第58話 生まれ変わるように
カチャ、と陶器が重なり合う音は、静かな雨の合間によく響いた。
「かーッ、沁みる! 外は大分寒かったからのう。ようやくあったまるよ」
「よかったらこっちのクラフィティもどうぞ。少しだけお酒も入ってます」
「ほほう、どれどれ……ウウン、甘さ控えめ……おお、酸味が何とも……美味い、美味い」
温かいアパレイユを豪快に掬い取り、ニエマ氏は何度も頷いてじっくり味わっていた。照れ臭くなった私もホットジンジャーティーを飲み干す。ショウガとミフラのハチミツを煮詰めたこのシロップも、肌寒い日の心強いお供である。
庭のベリー類をそのまま焼き込んだクラフィティはユーンくん達にも好評で、ミフラなんてココットに飛び込む勢いで貪っている。おかげで白い体毛は半ば黄色く染まりかけており、コクちゃんが一生懸命払っていた。
見かねて布巾を取り出すと、ニエマ氏は眩しそうに目を細めた。
「立派な家、改良された作物、そして契約した魔物達……か。大分上手くいっとるようだな、例の件以外は」
「……はい」
肩がずんと重くなる。里から何日もかけたこの訪問の目的は明白だ。
そんな心の内が表情に表れていたのだろう、里長は喉を鳴らして笑った。
「そう気負うな。今回のことはまかり間違ってもお前のせいじゃあない。むしろ儂が謙遜し過ぎたせいよ」
「謙遜?」
「サフィールと顔を合わせると、サディア嬢がいかに優れているかで半日潰されるからな。切り上げたくてつい『お宅の孫ほどでは』なーんて口走ったら本気にされちまってのう。なっはっは!」
「おいおい、そりゃ額面通り捉えるだろう……常日頃から自分達の方が偉いと思ってる奴らだぞ」
「ええと、つまりどういうことで……?」
事の始まりは、サフィール氏とニエマ氏の定期的な会談の場。普段は里宛の依頼の中でも特に重要な内容を精査し、適切な浄化師を割り当てるのが主な会である。
ところがつい先日から、そこでの雑談の話題を互いの孫──つまりサディアさんと私が占めるようになったという。
「サディア嬢が半年前に見習いを終えられてから、会う度ずうっと自慢、自慢、自慢でな。やれドコソコがすごいだのアレコレができるだの、終いにはソッチの孫はどうなってるだの毎回うるっさくてのう。あ、アオちゃんが気にすることじゃないからね。里から出すの渋ってたの儂だから」
「エッ」
「目に入れたって痛くない大事な孫だぞ? そりゃあできる限り傍にいてほしいじゃろう」
「裏で大分駄々捏ねてたもんな。あれはひどかった。人手不足が過ぎて、いよいよそんなことは言ってられなくなったが」
「そうじゃよほんとにもう……あと一年くらいは引き延ばせると思っとったのに……」
以前「ヌケとる」と言われたので心配していたが、どうやら落ちこぼれていたわけではなかったらしい。ブツブツ呟きながらカップを啜るニエマ氏に胸がじわりとする。
「儂は我慢した。我慢に我慢を重ねてお前を送り出した。ほっといたら延々続く孫自慢からのお前のところはどうなってるんだ煽りをされてもひたすら我慢した」
「偉いな」
「じゃろ? お前達がやり遂げたもんは全部知っとる。儂らの仕事は依頼先からの評価が全てだ。同業者が何をどう言おうとな」
鼻息を荒くしたニエマ氏が懐を漁る。渡された複数の羊皮紙の折り皺は深く、幾度も読み込んだのであろう事実を覗わせた。
そっと開けば、どこか柔らかい印象を受ける、癖のない文字がぎっしりと。
──アオイ殿が来年の春の種を納めてくれました。あの大きくて丸々とした作物が毎年食べられるようになるとのこと。今からとても楽しみにしています。その努力に敬意を。
──改良した薬の販売許可が下りました。アオイ殿がレシピと材料を快く手配してくれたおかげで、冒険者ギルドへも安定して卸すことができます。その心遣いに感謝を。
──日々、近隣の村へ浄化に赴いているようです。村長から感謝状もいただき、今後ますますの交流となるでしょう。ご馳走してくれた肉料理も本当に美味しかった。その献身に賞賛を。
──素晴らしい浄化師を派遣くださったこと、心より御礼申し上げます。
──親愛なるニエマ殿へ、ミラモンテス
「これ……」
「当たり障りのない世辞じゃない。モンテスさんは本当にお前に感謝していた。……だからこうして呼ばれても、儂は心配しとらんかったよ」
くしゃり、掌が頭のてっぺんを滑る。私はその温度を知らないはずなのに、固い肉刺の感触が不思議と懐かしかった。
「……実はな。ミネフには後から別の浄化師を送るつもりだった」
静かに告げるニエマ氏の顔は、大きな手に阻まれて見えなかった。
「瘴気があるとわかってからは特に。任せられるとしても事前調査のほんのさわりくらいまで、ホンモノとぶつかるのはこの子にはまだ早いとな。ただなあ……報告書を読む度にもう少し、もう少しと先延ばしにするくらい、それくらいお前は頑張っていた。信頼できる仲間を集め、努力し、そして成果を残した。お前のやってきたことは決して間違っていない」
やり方が間違っていたとは思わない──かつてそう励ましてくれたヒトも微笑みかけてくれる。
「、はい……はい……! ありがとうございます……っ!」
彼らが待っていてくれてよかった。私達を信じてくれていてよかった。潤む視界の中、何度も何度もそう思った。
「ならモンテス達の方は問題ないってことだな。するとやっぱりサフィールだけが喚いてるのか」
「そこよ。どうも必要以上に躍起になっとる。噂じゃあサディア嬢が前の派遣先から解任されたらしくてな。そこへ儂の『ハイハイすごいネ』って謙遜じゃろ? それが『ニエマの孫すごくねえなら空いてるサフィールの孫と代わらせよ~』って曲解されちゃったみたい」
ニエマ氏は「テヘッ」と舌を出したが、半目のユーンくんに皿を取り上げられそうになり、慌てて押さえつける。私は二人を止めることもできず、衝撃のあまりしばらく放心していた。
──解任。即ち、私が直面している現実。有能と謳われていたサディアさんにもそんな過去があったらしい。
気づけばスプーンの止まったクラフィティはいつの間にか消えており、広間の隅のケルピーの前に空の器が一つ増えていた。
「しっかし、クビとはまた随分な話だな」
「理由まではわからんが、サディア嬢もあの態度だ。おそらく本人も何が原因がわかっとらんだろうな。まあ大体想像はつくが……ともかく、サフィールは秘密裏に挽回させようとしとるんじゃろう」
「それでここに来たってわけか。浄化師と張り合うには骨が折れるが、見習い相手なら多少強く出ても問題ない、と」
「ま、そういうこったな」
ようやく疑問が解けた。わざわざハーフエルフの進行中案件に介入してきた特別な理由とはこのことだったのだ。
とはいえ、一番重要なことがまだ解決していない。
「で、肝心の浄化を誰がするかだが……」
歴戦の重みを感じさせる鋭い視線が私を射抜く。心臓が、突き刺されたように大きく鼓動する。
「譲ってやるか?」
「、いいえ!」
ぽろっ、と。転がり落ちたのは本心だった。ユーンくん達の様子から察するに、一番驚いていたのは私自身だったに違いない。けれどもう、偽ることなどできなかった。
「初めは交代されるなら仕方ないと思ってました。悲しい、情けないって不幸ぶって、勝手に荷物までまとめ出して。ユーンくんにも八つ当たりしかけたし、何も言わずに皆のことも不安にさせました」
「アオ……」
「でもそれは傷つかないための表面的な誤魔化しで、心の底では諦めきれていなかった」
物分かりの良い振りをする一方で、私はずっと沙汰を待っていた。終了の合図を聞くまでこの首は繋がっている──それは、突然現れた彼らにこれまでの全てを否定され、飲み込み切れない悔しさがあったせいなのだと、今ならわかる。
「私、調査についていきたいです。たとえミネフの担当を外れるとしても。今まで以上に死力を尽くします。お願いします!」
脳のくす玉は割れた。ギチギチに詰まっていた、たくさんの思考と感情を削ぎ落とし、吐き出したのはありのままの私の心。ミネフに暮らす彼らが幸せであってほしい──最後に残るのはいつだってそれだけなのだと、改めて思い知る。
そうして額を膝に擦りつけてからどのくらいが経っただろうか。不意にギシリとソファが軋んだ。
「……なっはっはっは! お前はヌケとるところもあるが、責任感の強さは人一倍。そう言うと思っとったわ!」
ぽかんとするこちらを余所に、ふんぞり返ったニエマ氏はひとしきり笑い転げてから、「安心せい」と右手を掲げた。
「モンテスさんが首を振らんで、話はまだ膠着状態だからの。サフィールは相変わらずやいのやいのうるさいじゃろうが、なあに、儂が何とかしてやる。ていうか横入りしてきたのアイツじゃね?」
「長……!」
「その代わり、たまには『おじいちゃん』と呼んでくれ。まったく……派遣が決まってから急に大人びちゃうんじゃもんなあ、アオちゃんは」
億劫そうに「よっこらせ」と口にしつつ、ご老体は機敏な動きで玄関へ向かう。窓の外はザーザー降っているというのに傘はない。入ってきた際の身一つの姿を思い出し、力量の差を密かに悟った。
「んじゃあ、ちょっくら行ってくるからの。ちゃんと荷解きしときなさい」
「は、はい、足元お気をつけて! それと、その……」
「ん?」
「……来てくれてありがとう、おじいちゃん」
その瞬間、祖父はぱちくりと瞬きし、僅かに歩をもたつかせた。いつも飄々としている仮面の下を覗き見たようで、ささやかな悪戯に成功した気持ち。「コイツめ」という台詞とは裏腹に、髪を掻き混ぜる手つきは優しい。
「ユーン、アオを頼むな。君らも、どうか孫を助けてやってくれ」
「当然」
「長殿、承知!」
「プー!」
「ふっふ……ああ、アオ。お友達が来とるぞ。寒いから中に入れて差し上げなさい」
「へっ?」
慌てて外へ出ると彼は消えていた。代わりに、傘を差したいくつもの人影が庭に立っている。
「アオ!」
先頭にいたラギーが物凄い速さで目の前に現れた。顔色は白く、傘があるのに大分濡れてしまっている。
彼女の後ろからやって来た面々もかすかに息を荒げている。泥が裾にまで跳ねているのに、誰も気に留めてすらいなかった。
「ねえちょっと、倉庫の何あれ! 荷造り!?」
「アオちゃん帰っちゃうの……?」
「ごめんなさい、大勢で突然……でも、もっと早くに来るべきだったわ……」
「あれからどうしたかなって。口には出さないけど、兄ちゃんも気になってるみたいでさー」
「なんか美味そうな匂いがする」
「やめなさいよこんな時に」
「お゛ね゛い゛ぢゃん゛ん゛ん゛ん゛」
「ほらエルサちゃん。アオイさん、ちゃんとここにいるよ。泣かないで」
走ってきてくれたのだろうか。冷たい滴と風に苛まれながらも、町から離れたこの場所へ、引きこもっていた私のために。
「……心配かけてごめんね、でもありがとう。来てくれてすごく嬉しい」
ああ、この数日をなんて愚かに過ごしたのだろう。そんな後悔なんて、雨で綺麗に洗い流してしまわなければ。
「お茶を淹れるから、全部説明させてくれる?」
雲が晴れたら、新しい自分になれるように。




