み出しているのはそのせいなのだろうと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という直感のようなものがあった。おまけに無駄に頑丈でな」


 私は(もや)男を思い出した。彼もまた左半身を瘴気に覆われており、それによって守られていると口にした。そして自身のことを『異物』とも。魚の話を合わせると、男や特異物は瘴気を纏うことでこの世界に存在できているということになる。

 瘴気は異物であると同時に、橋渡しのような役目を持っている。つまり(靄男のような)良からぬものをどこかから──例えば別の世界からでも運んでくる可能性があるということだ。悪影響を及ぼすものが瘴気があると存在できてしまう、裏を返せば瘴気あるところに悪あり。瘴気単体への対処だけでも大変だというのに、それはひどく恐ろしく、とても他人事とは思えない想像だった。


「故に今日まで我が権能『遅延』の発動を続けた。まあ、結果は不甲斐ないものだが。特異物め、我の魔力まで喰らいおって」

「でも、あなたのおかげで生き延びられた人もたくさんいたと思います」


 本来なら半年前、この地方は瘴気に呑まれてもおかしくなかった。レモラとウルドアニスさん達がいなければ、ミネフもリンテスもパラルフェルもとっくに壊滅していたかもしれないほどに。


「おかげで間に合いました。ありがとうございます、王様」

「ふ、王たる我には当然のこと。だがよい、純粋な労いは疲れた身体に染み渡る水である。特に我には……あまり余力というものがない」


 丘の上で、どちらからともなく歩みを止める。目の前には轟々と渦巻く瘴気の嵐。命まで刈り取りそうな黒い暴風。


「この姿では露払い程度にしかならぬ。任せてよいか、祓い人」

「はい!」


 選択肢なんて最初からない。私はユニコーンの角を握り締め、瘴気の渦に足を踏み入れた。



       ◆ ◆ ◆



「んぶっ!」


 入るなり、ぶわりと視界を埋め尽くした黒い靄。虫にたかられているみたいで鳥肌が立つ。レモラの眷属に擬態された時のトラウマもあり、死んでも開けるものかと歯を食い縛った。

 前方に掌を突き出し、魔力を放出する。いくら祓っても、追い縋るように全身にのしかかってくる重み。大丈夫。大丈夫だ。耐性薬も魔力の膜も機能している。焦るな。急ぐな。惑わされるくらいなら目を塞げ。

 ふうふうと鼻だけで呼吸しつつ、より瘴気が密集している方角を目指す。どこを見てもほとんど黒一色だが、時折隙間からかすかな淡黄色がちらつくのだ。


「はあ……はあ……花……?」


 やっとの思いで渦の中心に辿り着くと、瘴気が何層にも取り巻く中、蓮の花に似た物体がぽつんと浮かんでいた。大型で、通常よりも多くの花弁が重なり合うそれは、咲いた暁には非常に見応えがあることだろう。しかし今は色味も薄れ、花自体も閉じかけている。枯れる一歩手前、生気を失いかけているといったところだろうか。

 これが特異物、即ち瘴気の発生装置。もっと禍々しい何かが待ち受けていると思っていたから、正直拍子抜けしてしまった。それでも油断は禁物だ。この世界に存在せず、瘴気と共に渡ってきたものだとしたら、とんでもない力を秘めている危険性がある。


「…………よし」


 魔力を右掌に凝縮すると、角が呼応して熱くなった。指の間から漏れる光がジリジリと瘴気を焼いていく。そのまま特異物に近づけていくと、花がまるで生き物のようにぎゅうっと蕾んだ。

 身を守るようなその動きは、私が魔力を振り絞る度に加速する。怖がっているのだろうか。経路が擦り切れそうなほど沸騰した脳味噌で、なぜか漠然とそう感じた。

 直後。


「───ァ───」


 ビクッ、と全身が痙攣した。あの声。まさかこんなところまで追ってきたのか。

 骨の軋む音が蘇り、どっと脂汗が流れる。みるみる体温が下がっていくのを止められない。()()は瘴気とは別種の恐怖だ。ともすれば魂にまで刻まれたような戦慄を、私はきっと忘れることはないだろう。


「──ゴ──ゲヅ──」


 嫌だ。来るな。嫌だ。嫌だ。嫌だ。


「──ゴン、ゲヅウゥ────ギャッ!」


 唐突に、罠に引っかかった動物みたいに哀れな悲鳴がした。驚いて振り向けば、あれだけあった瘴気の渦がさっぱりと姿を消していて。代わりに丘の下の光る川に黒い雲が集まっている。


「む? おお、貴様ら敵同士か? よいぞ、やれやれ!」


 その周囲をセコンドのように魚が泳ぎ回る。娯楽に飢えた野次馬感に毒気を抜かれ、ほ、と強張りが解けた。もしかして、また助けてくれたのだろうか。瘴気は本当に私を──いや、迷うことは何もない。瘴気は敵だ。レモラ達の生命を脅かしたのは誰なのか考えろ。浄化師の端くれたる私が穢れを看過することなどあってはならないのだ。

 ともかく今だ。今度こそ体内のありったけの魔力をかき集め、特異物に注ぎ込む。手が溶けようが、経路が千切れようが、この瞬間を絶対に無駄にしない。奇跡を手繰り寄せる実力もない私に訪れた千載一遇のチャンス。どこかで神様が見守ってくれているのかもしれなかった。


「はああっ────!」


 ウォン、と魔力貯蔵器官の全てが唸りを上げる。極限の集中で置き去りにされる、あらゆる音と景色。己の息遣いすら彼方に追いやった、世界に自分だけしかいないような感覚。この時初めて、私は魔力を使うということの真髄を知った。

 そんな中、不意に降臨した一筋の魔力を孕んだ風。ふわり、ふわり、と次々に舞い降りてきた清廉な息吹が、後押しするように私の右手に吸い込まれていく。


「……ありがとう、先輩」


 二つの魔力と破邪の聖具が弾ける。夜の帳を切り裂き、眩い光の雨が流れ星のように降り注いだ。



       ◆ ◆ ◆



「っぶはあッッッ!!」

「アオ!」

「戻ってきたのね!」


 どっと流れ込んできた空気に噎せる。どうやら私は仰向けに寝かされているようで、紅く染まり始めている空を背景に、ユーンくんとサディアさんから食い入るように覗き込まれていた。


「ぁ、サディアさんありがゲポォッ」

「きゃっ! どっ、どうしたの、具合が悪いの!?」

「魔力の使い過ぎだ。今までの比じゃない、それだけ大掛かりな浄化だったんだな」


 「悪いが横向きにしてやってくれ」というユーンくんの指示が聞こえ、慎重に体勢を変えられる。ああ、地面のひんやりした温度が心地いい。頭は絶えずハンマーで殴られているようだし、もはや指一本動かせる気がしないが、生きている。生きて帰ってこられている。ツンとした吐瀉物の臭いにさえ生を見出すくらい、私は充足感に包まれていた。


「……おうさま、は……?」

「いるぞ」


 どこからともなく現れた半透明の魚が、心なしか弾んだようにふるりと尾鰭を揺らす。


「我の中から完全に瘴気が消えた。そなたはやり遂げたのだ。証はそこに」

「え……? うわっ!?」

「落ち着くがよい。既に反応は消えている。今は置物と同じだ」


 いつの間にか、私の右手にあの花があった。つい先程までほぼ蕾の状態だったはずのそれは、鮮やかな淡黄の花色に淡紅のぼかしが映え、水をたっぷり得たように立派に咲き誇っている。


「花を模してはいるが、つくりは魔石に近い。放置しても枯れることはなかろう。なかなかに美しい故、手土産の一つとして持ち帰るがよい」

「えええええ」


 確かに邪気は感じなくなった。が、得体の知れない物体であることには変わりない。迂闊に扱ってまた瘴気を発生させてしまうかもしれないことを考えると、危ない橋は渡らないに限るだろう。


「では()()の方がよいか? 趣味の悪い剥製にしかならぬと思うが」


 解せぬとばかりに魚が示した先には、ようやく引きずり下ろせたのか、地に這いつくばった異形。ただ、その様子がおかしい。長い爪で毟るように頭を抱え、苦しそうに身を捩っている。

 私の精神がこの場に戻ってきたように、浄化によって異形もあの空間との繋がりを断たれたのだろう。それが何分無理矢理だったものだから、余波が凄まじいとみえる。


「オッ、オザ、オ、ザア、アッ!」

「またあれだ! 伏せろっ!」


 ギョロリと剥いた目玉がこちらを捉え、振り上げられた剣が鎌の如く一帯を薙ぎ払う。木々も、柱も、魔物の死骸も、何もかもが切り裂かれ、バラバラと細切れに落ちてくる。

 刹那、私に覆い被さっていたサディアさんの体温がふっとなくなった。


「キャアア!」

「サディアさん!!」


 片方の靴が私の脇を転がった。異形に捕獲された彼女がぐんぐん空に浮かんでいく。


「やめなさいメナスッ、放してっ!」

「くそっ」

「だめだ、当たる!」

「我の権能で……ぬう、小癪な!」


 ボロボロの中、それでも照準を合わせたルビオンやウルドアニスさんも、小魚ながら懸命に水魔術を射出したレモラも、飛行能力を持つ異形の前では為す術なく。遠ざかる二つの影がだんだんと小さくなっていく。

 一体何が目的なんだ。サディアさんに「長」の面影でも見出したのか。ああいや、そんなことはどうでもいい。何か、何か手立てはないものか。


「!」


 その時、離れたところにある筒状の銀色が目に入った。アッドさんからのお助け笛。私は錆びついた手足に鞭打って飛びつき、思いきり息を吸い込んで────フヒョォ、という空気の抜けた音を聞いた。


「んんんんん────!?」

「それ壊れてるぞ! サディアが何度吹いても音が出なかった!」

「うそおっ!?」


 何ということだ。もしや山頂から落ちた時に壊れてしまったのだろうか。頼みの綱が、どうしよう、誰か、誰か──。


「────相っ変わらず、雑魚に手こずってやがンなァ」


 ドッ、と突き立てられた銀の長槍。次いで着地した人物に、私は言葉を失う。


「…………う、そ」

「ハッ! 随分なご挨拶じゃねェか、お節介女。テメェがピーピーピーピーうるせェくせに」


 三角の獣耳。ピンと屹立した黒い尾。この世全てを厭うように燃え盛るファイアレッドの眼差し。

 普段あちこちを渡り歩いている傭兵が、どうしてこのタイミングでここに。二の句が継げずにいると、半獣人の女戦士──ヴェルナさんはひとしきり悪態を吐き終え、軽々と槍を構えた。


「、待っ、サディアさんに当た──」

「くっはは、オレがンなヘマするかよッ!」


 言うなり振りかぶられたそれが矢のように飛んでいく。豪速で最短距離を一直線、槍は磁石でもついているのではないかと疑うくらい正確に空を駆け抜けた。そして、察知した異形が避ける間もなくその脳天に直撃。木霊する断末魔にあんぐりと口が開く。


「お、お見事……いやいやいや! サディアさんが落ちちゃう!」

「ああん?」


 呑気に耳をかっぽじっていたヴェルナさんがひょいと片手を挙げると、あろうことか異形ごと槍が逆噴射し始めた。さながら時間を巻き戻したかのような光景に、おそらくその場にいた誰もが仰天したに違いない。


「ギャッ────アアアッ!」


 その上、何の細工か異形から穂先が外れない。あれだけの速度なら空気抵抗ですっぽ抜けてもおかしくないのに、後頭部から額を貫かれたまま、干された洗濯物みたいに風にそよいでいる。衝撃に硬直しているのか、依然としてサディアさんを掴んでいるのが不幸中の幸いか。

 そうこうしているうちに槍の持ち手が到着すると、ヴェルナさんはしっかりそこを握り、並行してサディアさんの襟首を引き寄せ、ぶら下がった異形を思いきり蹴り抜いた。弛緩した蜘蛛の風体が勢いよく槍の先端まで滑り、ズルリとくずおれる。

 その口からは、はひゅっ、はひゅっ、と(ふいご)めいた弱々しい呼気。紛れもなく致命傷だった。


「ォ……ザ……オ、ザア……」

「……メナス」


 ゆっくりと近づいたサディアさんを、真っ黒な双眸がおどおどと見上げる。それから顔を傾けて辺りを見回そうとし、気力が残っていないことに気づいたのか、諦めたように中途半端な角度のまま再び剣を持ち上げる。間髪入れずヴェルナさんが槍に手をかけたが、サディアさんは静かに首を振った。

 結局、剣が猛威を振るうことはなかった。血だまりの中で幾度も切っ先が床を擦っていたけれど、異形はついぞ起き上がること叶わず。最期に血濡れた唇から発されたのは、たった一言。


「オ、ジョウ、ザ……マ」


 そう零したきり、異形──キショウと融合したメナスは動かなくなった。


「…………」

「サディアさん……?」

「……(わたくし)って、本当にどうしようもないわよね。こういう時、何て言ったらいいのかわからなくて」


 メナスの瞼を閉じてやりながら、細い背が自嘲気味に呟く。かすかに震えている肩にやるせなさが募った。


「……最後の最後、あのヒトはサディアさんを認識していました。もしかしたら、その前から護衛として安全なところに連れていこうとしてたのかも」

「……っ」


 敬愛する長(サフィール氏)と比べるあまり、サディアさんに抱いていた仄暗い感情はあったかもしれない。けれど、瘴気に感染するまで、私は彼を完璧な護衛だと思っていた。冷徹で戦闘に長け、たった一人で特別な責務を担うスペシャリスト。骨の髄まで染みついていたそれが、キショウの呪いが浄化されたのをきっかけに想起されたとしたら。


「あんなこと、サディアさんに言うつもりじゃなかったと思います。でも、瘴気が暴いてしまった。一を十や百にして、皆を不幸にしてしまうなら……瘴気は浄化されなければならない」

「そうね……その通りだわ。浄化道具──いえ、呪具に頼るのももうやめる。メナスに顔向けできないもの」

「はい。一緒に頑張りましょう」


 伸ばされた白魚の手を握る。サディアさんは泣いていたけれど、その表情は憑き物が落ちたように晴れやかでもあった。

 これからだ。たった一日のうちに出会った多くに感謝を、そして別れの悲しみには追悼を込めて。誰かの憂いを祓う、私の──私達の浄化師としての旅は始まったばかり。

 彼方に夕陽が沈んでいく。けれども、いずれ来たる夜はもう怖くはない。黒い靄を照らす輝きの強さを、私は知っているのだから。

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