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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
69/80

第68話 町依頼:裏山の調査を開始せよ!──契約──

 完全なる闇から一転。眼前に広がっていた光景は、にわかに信じ難いものだった。

 そこは目を見張るほど広大な宮殿の広間だった。絡み合う蛇が(かたど)られた黄金の柱、壁に並ぶ一気に数百人が出入りできそうな巨大な扉、ひしめき合う屈強な戦装束の人々。大量の肉や果物が盛られたテーブルで金の杯が飲み交わされ、すぐ傍を狼や骸骨がうろついている。

 そんな中で、私は『誰かの視点』になっていた。どこを見回しても自分の身体はなく、口を開けど声も出ず。その『誰か』の視界を共有されながら、目の前の()()()()()()()()()()を見ていた。


「お前も今日からここの一員だ。好きにくつろげよ」


 彼──いつもは白い空間で黒い(もや)を半身に纏う男がそう言った。ただし、今は瘴気など一片もくっつけてはいない。灰と濃紺の混ざり合った髪を掻き上げ、紫の双眸を愉快そうに細めている。

 相変わらず得体が知れないが、こちらを歓迎していそうな雰囲気。卓の角にふてぶてしく腰掛けている様子から、リラックスしているようでもある。しかも長椅子の上で思いきり土足。こんな傍若無人が許されるなんて、ここは彼の屋敷なのだろうか。


「さあ、まずは乾杯といこうぜ」


 そこらのテーブルからかっぱらった杯が差し出される。けれど、『誰か』は受け取ろうとしなかった。私も試しに右手を上げてみようとしたが、当然の如く動かないので、やはり意識だけの状態なのだろう。

 (元)靄男はしばらく待っていたが、こちらが微動だにしないのを見てわかりやすく肩を竦め、まるでゴミを捨てるみたいに杯を放り投げた。黄金が宙を舞い、中身の白い液体が空間を泳ぎ──それはやがて、とある男性の禿げ頭に見事に着地した。


「痛ってえな誰だコラアッ!」

「ギャハハッ」

「だっせえ!」

「いい加減、乳離れしろよなあ!」


 男性が憤慨して立ち上がると、どっと笑い声が巻き起こった。合間にゲラゲラと遠慮のない罵声も。酔っ払い特有の大声が、それも数えきれないほど大勢分あって、どうにも居心地が悪くなってくる。


「……テメェか、チビ」


 周囲のニヤニヤした視線の矛先に気づき、鼻息がかかりそうなくらいの距離に男性が立ちはだかった。目だけの私に酒気は感じ取れないが、額まで赤らんだ顔は酒だけのせいではなさそうだ。

 そこへ、呑気に杯を傾けている(元)靄男が茶々を入れる。


「そいつ新入りなんだ。揉んでやってくれよ」

「ハハッ、いいぜえ。俺ァ結構最初の頃に()()()()もんな。先輩ってやつだ」


 どういう意味だろう。それに、かなり怒っていたにも関わらず、(元)靄男の言うことは快く承諾している。ひょっとすると、この集団は彼を首領とする何かの組織なのかもしれない。

 どちらにせよ、こんな物騒な集まりは御免だ。正直帰りたい。だのに『誰か』はここに来て初めて動いた。男性から目を逸らさず、腰を落として臨戦態勢を取る。

 血痕の残るハンマーが振り上げられた瞬間──視界の端で、逆手に構えられた剣が鈍く輝いた。



       ◆ ◆ ◆



 ぐらぐらと全身が揺れている。否、揺らされている。おかげでこみ上げてくる吐き気が我慢できそうになくて、地面に膝をついた。俯いていると世界が振り子のようにゆらゆらして、自分がどういう状態なのか把握できなくなる。

 身体の中が悲鳴を上げている。高濃度の瘴気を心構えなく取り込んでしまったせいだ。魔力経路や臓器に貼りつき、浸食していく黒い靄。だめだ、怯むな、浄化しろ。そう自身を叱咤しても、私はとっくに指一本動かせなくなっていた。


「──え、──アオ──ん、──きて──」


 途切れ途切れの悲痛な叫び。女の人の声だ。つまり私はあの変な夢から覚めたのか。道理で走馬灯にしては見慣れない風景だったはずだ。


「──、────ッ」


 そのうち、彼女が何を言っているのかもわからなくなってしまった。瘴気が耳に蓋でもしているのか、水中に潜った時みたいに音が篭っている。

 不思議な気分だった。今までの感染者のように誰彼構わず傷つけたくなるとか、訳もなく悲しくなって鼓動を止めたくなるとか、そういう風に壊れていくようには感じない。ただただ、生命活動の全てがゆるやかに停止していくみたいだった。

 ともすれば穏やかな眠りにつく前のまどろみ。だんだんと景色が色を失い、このままゆっくりと命の灯が消えるのを待つのだと。

 ──そう、思っていた時だった。


「なんだよ、この体たらく。『何とか』するんじゃなかったっけ?」


 呆れ混じりに吐き捨てられた台詞。妙に覚えのあるそれがはっきり届いて、ピク、と思考が身を起こす。次いで掌に乗った固い感触に、バチッと身体中を電流が走った。


「ぁ゛っ……~~~!」


 胸の奥がボッと燃える。心臓が忙しなく動き出す。経路に電源が入れられて、魔力が隅々まで回り始める。

 あちこちの筋肉を引き攣らせながら握り締めていた拳を開けば、そこには白い欠片。仄かに発光する破邪の聖具──ユニコーンの角。


「ハッ、ハッ」

「落ち着け。まずは呼吸を整えろ。足りないなら俺の魔力をやる」

「……っ、」


 なんで、どうして、また夢を見ているの。聞きたいことはたくさんあるのに、カラカラに干上がった喉からは渇いた咳しか出てこない。

 とにかくまずはやるべきことがある。洟を啜り、涙を拭って、吸っては吐いてを繰り返し、魔力を練り上げる。そうして、我が物顔で体内に居座る靄の背後から静かに触手を伸ばした。

 浄化師が折れたら瘴気をのさばらせるだけだ。自ら檻に飛び込んできたと鼻で笑ってやるくらいでなくちゃ、この先どうやっても務まらない!


「ぐっ……あああッ!」


 魔力で以て掴み上げた瘴気を握り潰す。閉じ込めて、丸めて、逃げないように。こびりついた泥の如く、執拗にしがみついている毒を、こちらも執拗なまでにこそげ落とした。

 出て行け、出て行け、────出て行け!


「────ッ!」

「アオイさん!」

「はあ……はあ……」


 限界まで圧縮していた魔力が弾けた。瘴気の気配から解放され、余韻に震える頬をそっと包まれる。私を覗き込むその人の指先もまた、ひどく痙攣していた。


「ねえ、無事!? 無事なの!? 怪我は!? 魔力は足りていて!?」

「うるさい、耳元で騒ぐな。そもそも何でオマエがコイツといるんだよ」

「何よ、あなたに関係ないでしょう! そちらこそ、今更ノコノコ現れて一体何の用かしら!?」

「あの……ちょ、すみませ……頭に響く……」


 できるだけ身を縮め、耳鳴りのような心音が落ち着くのを待った。ずっと肌が粟立っていて、瘴気に振り回された精神が過剰なまでにささくれ立っている。今すぐ眠らせてほしいとさえ思った。

 でも、その前に確かめなければならないことが一つ。


「……どうして、ここにいるの? ()()()()


 私は鼻先に立つ人物を仰いだ。少年というには精悍で、青年にしてはあどけない、人外染みた透明感に縁取られた姿。とうに別れを告げたはずのそのヒトと、なぜ再び顔を合わせているのか。


「私、言ったよね、ここには近づかない方がいいって。アッドさんのこともそうだけど、実際この山は大変なことになってる。……角、助かったけど、まだ魔石は元通りじゃないでしょう? これ、残ってるから返す。早く離れないとまた、」

「どいつもこいつもキャンキャンキャンキャン、少しは黙ってられないのかよ」


 薄い皮膚に皺を寄せたケルピーが舌打ちをした。その仕草にカッと腹の底が熱くなる。普段なら流せたはずのそれが、どうにも引っかかって仕方なかった。


「ひ……必要だと、思ったから……声、かけた、けど。ごめん、また私、鬱陶しかった」


 泣くな。泣くんじゃない。こんなのいつものことだ。ちょっと当たり所が悪かっただけで、日常に当てはめてみれば何てことのないやり取り。彼とのコミュニケーションが上手くいかないのは通常運転だったのだから。

 そう、全部終わったこと。道案内も仮契約も、ケルピーとの間にあったことは全部。だからもう我慢する必要はない。色々と受け答えをシミュレーションして、頑張って関係を維持しようなんて、そんなのは無意味なのだ。


「サディアさん、行きましょ……」

「待て」


 不意に腕を引っ張られ、たたらを踏む。耳を摘まれた時と同じ、とことん容赦ない力に鼻の奥がツンとした。気を遣うに値しない、取るに足らない存在だと突きつけられているようで、息が苦しい。


「乱暴になさらないで!」

「黙れ。オマエは消えろ」

「やめっ」


 サディアさんを追いやろうとするくせに、私の腕は放されない。それどころかますます捻り上げられ、肩が変な音を立てて軋んだ。痛い、悔しい、どうしてこんな扱いをされなくちゃならない──私の中で私が叫ぶ。


「そん、なに」

「あ?」

「そんなに私が気に喰わないならっ……なんでここに来たの……?」


 ほろ、と温い粒が頬骨を伝った。ああ、こうなるつもりじゃなかったのに。会話でさえ意思疎通が難しかった相手に泣いてどうにかなるものか。

 わかっているのに、溜め込み続けたフラストレーションの導火線に火が点くのを止められなかった。


「う、腕痛いし、何かにつけて不機嫌そうに『うるさい』って言うし、そういうの、もう嫌だ。私、あなたが怖いよ」


 言おう。言うな。言ってやった。言ってしまった。ある種の達成感と、同じくらいの後悔が交互に襲ってくる。それでも後戻りなんてできやしないから、また例のシミュレーションを繰り返すだけだ。

 まもなくケルピーは怒り出すだろう。己に楯突く生意気な奴だと、私に牙を剥くだろう。それで敵対することになっても、もはやどうでもいい。私はもう彼の態度に屈さない。最後の最後まで抵抗してやるのだ。

 しかし、返ってきたのは驚くべき言葉だった。


「痛いの?」

「……は?」

「ならこれは。どのくらいなら痛くない」


 あっさり緩んだ拘束に拍子抜けする。我々は既に主従の契約下にない、それなのに相手の希望を伺うなんて。そもそも最初から力加減を理解していなかったような口振りですらある。

 そんなことがあるのか。内心疑問符が浮かんだが、いくら思い返しても互いの構造の違いについての共有など皆無であったことに気づく。


「あと、うるさいってのはアンタに言わないようにする。他には。何が怖い」

「いや、えっと」

「俺は人間に出くわしたら喰うだけで、会話なんてほとんどしたことがない。アンタが何を嫌がって、何を言ってほしいのかわからない」


 ちょちょぎれていた涙まで引っ込んだ。誰ですかこれ。山の斜面から転がり落ちて頭でも打ったのだろうか。


「そ、れは……一旦わかったけど、そうじゃなくて、私達はもう──」

「仮契約は終わった、だろ。なら次は決まってる」


 骨ばった拳が突き出される。怒りでも呆れでもなく、ただ真剣な表情は初めてかもしれない。そして、受け取るまで梃子(てこ)でも動かないような、決意を秘めた様相も。

 その空気に触発され、おずおずと掌を見せれば、ころ、と落とされた水の色をした石──魔石の破片。二の句が継げない私を余所に、ケルピーは「それと」と続ける。


「いつだったかマートル・ビーが寄越した。アンタが先に俺に首輪をつけたんだ」


 風にヒラリと靡いた、くたびれた羊皮紙の走り書き。さあっと血の気が引いた。ミフラが処分してくれたのだと思っていたものが、よりによって本人の手に渡っていたなんて。

 まさか、名前(これ)を額面通り受け取ったせいで。私はまた彼を縛りつけてしまったのか。


「ごめん、違う、首輪なんてそんな、か、返してっ」

「どうでもいい。誰が今更返すかよ。だからアンタも返してくるな」

「話をっ」

「魔物相手に油断するからだ。ざまあみろ」


 舌を出したケルピーが私の顔をわし掴む。一瞬肩が竦んだが、痛みはいつまでもやってこなかった。


「全部アンタのせいだ。どれだけ腹が減ろうが人間を喰う気になれないのも、今でもアンタにちょっかい出されると腹が立つのも、全部」

「ケル、」

「取れよ、俺をこんな腑抜けにした責任。……二度と勝手に手放すな」


 苦しそうな声にはどこか切実な響きがあった。それが私にはまだ計りかねる、しかし確実に彼の中に生じたであろう変化の切れ端を感じさせて。

 懐かしいムーンストーンの瞳に見つめられたが最後、せき止めたはずの私の涙腺は再び決壊した。


「わ、わたしっ、胃袋、つかんじゃった、ってことっ……?」

「イブクロを掴む……? どういうこと?」

「しっ、しっ、知らない、からねっ、私、アレコレうるさいしっ、ヒック、ウジウジしててっ、めんど、くさいこともっ、いっぱい、あるしっ、ヒッ、契約したらっ、簡単に離れられない、のにっ」

「アンタがそういうヤツなのはとっくに知ってる。望むところだ」

「お、オルゼスタ、さんでもっ、ないしっ」

「オルゼスタ? 誰それ」

「だ、誰、って! ルルフィン湖でっ、お世話になったでしょ!」

「そんなことまでいちいち覚えてんの? 暇だな……」

「ケルピーがっ、言ったんじゃんかあっ!」

「うわ、鼻から何か出てきた」

「拭ぐがら放じで!!」

「やだね」

「いじめるのやめなさい!」


 人間のくせにやる、水属性同士、アンタと契約した方がマシ。かつて、ケルピーはそんな風にオルゼスタさんを絶賛していた。その通りだと納得しつつも、彼が誰かを褒めたのはそれきりだったから、余計に針のようなものが私を突き刺して。成立しない応酬に落ち込む度、虚勢を張りながらも「オルゼスタさんだったら」と密かに羨んでいたものだ。

 その臆病な自分が昇華されたわけではない。でも、これからは違うみたいだから、もう一度信じてみてもいいだろうか。歩み寄るのが私一人じゃないのなら、綺麗で棘のある薔薇のような契約者との未来は明るいのだと。


「俺が足りないのは事実だろうけど、アンタもアンタで何でも気にし過ぎなんじゃない」

「……ずず。じゃあ、足して割ったらちょうどいいかもね」

「ふうん? 悪くないな」

「うん……悪くない」


 馬の姿に戻ったケルピーの額をそっとなぞる。朝日に輝く湖面のような虹彩には、涙混じりの、けれど晴れ晴れとした表情の私が映る。


「よろしく、『ルビオン』」



       ◆ ◆ ◆



「アオイ! 無事か!?」

「ウルドアニスさん!」


 横穴の一つから飛び出してきた影が着地する。駆け寄ってきた彼女は傷だらけではあるものの、命にかかわるような深いものはないという。

 巨人の頑丈さに感心していると、サディアさんが意を決したように彼女の前に進み出た。


「あのっ……メナス、は……?」

「……大分手荒になったが殺してはいない。瘴気が抜ければ元に戻るかもしれないからな。責任を持って後で回収することだ」

「そう……そうね……どうもありがとう。あなたの慈悲に感謝を」


 目を丸くするウルドアニスさんにさらに近づき、サディアさんは回復魔術を発動した。もうあの頃とは違う。本来はきちんと礼を尽くせる人だから、大丈夫。戸惑う彼女にそう頷いてみせれば、後頭部がコツンと鳴った。


「痛いです」

「嘘つけ、手加減してる。あれ誰」

「ほら、イミさん達のお友達のウルドアニスさん。レモラと一緒に瘴気から山を守ってくれてたんだ。さっきも私達の代わりに戦ってくれて」

「そのケルピーはアオイの仲間か?」

「はい、契約者のルビオンくんです! 水を使わせたらお手の物、なすごい子でして!」

「そうか。羨ましいことだな」

「そりゃドーモ」


 その後は現状を話し合い、結果、やはり水柱を利用して山頂を目指すことになった。ルビオンの背に乗せてもらい、彼がレモラの魔石を水魔術で押し進める間、眷属をウルドアニスさんに凍らせてもらう作戦だ。


「……ごめんなさい……」

「サディアさん……」

「、大丈夫、行きますわ」


 地に伏した穴だらけのキショウをしばらく見下ろしていた彼女が、振り切るように両頬を叩く。目論見を未然に防いだとはいえ相棒だ、少なからずショックを受けているだろう。もしもイヤリングが壊れていなかったら──今となってはどうにもできないことだけれど、どうか安らかであるよう願わずにはいられなかった。


「行くぞ」

「うん!」


 されど、私達はそれらを越えて往く。見届けるべき結末が待つ地への、最後の挑戦が待っている。

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