第32話 ウサギの角とカエルの尻尾②
「オ二方……助ケていただキ、ココろよリ御礼申シ上げる……」
ウォーター・リーパーが振袖のようなヒレを地面につけ、深々と体躯を折る。彼はパラルフェルの外れに身を潜め、成り行きを見守っていたらしい。
「いえいえ、こちらこそ。教えてもらえなかったらどうなってたことか」
「危なかったよな。誰も手を出せなかったみたいだし」
苦虫を噛み潰したようなユーンくんに頷く。元のウサギは少女だけじゃなく、他の住民にとっても大切な存在なのだろう。だからああして武器を持てども、最後の一歩を踏み出せなかったのだ。ウォーター・リーパーがいなければ最悪の展開になっていたかもしれない。
そんな集落の影の英雄は、茂みで小さく縮こまるばかりだ。
「本当に名乗り出なくていいんですか? あなたのおかげで助かったのに」
「ええ……アタシは恩ヲ返しただケですカら……前ニ危ナいトコろを救ってイただきマしテ……そノ御礼が叶いましタ……充分でゴざいマス……」
突っ伏したままのウォーター・リーパーに胸がほわっと温かくなる。なんて奥ゆかしい魔物なんだろう。性格といい話し方といい、ここまでくると本当に人間みたいだ。
「今度ハお二方に……ワシでオ役に立てルことがアレば何なりト……」
「ありがとうございます! えっと、じゃあ……」
目の前の彼が水属性だと知ってから考えていたことだった。ミネフ周辺にはケルピー以外の水魔物はおらず、ギルドでも捜索が難航している。ウォーター・リーパーが欲する、ある程度澄んだ水と安全はこちらも提供できるので、この申し出はまさに渡りに船だった。
「育てている畑の水やりを──」
「いや、まだ考え中でな。悪いがもう少し待ってくれ」
エッ、なぜ。思わずユーンくんを凝視するが、当の本人は大袈裟なくらいニッコニコの笑顔を貼りつけている。一周回って引き攣っているようにも見えるそれを私にまで向けてくる圧に、咄嗟に口を噤む。
「左様でスか……ではオ待ち申し上ゲておりマす故……」
「ああ。心労が祟るといけないから、君も養生してくれ。集落が落ち着いたらまた声をかけるよ」
するすると細長い尾をくねらせながらウォーター・リーパーが去っていく。その後ろ姿が完全に消えると、ユーンくんは短いため息をふっと吐いた。急な真顔に脈拍が早くなる。
「ごめんなさい、私何かまずいこと言っちゃった……?」
「ああいや、そうじゃないさ。ただ、全部調べがついてからにした方が良さそうだと思ってな」
ユーンくんは私を宥めるような柔らかい口調だったけれど、生憎とさっぱり見当がつかない。先程から彼は一体何に引っかかっているのか。わからないがこれだけ言うのだ、おそらく放置しておいていいものじゃないはず。
そんなモヤモヤが顔面に出ていたのだろう。盛大に噴き出したユーンくんによって(失礼な)、私は集落へと背を押されていくのだった。
◆ ◆ ◆
空が橙に染まる中、パラルフェルの集落では家屋や畑の修復作業が行われていた。
あちこちでパタパタと忙しない足音が駆ける。手伝おうと声をかけたものの、勢いよく首を振られ、代わりに中央の落とし穴に案内されてしまった。大切なのは本当だが、得体の知れないものになってしまっているのもまた事実なので、注視していてほしいという。
格子状の蓋の隙間から覗き込めば、未だ壁に頭突きしている巨大な毛玉が一つ。
「うーん……めちゃめちゃ元気だね」
「魔物化したばかりで体力が有り余ってるのかもしれないな。さて、どうしたもんか……お、君、いいところに」
振り返ると、目の淵を赤く腫らした少女が立っていた。「殺さないで」と叫んだあの子だ。涙の残る瞳で不安そうにこちらを窺っている。
一度はアルミラージに手を下しかけたため、まだ疑われているのかもしれない。彼女の心配ももっともなので、立ち上がってパッと万歳した。万国共通「何もしませんよ」アピールだ。
「この魔物、少し解体したいんだが構わないか?」
「ユーンくん!?!?!?」
だというのに、相棒が正気を疑う言葉を放った。一瞬にして集落内が沈黙する。誰も彼もが真っ青になって口をあんぐりと開けたまま。
「あの、ちょ、ちょっ、待ってくださ、ちょっと、あの、い、言い間違いですッ!」
「殺しはしない。心臓のあたりが見えるところまででいいんだ」
「もしもしッ!? 本当に何をおっしゃる!?」
身体中にどっと汗が湧いた。そういう問題じゃないのだ。どうしたのかと思えば、素知らぬ風で穴の蓋を外そうとしている彼は、たまに出る仙人バージョンの雰囲気を纏っていた。肝の座り方が段違いなのは知っているが、こんな場面で魔的生物っぽさを見せつけてくれなくていい。今は彼らに寄り添うべきところなのに逆効果だ。
あまりに混乱し過ぎて、さすがにどうかと小声で詰め寄る。
「どうしたのユーンくん、せっかく助けてくれたのに解体なんて……!」
「確かめたいことがある。いや、確かめなくちゃならない。……ごめん、焦ってるのかもな」
なんとなく、でもこびりつくような嫌な予感が拭えないんだ。そう語るユーンくんの横顔は真剣だった。それを気のせいだと笑い飛ばすことなんてできないくらい、普段の彼は有能過ぎた。
腰元のポーチを探り、小瓶を引っ張り出す。幸い、私も自作ポーションをいくつか携帯している。我ながらとても慎重な性質なので、ゲームでも常に回復アイテムを大量に持ち歩く傾向があるのだ。これと回復魔術で傷も塞げるだろう。
「……わかった。ちゃんと訳を話して許可を取ろう」
そうして私達は集落の全員を集めた。彼らの前にポーションを並べ、回復魔術のデモンストレーションを披露して、改めて順を追って説明する。
「確認したいのはアルミラージの体内にある魔石だ。なぜ魔物化したのか、原因はウサギにあるのか、何かしらの外的要因なのか。それが判別できれば、今後集落としてどうすべきか策を立てられるだろう」
「多少切らせていただくことになりますが、ここにあるポーション、それと私達の回復魔術で元通りに治療します。特に彼は妖精であり、皆さんもご覧になった通り、非常に魔術に長けています。必ず傷一つ残さずお返しすると誓いますので、どうかご検討いただけないでしょうか」
押し殺したような、でも隠しきれない戸惑いがざわざわと飛び交う。当然だ。「治しますからお宅の大事なペットを一回切らせてください」なんて、今更ながらとんでもない頼み事である。
しかし──。
「ウチの麻酔を使うなら……」
遠慮がちに挙げられた手。彼らの眼差しに否定の色はなかった。
◆ ◆ ◆
小振りなすり鉢に緑の粉末が踊る。大きいグローブをして繰り返し丁寧に擂っているのはあの少女──マリアちゃんだ。慣れた手つきで少量ずつ水を加えては、溶け残りがないよう万遍なく混ぜていく。
屋根が半分欠けた納屋で、私達は今、パラルフェル伝統の麻酔薬の作り方を見学させてもらっている。ここでは昔から手製の麻酔を使って狩りを行っているのだそうだ。材料は訪れる前に目にした麻痺草の葉や実である。
「できた……傷口とかに入ると痺れちゃうから、私が持っていくね」
すり鉢を持ち上げた彼女の後ろに続く。落とし穴の周りには何人かの大人が待っていて、とろりとした麻酔薬を矢尻や槍の先に塗りつけていく。最後にヤニで固定すると、互いに目配せし──観念したようにすうっと息を吸い込んで、一斉に穴の中へ突き立てた。
「ギッ、ギィイ──────ッ」
苦悶の声が木霊する。ドンッ、ドンッ、とのたうち回る音が穴の底から伝わってくる。弾みで蓋の蔓がギシギシと軋んだ。
麻酔薬は通常より濃度を高めていたが、魔物の生命力は動物の比ではない。次々に薬が付着した武器が投入されたが、アルミラージの抵抗は想定よりも長く、痛みに共感して嗚咽する人が続出するほどだった。
穴の中がようやく静まった頃には、見物人の数は三分の一に減っていた。
「底から少しずつ押し上げる。離れててくれ」
ゴゴ、と地中が動き出すのを感じた。細かい震動に絶えず身体を揺さぶられる。そこでふと、マリアちゃんが地響きのせいだけではない震えに襲われていることに気づく。
ずっと悲痛な空間に耐えていたのだろう。しゃがみ込めば、涙腺が決壊寸前だった。
「……ウサギ、これから上がってくるよ。もちろん生きてはいるけど、でもあんまり良くない状態だと思う。……ここまでよく頑張って偉かったね。後は私が代わりに見ておくね」
「うん……うん……っ」
穴に背を向けたマリアちゃんの手を握り、ひっ、ひっ、と苦しそうにしゃくり上げる背を一定の間隔でさすった。齢十を超えたあたりだろうか。まだこんなに幼いのに、なんて立派な精神力だろう。
蓋が解体され、白い耳の先が見えた。純白なのはそこだけで、エレベーターのようにゆっくり昇ってきた巨躯は予想通り血塗れ。横たわってぴくりともしない身体は無数に串刺しにされ、地獄の針山のようだった。
「クーちゃんって、お友達?」
「うん……クーはクーデリカっていうの。でもほんとの名前はターニャだよ」
「あ、なるほど。クーデリカはあだ名なんだね」
「うん、私はローズグレイでローズ。このブローチが親友の証でね、親友だから秘密の名前で呼んでたの」
「二人だけの暗号ってやつだね。懐かしいなー、私も友達とやったことあるよ」
前足を開いて固定されたアルミラージにナイフが差し込まれる。
「…………クーね、いなくなっちゃったの。ウサギに赤ちゃんができて、もっといっぱい葉っぱ採りに行くって、おじいちゃんと一緒に出掛けてから戻ってこないの」
噎せ返るような血の臭いが充満する。どす黒い体液が視界に這ってくる。
「だからね、私がクーの分までウサギのお世話するんだ。お腹の中に赤ちゃんもいるから……赤ちゃん大丈夫かなあ……」
開腹された臓腑の奥が仄かに光っている。淡い青色。魔物の命である魔石の輝き。
目視が終わったのだろう、ユーンくんが回復魔術を発動させた。私もマリアちゃんを彼女のお母さんに預け、ポーションの蓋を外す。気づいた彼が横目でちらとこちらを見やり、すぐにアルミラージへ視線を戻した。
「確認できた。概ね予想通りだ」
「そっか。……あの、お腹の中に赤ちゃんいなかったよね?」
「赤ん坊? そもそも身重だったのか? そうは見えなかったが」
じゃあもう産んだ後なんだね。そうやって、すんなり納得することができればどんなによかっただろう。万事を見過ごすには疑問点があり過ぎた。遅まきながら、ユーンくんが終始怪訝そうだった理由が確たる輪郭を伴い、私の内で形を成し始めていたのだ。
たぶん、今の私は彼と同じ表情をしている。
「……これから話すことは君にとってあまり良いことじゃない。少なからずショックもあるだろう。それでも聞けるか?」
「うん、大丈夫。実は私も考えてることがあるんだ。答え合わせしてくれる?」
麻酔を抜かれ、穏やかな寝息を立てているアルミラージ。切られた胸部も塞がったし、これなら大丈夫だろう。魔術の行使を切り上げた私達はそっと顔を見合わせる。
その背後では、不穏さを煽るような黒々とした雲が空を覆い始めていた。




