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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
48/80

第48話 黒の残滓

 宿屋『牡鹿と牝山羊』一階奥。従業員用の居住空間の隅から、それは聞こえていた。


「……あなた……ねえ、ドミトル……どこなの……」


 薄暗い廊下に悲痛な呼び声が木霊する。ひどく悲しそうで、世界に独りきりみたいに心細そうで、今すぐにでも肩を抱いて慰めたいと思わせるような響き。止むことのないフレーズは悲壮感に満ち満ちている。


「……だれか……いませんか、だれか……おねがい……」


 私達をここに連れてきてくれたラギーも、迎えてくれたドミトルさんも俯いている。黙っていても、彼らの心痛は苦しいほど伝わってくる。


「う……うう……やめて……やめて……しずかにしてえ……っ」


 不安。悲嘆。絶望。逃避。あらゆる負の感情を詰め込まれて鍵をかけられたような彼女は、宿屋の女将であるカイエさんその人だった。


「……ああして日がな一日泣き通しなもんで……飯も風呂も、一人では何にもできなくなっちまって……かといって怪我してるわけじゃあないから、いくらポーション飲ませてもどうにもならねえってんで、頭ァ抱えとりまして……」


 悔しそうに歯噛みしたドミトルさんが教えてくれる。曰く、カイエさんがこうなってしまったのは最近のことだが、原因と思しき心労は随分前からあったらしい。

 前提として、『牡鹿と牝山羊』はミネフ唯一の宿屋である。客は旅人だけでなく、冒険者ギルド所属の者も多い。

 当時はまだ一階にも小さな食堂があり、彼女はそこで腕を振るっていた。任務から解放されて悪酔いする客達を時に諌め、時にいなしながら、女将として毅然と立っていたそうだ。


「でも、だんだん絡まれ方が変わってきて……」


 ラギーとかいう従業員を出せ。ラギーという女に酌をさせろ。ラギーを今晩部屋に来させろ。ぶつけられる要求や文句はどれも同じ、新しく雇い入れた若者に対するものとなった。そうでなくても隙を突いて足や尻に手を伸ばしたり、わざと自身に酒を零したりして、不手際の対価をせびることが日常のように起きた。

 たまりかねてロンドルフさん達を招けば、今度は客足そのものが遠退いた。あそこは獣人が闊歩する宿屋だ、きっと朝には喉を裂かれているだろう。根も葉もない噂が蛆のように湧き、全員が疲弊していたところに、決定的な出来事があった。

 きっかけは、とある酔っ払いがラギーにちょっかいをかけたことだった。案の定こっぴどく振られ、酒でより増幅された男の苛立ちは、間に入ったカイエさんに向けられた。


『こんなまずいモン、自信満々に出してくんじゃねえよッ!』


 筋肉で隆起した腕に思いきり払われた皿が直撃し、カイエさんは食べかけのステーキとソースを頭から浴びた。その時何かが折れてしまったのだろう。彼女は翌朝から部屋を出てこなくなったという。


「掃除に来てくれた時、誤魔化してごめん……全部あたしが来てからなんだ……嫌な客が増えたのも、食堂を撤去することになったのも、カイエさんがああなっちゃったのも、全部──」

「それは違うよ、ラギー」


 爪が真っ白になるほど握り締められたラギーの拳を解く。はらはら伝う涙を拭うと、彼女の唇がはく、と震えた。


「原因は全部向こうだよ。ラギーが思い通りにならないからって当たり散らすのが悪いんだから。お願いだから自分を責めないで。ラギーの綺麗さは他人にどうこう言われるためにあるものじゃない。ラギーの個性で、一生ラギーだけのものだよ」

「、アオ……っ」

「落ち着くまで座ってて、ね? 私、その間にカイエさんに会ってくる。心の傷に回復魔術は効かないけど……でも、何かしらできることがあるかもしれないから」


 ドミトルさんにラギーを預け、入室の許可をもらう。カイエさんに呼ばれ、部屋に入れるのは彼だけだった。ラギーの顔を見ると身を守るように床に突っ伏してしまうらしい。彼女がいっそう自分のせいだと塞ぎ込んでしまうのも無理はなかった。

 けれど、決して彼女達が自責の念を背負うことじゃない。肩の上のユーンくんもしみじみと頷く。


「元はといえば理性の効かない連中のせいだしなあ」

「そう、そうだよ! 酔ってるからって好き放題していいわけじゃない! ……ところで」


 おそるおそる振り返れば、憮然とした顔つきの年若い青年。


「やっぱり一緒に行くんでしょうか、ケルピーさん……?」

「くどい。早く歩け」

「ウイッス……」


 シンプルなチュニックとリネンの長いズボン。ドミトルさんに借りた服を着て、気怠そうにポケットに手を突っ込んだ彼は、どこからどう見ても人間だった。

 しかしその姿も、こうしてせっつかれる意図も不明だ。ぶすっとしながらもここまでついてきて、屋内は狭いからと人型になって尚行こうとするなんて。やはりラギーのことが気になるのだろうか。

 ぎし、きし、と木目が軋む合間に呻き声がする。程なくして辿り着いた一室のドアの前で、深呼吸をしてから控えめなノックを鳴らした。


「カイエさん、浄化師見習いのアオイです。ご無沙汰してます」

「…………」

「すみません、失礼しますね」


 少しだけ開けた隙間から上半身を覗かせる。二台あるベッドの向こう側、壁との僅かな隙間にだらりと垂れた頭があった。申し訳程度に毛布を羽織り、冷たい地べたにへたり込む様は、すぐ近くにある花瓶の中の枯れた花そっくりだった。

 ──痩せた。すぐに気づいた。夫婦は似るものだからか、ドミトルさんほどの恰幅とはいかないまでも、頼もしいくらいどっしり構えている人だったのに。その頃既に気が滅入ることがたくさんあったろうに、歓迎会ではラギーと同い年であることを喜ばれ、「たくさん仲良くしてほしい」とふっくらした両手で包んでくれたことを思い出す。

 それが今は見る影もない。こけた頬、骨の浮き出た関節、生気を失った髪。まさかこんなことになっているとは思いも寄らなかった。

 一歩離れた場所に膝をつくと、虚ろな視線がぼんやりと上向いた。


「よっ」

「こんにちは、お見舞いに来ました」

「…………」


 カイエさんの目の焦点は合っていなかった。足の速い虫を追うみたいに、ひっきりなしにカクついている。

 それに加え、意識も正常に保っているとは言い難かった。聞こえてはいるようだが、ドミトルさん以外のことは認識が難しいらしい。ほとんど寝ていないようだから、他に意識が割けていないのかもしれない。


「カイエさん、今日は家の畑で採れたお花を持って来たんです。お好きだって聞いて」


 マートル・ビーとドライアドが薦めてくれたピンクのガーベラは、太陽の光と魔力を存分に吸収して大輪を誇っている。中央から花弁の先にかけての淡いグラデーションが可愛らしい。そこにあるだけで気分が明るくなる花だ。


「花瓶、お借りしますね」


 ベッドサイドテーブルに手を伸ばした時だった。短い悲鳴が鋭く空気を裂いて、壁に打ちつけられた骨のような身体が鈍い音を立てる。


「ぁ、あ、あ」

「カイエさん?」

「ひっ!」


 細くなってしまった両腕が顔の前で交差される。己を庇うように全身を可能な限り丸め、ずりずりと角に後退していく様は、何かに怯えているようだった。痙攣する腕の間からこちらを窺う瞳孔が激しく収縮している。不意にギクリと全身が強張った。

 ──隣の白目が黒く濁っている。


「瘴気だ」


 背後から抑揚のない声が降った。


「花に含まれるアンタの魔力に気づいた。本能的に浄化されると恐れてる」


 つらつらと述べるケルピーに、ハーフエルフの里で学んだことが思い起こされる。

 瘴気とは、あらゆる不浄を孕む邪悪の元凶であり総称である。発生原因は未だ解明されていないが、実態は黒い(もや)のようなもので、これに感染することによって様々な問題が発生する。凶暴化、不眠、幻覚、突然死等々、深刻なトラブルほど瘴気が関わっていることが多い。特に精神が汚染された場合、肉体と異なり瘴気を取り除くのは至難の業で、ごく限られた者しか対処できないといわれている。

 その一例が浄化師だ。故郷の里で生まれるハーフエルフの魔力は浄化能力に特化しているらしく、瘴気対策の専門家としても各地に派遣されている。正直まだ普通の魔力との違いはわからないけれど、とある槍の呪いの緩和然り、もたらす効力には私も覚えがあった(まさか瘴気以外にも効くとは驚いたが)。


「なんで瘴気がカイエさんに……」

「俺が知るかよ。ていうかほっといていいわけ? そいつ、そのうち衰弱して死ぬけど」

「!」

「アオ、里で練習した通りだ。いけるか?」

「う、うん。……失礼します」


 逃げ惑うカイエさんの片手を何とか捕まえた。弾みで折れてしまいそうな細さだ。引っ込めようとするのを左右の掌で慎重に固定し、魔力をそこに集中させる。


「ひっ、さ、さっ、さわらなっ、」

「……怖がらせてごめんなさい、なるべく早く済ませます。目を閉じていてください……」


 我々の浄化方法は至って単純、畑にしたように、瘴気汚染の対象に自分の魔力を流し込むだけ。魔力自体が浄化作用を持つので、その筋の道具や魔物の素材を併用しなくても可能なのだそう。


「……う……!」


 魔力と入れ替わりに流れ込んできた、言いようのない不快感に鳥肌が立つ。身体の内側という内側を隙間なく引っ掻かれているような、無数の虫にざわざわと這い回られているような。私を私たらしめている芯のようなものが、黒い靄にゆっくりと侵食されていく。当たり前だが、里での練習よりずっと濃くて重たい瘴気だった。こんなものが四六時中体内にあれば、感染者がああなってしまうのも致し方ない。

 この邪気を自身の中で浄化しなくてはならない。放っておけば、今度は私が瘴気に感染してしまうからだ。つまり浄化師の方法とは、魔力によって押し出した瘴気を身の内に取り込んで浄化する、言わば「肉を切らせて骨を断つ」捨て身のようなものだった。魔力自体に浄化作用を持つ一族だからこそできる、究極にして最大の戦法である。


「アオ、深呼吸しろ。落ち着いて出力を一定に保て。大丈夫、里でやっただろう? 瘴気を塊に分けて、端から魔力で包んでポイだ。な、掃除と同じだ」

「うん……!」


 脳内でイメージを広げる。広がっていく靄を掌を模した魔力で掬い上げ、ぎゅっと握り潰して浄化。次を、そのまた次を、愚直に何度も繰り返す。ベテランの浄化師ならば、それこそ刹那のうちに霧散させられるのだろうけれど、実務経験がほとんどない私にとっては一番着実なやり方だった。

 そうして一際濃い瘴気をむんずと掴んだ、その瞬間────。


「──────…………は、……え?」


 視界が白く焼けたかと思えば、辺りは真っ白だった。

 上下左右、どこを見ても継ぎ目のない白い世界が続いている。天井にも壁にも果てはなく、手を伸ばしても空を切る。とにかくどこまでも白一色だ。

 そんな中で私は一人だった。寸前まで隣にいたユーンくんも、カイエさんもケルピーも誰もいない。耳に届くのは自分の浅い呼吸だけ。試しに二、三歩移動してみても、足音一つしなかった。

 ここはどこだろう。何がどうなってこんなところにいるのだろう。じわじわと焦燥に駆られていく途中でハッとした。

 私は『ファンデア・テイル』に迷い込んでいる。ゲームの中に吸い込まれたのか、夢のような形で主人公の追体験をしているのかは定かではないが、ともかくゲームそのものに関わっているのは確かだ。であれば、大なり小なり発生する()()に遭遇する可能性もゼロではないはず。


「まさか、バグ……?」

「バグってなんだ?」


 口から心臓が飛び出しそうになった。バクンッ、バクンッ、と痛いくらいに跳ねる鼓動のせいで、へなへなと座り込みそうになる。誰。なぜ。その二言がぐるぐる巡るが、喉をセメントで塞がれたみたいに声が出ない。

 ──後ろに何かいる。でも、()()()()()()()()()()()()()

 縮こまって必死に息をしていると、ふっと頭上から影が落ちた。


「んはは、相変わらずへっぴり腰だな。向こうでそれなりにやって、少しはマシになったと思ったのによ」


 蠱惑的な微笑が深まる。首を傾げてこちらを覗き込んでいたのは、半身が靄に覆われた謎の人物だった。

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