第34話 ウサギの角とカエルの尻尾④
うっすら青みがかった光沢のある白毛、すらりとして若々しい肢体、魚の背鰭のような濃紺の鬣。そこにいたのは、ギルドの資料通りの特徴を備えた噂の水棲馬だった。
『あれはかなり性悪だぞ』
ギルドの長の苦々しい顔つきが脳裏を過ぎる。水辺を通りがかる人間を次々に溺死させるという悪魔のような所業とは裏腹に、外見は非常に繊細だ。神様の乗り物だと言われても信じられるくらい、降りしきる雨の中、儚く佇むその姿に呼吸を忘れそうになる。
「ヒ……ヒィ……い、一度ならズ……二度マデも……我らヲ──」
バキンッ。咥えていた大きな歯が、魔石ごとウォーター・リーパーの上半身を噛み砕いた。魔物としての優劣が歴然の差だ。容赦のない咀嚼音にぎゅっと瞼を閉じる。
やがて、ボリボリ続いていた音が止まる。そろそろと薄目を開けると、さっきよりも近い距離に端整な風貌があった。私の傍に取り残されていた残骸も腹に収めたらしい。終いにぺっと吐き出された何かを慌ててキャッチすると、それは少々歪に削られた、木製のウサギのブローチだった。
湖面のようにキラキラした双眸と視線がかち合う。ふさふさした長い睫毛の一本一本が光っているようで、吸い込まれそうになる。見れば見るほど綺麗な生き物だ。アッドさんの忠告や、今しがた起こった出来事が薄れそうになるくらいに。
「あ……助けてくれてありが──」
「アオ!」
反射的に振り返る。と、ユーンくんが予想していたよりも鼻先にいて、目の奥に火花が散った。
「おいっ! 大丈夫か! 怪我はっ!? 頬っぺたのはどうした! 手当したか!?」
「イデデ……う、うん、大丈夫、血は止まってるよ」
「全く……いきなり飛び出していくから肝が冷えたぜ」
「逃がしちゃまずいと思って……心配かけてごめんね。アルミラージの赤ちゃんは?」
「一匹残らず捕まえてあるさ。君の方は? ウォーター・リーパーはどこに行った」
「それが……」
一部始終を話すと、ユーンくんは険しい表情になった。
「そのケルピーとやらは?」
「えっ、あれ? いない……本当、さっきまでは触れるぐらいだったんだけど……」
手中には受け取ったブローチがある。幻想的ではあったけれど、蜃気楼でも何でもなく、確かにあの魔物はここにいたのだ。
無意識にポツリと零した言葉にハッとした時には遅かった。みるみる増えていくユーンくんの青筋に「ヒッ」と悲鳴が漏れる。
「『触れる』だあ……? あのなあっ! 何もなかったからいいものの、あのケルピーなんだろう!? 頼むからもっと危機感を持ってくれ! 喰われてからじゃ遅いんだぞ!?」
「ギャーッ! ごめんなさいごめんなさいっ!」
その後、私はプンスカしているユーンくんに集落へ連行されることとなる。道中、「君って奴は」「目を離すとすぐこれだ」等々、散々耳に痛いお説教を食らいながら。
◆ ◆ ◆
かくして、ウォーター・リーパーに狙われていたパラルフェルの集落は、すんでのところで壊滅を免れた。あくまで推測ではあるが、発端はやはり水質問題ではないかということだった。
ウォーター・リーパーは水辺に生息する魔物で、普段は立ち寄る野生動物を捕食することを好んでいる。あの歯には麻痺性の毒が仕込まれており(私も危なかったので今更ながら冷や汗をかいた)、怯んだ獲物を丸呑みしてゆっくり消化するのだという。時折、釣り等に来た人間も対象になることがあったらしい。
けれど、汚染によって食糧である動物や人間が減少あるいは寄りつかなくなった。仲間はケルピーに蹴散らされ、孤独に弱っていく己に焦ったウォーター・リーパーは、たまたま見かけた祖父とその孫にありつく。そして、彼らが連れていたウサギに魔力を分け与え、パラルフェルを襲撃させた。自身だけでは返り討ちに遭う可能性があったのか、もしくはアルミラージが注意を引いているうちに仕留めるつもりだったのかもしれない。
そこに訪れたのが私達だった。魔力を蓄えているハーフエルフと妖精に目をつけたウォーター・リーパーは、覚えたての人語でか弱い魔物を演じ、集落への誘導に成功。ところが、ここからが誤算だった。アルミラージの無力化、様々な痕跡からの企みの看破。一時は天候の恩恵を得て有利になるも、最後には突如参戦したケルピーによって、今度こそ喰い殺されてしまったのである。
「……なるほど。抗痺草を探しに行くはずが、また随分と大立ち回りをしたな」
報告書を読み終えたアッドさんがふう、と息を吐く。いただいた紅茶を含みつつ、私は曖昧な笑みを浮かべた。
「いや~ハハハ……ギルド員の宿命ですかね?」
「どちらかというとお前達だからこそ、だな。魔力を持つ存在は何かと目をつけられやすい。取り込めば魔物化する上、魔物ならさらに強くなる。奴らからすれば、恰好の餌が服を着て歩いているようなものだろう」
「知リタクナカッタ……」
つまり、これからも今回のような事件に遭遇する可能性が高いということだ。あの命のやり取りそのものに。極限の緊迫感や殺気に塗れた記憶にへこむ私を、アッドさんは豪快に笑い飛ばす。
「アルミラージだが、トアンが早速パラルフェルに向かった。今は魔物化したばかりで興奮しているようだが、元々魔獣車にも使われるような大人しい魔物だ、すぐに沈静化するだろう」
「そうですか! よかった……!」
「お前の契約はいいのか? 水魔物を探していただろう」
「アハハ、まあそうなんですが……親子が引き離されるのはつらいでしょうから」
「なら水やりは引き続き自分で頑張らないとな」
「うう……言わないでユーンくん……」
アルミラージの赤ちゃんは生まれたばかりだし、マリアちゃん達と共存できるならそれに越したことはない。それに番犬ならぬ、集落の番兎になる未来が現実になる予感がしていた。できることなら、亡くなった二人の分までずっと一緒に過ごしてほしい。
そう告げれば、アッドさんの目尻がゆるりと下がった。
「そうだな、水属性だからといって無理に契約することはない。あのケルピーなんぞ以ての外だ。お前の場合はユーンやマートル・ビーのような相手と自然に巡り合う方がいいのかもしれない。種族の違う者同士が出会うということは、それだけ波長が合うということだからな」
「……はい!」
その通りだ。何をするにも自由な、この広い世界で出会えたこと、契約まで結べたことは運命なのかもしれない。
私の返事に微笑んで頷くと、アッドさんは黒い文書箱に報告書を滑り込ませた。次いで、隣の箱から一番上の羊皮紙を拾い上げる。
渡されたのは、冒険者ギルドの昇級試験についての案内だった。
「さて、この件が片付いたところで別件だ。突発的かつ魔物との戦闘があったにも関わらず、パラルフェルでの騒動を上手く治めた功績をギルドは高く評価する。通常のD級ならもう少し経験を積ませるべきところだが、お前達の場合はC級に進めて問題ないだろう。シュラブルームの納品が完了次第、受けてみないか」
その問いに迷わず首肯した。ようやくだ。遥か先を行くアッドさんやフィオラさんの足跡がようやく見えてきた。
C級に昇格できれば、ミネフを取り囲む山への探索に同行できる。そこで水質汚染の原因を探り、見習いとして浄化を行うのだ。本来ならすぐにでも向かわなければならなかったのに、辛抱強く私の成長を待ってくれたことに感謝しかない。ここに赴任したばかりの頃の、魔物のひと薙ぎで頭と胴があっさり泣き別れするような、下っ端もいいところの私の命を彼らは無下にしなかった。力不足を痛感したが、一方でどれだけ嬉しかったことか。
その恩をやっと返すことができる。この町の将来のためにも、失敗は許されない。
「受けたいです。頑張ります、受けさせてください」
「結構。では試験内容は追って知らせよう。試験官もな。残念だが、規定で僕やフォルク達は同席できない。代わりに限りなく冷静で公平な人物を推薦しておく」
例えばギルド員がとある町を拠点に活動している場合、当然そこのギルドとは大なり小なり交流があるとみなされる。中には裏での賄賂や囲い込みといったことが起きかねず、試験の結果に色を付けて昇級させることも考えられる。
そうすればどうなるか。実際の力量と級が釣り合わず、規格外の依頼を引き受けてしまうこともあるのだ。そのせいで最悪命を落とすことも危惧される。そういった事故を防ぐため、昇級試験の監督者は余所のギルドから派遣されるのだという。
「わかりました。よろしくお願いします」
「それと」
「?」
「さっきから犬のようにソワソワと褒めてもらいたがっているそこの不審者についてだが……そろそろ通してもいいか?」
「え、あっ、フィオラさん! おかえりなさい!」
「アオイ様っ! ただいま戻りましたー!」
勢いよく飛び込んできたフィオラさんが赤と黒の物体を掲げている。あの体毛の色はヘル・ハウンドだろう。帰還して早々にギルドに寄ってくれたらしい。
「獲物を誇るのはいいが血を垂らすなよ。……アオイ、僕の話は以上だ。帰ってよく休んでくれ」
「はい、失礼します。ではフィオラさん、行きましょう!」
「うふふ、はい! ねえアオイ様、お話したいことがたくさんございますので、ヘル・ハウンドの解体中に『花々』でお食事はいかがでしょう?」
「是非! ちょうどお腹減ってたんです!」
新鮮なヘル・ハウンドの遺骸を振り回すフィオラさんは頬を上気させている。そこにべったり貼りついた真っ赤な液体。返り血らしいが、これは『花々』に行く前に拭わないといけないだろう。ちょっと刺激的な格好なのでジゼルさんやお客さんを驚かせてしまうし、それ以上にいつもピカピカの彼女の輝きが半減してしまう。逸る心に背を押され、私達はアッドさんの執務室を後にした。
──その向こうで何が呟かれていたか、知る由もないまま。
「世界はお前を放っておかないだろう、アオイ。魔力を持つだけが理由じゃない、全てを浄化し救わんとするその気質は誘蛾灯のようだ。光が眩いほど集うものもまた膨れ上がる。……できることならミネフに留めておいてほしいものだが、やれやれ」




