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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
70/80

第69話 町依頼:裏山の調査を開始せよ!──虚構──

 水中を自在に駆けるルビオンに乗り、太い水柱の中を昇っていく。

 レモラの魔石は私達の頭上で太陽のように輝いている。幾重にも屈折し、降り注ぐ青い光がとても神秘的だ。もっとも、綺麗なだけなら到底魔石とは呼べないのだけれど。


「頭下げてなさい!」

「はいっ!」


 突っ込んでくる半透明の魚が魔力弾によって霧散する。その後ろから躍り出た異様に長い髭を持つ別の魚には、鋭い冷気がお見舞いされた。たちまち凍りついた魚群が重力に従って墜落していく。

 レモラの自動防衛装置ともいうべき眷属は留まるところを知らず、矢継ぎ早に襲いかかってくる。迎撃しているのはサディアさんとウルドアニスさんだ。ケルピー種の粘着質な皮膚の特性を早々に理解した彼女達は、両足だけで己を支え、上下左右に大立ち回り。一方の私は、()()()のために身体に負担を強いることを許されず、二人の間で情けなく縮こまるばかり。

 それでももうすぐ出口だ。正真正銘最後の正念場、ここ一番の大勝負。温存させてもらった分、必ず成し遂げる。


「出るぞ!」


 ぐんッ、と加速したルビオンが一気に飛び出す。青いベールに覆われていた視界が開け、途端に重くなる負荷、冷ややかな外気、そして──。


「……ぁ」


 それ以上は言葉にならなかった。

 見下ろした山頂は凄まじい有様だった。夥しい量の魔物の骸が積み重なり、王の座を守護する四方の柱は砕け、湖には血と泥と瘴気が揺蕩っている。紛れもない戦場だ。瘴気に侵され、生命を奪い合った成れの果てが広がっていた。

 湖面に着地したルビオンが滑るように岸に着くなり、私達は無言で散開した。


「ユーンくん……フォルクさん、フィオラさん……!」

「イミ! カハグ! スィアギ!」


 充満する鉄錆の臭いに噎せながら、屍の山の隙間を縫う。辺りは不気味なほど静まり返っていた。いくら呼びかけても景色に吸い込まれていくばかりで、焦りの極致に達しかけた時、不意にルビオンが蹄を鳴らす。


「おい、この下だ。声がする」

「!」


 ──嘘だ。

 彼の指す崖下を覗き込んだ私は、衝撃のあまり腰を抜かしそうになった。血濡れのレモラに覆い被さる三つの巨躯、その脇に転がる揃いのミルクティーベージュ。全員がぴくりとも動かず、半開きの口元に最悪の結末が過ぎった。


「……、…………」

「っあ、い、今何かっ、そ、そっち、行きますっ」

「バカ、アンタじゃ落ちる!」


 かすかに届いた一縷の望みを逃がすまいと、崩れた瓦礫に足をかけた途端、ぐいっと襟元を咥えられた。そのままルビオンの背に放り投げられ、皮膚同士が磁石のようにくっつく。その際、いつもはひんやりした体躯が妙に温かく感じて、自分が随分冷え切っていることに気づかされた。まるで雪山に独り取り残されたような心許なさだ。

 つい(たてがみ)に縋った私を咎めることはせず、ルビオンは危なげなく足場を渡っていく。辿ってみると大分頂上から(くだ)ったところだ。激しい戦闘の痕跡はここにもあり、私が内部にいる間、彼らがどれほどの困難に直面したかは想像に難くなかった。


「……ォ、アオ……!」

「ユーンくんっ!?」


 レモラの真下の僅かな隙間にいた彼を震える両手で掬う。離れたのはたった数時間だろうに、安堵と懐かしさで涙が出そうだった。


「無事、か……?」

「うん……! 大丈夫、私は元気。ユーンくんは……ずっと、守ってくれてたんだね……」

「君が……来るって、わかってたから……な」


 そこでようやく気を抜くことができたのか、この場に満ちていたユーンくんの魔力が溶けた。しかし、レモラを始めとする皆の脈は尽きていない。彼がたくさんの傷を負いながらも、結界と回復を持続させてくれていたおかげだ。ククサにすっぽり入ってしまう、こんな小さな身体で。


「ケルピー、も……やっぱり戻った、のか」

「ふん」

「は、は……そうすると思ったぜ……文句言いつつアオの料理はきっちり完食するわ、どこに行くにもついてくるわ、おまけに事あるごとに名前のメモを眺めてたりしたもんなあ。終いには仮契約を打ち切られてあの顔……いやあ傑作だった」

「ちょっと待って。だからユーンくん、あんな回りくどい言い方してたの?」

「『君とケルピーの問題』だからな。俺が教えてやるのは簡単だが、どうせ君は『ケルピーの言動は仮契約のせいだ』って信じなかったろう? 嫌われてると思い込んでるうちは、本人以外がどうこう言っても意味がないと思ってな」

「そ……れは……そう、かも……?」

「だからあえて言わなかった。そうしたら案の定契約(これ)だ。自分からアオのところに帰ってきたんだな、偉いぞケルピー。あ、もしかしてもうアオがつけた方の名前か?」

「…………うっっっざ、マジで気絶させてやろうか」


 瞳孔をかっ開くルビオンも何のその、ユーンくんの眼差しは全てを見通す神様のような慈愛に満ちている。嗚呼、仙人モード。残念ながらこの状態の彼には従わざるを得ず、それは魔物にしては年若いルビオンもまた然り。反論しても軽くいなされるのがオチのため、毒づくに留めたのは賢明だった。

 それにしても背景でそんなことがあったとは。改めて本契約してくれたくらいだから、現在進行形で嫌われていないのは確かだろうけれど、実はけっこう前からそうだったのかもしれない。そう考えると全身がすごくムズムズした。


「お、照れ隠しにもキレがあるじゃないか。契約すると力が湧いてくるだろ、ゲホゲホッ」

「ユーンくん、お願い、休んでて」

「ハア……浄化を、見届けたら……存分に休ませてもらうさ……」


 忙しなく息をしながら、ユーンくんは目の前に横たわる巨大な魚を指差す。


「いいか、アオ。レモラはもう自力で起き上がれない。瘴気と獣蟲の呪いで散々暴れて……生きてるのが不思議なくらいの瀬戸際だ。じきに俺の魔力も抜けちまうだろう。そうしたら今度こそ……」


 こんな時でもお守の顔をしている相棒に、どうしようもなく申し訳ない気持ちになった。ユーンくんにとっての私は未だ目の離せないひよっこ見習い。それも、この場を預けて休むのもままならないくらい。


「大丈夫だよ、ユーンくん。ちゃんと対策してきたから。私の浄化、見てて」


 でも、覚悟だけは決めてきたから。肉体は魔術でいくらでも治る。ユニコーンの角もある。精神さえ折らなければ、私はきっとやれる。


「……チッ、また来やがった」

「レモラの魔石に惹かれたか」


 いつの間にか、魔物の群れが再び集まり始めていた。ルビオンと、追いついたウルドアニスさんがそれぞれ戦闘の構えを取る。頼もしいな、と緊張が解れかけたその時、華奢な力が私の服の裾を引いた。


「……(わたくし)も一緒に浄化するわ。あなたに比べたら全然足りないけれど……こうなったのは私のせいだから」

「サディアさん……ありがとうございます。じゃあ始めましょう、せーのっ!」


 湖から引き上げられた魔石が持ち主に融合した瞬間、眩い光が世界を包み込んだ。



       ◆ ◆ ◆



「三回目。こりゃ今日が命日か?」

「……失礼な」


 まっさらな空間に口笛が木霊する。半身を黒い(もや)に覆われた男の唇が、いつも通り弧を描いている。その背後でざわりと瘴気が蠢いた。

 一緒に浄化を始めたはずのサディアさんはいなかった。締め出されてしまったのか、それとも最初から来ていないのか。あるいはここは私専用で、彼女には彼女の場所が用意されているのだろうか。

 頭の片隅に浮かんだ疑問は、男のからころとした笑い声に掻き消された。


「けど本当にそうなるかもなあ。お前に一度触れたって喜んでたぜ、瘴気(コイツ)。そのせいで張り切っちゃってまあ」

「触れた……あのギラギラの広間のことですか」

「ギラギラ? んはは、何か()たのか?」

「お城みたいなところが見えました。戦士の格好をした人達がいっぱいいて、ご馳走があって……あなたも、その靄がありませんでした。それからあなたが杯を投げて、当たった人に新入りを揉んでやれって」

「んん? アー、そりゃオレの屋敷だな。はーん、なるほど……」


 靄男は顎を擦り、にやけた顔で私を見た。こういう含んだ態度や言い回しがじれったい。私の出方を窺っているのだろうが、余興や暇潰しとして消費されているのがまざまざとわかって嫌になる。


「あれがあなたの言う失くなった私の記憶……ではないんですよね」

「ああ、違う。お前のそれはまた別だ。なんだ、知りたくなったか?」

「いいえ全く」


 予想通りではありつつも、内心密かにほっとした。剣など持った覚えはないし、いくら相手がその気とはいえ、見ず知らずの人といきなり戦うことなんてできない。私の知らない私が物騒な人間じゃなくてよかった。

 ともかく、これで粗方の消化不良は解消できた。そもそも最初から白昼夢だと決めつけても問題なかったものだ。私の目的は浄化のみ。記憶があろうとなかろうと、浄化師の仕事には何ら支障はない。

 だというのに、わざとらしく作られた殊更に憐れんだ表情に意識が吸い寄せられてしまう。


「なあ、そう早いうちから切って捨てるなよ。このままお前だけが知らないでいいのか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……は」


 こうやって、急に爆弾を投下してくるところはもっと嫌だ。急ぎたいこちらに水を差す絶妙なタイミング、しかも聞き逃せない話題。反射的に喰いつかずにいられない。


「町の奴ら、って……」

「おいおい、まさかおかしいと思わなかったのか? 赴任して一ヶ月、何なら初日からやけにお前に親切だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「何を、」

「お前を見る目に熱を込め、お前だけを『アオイ様』と慕い、お前が少しでも身を引こうものなら寄ってたかって引き留める。狼の獣人どもなんざ尻尾振ってニオイつけて、会う度腹を出す犬みたいじゃないか。ああ、犬ならもう一匹いたな。まさか自分から巣を分け与えるとは思わなかったが。気をつけろよ、ちゃんと躾しないと畜生は言うこと聞かなくなるぜ」


 どこかで警報が鳴り響いている。耳を塞げ、と誰かが叫んでいる。逃げ出したいのに足の裏が貼りついて動かない。


「わ……私は、緊張してた時、親切にしてもらえて嬉しかった。実際、助けられてばっかりで……そんな迷惑みたいな言い方──」

「そうか? オレは理解に苦しむけどな。会って間もない奴がニコニコ近づいてくるのには、昔から何かしらの理由があるもんだ。頼みがあるか、……だまくらかそうとしているか」


 心臓が早鐘を打ち始める。これは夢だ。そう、生身で訪れることが叶わない幻のような次元。瘴気が男をポカポカ叩いているのも目の錯覚だろう。


「あの町の人間は誰もが恐ろしいほどお前を大切にしている。お前は真綿で首を締められ続けて、そのうち抜け出そうとする気も起こらなくなるかもな。いつかその裏にあるものに気づいて、取り返しがつかなくなっても」

「…………『余興』には付き合いませんよ。胡散臭いあなたに何をどう言われたって、私はミネフの人達を信じてる」

「ひでえの。ま、それならそれで構わないぜ。オレにとっちゃ、わざわざ事実に即した作り話をする利点はないけどな」

「……ッ」

「気になるなら確かめてみるのも一興ってことだ。町の奴らがオカシイのか、それともお前の認識がオカシイのか。今自分に起こっているのが一体どちらなのか、な」

「っもう黙って!」


 魔力を展開し、ユニコーンの角を突きつけた。また空間ごと消し飛ばしてやる。なのに、靄男の薄笑いは消えるどころかいっそう深まって、それがありえないはずの真実味を裏付けている気がして。呑まれそうな雰囲気に唇を噛んだ。

 あの人達が騙すなんてそんなはずはない。万が一、仮にそうだとしても何のために、何の目的がある。ひょっとして、彼らか私のどちらかが誰かに操られてるということなのでは。ああ、そうだ。そうかもしれない。いや、きっとそうに決まっている──あの人達の意思じゃないに決まっている。

 汗がじわりとこめかみを伝う。一瞬たりとも揺らがない三日月型の微笑に、初めて彼のことを怖いと思った。


「手、震えてるぜ?」


 聞くな。集中しろ。魔力の乱れを引き起こすな。私は話をしに来たわけじゃない、瘴気と──そういえば、呪いの霧は?

 周りを見渡せど、かの紫はどこにもいない。訝る私に、靄男は長い人差し指でとある一点を示した。


「ああ、アレは張り切ったコイツが追い払っちまってな。まあでも、しつこいからまた来るさ」


 ほら。促されるままに背後を振り返ったのと、肩に灼熱が走ったのは同時だった。



       ◆ ◆ ◆



「い゛っ……!」


 どうと倒れ込んだ先で強かに顔面をぶつけた。痛い。鼻ではなく右肩が。空気に触れるとそれだけで飛び上がりそうなほどの激痛だ。おそるおそる手をやれば、ぬるりとした液体が滴る。

 奥歯を噛み締め、もたれかかっていたレモラから身を起こす。なぜか私は山頂に戻っていた。浄化は終わっていないのに、何がどうなっているのだろう。

 ずり、と膝が地面を擦る。とにかくもう一度行かなくちゃ、あの空間に。そうやって立ち上がろうと地面についた私の指に、柔らかい糸のようなものが絡んだ。


「…………、さでぃあ、さん?」

「ぅ……」


 艶の失われた金の髪が無残に散らばっている。枯れた花のようにバラバラと。その所有者である彼女の、うつ伏せになった背中に刻まれた袈裟斬りを目にした刹那、私は奇妙な呻き声を上げていた。


「サディ、どっ、なん、」

「キヒャァァア、ア、ァア」


 ──雄叫び。閑散とした地に轟いた、身の毛のよだつそれに鼓膜が痙攣する。魔物にしては発音がはっきりしている、さながら文字のような発声。

 加えて視線の圧が刺さる。()()()()()()()()()()()


「なに、あれ……」


 欠けた柱の側面に、一匹の異形が逆さまに張りついていた。歪に曲がった蜘蛛のような四つ足、肩甲骨のあたりから伸びる橙の両翼、そして中心に据えられたヒトの頭。


「やめなさい、メナスッ!!」


 悲痛な制止を面白がるように異形の口が裂ける。にぃい、と笑みのようなものを形作ってみせた顔は、かつて戦士と呼ばれたエルフその人だった。

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