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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
40/80

第40話 C級昇級試験:指定品を納品せよ②

「ピピッ、ピピー」

「ピチチチ」

「わーっ! ちゃんと倒れてる! すごいっ、上手! ありがとう! じゃあこれ、ひとまずのお礼です」


 軽食用に持ってきたシリアルバーを砕いて差し出すと、瞬く間に掌に小鳥達が集う。これは麦や畑のベリー類をマートル・ビーのハチミツと合わせ、オーブンで焼いた携帯食だ。出先でも片手で食べられ、お手軽に魔力を回復できるところが気に入っている。

 彼らに案内されたところには、脳内でシミュレーションした通り、手足を伸ばしたアクリスがじっと横たわっていた。前脚が時折軽く地表を引っ掻く程度で、後脚にいたってはピクリとも動かない。倒れた時点で自身の行末を本能的に悟っているらしかった。

 ただし、つぶらな瞳だけはまだ生を宿している。


「アオ、代わるから向こうに行っててくれ」

「……ううん、大丈夫。私もやるよ」


 滑らかな香色の肢体の傍に膝をつく。曇りのない眼差し、哀しげな表情。言葉にできない気持ちで、私をじっと見上げる澄んだ眼を見つめ返した。

 ここで逃がしてしまう人もいるのかもしれない。私だって目的がなければ一生やらなかったことかもしれない。でも、試験内容は絶対だ。ギルド員としてきちんと依頼をこなせるかどうかを試されている。

 それならせめて、目を逸らさずに、全て(かて)とすべきだ。それが奪ったものの責任だと強く思った。


「ごめんね」


 無垢な両眼にそっと手をかざす。手中に渦巻く氷の粒が腕を伝い、私の心臓まで凍らせた気がした。



       ◆ ◆ ◆



 初級基礎レベルの氷属性の魔術では、アクリス一頭を丸々凍らせるのには酷く時間がかかった。

 ユーンくんに魔力を分けてもらいながら、罠にかかった端から順に冷凍していく。食材の保存に使う程度の練度しかなかったので、疲労度は桁違いだが致し方ない。鮮度を保ちつつ余すところなく利用させてもらいたいものの、解体の知識がないため、不用意に血液を撒き散らすことが(はばか)られたのである。


「大丈夫か?」

「うん、あと一体だけだから。それより溶けちゃう方が心配かな」

「そいつが終わったらすぐ引き返そう。帰りはゴーレムがあるから楽なはずだ。ほら、君達もアオに纏わりついてないで手伝ってくれ」


 頭や肩に乗っていた小鳥達が飛び立っていく。去り際に髪や頬を甘噛みされ、ずっと続いていた緊張が少し(ほぐ)れた。

 最後の一頭は大きな樹の真下にいた。切れかけている息を飲み込み、足を引きずるようにして近づいた──その時。


「ブオッ!」


 どこからかけたたましい足音が轟いた。それに気づいた次の瞬間には、景色の上下がひっくり返っていた。


「アオッ!!」


 反射的に視線を巡らせる。私の身体は動く何かに乗せられ、猛スピードでその場から離れていた。その間も全身に響く規則的な振動。宙に投げ出された両足がぶらぶらと不安定に揺れ、踵に何度も毛深いものが当たった。

 ゴツゴツと背中に食い込む硬さが痛い。落ちないよう慎重に身体を捻り、その正体を掴んだ。ざらざらとしっとりの中間のような触り心地のそれは、扇のように開かれた立派な角。

 私を運んでいるのは猛り狂ったアクリスだった。


「アオ! くそ、どけっ!」

「ピィイ!」

「ピーッ! ピピピッ!」


 振り返れば、今までいた場所に巨大な岩槍が生えていた。根元にはあちこちから集まってきたアクリスの大群が迫っており、それぞれが威嚇にも似た獰猛な鳴き声を発している。どうやら仲間を傷つけられて怒っているらしい。

 私を乗せたアクリスもまた同様だった。角に引っかかっている服が鬱陶しいとばかりに頭をブンブン振り回す。すぐ後ろには新たな二頭が追従しており、こちらに頭突きを繰り出してくる。激しくぶつかり合う角同士に火花が散った。


『お前達には魔物が欲しがる魔力があることを忘れないように』


 ──アクリスは私を運んでいるわけじゃない。獲物が息絶えれば腹に収める算段すらつけている。


「ブォオッ」

「うっ!」


 目元に突きつけられた角。咄嗟に避けたものの、拍子に体勢が崩れてしまった。ぐらりと重心が傾き、どうと地面に打ちつけられる。駆け巡る衝撃に呼吸を忘れた。


「ぅ……ぐ……」


 力が入らない。指先は砂を掻くばかりで、絶え間なく震えている。焦点が定まらないほど目も回っていた。


「ブオン」

「カフッ、カフッ」


 三つの影が鼻息荒く立ちはだかる。五感が上手く機能していないせいか、殺気立った気配をとりわけ感じて、目の前が真っ暗になった。

 ──逃げなきゃ。早く。立て。立って。立ち上がれ!


「キュイッ」


 刹那、誰かが細く鳴いた。次いで重たいものが落ちる音。同時に生温かい滴が頬に飛んだ。


「ゥウ」

「キュッ」


 ぼと。べちんっ。今度は音が二つ。特に最後のは不可思議だった。まるで液体の上を思いきり跳ねたような──。


「…………ぁ」


 ようやく正常に戻った視界にそれはあった。私の両腕でも抱え込めそうにないくらい大きなアクリス──その頭部が三つ、無造作に転がっている。ガラス玉のように無機質な瞳に、ぽかんとしたハーフエルフが映っていた。

 遅れて、首と分かたれた胴体が次々に倒れる。どちゃ、と叩き潰された肉のような異音に耳を塞ぎたくなった。


「…………」


 深呼吸を一つして、残り少ない魔力を振り絞る。(わず)かでも四肢の末端にまで届くよう、手早く丁寧に。そうすれば徐々に感覚が戻ってきたので、えいやっと勢いをつけて立ち上がれば、太腿の後ろに何かが当たった。ポーションやシリアルバーが入ったポーチの一部が壊れて垂れ下がっている。貴重品の方でなくてよかったと思うべきか。

 果たして、三頭のアクリスは事切れていた。計六つの物言わぬ骸が(おびただ)しい血溜まりに沈んでいる。一体何があったというのだろう。

 切断面は非常に綺麗だった。鋭利な刃物で切り裂かれたように、素人目にも一瞬で断たれたとわかるほど肉も骨も崩れていない。脳裏にあの大剣が過ぎったが、見回しても湖とそれを囲う木立があるだけで、特徴的な青い髪は見当たらなかった。


「…………湖」


 はっとした。ルルフィン湖。ルルベド平原付近にあり、「行くな」と忠告された禁足地。いっそう冷や汗が噴き出る。

 今のところは何もいなさそうだけれど長居は危険だ。このアクリス達が死んだ原因もわからない。とりあえずユーンくん達に合流しようと、来た道を引き返そうとすれば──。


「……ひと……?」


 目の端にちらついたものがあった。湖の中にぽつんと佇む人影。濡れたアイアンブルーの髪が張りつく肌は、肩から上だけでもぞっとするほど白い。

 水浴びでもしているのだろうか。いいなあ、今日は晴れているから気持ちが良さそうだ。私も随分土だらけだからお風呂に入りたい。ぼんやりした感想を抱いてから一転、もしかして、と思い当たる。そういえば、リンテスには帰ってこない人物がいたはず。

 場所が場所なだけに見過ごせなかった。焦ってつんのめりながらも、小走りで駆け寄る。


「っ、お(くつろ)ぎのところすみません! リンテスの方ですかっ? あ、これ以上近づきませんので……!」

「は?」


 両手で目隠しを作り、離れたところで立ち止まった。遠目に性別はわからなくとも、素っ裸だろう人に無暗(むやみ)に近寄るべからず。

 当の本人は突然現れた私にきょとんとしていた。あら、これは早とちりだったろうか。全く心当たりのなさそうなその声音に顔が熱くなる。


「旅の方でしたかね……? すみません……あの、余計なお世話かもしれないんですが、移動した方がいいんじゃないかと……最近この辺りで人が行方不明になったみたいで、立ち寄らない方がいいらしく」

「フーン、そうなんだ」


 ユーンくんより若干高めの声質が耳に心地良い。少々軽薄じみた口調と不敵な雰囲気も相まって、なんとなく若者っぽい印象を受けたのは秘密だ。

 ただ、私の意見自体は存外あっさり聞き入れてくれたらしく、すぐに水を掻き分けた音がした。


「……あ。ねえ、手貸してくれない? 岩に足挟んだの忘れてた」

「エッ」

「引っ張れば抜けると思うからさ。危ないんだろ、ここ。早く」

「ちょ、ちょっとお待ちを……」


 薄目を開ける。向けられていた雪みたいに白い掌をおそるおそる握れば、ぐっと長い五指が絡まった。その冷たさにぶるりとする。

 体温にムラがない。芯まで冷えきっているのだ。この人は何時間ここに浸かっていたのだろうか。


「じゃあ私は目を瞑ってますので……見えてませんから大丈夫ですよ。準備いいですか?」

「気にしすぎじゃない? まあ何でもいいけど」

「いきますよー……ふんぐっ!」

「あー」

「んぐううう」

「うーん」


 水のせいで濡れて滑る。何度も掴み直したり私の服で拭ったりして、終いには手首ごと引っ張れども、うんともすんともいわない。

 これが駄目ならもう潜ってしまおう。シリアルバーがまだ残っているから、多少魔力を回復できれば動かせるかもしれない。


「はあっ、はあっ、ど、ですかっ? 抜けましたっ?」

「いやー、やっぱ無理」


 やっぱりだめかあ。ふっと無力感が湧いた途端、魔力切れが近い身体は簡単に脱力してしまった。尻餅をついた私の耳に可笑しそうに笑う声が届く。


「────人間の体温って気持ち悪」


 違和感が頭を(もた)げたが、時既に遅し。唐突に腕が取れたかと思うほどの力で引かれ、顔面に盛大な飛沫がぶち当たった。かろうじて湖に落ちたことだけは理解したものの、いくら足をばたつかせても水圧に飲まれていくだけで、天地は非情なまでに逆さまのまま。

 真上から胸板を踏み抜かれる。重石のようなそれは私を深く鋭く()とし、水底に叩きつけた。がぼっ、と口から泡が吐き出される。

 胸に乗せられたものがびくともしない。そうこうしているうちに水がどんどん身体に入ってくる。気道が狭まり、視野が狭窄(きょうさく)していく。

 黒く塗り潰されていく意識の中、ゆらりと浮かび上がったのは──けぶるような睫毛に覆われた双眸で私を見下ろす、いつかの美しい馬だった。

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