第31話 ウサギの角とカエルの尻尾①
「わあ、これがアオイ様特製のお薬なのですね……とっても澄んでいらっしゃる……飲んでしまうのが大変もったいないですね! 僭越ながら部屋に飾らせていただいても?」
「いやいやいや飲んでください! 後生ですから!」
うっとりしたフィオラさんが町へ引き返そうとするのを慌てて止める。しかも結構本気だったようで、力の強さに苦労した。彼女は満面の笑みで予想だにしないことをするため、たまに肝が冷える。
今、私とユーンくん、そしてアッドさんは、フィオラさんの見送りでミース街道に来ている。依頼されていた薬が完成した旨を知らせたところ、すぐに出発の準備に取り掛かってくれたのだ。彼女はこれから火の魔石を調達するため、ヘル・ハウンドの討伐に赴く。
「遅くなりましたが解毒薬と熱傷薬です。効果の方は検証済みで、自分で言うのもなんですけど、あの、一般のものよりは効くと思います……」
自分で自分の宣伝をするようで、恥ずかしさに語尾が萎んでしまう。そんな私を一瞬ぱちくりと見て、フィオラさんはにこっと笑った。
「もちろんアオイ様の腕は存じておりますとも! 欲を言えば一番最初に試させていただきたかったのですが……わたしより先に味わった方がいらっしゃるのですね。残念です……」
「ウッ、すみません……一発本番で効かなかったら大変だと思いまして……」
「……ふふ。申し訳ございません、ただの嫉妬でございます! どうかお気になさらず、あなたの忠実なる騎士の帰還をお待ちくださいませ!」
「うん? 僕の記憶ではどこぞの兄妹は騎士を引退したはずだが?」
「うふふ、野暮でございますよ! それでは行ってまいります!」
そうしてミルクティーベージュの髪を靡かせ、馬車に乗り込んだフィオラさんは颯爽と出立していった。その後ろ姿は凛々しく、今しがた耳にした騎士そのもの。教会のクアリックさんや兄のフォルクさんといい、どこか整然として気品があるとは常々思っていたが、まさか彼らがエリートの代名詞たる騎士団に所属していたとは。スタイラーさんは、まあ、うん。
「どうやら試作は上手くいったようだな。奴と直接取引したみたいだが?」
「は、はい……何とか……」
片眉を上げたアッドさんに冷や汗が伝う。報告する前に全てお見通しだったことが余計に気まずい。紆余曲折あったとはいえ、結果的にヴェルナさんと私の関わりを断とうとしてくれた彼の顔を潰したことになるのだから。
カラカラに干上がった喉で何度も唾液を飲み下していれば、「そう構えるな」とギルドの長は破顔する。
「ヴェルナを許すも許さないも、権利はお前だけにある。お前がいいならそれでいいさ。ただし何かあれば報告してくれ。ギルド員のフォローは支部長の特権だからな」
「……はい、ありがとうございます」
「うん、結構。では僕は戻る。お前達も仕事熱心なのはいいが町の外だ、夢中になり過ぎないよう気をつけてくれ」
忠告をありがたく拝聴し、ユーンくんと二人、ミネフに帰るアッドさんとは逆方向へ歩き出す。新たな薬──麻痺状態を治療する抗痺薬の調合のために、材料である抗痺草を探しに行くのである。
抗痺草はちょっと珍しい植物だ。ギルドで聞いたところによると、この辺りではシュラブルームの実があった森のさらに奥に自生しているらしい。ただし、対象を麻痺させる成分を持つ正反対の麻痺草とかなり似ているようで、この情報も信憑性は今ひとつなのだそう。
とはいえ、有効な手掛かりがそれだけなら仕方ない。抗痺草が必要なのは確かだし、実際に足を運んで調査するのもギルド員の仕事の一つだ。麻痺草だったらそれはそれ、魔物用の麻酔薬なんかに挑戦してみよう。
ヴェルナさんが協力の姿勢を見せてくれているうちに、と少々打算的な考えも抱きつつ、私達は太い街道をのんびりと進んだ。
◆ ◆ ◆
「情報によればこのあたりか」
「なになに、『抗痺草の葉は緑の長楕円形に互生、実は放射状に垂れる』……まず葉っぱが緑の長楕円形っていうのは合ってるね」
「ああ、でも……うん、これはハズレだな」
目の前の低木は、一見すると里の手引書に載っていた抗痺草の特徴に瓜二つ。けれど、一帯を飛び回ったユーンくんは両手でバッテンを作る。
「ここに実が固まって生ってるだろう? これは麻痺草の特徴だ。それ以外はほとんど抗痺草と同じだから、見間違えたんだろうなあ」
ユーンくんの言う通り、抗痺草なら垂れ下がっているはずの小さな実は、葉の根元でぎっしり身を寄せ合っていた。うーん、残念。だが麻痺草も役に立つものではあるため、革袋を裏返して葉と実を採取する。
「…………もシ…………」
声をかけられたのはその時だった。不安そうなか細い呼びかけに振り返るが、誰もいない。
「……ここ……こコに……」
「あっ、失礼しました!」
草むらの隙間、地面のすぐ近くでヒレのようなものが弱々しく振られる。ギョロリとした水平な瞳孔、先細りした長い尾、大きく張り出した腹部。そこにいたのは、ヒキガエルとエイを掛け合わせたような奇妙な生き物だった。
「水跳ね妖精か。ケルピー以外にもまだ水魔物がいたんだな」
「アあ、おそろシや水棲馬よ……我ら、かノ魔物に暴虐ノ限りヲ尽くサれ……純然タル水の恵ミもまマなラず……アタシが最後の一匹トなリ申しタ……」
「うわあ、ケルピーって本当に噂通りなんだね……お気の毒に」
性悪、と言い放ったアッドさんを思い出す。探してもらっている水魔物がなかなか見つからないのは、そのせいなのだろうか。
「あの、私達に何か?」
「ヲヲ、聞イテくださイますか……なんト慈悲深き方……実は、コの近くノ集落にいきリ立った魔物が……ワシはこの通リ、弱味噌デ歯が立たヌのデ……代ワりにト、助けヲ呼びに参っタ次第……」
「魔物っ!? え、ど、どうしよう、早く行かないと……!」
「集落はどっちだ?」
「ここを抜ケた先ニ……何卒、ヨろしクお願イ申し上ゲる……御礼は必ズ、お望みノ通りに……」
「わかりました! 危ないからあなたはここに!」
飛び出した眼をぐるりと一回りさせ、ウォーター・リーパーが全身を震わせながら首を垂れる。急に音階を外したような、所々ちぐはぐなイントネーションといい、恐怖に苛まれている様子がありありとわかった。ケルピーに襲われた時のことが蘇ったのだろうか。それでも人間を助けるために、こうして勇気を振り絞ってくれたのだ。
彼の行動を無駄にはできない。視界に被さる枝をユーンくんが払い、私達は一直線に森を走り抜けた。
◆ ◆ ◆
「うわあああっ」
「ひいっ、ひいっ」
ウォーター・リーパーに教わった集落──パラルフェルは、森の目と鼻の先にあった。
踏み込んだ先の家屋は倒壊し、野菜や穀物がそこら中に散らばっている。荷車は破壊され、木々や岩が舞い、人々が金切り声を上げながらその中を逃げ惑う。
彼らの前に立ちはだかるのは巨大なシロウサギの魔獣──無属性のアルミラージだった。建物くらいの全長に加え、前にギルドで見かけた資料通り、額には鋭い一本角を生やしている。それが真っ赤な目玉を凶悪に吊り上げて、ギイギイ威嚇しているのである。
住民はそれぞれ斧や鎌を手にしているが、申し訳程度に構えるばかりで、ひたすら立ち竦んでいた。悔しそうに呻きながらも、誰一人としてアルミラージに攻撃しない。それどころか絶えず踵が土を擦っている。
「下がってください!」
私が叫ぶと同時に、アルミラージの足元がぼろっと崩れ落ちた。地割れに飲み込まれていく巨躯の頭上には、研ぎ澄まされた岩槍が滞空している。
パチン、とユーンくんが指を弾いた。
「やめてっ!!」
振り下ろされた槍が停止する。鋭い一喝を放ったのは、瞳いっぱいに涙を溜めた年若い少女だった。住民の輪からよろよろと進み出てきた彼女は、唇を噛み締めてしゃくり上げる。
「お、お願い、殺さないで……クーのウサギなの……私がちゃんとお世話するから、だから……っ!」
「……っ」
振り返れば、眉間に皺を寄せたユーンくんが首を振った。ああ、と悟る。私よりずっと魔力に精通している彼が、その表情で雄弁に語っている。
──魔物化したものが元に戻ることはない。その体内に魔石がある限り、増した力で悉く周囲に被害を及ぼす。
「……あ」
では、犬の魔物は?
「っ、ユーンくん待って! トアンくんなら……!」
「……なるほどな! 了解、君も下がってろ!」
足裏から震動が伝う。ユーンくんの魔術が再び大地を砕き、集落の中央に空いた縦穴をより深い地中へと伸ばしていく。その重力に従い、真っ白な塊は為す術なく底まで落ちていった。そこへすかさず蔓が何重にも張り巡らされ、厳重に蓋をする。
這い出そうとしていたアルミラージはとうとう角の先まですっぽり覆われて、耳障りな奇声と共に、穴の壁に向かって身体をぶつけることしかできなくなった。
「ひとまずこれで大丈夫だ」
「ありがとう、ユーンくん。お疲れ様」
「い、いきてるの……? ウサギ……」
ず、と洟を啜る少女の問いに首肯する。途端、彼女はぐにゃりと顔を歪ませて、火がついたように泣き出した。「大丈夫よ」「ちゃんと捕まえてくれたよ」と大人達から口々に慰められて、こくこく頷いている。
肩に舞い降りてきたユーンくんが私を見上げて笑った。
「君、土壇場でよく気がついたな」
「いや~、火事場の馬鹿力なのか突然ハッとしたんだよね。そういえばあんなに良い子のエカくんも魔物だったなあって。やってみないとわからないけど、でもトアンくんなら上手く躾けてくれるんじゃないかな」
そうすればまた集落内で一緒に暮らせるかもしれない。咄嗟に思いつくことができてよかったと心の底から安堵する。
「それにしても、飼ってたペットが魔物化したのかな? 怖いね……」
「そうだな……少し引っかかる。調べた方が良さそうだ」
何やら含んだようにユーンくんが呟く。ヘーゼルの眼差しは抜身の刃のように光り、落とし穴に囚われたアルミラージをじっと見据えていた。
彼のその言葉の意味を、この時の私はまだ知らないでいた。




