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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
71/80

第70話 町依頼:裏山の調査を開始せよ!──水王──

「ア、ヒャ、ヒャヒャヒャッ、ジュル、ジュルル」


 ぺた、ぺた、と四本の手足が柱を移動する。そのまま頂点に登った異形は、丁寧に身体を折り畳むと、長い爪についた赤い液体をこれまた長い舌で舐め取った。エルフだった頃の顔から奇妙な鳴き声が発されるその様は、何とも不気味で直視し難い。

 そんな異形目掛けて水の刃と氷の針が降る。しかしどちらも周辺の魔物を盾にあっさり回避され、その上紫の霧までお見舞いされた。吸い込んでますます暴れ狂う大群を眼下に、はためいた翼が悠々と空を舞う。


「ちょっと……避け損ねたわ……っ」


 細い身体が苦しそうに起き上がる。背中一面の切創は深く、些細な動作でも血が滴り落ちるほど。

 しかしそれを気にした風もなく、こちらを見上げた彼女は青褪めた顔をもっと悲壮にした。


「ああ……ごめんなさい、やっぱり(わたくし)、何もできないのね……こんな、こんな簡単なことも……っ!」

「サディアさん、もしかして私を……?」


 吐き捨てるサディアさんの、きつく握り締められた拳が震えていた。役目を果たせなかったことが心残りだと言わんばかりに。

 どうしてだろう。どうして彼女がここまで追い詰められなければならないのだろう。


「いえ、いいえ、私は助かりました、ありがとう。でも、二度とこんなことはしないでください。簡単でもないし、尊いことだけど、私は嬉しくない」

「ご、ごめ」

「サディアさんを犠牲にしてまで生き残りたくないんです。私、あなたと友達になりたいから」


 確かに間違いはあったかもしれない。でもサディアさんは目を覚ました。周囲に流されず、自分の信念に基づいてここにいる。正しいと思うことに力を貸してくれている。

 だったらもういいじゃないか。これ以上苦しまなくたって、許されたっていいじゃないか。


「とも、だち」

「はい。よかったらなってください、私と友達。それで、一緒に修行したり遊んだりしましょ」

「え、と……」

「落ち着いたら改めて考えてくださると嬉しいです。じゃ、治療しますね」

「ちょっ、ちょっと待って! 自分でできるわ。見た目より大した傷じゃないの」

「でも」

「あなたの魔力は全て浄化にぶつけなさい。力にはなりたいけれど、エルフの誇りに懸けて足を引っ張るのはごめんよ。それが私にとっての、と……友達、ですから」

「サディアさん……!」

「こ、こっち見ないでいいから、集中なさいっ。……正直、かなりまずい状況でしてよ」


 大きな瞳がキッと上空を睨む。我々を嘲るように飛び回る影は、蜘蛛でありフクロウでありヒトの名残もあり、一方でそのどれでもないような名伏し難い生物。魔物の範囲を逸脱したイレギュラー。大地に縫い留めようとすれば飛翔し、撃ち落とそうとすれば魔物の群れに阻まれる。ルビオンもウルドアニスさんもあんなものは初めて見るらしく、霧さながらに煙に巻かれ、苦戦していた。


「あの、見間違いじゃなければあれ、護衛の方にそっくりですが」

「ええ、紛れもなくメナスよ。翼はキショウね。どちらがどちらを取り込んだのかはわからないけれど……キショウとメナスは完全に融合している。私達を攻撃してきたのもアイツなの」


 なるほど、私はそのショックで現実に引き戻されたのか。あの靄男(愉快犯)め、もっと早く教えてくれればよかったのに。絶対ろくでもない理由で黙っていたに違いない。

 ぶちぶち管を巻きながら傷口を確かめてみると、痛みはままあるものの、我慢できないほどではなかった。薬のほとんどは底をついているから、ハンカチで応急処置でもしておけば保ちそうだ。

 そうしてポーチをまさぐった指先に冷たいものが触れる。


「……サディアさん、私、もう一度浄化に入ります。サディアさんはまずご自身の怪我を治してください。もしその間に危険な目に遭いそうになったら、これを」

「笛?」

「吹けば、えーと……な、何かしら効果があるはずなので!」

「えええ……どうして自信なさそうなの……」

「ワハハハじゃ、行ってきます!」


 白い空間を訪れるのは己の身一つだけ。同じ浄化能力を持つサディアさんも現れなかった。笛が何かを呼び出す合図だったとしても、どのみち私には使い様がない。


「だからあなたがここにいるのはおかしいと思うんだけど……な!」


 ひしゃげた後ろ姿に魔力をぶっ放す。振り向きもせずに弾いた片翼は橙色。靄男も瘴気もいない、果てのない白の虚無にただ一人ポツンと座り込んでいたのは、山頂でも目にしたあの異形だった。

 ぺた、と異形が向きを変えて立ち上がる。異様に伸びた指と爪。あれでは弓も剣も握れまい。彼はもうエルフでも戦士でもなく別の、おそらくキショウの在り方に近いナニカになってしまった。元々浄化能力を有していたかは定かではないが、今はレモラの体内にある獣蟲の呪いの方が濃くて強い。それが呼び水となったせいでこの精神世界に渡ってこられたのだろうか。


「……?」


 ちらりと見えた違和感を目で追う。異形の背後、空間の一部に亀裂が走り、壁が剥がれるようにめくれ上がっていた。

 あれって剥がせるんだ。衝撃に固まったのも束の間、その隙間から黒い闇が覗いていることに気づく。何だろう、出口か別の入り口か。そうだとしたら異形はどこに行こうとしていたのか。


「ンキャアッ!」

「ッ!?」


 猿みたいな甲高い声を上げ、目にも止まらぬ速さで大きな図体が飛びかかってきた。長い前腕が鞭のようにしなる。咄嗟に結界を張ったが、僅かに嫌な予感がした。


「、っぶな……!」


 衝動的に頭を伏せると、耳の上を鋭い風切り音が駆け抜けていった。続く第二撃が床にめり込み、勢いよく切れ込みが入る。異形は三撃目を振りかぶろうとしたが、遠心力のせいか節が変な方向に外れ、手首に埋め込まれていた棒状の何かをふらふら彷徨わせてから近場に突き刺した。

 剣だ。見覚えがある、エルフの戦士が()いていたものに違いない。ただし今は全体に紫の粒子を纏い、良くない雰囲気を発している。

 不意にピンときた。あの紫が呪いの霧と同じものだとしたら。瘴気が存在できるこの空間は、瘴気に似たものもしくは瘴気そのものでできているとしたら。つまり、呪い──異形は瘴気とぶつかり合うが故に空間に穴を開けることができた可能性がある。

 しかも異形はその穴を広げようとしていた。目的は不明だが、このまま好き勝手のさばらせるのは危険だ。


「キッヒ、アハ、ハ、ハ、ゴン、ゲヅ、ジネエ、ゴン、ゲヅウウウウウッ」

「うっ!」


 再び振り下ろされた剣が結界を割った。その隙に素早く伸びてきた別の手が私の腕を掴み、乱暴に引き倒す。直後、ゴンッ、と鈍い音がして視界がぶれ、弾みで落ちたユニコーンの角が遠くに転がっていった。

 ごおお、という耳鳴り。視覚のピントも合わない。だが皮肉にも、呪いの詰まった異形の皮膚による爛れるような疼痛が意識を保ってくれる。


「ヒヒ、ヒヒヒッ」


 首と顔に手がかかり、それぞれ固定されたところがミシミシ軋んでいく。逆方向同士に引っ張って頭を引っこ抜くつもりなのだと直感した。最悪だ、変化して酷薄さが吹っ切れている。

 掌に覆われているせいで満足に呼吸もできず、だんだんと景色がぼやけてくる。負けじと振り上げた足は異形の腕に当たったけれど、びくともしなかった。それでも何度も蹴り、何度も引っ掻いた。五感が麻痺していく中、それしかできなかった。

 そのうち前触れなくブチン、と。軽くて残酷なギロチンがやって来ると思われた、瞬間。


「……、…………?」


 止まっている。遠慮なく込められる力も、私の首元から聞こえる音も、全部の動きが止まっている。異形自身も理解が追いついていないのか、ぼけっと口を開けて目を白黒させていた。黒く濁った双眸のまごつきもまたひどく鈍く、コマ送りのようにぎこちない。

 まるで時間の流れがスローモーションになったみたいだ。これ幸いと、押さえつけられていた異形の指の間から何とか顔を出す。すると、目の前に一匹の半透明の魚が過ぎって、吸い込んでいた酸素を軒並み吹き出してしまった。


「生きておるか」

「ぶふっ、げっほげほ、ごほっ、はい……?」

「よい、では今のうちだ。急げ」

「え、ええ……?」


 魚が喋った。いや、この世界では珍しいことではないのかもしれないけれど。おまけにこのフォルム、どこかで見たような。

 状況が掴めないでいると、魚はくるりと踵を返して泳いでいってしまったので、急いで化け物の檻から抜け出す。角を拾い、振り返ってみても、異形はその恰好のままだった。


「こっちだ、こっち。あまり時間がない故、とにかく急ぐぞ。我の権能もいつまで効くかわからぬ」

「先に浄化は、」

「あの紛いものは放っておくがよい。本命は別だ」


 案内されたのは、異形がめくっていた亀裂のある場所だった。そしてやはり向こう側は真っ暗。だというのに、魚は何の躊躇もなくスイとそこに滑り込んだ。

 ──ええい、ままよ。棺桶に片足を突っ込むよりまずいことにはなるまい。心の中で十字を切りつつ、持ち上げた片足をそっと暗闇に下ろしたところ、魚が短く唸った。


「浮けぬのか? では道を作ってやる」

「あ、りがとうございます。お手数おかけします」


 びっくりして声が上擦ってしまった。当然のように歩けると思い込んでいたが、ここには道自体がないらしい。

 亀裂に足をかけたままの私を尻目に、魚は尾鰭を二度振り、ぴゅうっと水を吐き出した。噴水のようなそれが闇に曲線を描くや否や、その跡を川が流れるように光る水が伸びていく。平地から、やがて緩やかに坂を登っていき、どこまでも奥深く。


「この上を歩くがよい。まかり間違っても踏み外すでないぞ。今の我では助けられん」

「は、はい!」


 おっかなびっくり爪先を川に浸けると、水特有の流動性はあっても、濡れた心地はしなかった。ぱしゃ、と跳ねる飛沫が綺麗だ。柔らかい光が照らすファンタジックな光景に、恐ろしい制約があることすら忘れそうになる。

 ここはどういうところなのだろう。白い空間から出る想像なんてしたこともないし、ましてや本当に出られるとは思わなかった。とはいっても辺りは黒一色なので、早々に鬱屈として視線を戻せば、魚が文字通り鼻の先に浮かんでいて。思わず「オッ……」とよろけ、内心ヒヤリとする。


「此度はよくぞ我が魔石の片割れを用いた。全快とはいかぬが、こうして永らえた。礼を言う」

「恐縮です。やっぱり、あなたがレモラなんですね」

「今はこんな姿(なり)だがな」


 権能という言葉に尊大な物言い、さらに眷属と同様の形態。弱っているためか、鮫でありながらクジラでもあるようなあの巨躯は見る影もないが、山を統べてきた王の慈悲を私にも与えてくれた。正真正銘、本物のレモラだ。


「水を通して視ていた。そなたが瘴気の祓い人だな。巨人族には長きにわたって要らぬ苦労をかけた故、心苦しくあったが……実に見事であった。後程褒美を取らせる」

「あ、ありがとうございます、光栄です。ただ、まだあなたの瘴気が──」

「然り。我に巣食う瘴気の源は根絶されておらぬ。あれがある限り、災いは何度でも繰り返されよう」

「源……」

「あれを見よ」


 つられて丘の上を仰ぐ。光る川の先には、落雷でも発生しそうなほど黒々と膨れ上がった瘴気の渦。その中心に祀られるように、半端に近づいた者を怯ませるような、物々しいオーラを放つ何かがあった。


「取り込んだ瘴気がひと塊となったものではない。()()自体から瘴気を発している異物の中の異物──特異物だ」

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