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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
49/80

第49話 修祓の白

「よう、久しぶり。元気か?」


 勝手知ったるような素振りばかりか、さらに旧友に会ったような挨拶をされ、思いがけずポカンとしてしまう。本当に誰だろう。今回こそ『本来のアオイ』の知り合いだろうか。

 芳しくない私の反応に引っかかったのか、目の前の人物はずいっと顔を近づけてくる。


「んん? あー、記憶トんじまってる? まあ、あん時は死に物狂いって感じだったもんな。仕方ない仕方ない。むしろ覚えてない方が都合がいいかもなあ」


 ウンウンと一人頷いて、その人は片手──(もや)のない右手を差し出した。きめ細かな肌だが、まるで血が通っていないみたいに青白い。


「ま、何でもいいや。行こうぜ」

「、げほ、どこに、っ?」


 口内が干上がっていたせいで声が枯れた。けれどそれで勢いがついたのか、強張っていた身体の感覚が徐々に戻ってくる。

 改めて見上げると、凄まじく色気のある男性だった。まともな部分には灰と濃紺が混ざり合った髪が揺れ、紫眼の端は僅かばかり甘やかに垂れている。常に湛えた微笑がそこに併さり、妖艶さに拍車をかけていた。

 しかし、そのことが強調されるのは()()()()()()()()()()()()()()()。左半身は上から下まで黒々とした瘴気に纏わりつかれている、なのに当人は平然としている。あんなに苦しんでいたカイエさんを目の当たりにしたために、言葉にできない異様なものが感じられた。


「帰るんだよ、お前がいたところに。まったく……このオレを使い走りにするとは、あの小僧もエラくなったもんだぜ」

「私がいたところ……? それって、」

「ああ、違うな。正確には元には戻れない。お前はもう──いや、一気に話すのはまずいか。空っぽなところにいきなり詰め込めば自我すら壊れる可能性がある。……ふむ、面倒極まりねえけど道中の暇潰しにしてやろう。よし行くぞ、()()()()()()()()()()


 『みんな』とは一体誰のことだろう。少なくとも、私の考える『みんな』と一致しないことだけはわかった。

 その異様さは警告となって本能を揺さぶる。この手を取れば取り返しのつかないことになるかもしれない、と。


「……け、結構です、行きません」


 話の内容も彼自身もこの場所も、何がどうなっているのかさっぱりだけれど、今優先すべきことははっきりしている。私が帰るのは宿屋で、一刻も早くカイエさんの瘴気を浄化すること、ただそれのみだ。


「────へえ」


 途端、ぶわりと圧が膨らんだ気がした。重い空気の塊が四方からギリギリと圧し潰してくるようで、たちまち全身が硬直していく。知らず、ふ、ふ、と呼吸が短くなる。

 彼の右目が吊り上がり、瞳孔が針のように尖った。


「お前、状況わかってるのか? 選択権なんて最初(ハナ)からないんだよ」

「な、何と言われても行きません、今すぐやらなきゃいけないことがあります」

「あー、そうか。無害そうでそうじゃないのがお前か。そこは変わらねえのな」


 にたりと口の端を持ち上げた彼が、突如楽しそうな笑い声を上げる。


「んははっ! そうだな、何でも言いなりは面白くない。闘士とはかくあるべしだ。オレの軍団にもそういうのが欲しい」


 私の額を押す人差し指に体温はなかった。幼児に教え込むみたいにトントン突き、彼の人は厳かに告げる。


「来たばかりでオレも万全とは言い難い。観光の余興として、哀れなお前に機会を恵んでやろう。この瘴気にどこまで抗えるか見せてみろ。ただし死ねばそこまで、すぐにその魂を持ち帰る。繰り返すが選択権はない。お前はただ自分の力を示し、オレの裁定を待つだけだ」


 言い終えるや否や、ゆらりと彼の輪郭がぶれ、背景に同化するように溶けていく。


「待っ──」

「おっと、そうだ。ここでの逢瀬は内緒にしろよ。せっかく静かでいいところなんだ、蠅がたかるのは鬱陶しい。じゃあまたな」


 止める間もなく男性が消えた直後だった。死角からの気配に寒気を覚え、反射的に魔力を放出する。ジュッと音を立てて消えた黒い靄──祓うべき瘴気。いつの間にか広がっていた闇色のそれが、大きな波のように私に迫り来る。

 醜悪で、粘着質で、逃げ出したくなるような威圧感だった。これこそが純粋なる邪気、本物の邪悪。恐れを抱く一方で、神経を逆撫でされるような気分になるのは、私がまだ飲み込まれていない証拠だろうか。

 ──とにかくやってやる。曖昧な世界で明確な目的を得たおかげか、頭の中はすっきりと晴れている。奮起する衝動に突き動かされ、私は魔力の拳を力一杯振り上げた。



       ◆ ◆ ◆



「────アオッ!」

「っ!?」


 ビクッ、と意識が覚醒する。なぜか右側の首筋が痛い。ゆっくりと目を開ければ、焦った顔のユーンくんが私の鼻をぺちぺち叩いていた。


「起きたか!? 大丈夫か!?」

「く……くびが……いたいです……」


 私は首を真横に折り曲げた状態でベッドに突っ伏していた。力んだ体勢でずっと固定されていたのか、筋が変な悲鳴を上げている。慌てて身を起こそうとすればさらに痛む始末。

 どうにもできないでいると、左耳とシーツの間にクッションが優しく差し込まれた。続けて、びっしょりかいていた汗まで丁寧に拭われる。

 さらりと私の髪を梳いたのは、憑き物が落ちたような顔つきのカイエさんだった。その瞳の周囲は白い。


「ありがとう、アオイちゃん。私を助けてくれて」

「か……カイエさん! 立って大丈夫ですかっ? お加減は、イダッ!」


 肩から首にピキッと刺激が走る。半泣きで回復魔術を発動しようとすれば、今度はぐらりと目が回り、一気に血の気が引いた。立てない。むしろ少しでも下を向いたら吐きそうで、魔力切れだ、とどこか他人事のように自覚する。

 過剰になり過ぎると発熱し、不足し過ぎると貧血になる。便利さの代償か、魔力は繊細な取り扱いが必要な代物なのである。


「君、真っ青だぞ。魔力切れか?」

「……たぶん……ぎもぢわるい……」

「わかったわかった、いいからそのまま寝かせてもらえ。すぐ分けてやるから」


 間を置かず、体内に温かいものが流れ込んでくる。血液のように循環し、四肢の先に火を灯していく活力。緩やかに消えていく胸の不快感にほっと息を吐く。


「私、どうなってた……?」

「ああ、それな。浄化し始めた途端、いきなり気絶したから驚いたぜ。いくら揺すっても全然反応しないのに、魔力だけは動いてるもんだから止めようがなくてな」

「気絶……」


 彼らはあの白い空間を知らないらしい。となると、あれは私にだけ見えた世界──所謂(いわゆる)『精神世界』と呼ばれるものの一種だろうか。スピリチュアルな仮定だが、肉体は確かにここにあったそうだから、精神だけを切り取られたといってもおそらく間違いではないだろう。

 浄化とはそういった行為なのか、それとも何か別の力が働いたのか。里での練習では発生しなかったので、限りなく後者の可能性が大。しかしながら、なぜそうなったのか、あの男性が何者なのかは全くもって不明だ。

 それに疑問点はまだある。


『記憶トんじまってる?』


 私は一体何を忘れているのだろう。あるいは『アオイ』の記憶があれば、彼の言葉の意味を理解できたのだろうか。

 もやもやとまとまらない思考は、ユーンくんの溜め息でふと途切れた。


「ま、浄化自体は成功したみたいだな。カイエからも瘴気は消えている」

「ええ、身体も気分もすっきりしてるわ。ずっと頭の中にあった靄が晴れたみたい」

「そうですか! よかっ──」

「何もよくないけど」


 ぴしゃりと放たれた鞭のような一声。私達を見下ろすケルピーが不愉快そうに目を細めている。


「たかが人間一人の瘴気でこれだけ手こずるようじゃ、山に行くなんて到底無理だ。どう頑張ってもアンタはすぐ死ぬ」

「どういう意味だ」

「水が汚れた原因がこの瘴気だからさ」


 示し合わせたようにユーンくんと目が合う。初耳かつ吉報だった。水質汚染が瘴気によるものなら、出発前からある程度の対策が立てられる。


「山の瘴気はこれより何倍も濃い。浄化の前に自分の感染を止められなくて終わりだ。アンタが途中で死んだら俺はどうなる?」

「……自分のためか」

「始めからそういう契約だろ。まさかここまでポンコツとは思わなかったけど。むしろ今喰っといた方が少しはマシかもなァ」

「お前っ、」

「ユーンくん」


 喰ってかかる小さな体躯を引き戻す。ククサに詰めて頭を撫でてからケルピーに向き直ると、アイアンブルーの眉がピクリと(ひそ)められた。


「ありがとう、ケルピー。はっきり言ってもらえて助かったよ。調査は山に入ってからだからって、ろくに練度も上げないまま行くところだった」

「アオ?」

「ユーンくん、私ね、本格的に浄化してみてわかったんだ。練習用に薄めたものじゃない、本物の瘴気ってこういうものなんだって」


 いくら魔力をぶつけても、なかなか祓いきれないところがあった。ほんの少しでも気を抜いたら取り込まれると、何度も身震いした。

 でも、能力不足も怖気づくのも、全て私が未熟だからだ。


「認識が甘かった。出発まであまり時間はないけど、精一杯特訓する。もしも調査してる暇がないくらいの汚染規模だった時、すぐ浄化に取り掛かれるように」

「……わかった、俺もできる限り手伝う。ただ、くれぐれも無理はするなよ。それだけ強い瘴気となると、見習いの君では元々手に負えないものの可能性がある。里に応援を頼むこともできるんだ、頼むから一人で抱え込まないでくれ」

「うん、ありがとう」


 視界の端でケルピーが「ゲェ」と舌を突き出すのが見えた。本人は私をこき下ろしたつもりなのだろう。けれど実際その通りだし、何より現状の共有と忠告は非常にありがたかった。最近わかってきたのだが、彼にはいくらか天邪鬼なところがあるらしい。

 その時、窺うようなノックがあった。


「……アオ……? 静かになったけど大丈夫……?」


 開いているのかどうかというほどの隙間から、か細い呼び声がする。立ち上がってドアを開けると、ラギーとドミトルさんがウサギみたいに真っ赤な目をしていた。


「す、すみませんでさ……お邪魔かと思ったんですが、カイエの声がしなくなったもんで、大丈夫かなと──」

「ええ、大丈夫よドミトル」


 二人がはっと顔を上げた。困惑したように部屋の中を覗き込み、きちんと背筋を伸ばしてベッドに腰掛ける女性を捉えた双眸がみるみる見開かれていく。


「カイエ……!」


 よろめきながら駆け寄り、ドミトルさんは細君の痩躯を掻き抱いた。カイエさんも「苦しいわ」と涙を滲ませて腕を回す。激しくしゃくり上げるその背を、彼女は愛おしそうに撫でた。

 視線はやがて、途方に暮れたように立ち尽くすラギーに向けられる。びくっと跳ねて後退(あとずさ)りそうになった手を、私は引き留めるように掴んだ。


「ごめんなさい、ラギーちゃん」


 ベッドから降りたカイエさんが床に突っ伏した。まるで土下座のような姿勢は、ラギーの話にあった通り。


「大変だったでしょう。なのに肝心な時に守ってあげられなくて、雇い主失格だわ。本当にごめんなさい。ずっとそれが心残りだった」

「……カイエさん、もしかしてずっと……あたしに謝ってくれたの……?」


 ふらりと踏み出した一歩。そっと送り出すと、ラギーの膝がカクンと崩れ落ちた。頬に貼りついた彼女の髪を細い指が優しく耳に掛ける。


「あ、あたしてっきり、もう顔を見るのもいやなんだって……!」

「何言ってるの。娘の顔を見るのが嫌な親なんていないわ」

「っ、う、ひっ、うああ」


 ワ────ン!

 大音量で泣き出したラギーを夫妻がぎゅっと抱き締める。それぞれボロボロなのに、心の底から幸せそうに微笑んで。

 血は繋がっていなくても、過ごした時間がつくる家族の形は確かにここにある。息を吹き返した彼女達の日常が訪れるのは、きっとそう遠くない。



       ◆ ◆ ◆



 宿屋の外に出ると、辺りは真っ赤な夕焼けに包まれていた。眩しいほどの光が町中に降り注ぎ、往来の少なくなった石畳を橙に染め上げている。

 見送りに来てくれたラギーの薄桃の髪も、今は新鮮なオレンジ色だ。


「じゃ、後でいくつか野菜届けるね。カイエさんが本格的に食べられるようになったら、『花々(かか)』でも取り扱ってくれてるから。食欲ないかもしれないけど、ラギーもできるだけ食べてね」

「ありがと。本当、何から何まで……」

「仕事のうちだよ。これからも何かあったら遠慮しないで教えてね」

「ずず……うん……」


 カイエさんが瘴気に感染した原因について、未だ確たる証拠はない。三人は日頃同じものを食べ、同じ空間にいる。その中で彼女にだけ特別なことがあったとしたら、それはあの食べかけのステーキではないかということだった。

 あれほど激昂したのは瘴気に感染していたからだとしたら。感染者の唾液等が体内に入ったせいだとしたら。度重なる心労が瘴気への抵抗を弱めていたのだとしたら。あくまで予想に過ぎないものの、すぐ傍に元凶がある現状、要注意事項としてモンテスさんと冒険者ギルドに報告するつもりだ。


「あと、これは個人的な話なんだけど……ラギーが困ってるならいつでも相談に乗るよ。友達としてね」

「ね~~~アオ絶対泣かせにきてるじゃん~~~もう優しいのやめてよ~~~」

「ゴ、ゴメン……」


 友達なら気にかけるのは当然のことだと思ったのだが、彼女はまた泣いてしまいそうで、どうも上手くいかない。おろおろしていると、背後から「あ」と低い声が飛んできた。


「昼間の……」

「ウワッ、ちょっ」


 そこにいたのは、ラギーに乱暴な振る舞いをしたナンパマンだった。思わず口の端が引き攣る。

 タイミングが最悪過ぎだ。そしてなぜ一度断られているのにこっちに来る。そうでなくても今日の彼女はギリギリなのだ、さらに精神的負荷がかかるようなことがあれば──。

 ええい、迎撃も致し方ない。そう身構えた瞬間、左頬に柔らかな衝撃があった。


「ぶちゅ」

「ひえっ!?」

「ぢゅうううううう」

「えええ吸ってない!? すごい勢いで何か吸ってないっ!?」

「君、何か用か? 見ての通り肉食獣が捕食中なんだが」

「アッソッスネスマセッ」


 ユーンくんに声をかけられたナンパマンは秒速で退散していった。あの、ついでに私も助けてほしいです。


「っぷは──! 生き返ったあ──!」

「うう……私はエールか何かなの……」


 吸われまくったところがヒリヒリする。美女のキスがこんなに痛いものだとは知らなかった。

 美女は次にハグをくれた。花のような石鹸のような、とにかく清潔な良い匂いがふわりと漂ってきて、ちょっと赤面しているのを行き交う人々に見られているのが恥ずかしい。ユーンくんとケルピーは助けてくれないならどっか行っててください。


「ら、ラギー?」

「……さっきの、カイエさんの中にあったやつ、瘴気だっけ。それがたくさんあるところ、行くんでしょ」

「あ、聞こえてた? そうそう、二週間後くらいには出発する予定なんだ」

「…………そっか」


 私の肩に額を擦りつけ、ラギーは絞り出すように言った。


「お願い。何があっても絶対生きてミネフ(ここ)に……あたしのところに戻ってきて」


 縋るような声音だった。あんなことがあったばかりで彼女も不安なのだろう。不謹慎だが心配してもらえるのが嬉しくて、華奢な背をポンと叩く。


「もちろん。ちゃんと戻るよ」

「……絶対意味わかってないでしょ。ふん、アオのばか」

「ぐえええ」


 あらん限りの力を込められて足が宙に浮いた。アッ、ちょっと腰骨がやばいかもしれない。咄嗟に契約者達へ助けを求めれば、豆粒のような後ろ姿は遥か彼方。嘘ですごめんなさい戻ってきてください!

 叫びは結局届くことなく、それからしばらくの間、宿屋の前には白目を剥いたハーフエルフがオブジェのように晒され続けたのだった。

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