第56話 二人の浄化師
目の前には、しゃがみ込むこちらを見下ろす男女のエルフがいる。
人間より頭一つ高い長身の男性は、精緻な白金の紋様が美しい丈の長い服を纏っていた。純粋なエルフの血がもたらす壮年の美貌はさすがの一言だが、その表情は氷のように冷たく厳しい。一筋の乱れもない輝く髪も相まって、溢れ出るような威厳者のオーラを放っている。
彼の隣に立つのは私と同年代くらいの少女だった。カールしたツインテールと勝気そうな大きな瞳、ツンと尖った薄桃色の唇は可愛らしくも蠱惑的。男性のそれとセットなのか、同じデザインの翡翠のドロップ・イヤリングを片耳にあしらっている。
いずれも非常に貫禄のある二人組だ。軸にぶれがないというべきか、今も周囲の視線やざわめきに臆すどころか、謁見の機会を与えてやっているとばかりに意に介さない様相である。
こうなると私の方が落ち着かなくなってくる。何か用があるのだろうか、もう浄化に取り掛かってもいいだろうか。内心ソワソワしていると、エルフの男性が口を開いた。
「君がニエマ老の孫かね。名は確か……アオイといったか」
「は、はい」
「私はサフィール。エルフの浄化師一族の里長だ」
つまり、ハーフエルフの浄化師一族『アルヘイム』の里長・ニエマ氏の同格。慌てて姿勢を正すものの、全身を刺す針のような視線が痛い。
「よろしくおね、」
「ああ、君に関して興味はない。顔と名を留めていたのは同じ里長としてのよしみだ」
下げかけた頭が止まる。随分と言葉を選ばない人だ。忌々しそうに吊り上がった目尻といい、良く思われていないのが丸わかりだった。
──そう、エルフとハーフエルフの種族間の溝は深い。それだけなら獣人と半獣人も同様なのだけれど、なまじ同種の職業である私達は何かにつけて競合していた。
元来、世界的に浄化能力を持つ者は限られる。中でもエルフとハーフエルフはその才を得る母数が突出しているのだが、純粋な浄化力自体は後者の方が優れているといわれる(このことは「口が裂けてもエルフ本人に言うな」と訓練の最初に叩き込まれる)。その分、エルフは豊富な魔力と数々の補助道具を用いて浄化の効率を底上げするのだ。
一方、『アルヘイム』は己の力でじっくりと、しかし確実に浄化するのがモットー。魔力量こそエルフに劣るけれど、浄化能力の質の高さをひけらかすことなく、「驕りではなく誇りを持て」との教訓は、エルフについてのアレコレの次に習うことである。
そんなわけだから、通常、互いの派遣先で顔を合わせることはない。先のように、主にエルフ側が我々を毛嫌いしているためだ。なのにこの状況は一体どういうことなのか。
「失礼、町長のミラモンテスです。出迎えもせず申し訳ない。本日は観光でお立ち寄りを?」
ごく自然な動きでモンテスさんが私達の間に加わった。すれ違いざまの肩に温かい掌が置かれ、緊張が少しだけほどける。彼の笑い皺は今までにないほどたくさんあった。
「いや。貴殿……もとい、この町に早急に伝えねばならない事項と判断し、無礼を承知で押しかけた。謝罪は結構」
「おや、そうでしたか。どうやら込み入ったお話のようだ」
モンテスさんと握手を交わしながら、サフィール氏がちらりとこちらを見た。何だろう、すごく嫌な予感がする。
「生憎少々取り込み中でして、先に私の屋敷へ──」
「こちらに派遣された浄化師はどう贔屓目に見ても役不足。お互いのために、一刻も早く配置替えを行うべきと断言する」
張りのある低い声は鈍器のようだった。
一撃でぶちのめされた錯覚に、ざあっと血の気が引いていく。目の前がぐらぐら波打ち出し、私を隠してくれているモンテスさんの背中がどこか遠く感じて、咄嗟に両足を踏ん張った。僅かでも気を抜けば二度と起き上がれない恐怖があった。
「後任はここにいる者が引き継ごう。私の孫だが、見習いなどではなく一人前の浄化師だ。サディア、挨拶を」
「、待ってくださいサフィール殿、いくら何でも突然過ぎます。そもそも、私も他の皆も彼女が役不足だとは思っていません。着任一ヶ月でこれほどの──」
「我々浄化師がその一ヶ月でどれほど依頼を解決できるとお思いかね」
ギリリと限界まで歯を喰い縛る音。サフィール氏の双眸はひたと私を捉え、一瞬たりとも逸らされない。その強過ぎる眼光は、この世で一番見たくないものを見ているような、憎悪ともいうべき圧を孕んでいた。
「聞けばまだ原因と思しき裏山へは趣いていないという。普通、派遣された浄化師が真っ先にやることは不浄の原因と浄化水準の調査だ。そこで力不足ならすぐにでも交代する。そうしなければみだりに不浄を広げるばかりだからだ。君はこのひと月、一体何をしていた? まさか見習い故の未熟は大目に見てもらえるとでも? そうであるなら、浄化師を目指す自覚も資質も圧倒的に足りないと言わざるを得ない」
「────」
「畑で作物を育てる、町に花を飾る、ポーションを作る……そんなことは魔術師でもできる。ニエマ老も耄碌したか。ミラモンテス殿もままごと染みた修行とやらに付き合わされてたまったものではないだろう」
「私はっ、」
「ああ、貴殿の胸の内は承知している。故に意思決定にそう時間はかからないと踏んでこの場で提案した。私もこの程度のことに時間をかけたくはないのでね」
がくりと垂れたままの首を持ち上げられなかった。誰かと目が合って、そこにサフィール氏の言う通りの失望が浮かんでいたら──ひとたび想像すると、呼吸の仕方すら忘れそうになる。
足りなかったのか。届いていなかったのか。一生懸命やってきたつもりでも、始めから何もかも。彼らがくれた礼や賛辞を、もしかしたらやる気を促すためだけだったかもしれないそれを、私は都合よく鵜呑みにしていただけなのだろうか。嘘だと思いたくなくても、傍から見た現実は──。
「憶測で随分語ってくれる。さすがに看過できんな」
視界の端に黒いマントが揺れる。一拍遅れてサフィール氏の不機嫌そうな声がした。
「貴殿は?」
「冒険者ギルド・ミネフ支部長のアックスフォードだ。そちらの主張も一部は理解できるが、アオイの身の振り方について大半を指示したのはこちらだ。彼女はそれに応えてギルド員にもなり、日々尽力してくれている。決して力不足などではない。最近は浄化についても進んで修行を、」
「ふむ、ミラモンテス殿以外はまだ納得できないと。では、エルフの浄化がいかに優れているかご覧いただこう。ハーフエルフがチマチマ時間をかけている間、我々はその何倍もの依頼を即座に完遂する。サディア、試しにそこの感染者の治療を」
「はい、お祖父様」
初めて開かれた口から零れたのは、鈴を転がしたような可憐な声音だった。サディアと呼ばれた少女は優雅に進み出ると、震える男性の前にふわりとしゃがみ込む。
そうして、爪の先でイヤリングをコツンと突いた。
「キショウ」
瞬間、足の先から凄まじい嫌悪が駆け上ってきた。天敵に鉢合わせたかの如く、ありとあらゆる毛穴が開く。たった一度耳にしただけの名前がびっしりと脳裏にこびりつく。一秒の合間に何度も顔を覗かせては、呪いのように存在感を刻み込んでいく──。
気づけば、少女の肩にはフクロウに似た生物が乗っていた。ただし、見かけは普通ではない。尾羽の代わりに猪の尾を生やし、不自然に野太い足は一本のみ。生態の違うもの同士を無理矢理交配させたような、とってつけたようなちぐはぐさがあった。
「浄化、お願いね」
「カキェエエェェエエエ」
放たれた身の毛もよだつ雄叫び。キショウという鳥は威嚇するように両翼を広げると、感染者をじいっと覗き込み、カチン、と嘴を打ち鳴らした。再び開いたそこから溢れ出したのは、濃い紫色を帯びた霧状の何かだった。
それはまるで意思があるようにクネクネと宙を泳ぎ、ビクッとのけ反った男性の鼻の穴や耳の中に侵入していく。
「かッ……がは……!」
血走った目玉がぐるりとひっくり返った。男性は喉を引き絞られたようにか細く息をしながら、胸から腹にかけてをめちゃくちゃに引っ掻き始める。内側にあるものを一秒でも早く取り出そうとしているような動きだった。
やがて彼は大きく痙攣し、苦しそうに血の塊を吐き出した。
「やめ」
「キャキャッ」
少女に凛と制されたキショウがもう一度嘴を鳴らした。すると、男性の身体から紫の霧が立ち昇り、吸い込まれるように鳥に還っていく。
「えあ……?」
「瘴気はほとんど消えましたわね。では仕上げをしますわ。身体の中も治療しますから、どうぞ楽になさって」
魔力を纏った両手をかざし、少女は大人びた表情で微笑む。状況が理解できていない男性は放心しているが、その白目に濁ったものはない。二人の横で、役目を終えたとばかりにキショウが毛繕いを始めた。
私はというと、目の前で平然と行われたことに対して冷や汗が止まらないままだった。キショウが現れた時のことといい、男性の苦しみ方といい、何かとんでもないものを目撃していた気がする。一方、彼女はかなり手慣れた様子で、あまつさえこれを『浄化』と言った。私の知る、感染者を癒すそれとは対極のようなこの行為を。
「一目瞭然ではないかね」
満足げに唇を吊り上げたサフィール氏が、訴えかけるように一帯を見回す。
「ほんの一時だ。少しの間我慢をすれば、瞬く間に浄化は完了する。ハーフエルフが何時間、何日、それこそひと月かけて行わねばならないようなことも、我々エルフは一瞬で終えられるのだ。これを優れているといわず何という!」
ブーツの底が合図の如く地面を穿つ。町の隅々まで響き渡るような自信に満ち溢れた演説は、そのカリスマ性も合わさって、人々の関心を大いに惹きつけたらしい。どこからともなく「そうなんだ」という頷きが聞こえ、それを皮切りに、集団のさざめきが大きくなっていく。
「貴殿らの無駄にした時間を思うと残念でならない。最初からこちらに依頼していれば、今頃祭とやらも例年通り開催できていただろうに」
「おっしゃる通りですわ、お祖父様。要らぬ苦労を強いられているなんて本当にお気の毒」
ますます深まる氏の笑みに、言葉が何も出てこない。頭の中がぐちゃぐちゃの泥みたいだった。でも、向き合わなければいけないことが一つだけある。
──色々な人に庇われて、代わりに立ち向かってもらって、それでも覆せないほど私の力が不足しているということ。
「彼らが未だに瘴気に苦しめられているのは、こんなところで二の足を踏んでいる君のせいではないのかね? ハーフエルフの見習いよ」
ああ、そうだ。ようやくわかった。未熟さはこの上ない罪だ。
悪夢を引き延ばしてきた元凶は自分。紛れもないその事実で撃ち抜かれた胸の穴から、無情な風だけがひゅうひゅうと通り過ぎていった。




