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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
55/80

第55話 希望

 ユニコーンとは、額の中央に長く鋭い螺旋状の一本角を持つ馬の魔物である。

 数少ない資料によれば、長い(たてがみ)を靡かせる姿は乙女のように清らかな純白で、静謐な森の奥にひっそりと暮らす幻想的な生物だ。ただし、性格は極めて獰猛。すらりとした四足は力強く敵を踏み砕き、強靭な角はどんなものでも貫くという。

 そんなユニコーンは、たとえ生け捕りにできたとしても飼い馴らすことは不可能に近い。なぜなら、捕らわれたことに逆上して自死すら厭わないためだ。唯一膝を折るのは純潔の娘の前だけという特殊な性質も相まって、冒険者ギルドではAA級という高位に位置付けられている。

 その存在と同じくらい希少な角は、毒を無害化したり邪気を祓ったりする作用があるらしい。つまり、とてもじゃないが、C級()なんぞがおいそれとお目にかかれる代物ではないということ。

 なのだけれど──。


「ゆ、ユニコーン、の、角……!? こ、これ、こんなすごいもの……!」

「間接的に助けたユニコーンから遠慮なく引っこ抜いたらしい。浄化の一助になるかもしれないから渡してくれと頼まれた。これが手紙だ」


 もらった巻物型書簡(スクロール)を開封すると、几帳面に角張った懐かしい文字があった。丁寧な挨拶から始まり、薬の効果とそのお礼、そして『君さえよければ契約を結びたい』という、思わず二度見する文言が記載されていた。


「契約って書いてある……ユーンくんも見えてる!? 私の願望じゃないっ!?」

「ああ、俺にもバッチリ見えてるぜ。こりゃ本当にニエマの寿命が縮んじまうな」

「僕には個別に契約書が送られてきた。オルゼスタの分は既に署名されている。あとはアオイ、お前次第だ」


 テーブルに鎮座する、存在感を放つ分厚い羊皮紙。モンテスさん達はいつの間にか席を外していて、私の喉がゴクリと鳴る音が嫌に大きく響いた。

 契約内容は単純明快、あの魔力回復薬を定期的に作ってほしいというだけ。一回の量も頻度も、大丈夫なのかと心配になるくらい無理のないもので。だというのに、私の手は羽ペンを握れないでいた。

 理由はこれ以上ないほど理解している。薬ができた当初は少なからず自信があったのに、見合わない立派な返礼品が贈られてきて、私はオルゼスタさんの期待に気後れしているのだ。


「どうした? 内容に意見があれば変えさせるが」

「あ、その……ええと……」


 いつまでも羊皮紙と睨めっこしている私を不審に思ったのか、アッドさんが覗き込んでくる。彼もまた契約の締結を疑っている様子はない。

 でも、長生きで経験豊富なギルド支部長にこそ、この気持ちを打ち明けられる気がした。


「……たぶん、最初だから余計に誤解させちゃったのかもしれないなって思ったんです。時間をかければあの薬を作れる人は他にもいる。こんなすごいものをお礼にもらえるほどだったのかって、考えれば考えるほどわからなくなってきちゃって。だから……」

「アオイ、」

「──だから、オルゼスタさんが気づいちゃう前にもっと頑張ります。契約してよかったって思ってもらえるように」


 私の性根は元来ネガティブ気味なので、自信なんてハリボテのようにスカスカだし、生まれてもすぐに壊れてしまうけれど。だからといって弱気になり過ぎることは、協力してくれたユーンくん達にも失礼だ。

 勢いに任せて記名した契約書を真向かいの席に滑らせる。ぱちくりと目を瞬かせていたアッドさんは、やがて合点がいったようにニヤリとした。


「なるほど。いつか奴の目が覚めて幻滅されるのが怖かったと?」

「う……身も蓋もないけどそういう感じです……」

「僕はそうは思わないぞ。お前は人の役に立っても驕らないどころか、足りないところばかり探して恥じ入るくらいだ。何よりその勤勉さには頭が下がる。今はまだ見習いかもしれないが、いずれオルゼスタに並び立ちこそすれ、役不足など誰も思うまいよ。……ま、とうに署名は済んだから今更取り消せないがなっ!」


 目にも止まらぬ速さで羊皮紙が仕舞われ、今度はアッドさんの掌が差し出された。そっと握手を返せば、興奮したようにぶんぶん揺らされる。


「ああよかった! 実はオルゼスタから普通に脅されていてな! お前が契約しなければ全身の血を抜かれるところだった! あっはっは!」

「ハ……ハハ……」


 自分の肩に人一人分の、それもAAA級の人生が乗せられていたことを知り、今更ながら身震いする。あるいは、社会的地位の高いもの同士の高尚なジョークなのだろうか。

 天上人の考えることはわからないものの、とりあえず簡単に命を賭けるのだけはやめてほしいな、と思った。世界的損失で国が傾くかもしれないので。



       ◆ ◆ ◆



「すみません、長い間席を外していただいて」

「いやいや、こちらも楽しませてもらっていたよ。それにしても見事に咲いているね」


 庭に出ると、モンテスさん達は各々周辺を散歩しているところだった。ミフラやコクちゃんが率先して案内してくれたらしい。

 彼は特に花畑が気に入ったようで、後ろ手を組んでゆっくりと練り歩き、時々立ち止まってはかぐわしい匂いを楽しんでいる。


「こんなに大きくはなかったけど、不作ながら今までも何とか咲いていたんだ。毎年町中にめいっぱい飾って、お祭もやって」

「開花祭ですよね。リンテスで聞きました」

「そうそう、皆楽しみにしてくれていてね。……でも、今年は難しそうだなあ」


 こうして生きていられるだけでヘファネス神に感謝しないとね。そう独り言ちたモンテスさんの横顔は、影が落ちて寂しそうに見えた。

 町長としての責任感や重圧がどれほどのものか、当事者でない私には窺い知ることができない。彼のたくさんの笑い皺がそれを吹き飛ばすためなのか、隠すためなのかどうかも。打ち明けてもらえる日もきっと来ないだろう。

 他人の心など読めやしない。だから私は、自分にできる精一杯のことをやるだけ。それが誰かのためになればいいと願うだけだ。


「モンテスさん。ここの花、町に飾ってもいいでしょうか。開花祭の時みたいにめいっぱい」

「え……」

「お祭は難しいかもしれないけど、雰囲気だけでもどうかなと。ね、ミフラ」

「プ」


 やって来たミフラが一輪の花をモンテスさんの手中に落とす。真っ白で可憐なメイフラワー、花言葉は──希望。


「花は何度でも咲くと思います。これからもずっと」

「……そうか、そうだね。アオイ殿がせっかく元気な花を取り戻してくれたんだ、私達が諦めるわけにはいかないね。──おおい、みんなあ! ちょっと手伝ってくれないかい!」


 くしゃりと目尻に皺を刻んで、モンテスさんが声を張る。私は鋏を、コクちゃんは葉っぱの手を構え、「なになに?」と方々から集まってきたアッドさん達に切り離した花を次々に渡した。


「なんだなんだ、くれるのか?」

「町に飾ってほしいんだ。開花祭と同じように」

「すみません、何分初めてなもので……お手本を見せていただけないかなと」

「かしこまりました。では僭越ながら私がご案内を。お手をどうぞ、アオイ様」

「いいえ、兄さんはこちらをお持ちして。さ、わたしと参りましょう、アオイ様!」

「お前っ!」

「何よ!」

「わ、ワア嬉しいナ~~~是非お二人と行きたいナァ~~~……」

「あっはっは! あっちもこっちも、お前の板挟み振りは本当に大変だな!」

「そう思うなら止めてくださいませんか支部長殿……」

「つまらない会合の時に思い出したいから遠慮する!」

「神は死んだ……」


 パチンと鋏が鳴る度、また一つ花の束が膨らむ。元々ミネフに生えていたゼラニウムやペチュニア、そして私が新たに植えた、お茶や薬にもなるジャーマンカモミール、ラベンダー、カレンデュラ等々。それぞれが抱える色とりどりのブーケは目にも鮮やかで、当人を豪奢に飾り立てている。荷運び用に呼び出された、岩と土でできたゴーレムすらも可愛く見えるほどだ。


「あら、いい匂い」

「フィオラ様……お美しい……」

「何か催しものかしら」


 花弁に埋もれながら町中を往く集団は、一種のパレードみたいに衆人の目を惹きつけていた。誰も彼もがうっとりと目を細め、ぼうっとアッドさん達に見惚れている。美しいもの同士の掛け合わせは至高──その気持ち、わかり過ぎるほどわかる。

 私は何度も戻ってくるギルド兄妹を先頭へ誘導しつつ、最後尾で地面に落ちた花を拾っていく。すると、そのうち幾人かに呼び止められるようになった。大半はファビュラスご一行についてだったけれど、中には一緒に花を飾りたいという人もいたので、これ幸いと輪に加わってもらう。人手は助かるし、文化祭の準備は皆でやるほどワクワクする派だ。


「おねいちゃーん! なにやってるのおー!」


 振り返ると、小さな身体がぴょんぴょん飛び跳ねていた。そのまま膝に飛びついてきたエルサちゃんの後ろから、ニキちゃんがゆっくりと歩いてくる。


「今ね、みんなでお花飾ってるの」

「今年お祭りできるの?」

「ううん、そこまではまだ。とりあえず雰囲気だけでもと思って持って来たんだ」

「あのね、あのね、エルサも、」

「手伝ってくれるの? ありがとう! じゃあ何色のお花がいい?」

「きいろー!」

「はーい。そしたら、これは壁飾り(スワッグ)にしてみようかな。できたら『花々(かか)』に持って帰る? 入り口とかに飾ったら可愛いと思うよ」

「いいのー!? エルサね、おかあさんにあげたい! おかあさん、おはなすきだから!」

「お店の名前だもんね。ジゼルさん、きっと喜んでくれるよ」

「えへぇ」


 伸ばされた幼い両腕にミモザをそっと握らせる。エルサちゃんはふわふわした黄金の綿毛を楽しそうに撫でてから、優しい手つきで一本一本並べていく。後は好みに合わせて他の花を足したり葉を減らしたりして、麻紐等で縛れば完成だ。まとめるのは少々コツがいるので、私が押さえているところをニキちゃんに結んでもらうことにした。

 ふと、器用に紐を巻きつけていた彼女が呟く。


「……この前、絡まれたって聞いた。大丈夫……?」

「あ、うん。ありがたいことに、フェイが物凄く怒ってくれまして……」

「わたしも腹立ってる。店長も、あの親衛隊気取りも、みんな勝手だよ。アオちゃんは巻き込まれただけなのに」

「ありがとう、でも本当に大丈夫だよ。いつもそうやってみんなが私より怒ってくれるから、留飲下がっちゃうんだ。……はいエルサちゃん、できたよ」

「わああ……きいろきれぇ……」


 よほど感動したのか、開いた口が塞がらない様に笑いを誘われる。そんなエルサちゃんの手元には既に別の花が整列していた。本当に仕事熱心な子だ。次に『花々』に行く時はいっぱい購入して、可愛い彼女のお小遣いを増やしてもらおう。

 そして、もう一人の可愛い子にも。


「心配かけてごめんね。これからはちゃんとお店に行くようにするから」


 中心からのグラデーションが見事な薄黄色のダリアをニキちゃんに手渡す。彼女によく似合うそれを、どこか懐かしく思った。

 ニキちゃんは花と私を交互に見やり、なぜかおっかなびっくりな手つきで受け取った。そうして、掌ほどもある大輪の束におずおずと顎を埋める。好きなのだろうか、かすかに頬が上気していた。


「えー、珍し。眉間に皺寄ってるー。超怒ってない?」


 そこへ、不意にルドガーさんが現れた。尻尾をパタパタ振る彼に、ニキちゃんはじろりと視線だけを上げる。


「……もう怒ってない」

「いやオレのこと睨んでるじゃん。ねー、アオイちゃん」

「うるさいヘタレ目っ」

「はあっ!? 垂れ目と引っかけないでよ!」

「ウルセェぞアホども、……ックシ!」


 続けて、その兄と双子の弟もやって来る。風に煽られた花弁がマズルに貼りついたせいか、ロンドルフさんは大きなくしゃみを一つした。


「ンだこりゃ。何の騒ぎだ」

「『雰囲気だけでも開花祭』です。工房にもお一ついかがですか?」

「……どうせすぐ枯らすだけだ。水換えたりなんざしねェからな」

「あ、水に私の魔力入れておきます。それなりに持つと思いますので、よかったら」

「…………」


 祭具の中で一番小振りな花瓶にルピナスを挿し、ロンドルフさんの前にずいっと差し出した。密集した蝶の如き紫の小花が特徴的な品種だ。植物というより置物の印象が強く、これくらいなら作業の邪魔にはならないはず。

 対する彼は怪しい訪問販売を警戒するような半目。その鼻先がひくりと蠢いた瞬間、脇から伸びてきたウェンデルさんの腕が花瓶を掴んだ。


「、オイ」

「置いておくだけでいいんだろう。毎年勝手に店先に飾られるの放置してるくせに、今年はなんで変に恰好つけてるんだ」

「突っぱねた手前、今更受け取りづらいんでしょ。兄ちゃんて真正面から素直に来られると弱いじゃん。ってことで、押せば意外とどうにかなるからさー。許してやってね、アオイちゃん」

「オッ、マエら好き勝手言いやがって……!」


 わなわな震えるロンドルフさんに双子が舌を出す。一見前者のワンマンかと思いきや、なかなかに好き放題しているのは紛れもなく後者だ。ギルド兄妹然り、(したた)かで世渡り上手なのは末子の性なのかもしれない。


「一番上は苦労しますよね……!」

「その『わかってます』顔ヤメロ。大体、オマエも──」

「……?」


 何かを言いかけたロンドルフさんが急に動きを止めた。怪訝そうに見つめる先には、ふらふらと肩を揺らす一人の男性。こめかみを押さえる手首に冒険者ギルドのバングルが嵌まっている。


「どこか怪我してるんですかね……?」

「どーせ酔っ払いだろ。ほっとけ」

「でも、何か様子が……あっ」


 男性の脚がもつれた。受け身も取れずに石畳に打ちつけられる光景が妙に衝撃的で、私は咄嗟に駆け出していた。


「大丈夫ですか!?」


 男性は自力で身を起こしていた。しかし下半身を痛めたのか、座り込んだまま俯いている。その背に建物同士の影が被さって、闇に引きずり込まれてしまいそうなほど儚い。

 擦ってしまったのだろう、肘から手首にかけて赤いものが滲んでいる。彼はそのことに気づいてすらいないみたいに一心に髪を掻き混ぜるばかりだ。やはりどこか調子が悪いのだろうか。


「あの、差し支えなければ手当を……」

「き、ひっ」


 しゃっくりのような咳のような、奇妙な呻き声だった。不自然に強張った指先がだんだんと白み、爪の間を血と皮膚が埋めていく。がり、がり、と規則正しく、彼は機械のように己の地肌を掘っていた。

 まるで何かに取り憑かれているようなこの症状の原因に嫌というほど心当たりがあった。息を飲んで目を合わせると、白目には予想通りの黒い血管──瘴気である。


「アオ? どうした?」

「この人、瘴気に感染してる。発症したみたい」

「どれ。……ああ、本当だ。周りが君の魔力だらけだから反応したんだろうな」


 今、私の魔力が含まれている花がミネフの至るところに飾られようとしている。ユーンくん曰く、男性の発症はそれに()てられたせいだという。


「つまり、上手く使えば感染者を割り出せるってこと?」

「あくまで町中にいる奴限定かもしれないけどな。これから入ってこようとする奴はむしろ近づかなくなるかもしれない」

「なるほど、そう簡単にはいかないか……よし、とりあえずこの人を浄化しよう。ユーンくんごめん、ちょっと目隠しを──」


 刹那、ふっと手元が暗くなった。視界に映り込む皮のブーツの甲。大小二足あるそれらの持ち主を辿っていけば、透けるような眩い金糸が目に飛び込んでくる。

 そこにいたのは、私より遥かに長い尖り耳を持つ人型の長命種──麗しいエルフの男女だった。

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