第46話 固形薬と不定形幽霊
「これが魔力回復に特化した固形薬か。はは、随分可愛らしいな」
整った白い指先が、褐色の猫の顔を上下左右にひっくり返す。長い睫毛が興味深そうに何度も瞬いていた。
この執務室の主──アッドさんの前には、乾燥を終えたばかりのウサちゃんやクマちゃん、星や雲等の様々な形をした濃いハチミツ色の物体が大量に広げられていた。私達は今、出来上がった薬がオルゼスタさんにふさわしいものか、彼をよく知る人物に判断を仰いでいる真っ最中だ。
「元は粉末にした薬草を押し固めた固形のポーションだったんですが、材料を変えて応用してみました。形はちょっとした自己満足というか……」
「うん、こだわりは大事だな。オルゼスタも別に嫌いじゃないと思うぞ。……ふむ、匂いは甘い。ハチミツと……何かの果物か?」
「はい。今お持ちの方は、イチゴとマルベリーをドライフルーツパウダーにしたものとハチミツを合わせました。こっちはキウイとブルーベリーです。全部畑で採れたもので、一から十まで私達の魔力が含まれているので、我ながらその……なかなか良いものができたんじゃないかと」
「なるほど。その情報だけでおおよその信頼に足る」
「ありがとうございます!」
例によってニヤけそうな口元を引き絞りつつ、試してもらう前に注意点を一つ。私達の頭が沸騰しかけたあの現象についてだ。
「オホン……あのですね、アッドさ──いやもうなんかモグモグしてる!!」
「あっはっは! うん、甘酸っぱくて美味いな! それに食感が面白い。ハチミツの固まった部分がシャリシャリして……」
その瞬間、ピタリとアッドさんの動きが止まった。「あ」と私とユーンくんの声が揃う。
「あっはっはっは」
満面の笑顔はそのままに、彼は素早くソファから立ち上がると、スタスタ部屋を横切って出て行ってしまった。廊下に響く爆音の笑いがだんだん小さくなっていく。
「ええ……どこまで行っちゃう気……?」
「うわまずいな。アオ、来てみろ」
大きな腰窓からユーンくんが指差す方を窺えば、見慣れた腰丈の黒いマントが翻り、屋根から屋根へ飛び移っていくところだった。なぜ屋外に、そしてどこを目指しているのだろうか。
その目的は刹那のうちに判明した。町の北側、モンテスさんの屋敷方面にて、突如巨大な水柱が上がったからだ。
状況が飲み込めずにいると、眼前にバサッと黒い塊が降ってきて、思わずエビもかくやの勢いで飛び退く。
「ギャ────ッ!?」
「ああ、今開ける」
窓をノックしたのはずぶ濡れのアッドさんだった。前髪を豪快に撫でつけ、「あっはっは」と変わらない笑みで軽やかに窓枠を跨ぐ。
「本当にお前達はいつも行動が早いな! その上きちんと内実が伴っているから驚かされる!」
「だ、大丈夫ですか……?」
「なに、少し魔力が過剰になったくらいだ。もったいないから水源に流し込んできたが、先んじて減らしておかないととんでもない回復量だな。ふう、懐かしい感覚だった」
そう告げるアッドさんの双眸は紅い。気分の高揚がまだ残っているようで、黒い瞳孔が人外染みた収縮を繰り返す。それも、仕切り直すような柏手の後にはいつもの黒目に戻っていた。
「さて。結論、この固形薬はオルゼスタにも不足はないだろう。アイツの魔力周りは少々特殊な仕様でな、回復するのに時間も費用も普通の倍はかかるんだが、これでかなり短縮できるはずだ。ゼロから満タンまで一度に複数個、おそらく減りは早いだろうが……量産は可能そうか?」
「前もっておっしゃっていただければ大丈夫です。作り方は難しくないんですが、材料の準備に時間が必要で」
水分のあるフルーツを粉末にするためには芯まで乾かさなければならないし、完成後もまたしばらく乾燥させることになる。なるべく水気を抜くことが殺菌と日持ちに繋がるので、ここは妥協できないのだ。時間短縮のために火の魔石の確保も視野に入れている。
「わかった、それも伝えておく。ここにある分は送って構わないか? オルゼスタに試させたい」
「はい、よろしくお願いします」
「鷹を飛ばしてやろう」とほくそ笑む彼が支部長名で手紙を出してくれるらしい。感想を伺うのはちょっと緊張するが、役に立てばいいなと思う。
ちなみに、もしオルゼスタさんに気に入ってもらえた時は、「箔がつくから絶対に契約を取り付けてこい」とニエマ氏から言いつけられている。正直報告のタイミングを誤った。期待させるだけさせておいて、いざおじゃんになったら一体何を言われるか。ああ、既に胃が痛い気がする。
無意識に腹部を擦っていたせいか、アッドさんがきゅっと目を細めた。
「……ケルピーのせいか?」
「え……あっ! 違います違います! 全然ケルピーのことじゃないです!」
「ならいいが……必要なら使い魔を監視につけるぞ。お前が奴のために神経をすり減らすことはないからな」
「その件は……もう大丈夫そうなんです。ね」
だって、向き合う勇気をもらえたから。それをくれた当人の旋毛をそっと撫でる。
「何にせよ、コーヒーはやめておいた方が無難か」
「そんな、お構いなく」
「遠慮は聞かん。それとも茶を飲む時間もないか?」
普段、用が終わればさっさと退出してしまうから、これでも結構寂しいんだぞ。麗しの貴人に柳眉を下げられて、断れる人間がどれほどいるだろう。ユーンくんなんてとっくにお茶請けのフロランタンを頬張っている(甘いものに飛びついただけかもしれないが)。
「……実は、ポーションと状態異常回復薬の固形版もついでに作ってみたり、とか……お時間大丈夫でしたら見ていただけますか……?」
「あっははは! 時間なぞ、お前のためならいくらでも作るさ! 是非見せてくれ!」
その後は丁寧に淹れられたお茶をいただきながら、昨日の昼食後に作った各種固形薬の試作品を提示した。液体薬と同じく、魔力回復よりも薬効が優先されているため、魔力持ちでないフォルクさんやフィオラさんが過剰魔力に酔うこともない。商品として販売するにはハードルが高いけれど、身近に配布する分の生産数なら叶う。褒めてもらえるのが嬉しくて、説明にもつい熱が入ってしまった。
気づいた時には後の祭り、あれよあれよという間に依頼を上乗せされていたのは言うまでもない。ユーンくんのジト目が痛い。
◆ ◆ ◆
アッドさんとの面会を終えたら、次は教会へ届け物だ。
「クアリックさん、こんにちは。ポーションお持ちしました」
「これはこれは、ありがとうございます。アオイ殿もお忙しいのに申し訳ない」
「とんでもないです、むしろ息抜きに丁度いいですよ。すぐ形になるものを他の作業の合間に作ると、細かく達成感があるというか」
「おや、ではまた何か素晴らしいものを画策していらっしゃるのですかな?」
「へへへ、こういうものなんですけど……」
あまりに引き出し上手な神父様に乗せられ、ホイホイ試作品を出してしまう。クアリックさんは固形ポーションの一つを手に取ったものの、その枯れ葉のような色味に戸惑い、「新種の角砂糖ですかな……?」と困惑した声を出した。
「薬草の粉末をハチミツで練った、固形のポーションなんです。裏山の調査に行く時に便利かなあと」
「ほう……ほう、ほう……! 粉末状のポーションなら見たことはありますが、あれは喉に張りついて飲みにくく、液状が主流になったのもそのせいでして。確かにこれなら含みやすく、持ち運びやすい。しかし、作るのはさぞかし大変でしょう」
「はい、作業の前に色々と準備が必要で。でも、近しい人に配る分なら何とか。それで、よろしければ試していただくことは可能でしょうか? アッドさん達にもお願いしたんですが、意見や改良点があればいただきたくて」
「なんと、私でよろしいのですかな」
「もちろんです。スタイラーさんも気が向けば」
「向かせましょう」
「あはは、よろしくお願いします!」
詳しく尋ねたことはないけれど、騎士団を辞めた今でも剣を握る機会はあるのだろう。堂に入ったスタイラーさんの帯刀姿を思い出した瞬間、どこからかくしゃみが聞こえた気がした。
「こちらのポーション作りの方はどうでしょう? 手は足りそうですか?」
「ええ、今のところは何とか。ただ、今後は徐々に外部の薬屋からの購入を減らし、いずれはミネフ支部の発注を全て町で賄うようですから……正直、すぐに厳しくなるでしょうな。早めに求人を募ろうと思っているところです」
「求人……」
ふと、すりこぎ棒を自在に操っていた小さな手が脳裏に過ぎる。『彼女』なら求める人材にピッタリかもしれない。
「すみません、求人の件、少しだけ待っていただけますか? 心当たりがありまして……それまで私もいっぱいポーション作るので!」
「かしこまりました。時にアオイ殿、先程から後ろに……」
「え?」
釣られて出入口を振り返る。何もいない。顔を戻すと、クアリックさんはまだ同じ方向を見つめている。臓腑の奥がひやりとした。
勇気を出してもう一度振り返るが──やはり何もいない。
「え……? 何もいないですよね……? ははは、まさか……半透明のアレとか……?」
「ふふふ」
「何で笑ったんですか!? 何で笑ったんですかっ!?」
「いえ、正体はすぐにわかるでしょう。でもその前に」
微笑むクアリックさんが優雅に片目を瞑る。
「今日のどこか、少しお一人で休憩なさった方がよろしいかもしれませんな」
◆ ◆ ◆
「なに……? こわい……何がいたの……? 背後霊……? 一人になった瞬間殺されたりする……?」
「ありゃあ確かに恐ろしいな。俺の口からはとてもとても」
「ユーンくんがダメなら私だってもっとダメだよ! お願いだから教えてよォ!」
おっかなびっくり教会を出て(扉付近を何度も確認したが、やはり何もいなかった)、次なる目的地へ向かうために私達は広場を横切る。誰も何も教えてくれないので、私だけがビクビクと挙動不審なまま。
夜じゃないのに幽霊は出るのか。そもそもこの世界に幽霊というものは存在するのか。そもそもそもそも、どうしてこんなことを考察せねばならぬのか。
内心くだを巻いていると、不意に大きな影が目の前に被さった。
「ワッフ」
「ンギャアッ!?」
頭のてっぺんに柔らかな重みが乗った。パニックになって慌てて這い出せば、視界いっぱいのウルフグレーに、こちらをじっと見下ろす琥珀色の輝きが二つ。
どんな獲物も決して逃がさないといわれる犬の魔物・ライラプス──この町では調教師トアンくんの相棒であるエカくんだった。
「あ゛あ~びっくりしたあああ……大きい声出してごめんね、元気? 相変わらず立派な毛並みでかっこいいねえ」
「オン!」
「珍しいね、今日はトアンくんと一緒じゃないのかな?」
「お呼びですか?」
「ンギャアッ!?」
背後の気配に今度こそ腰が抜けてしまった。思いきり膝も打ちつけて、もう散々だ。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「ここ、こっちこそごめんなさい……ちょっと心の準備ができてなくて……」
差し出されたトアンくんの手をありがたく借り、よろよろと起き上がる。先程から醜態を晒してばかりでつらい。でも、ここで彼に出会えたのは僥倖だった。
「トアンくんって、確か今もパラルフェルに行ってくれてるよね?」
「はい、今日もこれから行こうかと。アルミラージの子供の方も大分力の使い方を覚えてきたので、頻度は減らそうかなと思ってますけど」
「あ、丁度よかった! 実はマリアちゃんに聞いておいてもらいたいことがあって」
教会の求人募集について話せば、トアンくんはくりくりした目をパッと輝かせた。
「それ、すごい良い話ですよ! マリアちゃん、アルミラージ達の餌代を稼ぎたいって言ってたので!」
トアンくんによると、パラルフェルでは現在、突然増えたアルミラージ達の世話に忙殺されているらしい。普通のウサギが魔物になってしまった上、さらに産まれた子供が五十匹。おまけにそれぞれがよく食べるので、いくら動物を狩っても追いつかないという。
そして、幼さ故にマリアちゃんは狩りについていけない。自分が面倒を見ると意気込んだ手前、悔しい思いをしているとトアンくんに語ったそうだ。
「マリアちゃん、小さいのに本当に偉いね……」
「ぼくも結構前からこの仕事してますけど、さすがにあの歳から本格的に働こうとは考えなかったです。精々が親の手伝いくらいで」
「いやいや、トアンくんだって立派だよ! でも、普通はそうだよねえ……」
この世界に生きる人達は総じて早熟である。魔物が危険な隣人である以上、そうならざるを得ないのだろうが、その心身の成熟振りは常にこちらの想像の先を行く。毎日学校の机に頬杖をつき、放課後は遊び倒していた私としては、率先して働く彼らにしばしば驚かされるのだ。
しかし、マリアちゃんがその気ならミネフも助かる。給金はもちろんだが、もしかすると現物支給の方がよいだろうか。
「とりあえず、マリアちゃんと親御さんに聞いてみますね」
「うん、お願いします。私も餌なら提供できるかも」
「絶対喜んでくれますよ、それ! アオイさんのところの野菜おいしかったもんね、エカ!」
「アオンッ」
「あ、ありがとう……!」
聞けば、『花々』の料理に私達の作物が使われ始めたそうで。ジゼルさん達が事あるごとに宣伝してくれるため、住民には周知の事実なのだとか。
胸のあたりが猛烈にこそばゆくなる。時間が空いたら皆で食べに行ってみることにしよう。
「じゃあ、ぼく達は行きますね。……あ、そうだアオイさん、さっきから後ろに……」
「えええまたっ!? なに!? なんで何もいないの!?」
「あー恐ろしい。どんどん凄まじい形相になってるよなあ、トアン?」
「ふふ、限界が近いのかも!」
「こわいこわい限界ってなに!? 突破したらどうなるの!?」
「そうですねえ……」
先刻のクアリックさん同様、微笑むトアンくんがにっこりと告げる。
「知りたいのであれば、今日のどこか、お一人でひと息ついた方がいいかもしれませんね!」
──私、今日死ぬかもしれない。ほわほわしていた心臓が氷点下に叩き落され、全身がぶるりと震えた。




