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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
47/80

第47話 わたしの心は雨模様

 背後にずっといる『後ろに……』の正体を突き止めるべく、ユーンくんと一時的に別れた私は、一目散に大通り裏の細い路地へ飛び込んだ。

 続けざまに初級基礎魔術の小さな追い風で加速。一本道を全速力で駆け抜け、角に滑り込んで身を隠す。さらに念のため、もう一つ奥の角まで走った。ここまで来れば撒けただろう。

 凄まじい形相というからには、私以外には姿が見えているため、相手はおそらく半透明のアレではない。それでも怖いものは怖いので、一人で休憩なんて以ての外だった。狙撃でもされて野晒しになったらどうしてくれる。

 そんな私の全身を、淡いシナモンブラウンの膜が包んでいる。「結界を張ってほしい」と頼んだ際のユーンくんの呆れ顔にはグサリときたものの、元はといえば教えてくれないのが意地悪なんじゃないか。そうだそうだ、私は悪くないのだ!


「……、……!?」

「~~……! ……っ……!」

「んん?」


 角の向こうが何やら騒がしい。男女の言い合うような声がだんだん激しさを増している。


「だからッ! 触るなっつってんの!」

「……ラギー?」


 首を伸ばした先に、見覚えのあるホワイトピンクグレージュ。その細い二の腕は誰かに掴まれており、彼女はそれを引き剥がそうと躍起になっていた。

 いつかの宿屋での光景がフラッシュバックする。ラギーの表情は、嫌悪を前面に押し出したあの時と全く同じだった。


「しつこいってば! あんたらみたいなのがいるから……っ!」

「なんだよ、話すんのもだめなのかよ、ちょっとくらい──」

「お待たせー! ごめんね、遅れちゃった!」


 お腹の底から声を張れば、自然と一歩が踏み出せた。その勢いのまま、二人の間に強引に割り込む。

 真正面から捉えた男性は成人手前くらいの風貌だった。気合を入れて整えたであろう眉根が寄せられ、ラギーから離れた五指がグッと握り込まれる。一瞬手が出るかと身構えたが、不思議と怯えはなかった。殺気立った魔物の方がよっぽど恐ろしいことを私は知っている。

 それに、今はユーンくんの結界もある。まともに殴りつければ骨にヒビくらいは入るはずの。そのことが強く背中を押してくれた。


「ごめんなさい、私達約束してるので! じゃ、行こう」

「あっ」


 小さな呟きが路地裏に反響したが、振り返らずに進んだ。ラギーの手をしっかり握り、早足で大通りへ戻る。そうして、行き交う人々のざわざわとした喧騒が耳に届いた瞬間、とてつもない安堵がこみ上げてきた。


「ふう……しばらくここにいない方がいいかな。このまま歩いて(うち)に行こう。時間は大丈夫?」

「う、うん。今日、休み……」

「そうなんだ! せっかくのお休みなのに災難だったねえ」


 俯くラギーの顔は見えない。けれど、磨かれた指先がそろりと絡んできて、彼女が味わった恐怖は窺い知ることができた。

 同時にみるみる湧いてくる庇護欲。この綺麗な蝶のような人を守らなくちゃ──大役を仰せつかった騎士のような心持ちで、私はもう一度姫君の御手を握り返した。



       ◆ ◆ ◆



「おかえり。お、ついに『背後霊』が正体を現したか」


 尾行されていないか注意しつつ、到着した我が家にて。開口一番そう告げたユーンくんに「?」が浮かぶ。


「ユーンくん、ラギーだよラギー。ちょっとお茶しようと思って来てもらったの」

「……ごめん、その『背後霊』、あたし」

「はいぃ!? ちょ、ちょっと待ってね、とりあえず落ち着いてから聞かせてくれる?」


 一体どういうことなのか。取り急ぎお客様には庭の急拵えテーブルセットに座ってもらい、手早く準備に取り掛かる。

 最近の食事は(もっぱ)らこの野外スタイルだ。ユーンくん達が半ば無理矢理連れてきてくれるようになったとはいえ、ケルピーの怒りや警戒はまだ解けていない。そんな中で得体の知れないものを口にするのは嫌だろうと、庭に調理器具を持ち込んで、料理の過程をできるだけ開示するようにしていた。


「ラギー、お腹空いてる? 結構しっかりめのおやつ出してもいい?」

「あ、嬉しい嬉しい。空いてなくても、アオが作ってくれたものなら全部食べるから大丈夫」

「んへへ、照れる。じゃあどうぞ、春野菜のパイです。召し上がれ」


 キャベツとタマネギ、ベーコンの三角パイを皿に盛る。普段は色々と中身を変えて作る、我が家の定番おやつ。冷凍すれば作り置きもできるし、その日の気分で塩味と甘味を選べて便利なのである。

 これに白ワインを紅茶で割った飲み物を合わせれば、立派な軽食セットの出来上がりだ。


「あったかー! ねえ、野菜の味すごい濃くない!? 超おいしい!」

「よかった。お代わりあるから好きなだけ食べてね。ユーンくん、こっちのお皿は皆で分けてくれる? ケルピーも呼んで──うわっ!?」


 振り返ると目の前にいた、大きな体躯の馬。ムーンストーン色の瞳に仰天した私が映るほどの距離で静かに佇んでいる。

 内心、珍しいなと思った。ほとんど口を開かないのはいつものことだけれど、ここまで近くに来たのはルルフィン湖以来かもしれない。


「びっくりした……あ、これ、今日のおやつ。中はまだ熱いから気をつけて」

「…………」

「ケルピー?」


 瞬きすらない、じっと固定された視線はラギーを見ている。そのまま数秒が経過した頃、不意に皿の上のパイの半分以上が一口で掻っ攫われ、気づいた時にはケルピーの姿は消えていた。「抜け駆けだ!」と憤慨するユーンくん達の声がどこか遠くに聞こえた。


「今あたし、見られてた?」

「そう見えたけど……」

「なんだろ。でも、アオの新しい契約魔物、初めて見た。シュッとしてて綺麗な馬だね」

「ね。人型も綺麗なんだよ」

「人型? 人間になれるってこと?」

「うん、私達よりちょっと歳下くらいの男の子」


 私とラギーは成人を越えた同い年で、人型のケルピーはそれに届くか届かないかくらいに感じる。丁度、今日のナンパマンとさほど変わらないような。

 おっと、嫌なことを思い出してしまった。悶々としていると、芸能人みたいな美貌がずいっと視界に割り込んでくる。迫力のある上目遣いがちょっとコワい。


「つまり、今のアオは人間の男と一つ屋根の下なの?」

「人間じゃなくて魔物だよ、ラギー……そういう相手は同じ種族になるんじゃないかな……」

「えー、人間になれるならわかんないよ! 本当、気をつけてよアオ! 必要以上にニコニコしたり薄着でいたり、手料理なんて以ての外──あ゛っ!? 野郎、今フツーに食べてやがったな!?」

「いやいや……それを言うならむしろ、あんなに見つめられてたラギーの方がそれっぽいと思うよ。一目惚れとかさ」

「ううん、それこそない。絶っ対、ない。あたしがこの瞬間男になるくらい、ない!」

「わ、わかるんだ」

「わかるよ。……そういう雰囲気くらい」


 グラスを傾けた手が止まる。ああそうか、美しい彼女はずっとそうした目を──。

 何を言ったらいいかわからないでいる私に、ラギーは穏やかな笑みを浮かべた。


「今日、ありがとね。いつもだとカウンターがあるし獣人三兄弟(用心棒)もいるから、ちょっと油断しちゃってたんだ。でもアオ、超かっこよかった」

「え、えへっ、そうかなっ!? 実はユーンくんの結界があって、パンチ一発くらいなら大丈夫かなって強気になってて……」

「何だって!? 俺は殴られてもいいように結界を張ったわけじゃないぞ!?」

「うわあ聞こえてたっ! ごめんなさいごめんなさいかくかくしかじかでつい~~~!」


 高速で飛んできたユーンくんが頭にビタッと張りついたせいで、パイの欠片がパラパラ落ちてくる。尖った破片が刺さって地味に痛い。そして尚食べるのをやめてくれない。


「あはは! 頭の上パイまみれ!」

「ううう……髪の毛念入りに洗わなきゃ……」

「ふふ、ふ……アオはさ、そうやって気が強い方じゃないのに、()()()()()はすごく強くなるんだよね。前もそうだった。めんどくさいサルみたいな奴らにも怒ってくれてさ、いつもあたしを助けてくれる……だから今日も、見かけてつい追いかけちゃって……」

「……ラギー?」


 様子がおかしい。朗らかによく動く凛々しい太眉も勝気そうな吊り目も、今はただただ伏せられて、垂れ下がる長い髪によってカーテンのように覆われていた。


「どうしたの……? 何か、あった……?」

「あたしのせいなの、あたしのせいで、宿屋(ウチ)はもう……」


 絶望の淵で垂らされた一筋の糸にしがみつくように、ラギーは私の服を何度も掴んでは引いた。華奢な背はかわいそうなほど震えている。咄嗟に抱き留めれば、小さな嗚咽が鼓膜を揺らした。


「…………たすけて、アオ…………」


 ぽた、と手首に熱いものが落ちる。喉の奥から絞り出すようなその慟哭は、まるで神への祈りに似ていた。

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