第66話 町依頼:裏山の調査を開始せよ!──妄執──
「ハー……ハー……」
「ゲッホゲホゲホッ、ヴォエッ」
おっと危ない、いけないものが戻ってきそうだ。細く息を整えながら潤む視野を拭う。
走って、走って、走って。がむしゃらになって辿り着いた先は、相も変わらず一面茶色の袋小路だった。まともに背筋を伸ばすことも難しいので、この先は掘るのを止めてしまったのだろう。目を覚ました広間のような場所もとっくに通り過ぎ、ここが山のどこなのか見当もつかない。
エルフの戦士の蔑みは当たらずとも遠からず。私達はまさに追い詰められたネズミだった。
「行き止まりか……ここにいてはいずれ追いつかれる、ひとまずこっちの横穴に逸れ、……ッ!」
「ウルドアニスさん!」
そこで、騙し騙し肉体を動かしていた彼女がとうとう起き上がれなくなってしまった。血が滴るほど唇を噛み締め、髪を振り乱しては胸元を引っ掻いている。喉の奥で押し殺される呻きが鈍く反響した。
先程の回復魔術で多少は押し戻したはずの瘴気と呪いがまたしても勢力を増している。制御装置の翡翠を砕かれたのもまずかっただろう。大元を断たなければ、このいたちごっこは延々と繰り返されるはずだ。──ウルドアニスさんの全てを喰い潰すまで。
「失礼します」
膝をつき、震える肩に掌を添える。すると、固く閉じられていたウルドアニスさんの目が薄く開いた。
「さっきは矢を庇ってくださってありがとうございました。申し遅れましたが、私は浄化師見習いのアオイといいます」
「ジョウ、カシ……?」
「今、あなたの中にある瘴気や呪いを祓うのが生業です。一時、今まで以上につらくなるかもしれませんが、必ず全部取り除きます。どうか私に浄化をさせていただけませんか」
私は灰色の双眸を覗き込んだ。強くないのはとっくにバレている。でも逃げるつもりがないことだけは伝わるように。
束の間、ウルドアニスさんはじっと私を見つめ、やがてゆっくりと手を伸ばした。縋るようなそれを咄嗟に受け止めれば、ふっと眉間の皺が解ける。
「……イミ、たちは……ずっとここに、いたのか……?」
「はい。あなた方が凍りついてから今日まで、瘴気に感染した魔物と戦っていらっしゃいました」
「なら……ジョウカとやらを、したのはお前……か」
「僭越ながら」
半分とはいえ巨人の握力は強い。おまけにこんな時だからこそ、加減なんてできなくても仕方がないのに。それでもウルドアニスさんは決して力を込めず、優しく握ってくれたから。
「では……う、たがう、余地は、ないな……彼らを助けたお前を、信じ、よう」
「……! ありがとうございます!」
だから、その想いに報いたいと思ったのだ。
「サディアさん、……すみません、サディアさん」
「、っ! ご、ごめ」
「いえ、怒ってませんがちょっとお願いが。私、これから浄化に入るので、もし何かあったら叩き起こしていただけますか? たぶん気絶する可能性が高いので」
俯き気味のサディアさんを窺うと、その表情はいっそう曇ってしまった。大きな瞳も不安そうに揺れている。信頼していたであろう護衛に明確な殺意を向けられた矢先、無理に集中を強いるのは酷だけれど、とにかく時間がない。山頂にはさらに瘴気を抱え込んだレモラがいるのだ。
「あなた、できるの……?」
「確かにかなり手強そうですけど、でも頑張ります。……サディアさんがキショウの呪いを取り除くのは難しい、ですよね?」
「……わ、たくしは……イヤリングが……」
「わかりました。では浄化はまとめて私が」
私は上手く笑えているだろうか。流れる脂汗を隠せているだろうか。たとえ知られていても引くことはできない。この世界で与えられた役割を放棄することは居場所を失うことと同義だ。どんなに苦しいことがあっても、胸を張ってミネフに帰りたかった。
再びウルドアニスさんに向き直る。小さく頷いた彼女の指先に触れ、私はそっと目を閉じた。
◆ ◆ ◆
「おいおい、今日二回目だぜ? 随分はっちゃけてんなあ、何かの宴か?」
「……そちらこそ」
のっぺりとしたあの白い空間に降り立った瞬間。いつもの男のいつもとは違う状況に、私は目を瞠ることとなった。
辺りには吐き気を催すような邪気が二種──瘴気の黒い靄と獣蟲の呪いである紫の霧。しかし、活発に宙を泳いでいるのは後者で、前者はそれが近づくと身を引いているようにも見えた。
なので一見強弱の関係があるのかと思いきや、何度も襲いかかる霧を男が瘴気でガードしているではないか。ただ、さしもの彼もさすがに辟易しているらしく、払い除ける度に深い嘆息が聞こえる。
「コイツしつこい、うざったい。何とかしてくれ、ひよっこ」
「っ、言われなくても!」
はっとして魔力を展開する。その気配を敏感に感じ取ったのか、まるで獲物の臭いを嗅ぎつけたみたいに霧が素早く方向転換した。
男に対し塊となって攻撃していた霧だが、今度は均一に広がりながらじりじりと迫ってくる。様子見なのだろうか。それなら今のうちだと、皮膚の上に魔力で膜を張り、頭の中で巨大な両手をイメージした。三兄妹で一番大きかったスィアギさんの手だ。
それらを霧の両端に配置し、合わせた掌で圧し潰すよう魔力を操作。邪気に接触すると爛れるような痛みがあるがお互い様だ。霧もまた、指の隙間から必死に逃げ出している。
山頂での一回はまぐれではない。私の浄化能力は呪いにも通用すると、そう確信した。ただし、掴みどころのない霧の動作に慣れないと、焼けるような熱に怯んでしまう。他に瘴気も控えているので短期決戦しかない。
だというのに、解放された男は暇そうに欠伸をしていて。ムカッときた私は霧を握り潰す。痛い。
「あなたもっ、困ってるなら!」
「んー?」
「手伝ってくれたり、とか! ありませんかねっ!?」
「あー、ないない。お前の魂持って帰ればオレもグチグチ言われなくて済むし。なあ、アイツめちゃくちゃしつこいよな? 朝から晩まで隙あらば殺そうとしてくるし、逆に何回殺ってもすーぐ復活しやがるし。せっかく肉体の縛りがなくなったんだから、少しくらい休みゃいいのにさ」
「相変わらずっ、何のことだかっ、さっぱり!」
「んはは、そりゃそうだ。記憶がねえもの」
からころ笑う男に腹を立てている余裕はなくなった。霧はどれだけ掻き消されようと、微塵も怯まずに突撃してくる。しかも総量が減った気が全くしない。
ここまで好戦的かつ無尽蔵なのは、果たして制御装置が壊れただけが理由なのか。姿の見えないキショウは今どこで、何をやっているのか。
ふと、隙間にそんなことを考えた刹那。
「!」
いつの間にか首筋を撫でていたグロテスクな息吹。毒々しい吐息が入り口を探すように耳朶をくすぐり、ぶわりと産毛が逆立つ。
反射的に魔力が高速で経路を巡るが──だめだ、出力まで間に合わない!
「っ、……え?」
思わず閉じてしまった瞼の裏、シャットダウンされた視覚の代わりに鋭敏になった感覚が悟る。鼻先にある空気の揺らぎが二つ。一つは霧、そしてもう一つは──。
おっかなびっくり目を開けた私は、信じられない光景に腰を抜かしそうになった。
「……なんで……?」
身体の中に滑り込む直前だった霧、そしてほとんど無防備に受け入れざるを得なかっただろう私の間には、あろうことか瘴気が漂っていたのである。それも伸ばされた霧の一部を雁字搦めにし、あたかもこちらを庇うようにして。
片や不浄の権化、片やそれを祓う浄化師だ。私達は相容れない者同士のはずなのに。尚もギリギリと霧の矛先を制限し続ける黒い靄に理解が追いつかない。
「言ったろ? 誰かさんの妄執だって」
芝居がかった声が紡ぐ二度目の台詞。当初はいつもの軽口だろうと聞き流した言葉が、目の前で繰り広げられる攻防のせいでにわかに現実味を帯びてくる。
「何ともまあ健気なことに、コレはいつもお前を、お前だけを視ている。それこそ世界の裏側に隠れたって追いついてみせるさ」
「私を……? どうしてそんな、」
「おっと。いくらひよっこでも何でもかんでも聞きゃいいってもんじゃない。オレは息子にだって多少は自分の頭で考えるよう教育する男だぜ。ま、身についた試しはねえけどな」
自分は全知全能かの如くペラペラ喋るくせにとか、こういう不明瞭な存在にも子供がいるのかとか、余計な雑念すら振り払えないほど混乱した。『誰かさん』とは、執着される原因とは。その答えは、この世界の前──ユーンくんにも隠している現代の記憶ではなく、男曰く『トんじまってる記憶』のどこかにあるのだろうか。
うろたえる私に、誘うようなメスが入れられる。
「知りたいなら瘴気を受け入れろ。張ってる魔力を解くだけでいい、簡単だろ?」
ただしその後の行く末はご愛嬌。艶やかにそう微笑む靄男に眩暈がいっそう酷くなった。
高濃度の瘴気に生身で触れた挙句、浄化さえしなければどうなるかなんてわかりきっている。浄化能力の幾ばくかは自動的に邪気を拒絶するけれど、それでもきっと瞬く間に飲み込まれてしまうのだ。そうして全身を瘴気に侵された結果、発狂して死に至るか彼と同じ異物となるか。どちらにせよ、この世界から弾き出されて白い空間を越えるのだろう。
その先はどうなるかわからない。そもそも男の言動が真実かどうかも、現時点で確かめる術はない。おまけにここで起こったことを誰にも打ち明けられないとくれば、一切合切を放り出すのは博打にも程があった。
ならば何を迷うことがあるだろう。一度は道を外れた私の人生、夢現でもここで生きていくと決めたのだから、それを脅かす彼らは────敵だ。
「……んっとに言いなりにならねえなあ」
靄男が呆れを滲ませるが、これ以上談笑に付き合っている暇はない。敵意を示すようにユニコーンの角を取り出すと、彼は大袈裟に肩を竦めた。
「本当に記憶ないのか? 実は覚えてるだろ、オレのこと。この美貌を忘れるなんて罪深いどころの話じゃないぜ」
「全然申し訳なくないですが全く心当たりがありません。お引き取りください」
カッと迸った白光が空間を埋め尽くしていく。「その鬱陶しいの、いくつ持ってんだよ」と口をへの字にした男には答えなかった。
◆ ◆ ◆
「……て、ねえ起きて!!」
「っはい!」
切羽詰まった目覚ましに飛び起きると、眼前には涙目のサディアさんがいた。目が合った途端、さらにぐにゃりと歪んで、眼球が水没したみたいに水っぽくなる。
すわ泣き出すかと思われた彼女はしかし、グッと唇を噛んで立ち上がった。
「私の魔力、補充したの。立てますわね?」
「えっ? あ、はい……?」
「行きますわよ、走って!」
腕を引かれるままに駆け出した直後、後方から凄まじい破砕音がした。洞窟内を一気に冷気が吹き荒れ、狂気染みた嗤い声が響く。
──来た。恐怖に振り返った視界に水色の髪が映る。
「ありがとう、アオイ。この恩は生涯忘れないと誓う」
その人は自らの足で立っていた。射抜かれた背の傷も、内なる苦悶に喘ぐ姿もない。何もかもとは無縁とばかりに逞しい出で立ちで、堂々とそこに立っていた。
元気だ。ウルドアニスさんが元気になった。呪いも瘴気も追い払えたのだ。よかった、ああ本当に、死なせずに済んでよかった。
胸がつかえて言葉にならない。そんな私に、彼女はとても格好良い笑顔を見せてくれる。
「目指すべき場所はエルフに伝えてある。後で必ず会おう」
「はい……はい! お気をつけて!」
その眼差しの強さに、私は一筋の決意を見た。枷から解き放たれたウルドアニスさんは負けない。それがどんなに恐ろしい相手でも、この玲瓏たる氷人の敵ではないのだと。
それなら私は往くだけだ。サディアさんと手を取り合い、もう一度走り出す。もはや人語かも怪しい雄叫びが轟いているが、信じて振り向かず、真っ直ぐに。
やるべきことをやり遂げる──その信念を心に灯して。




