第64.5話 町依頼:裏山の調査を開始せよ!──幕間──
「調査隊は帰ってきたか?」
その日、アックスフォードは何度目かの質問をした。一言一句同じ問いに、冒険者ギルドの受付員は苦笑いで首を振る。そうして、「一番に知らせますから」とこれまた同じ答えを返し、釈然としない様子の支部長を追い払った。
トボトボ執務室に戻ってきたとて、数秒前と変わらない顔があるだけだ。これ見よがしに深く息を吐き出したアックスフォードへ、赤毛の伊達男──レグが口の端を引き攣らせる。
「さっきから人の顔見て溜め息つくのやめない?」
「ああ、落ち着かん。仕事が全く手につかない」
「いや早くこの箱の捌いてほしいって苦情来てんの! なんでか俺に! とうとうお茶すら出してくれなくなったし」
「大所帯では余計な注意を引くし、他に志願者も見つからなかった。とはいえだ、やはりたった数人で行かせるべきではなかったか……」
「下が下なら上も上だよこれ。いやウチも似たようなもんか……最近あの二人容赦なくなってきたもんな……」
「まだ半日か。一日がこれほど長く感じるのは久しぶりだ。こんなことなら僕もついていくんだった」
「一番上がホイホイ現場出てどうすんだって。あーもー、いいからサインしてよ。片手ぐらい動かせるでしょ干物ジジイここね、ここ」
「全身の血管という血管を破裂させるぞ小僧」
「なんで悪口だけ聞こえるんだよ」
据わった目の虹彩は真っ赤だ。すごい、絶対友達に向ける眼差しじゃない。レグは謎の感心と諦念を覚え、書類を放り出してソファに沈み込んだ。もうどうにでもなれ。
「俺が血みどろで死んだら世界の損失だよ。アッド殺されるんじゃない」
「思ってもいないことをよく言う」
ぴしゃりと鼻っ面を叩かれた気分だった。片眉を上げてみせれば、アックスフォードはレグをちらとも見ずに言う。
「お前はもう、他人など懲り懲りなんだろう」
「…………」
ズズ、とさらに寝そべる。事細かに説明したことはなかったはずなのに、その実見事に言い当てられて、レグは辟易した。これだから年の功とは厄介である。あまりに永く在り過ぎて、人の心を見透かす術の一つや二つ、身につけていると嘯かれても信じてしまいそうだった。
一方のアックスフォードは一度羽ペンを掴んだが、やはり気分が乗らないらしく、同様にソファに背を預けて足を組んだ。
「にもかかわらずアオイにちょっかいをかけるとは、一体どういう了見だ?」
「……やっべ」
再び真紅に染まった眼力。ひやりと背に伝うものを感じて、レグはそろそろと身を起こす。
「いやいやいや……天下の支部長サマが盗み聞きとは、ちょっとよろしくないんじゃないかなァ?」
「では今後、妙な真似で僕の蝙蝠の気を引かないことだな」
思い出すのは、牢から解放したヴェルナの監視につけていた眷属の報告である。主が普段目をかけている者のことだからと、喜び勇んで飛びついてきた蝙蝠に耳を傾けていたアックスフォードは、話を聞くにつれて石のように固まることとなった。
──赤いオスと毛の長いメスがいた。
──メスは発情してるみたいだった。
──毛の長いメスが消えて、白いメスが来た。
──また発情してるみたいだった。
──でも、赤いオスは。
「報告を受けた身にもなれ。お前が鼻の下を伸ばすどころか、微塵もそうとは思っていないようだったと、人外ですら不思議そうだった」
その時の激しい頭痛が蘇り、アックスフォードは目尻を吊り上げた。隠されない怒りのざわめきに窓ガラスがピシリと音を立てる。
「何を企んでいる?」
「さあね」
今度のレグは言い淀むことをしなかった。それどころか酷薄な笑みまで浮かべ、一秒前に見せた焦りなど幻だったとさえ思わせる。
「仮にそうだとしてもアッドに何か関係ある? ないよね? これはギルドの仕事じゃないんだから」
「アオイはその仕事でミネフに来ている。お前と男女の駆け引きをするためではない」
「それこそ関係ないじゃん。アオイちゃんだって、仕事以外のことでアッドにどうこう言われる筋合いないでしょ。彼女が望んだとしたら──」
「わからないのか。アオイはどう贔屓目に見てもそういう方面に不慣れだ。お前がどういうつもりかは知らんが、未来ある人間の道を面白半分で惑わすなと言っている」
「……はは、面白半分? 言ってくれるね。ヒトの気持ちなんかわからないクセに」
窓のヒビはすっかりなくなっていた。今やガラスの全てが破片となり、賊にでも入られたかのように無残に散らばっている。両者はそれを意にも介さず、ゆらりと立ち昇る己の怒気を静かにぶつけ合っていた。
目に見えない応酬はやがてそれぞれの魔力をも巻き込み、止める者のいない中、みるみる膨れ上がっていき──直後、凄まじい地響きによって掻き消された。
「!」
二人は同時に魔力の出力方向を変えた。アックスフォードのマントからは眷属の蝙蝠が、レグの指輪からは鳥型の召喚獣が現れ、枠だけが残った窓から飛び出していく。
「偵察よろしくー。……にしても、今の随分デカかったね」
「ああ。ただの地震ならいいが」
ひゅう、と流れ込んでくる風がひどく冷たい。面には現れずとも、胸の内が妙に騒いでいて、アックスフォードは座り直す気になれなかった。軽い調子で召喚獣を見送ったレグもまた、じっと外を見つめている。
そこへ、どたどたと慌ただしい足音が近づいてきた。
「大変です支部長ッ! って、うわあ! 何コレなんで窓割れてるのっ!?」
「どうした」
「こっちが聞きたいんですけど!? ……じゃなくて!」
目の前の惨状を無理矢理頭の隅に追いやった受付員は、すうはあと一呼吸した。再びアックスフォードを捉えた瞳はキリリとしつつも、どこか不安そうに揺れている。
「裏山の一部が崩落しました。先程の地響きはそれによるものだそうです」
「崩落だと?」
「原因は?」
「詳細はまだですが、おそらく先日の長雨で元々地盤が緩んでいたところへ、何らかの衝撃があったものかと」
「町に被害は」
「今のところはありません。しかしこのまま崩れ続ければ、いずれ土砂が流れ込んでくるかもしれないそうです」
「……土砂、ね」
低く囁いて、レグは舞い戻ってきた召喚獣を撫でてやった。その鳥をもう一度放ち、おもむろにいくつかの指輪を外す。視線の先、蝙蝠を肩に留まらせたアックスフォードも小さく頷く。
二人は揃って窓枠へ足をかけ、受付員を振り返った。
「全員にギルドへの屋内退避を伝達、職員は誘導を、ギルド員は建物周辺の護衛を頼む」
「じゃ、いってきまーす」
「へ? どちらへ?」
「少しばかり掃除にな」
「でも、土砂はまだ……支部長っ!?」
「この部屋じゃなくて……?」という呆然とした声を尻目に、ひらりと屋根に着地する。
立ち上がったアックスフォードは、町長屋敷の後方に聳える山々を見据えた。大量の土埃を撒き上げながら岩や大木が斜面を押し流され、禿げた山肌が刻々と広がっていく。
「あれか」
「アッド」
冷めた表情のレグが顎をしゃくった先は、町の奥の北門からさほど遠くない場所だった。上空で彼の鳥が旋回しており、その真下に大量の魔物が蠢いている。
アックスフォードは身体中の血が沸騰するような感覚に陥った。馬車に乗り込む後ろ姿。「いってきます」と勇気に満ちた声。それらを無慈悲に叩き潰したような陥没跡と血生臭い群集。
瞳孔が針の如く引き絞られる。自身に眠る吸血鬼の産声を知覚した瞬間だった。
◆ ◆ ◆
山から転がり落ちてきた魔物はしばらく無様にのびていた。
というのも、最近はとにかく不調の連続だからだ。時々目の前が真っ黒になるし、住処である山の冬は明けず、少ない食糧を多種族が奪い合うせいで腹は減るばかり。同胞はその余波で喰われ、ついでに根城も木っ端微塵になった。
命からがら逃げ延びた先で人間の集団を見つけた時、魔物は世界のありとあらゆるものに感謝した。足跡にひっそりと張りつき、骨の一片すら残すものかと、何度も唾液を飲み下した。
極限まで追い詰められていたのは魔物だけではなかった。いつしか己の横に並ぶ複数の追跡者。身を寄せ合って物陰に隠れたり、巨大な人間に殴り殺された者を「焦るからだ」と一緒にせせら笑ったりした。種族の垣根を超えた不思議な絆がそこにはあった。
魔物は慎重に慎重を重ねた。山を踏破していく人間達は魔力も肉もたっぷり蓄えている。分け合ったとして尚、どれほど食い繋げるだろう。生まれて初めての特大の狩りかもしれなかった。
途中、透明な壁に阻まれたものの、魔物はやっとの思いで獲物を射程距離に収めた。たくさんの仲間と励まし合い、好みの部位の交換を約束し、ぶら下げられた幸福へと一斉に駆け出して──。
飛びかかってそれから、爆発のような轟音と衝撃以外の記憶はない。
「ゴルル……」
程なくして、魔物はジタバタもがきながら起き上がった。ここはどこだ。車輪跡のある道のど真ん中でひくひくと鼻を動かす。
「ガウッ!」
そして気づいた。己の血肉となる群れが目と鼻の先にあることを。おまけに山の集団よりずっと大量だ。たちまち弾けた本能が魔石に火を灯し、牙を埋めよと焚きつける。
喰え、喰え、喰え──頭の中の大合唱に背を押され、勢いよく地を蹴った魔物はしかし、寸でのところでべしゃりとくずおれた。
「……カフッ」
吠えたつもりが、漏れたのは貧相な咳のようなもの。魔物は目を白黒させて必死に前脚を掻く。走れ。走るのだ、己よ。ご馳走があんなにもあるというのに、何をグズグズと。
歯を食い縛れど、身体は横たわったまま、なぜか一歩も前進しない。焦る魔物に大きな影が被さる。
「キャン!」
耳に届いたのは、幼体特有の甲高い鳴き声だった。束の間、魔物の脳裏にかつての暮らしが想起される。少し前まで縄張りにいた同胞の幼子。元気で悪戯好きな可愛い子。
魔物もたいそう世話を焼いた。初めての狩りも、食糧調達の当番だった同胞の代わりに見守ったくらいだ。無邪気な子は息絶えた獲物の脚を喰い千切り、こんな風に誇らしげに咥えて──いや、待て。
「カ……ヒュッ」
それは己の脚ではないか。
「キュウン! キャン、キャン!」
血の気を失った魔物を覗き込んでいるのは一頭の犬である。一匹ではない。人間よりも大きな体躯を誇る魔物を、さらに自身の影で覆えてしまうくらいの巨大な犬である。
ふっさりしたクリーム色のダブルコートに、キラキラ輝くビー玉のような瞳。短い手足を行儀良く揃え、ご機嫌に尻尾を振っている、非常に愛くるしい小型犬の風貌だ。規格外のサイズであること、ただ一点を除けば。
「イイコだ、チャーリー。でもばっちいから捨てちゃいな」
「キャウンッ!」
いつの間にか、傍らには一人のオスが立っていた。その長い腕でわしゃわしゃ撫で回された犬は途端に興奮し、口からぼとりと魔物の後ろ脚を落とす。己のそれがあの日の獲物と重なって見えた。
ならばこの生物どもは敵であり、エサである。だというのになぜ己は臥せったままのか。なぜ身体の自由がきかぬのか。なぜここから逃げ出したくなっているのか。
ひび割れつつある魔石が魔物に追い打ちをかける。その上、背後からは『ブチャ』だとか『ビシャ』だとか、とてつもなく不吉な音まで聞こえてくる始末。
「やはりそうか」
不意に一切の雑音が消えた。すぐ傍で止まった気配に、魔物の眼が零れ落ちそうなほど見開かれる。莫大な魔力、圧倒的な存在感。山の主──否、それ以上に匹敵するかもしれない力がこんなにも近くに。
「花の影響だ。瘴気に感染している魔物は町に入りづらい」
「だからコイツも動きが鈍ったのか。さっすがアオイちゃん」
違う。このオスもだ。魔物はようやく察した。己の腹に収まるのが人間であるなら、この場に人間は一人もいない。
魔物はただひたすら息を吸って吐くだけの存在と化した。許容を超えた恐怖に縮こまっている間に、脚の断面から命がとめどなく零れていく。
「チャーリー、こら。ダーメだって。お腹壊すよ」
「キュウ」
「あー、今手持ちないや……ったく、しょうがないな。おやつ一回分だからね」
「演技派だな。今朝うちの職員から菓子をもらっていなかったか?」
「キャン!」
「はあ!? 待って、俺が最近太ったのってそのせい……? いや、でもまあ……いっか、絞れば……」
「ご主人様は甘いな、菓子だけに」
「ドヤ顔腹立つな。いいんだよ、食べてるとこカワイイから」
果たして、魔物が人語を解せないのは僥倖だったのか。己の結末が誰かに容易く決められてしまうほど微々たるものだったと、世界の広さと残酷さを知らずには済んだかもしれない。けれど、今となってはそれすらどうでもよいことだ。
間近に迫る生々しい肉色の口内からは決して逃れられないのだから。
「キャウーン♡」
魔物の意識はそこで途切れた。痛みはもう、感じなかった。
◆ ◆ ◆
「ミフラ殿ー、いかがですかー?」
コクロは樹の上から顔を覗かせた。
ミフラとヒヨドリ達が広げる布には、赤い宝石のように輝く小振りな実が積もっている。今日収穫時期を迎えた、旬真っ只中のサクランボだ。『一旦下ろすので待て』と白いミツバチが翅を震わせたので、片手を挙げて一息つく。
枝に腰掛けて足をぷらぷらさせながら、何とはなしに空を仰ぐ。万遍なく見渡したつもりが、とある山のてっぺんが視界を掠めると、コクロのアンテナはどうしてもそこに吸い寄せられてしまった。
主とその相棒が旅立ってからしばらく経つ。彼らは今頃どうしていることだろう。調査は上手くいっているだろうか。怪我などしていないだろうか。
一度考え出すとなかなか止められなくて、コクロは今朝から幾度もペンダントをなぞっている。主の前ではついぞ口にしなかったが、胸ポケットにでも入れておいてくれたら心臓を守る盾くらいにはなれるのに、と思う。もちろん彼女は悲しい顔をするだろうし、お守りをくれた優しさを無下にすることにもなるので、実際は非戦闘型の境遇に甘んじておくしかないのだけれど。
「コクちゃーん」
「、はいっ!」
半ば放心していたコクロは飛び上がり、急いで枝の先端に移動した。
下を見れば、エプロンドレスをたくし上げたエルサとマリアがニコニコ笑っている。畑の隅では、大量のニンジンの隙間からレッキスの耳がちらついていた。
「水やり終わったよー」
「エルサもサクランボいいよ!」
「ありがとうございます! では落とします故、お顔に当たらぬようお気をつけください!」
葉の手で切り離したり、飛び跳ねたりして振動を与えれば、ぽろぽろと大粒の雨が降る。少女達は歓声を上げて走り回り、その後をトアンとエカが慌ただしく追いかけた。
微笑ましく平和な光景。これを守るために、末永く続けるために、主は調査に趣いている。尊き精神、誇り高い仕事だ。そんな彼女が誰かを盾にすることなどないとわかっているからこそ、コクロは黙って帰りを待つ。
「時々ユーン殿が羨ましくなりますが……きちんと留守を守ることが、某達の役目でございますよね」
「プ!」
隣に飛んできたミフラも力強く触角を振る。それに反応した鳥の一羽にパクッと食まれたせいで彼は激昂し、コクロも思わず吹き出した刹那──。
「わああ!」
「地震!」
「二人とも立たないで!」
持ち上げた大地をぱっと手放したような、奇妙な揺れに一度だけ襲われる。だが、全身がバウンドするほどの震動だったのに、その後はびっくりするほど何もない。息を潜めて地に突っ伏していた彼らは、首を傾げて服の汚れをはらう。
「大丈夫? ケガしちゃった?」
「ううん、先生」
「エルサもだいじょうぶ」
とはいえじわじわ心細くなったのだろう、マリアは驚くほどの速さで駆け寄ってきたレッキスを抱き締めた。トアンはエカをエルサに貸してやり、二人を落ち着かせると、降りてきたコクロ達を掌で受け止める。
「きみ達も大丈夫かい?」
「は、はい。しかし、今のは一体……」
「バウッ!」
突然、エカが鋭く吠えた。エルサ達を背後に押しやり、姿勢を低くして家の裏手にある住民共有の森を睨みつける。何かを察したミフラもその隣に並び、二匹の後ろにはヒヨドリ達が整列した。
各々が何かしらに備えている中、コクロは理解が追いつかない。辺りをきょろきょろ見回してもいつもの風景があるだけだ。焦燥から緊迫した雰囲気に飲まれ、ただただ鼓動が早まっていく──鼓動?
「これは……」
首に提げられたユニコーンの角から動悸のようなものが発せられていた。角はコクロに訴えかけるように、次第に光と熱を帯びていく。
それに触れた途端、コクロの頭の中で主の声がした。彼女は言った、角は破邪の力を持つと。つまり今、近づきつつある邪悪なものに反応しているのだ。
ようやく気づいたコクロは、意を決してトアンから飛び降りた。
「……森の向こうから魔物が来ておりまする。一番近いのは東の二匹、それから北に一匹、西から新たに三匹……」
地面に手をついて意識を集中させれば、かつて魔力を与え、手ずから植えた樹や植物が教えてくれる。その精度は極めて高く、魔物の息遣いはおろか小石の動き一つ見逃さない。魔石に宿る主の魔力の後押しもあり、既に森はコクロの箱庭と化していた。
続けて、そこに住まうもののあらゆる視点を借りる。どうやら魔物達は大なり小なり負傷しているようで、原因は先程の縦揺れによる高所からの落下らしい。息苦しそうにしているのは主の魔力がそこかしこに漂っているせいもあるだろう。
そうして索敵を行うコクロの下へ、とびきり背の高い樹木から一報が入った。
「……裏山、が……?」
枝の足がカクリと折れた。その場に尻餅をついたコクロを、ミフラが不思議そうに見やる。彼の複眼に映る自分は枯れる間際の老木のようだった。
「ミフラ殿……あ……アオ、殿、が……っ」
「落ち着いて」
丁寧に声をかけたのはトアンだった。コクロ達よりもずっと年若い少年は、何百年も同じ場所にある大樹のような眼差しをしていた。
「アオイさん達に何かあったのは本当かもしれないけど、でもきっと無事だよ。だって、きみ達の魔石には変化がないでしょう?」
「あ……」
コクロは胸に手を当てた。欠けた魔石の一部を補う、温かく澄みきった力──主の魔力はちゃんとここにある。
「信じて待とう。そして、ぼく達はぼく達にできることをやろう。帰ってきたら家がないなんて、顔向けできなくなっちゃうからね」
「……はい!」
その存在の大きさに、コクロはにわかに奮い立つ。そうだ、盾なんていつでもなれる。自分にしかできないことが主の助けになったとしたら、救いの手を差し伸べてくれた彼女につり合う気がした。
「トアン殿、お二人を連れて家の中へ! ここはアオ殿の魔力があります故、そう簡単には入ってこられませぬ! エカ殿は東の魔物をお願いいたします! 大型ですが素早くはないとのこと!」
「オンッ!」
「ミフラ殿は西へ! 数はおりますが小型です! 目を狙ってください!」
「プププー!」
「北は某が押さえますっ!」
エカ、そしてミフラとヒヨドリ達が矢のように森を突き進む。コクロはその間に魔力を通して森中に意志を伝えた。木々はできるだけ伸びること、植物はたっぷりと生い茂ること。戦闘向きでないドライアドでも、自然を愛し、自然と共に生きる種族としての能力があった。
森は指令に応えた。瞬く間に地中深くへ根を張り巡らせ、土壌と岩盤をしっかり固定すると、幹をメキメキと上方へ押し上げる。植物はそこに蔓を這わせ、引っかかった対象を即座に縛り上げるような輪を幾重にも垂らした。地上でも至るところで草同士が結び合い、茂みで目隠しするのも忘れない。
間もなく、あちこちから悲鳴が上がり始めた。魔物達は瘴気に感染していたのだろう、ユニコーンの角が頻繁に明滅を繰り返していたが、罠だらけの鬱蒼とした森からついぞ出てくるものはいなかった。
特に顕著なのは崩落を目撃した背の高い樹木だ。天空にまで届こうかというくらい成長した大木は、流れ込んできた土砂を食い止め、尖った枝の先端で何匹もの魔物を串刺しにした。
──まさしく、勝鬨を上げる勇者の剣のように。
「……お帰りを、心からお待ちしております」
この日、小さな木の精霊は盾を捨てた。手にした剣の輝きは鈍く、けれど確かにそこにあった。




