第3話 赤い屋根の素敵なおうち
「着いたよ。ここが君達の家だ」
「うわあ……!」
「すっごいな……」
牧場から少し離れた森の手前。目の前に広がる景色に恍惚とした溜め息が漏れた。
木々の間から差し込む柔らかい陽の光を背景に、可愛らしいつくりの家がちょこんと鎮座している。温かみのある赤い屋根とまろい白亜の壁に、落ち着いた色合いの木枠が所々アクセント。丸い形の窓や玄関先に吊り下げられたカボチャのようなランプ、鞄みたいにころんとした郵便受けもファンシーだ。
家の前には開けた場所があり、好きに使っていいとのこと。仕事場が足りなければ隣接している小屋や家自体の増築も可能だという。裏手の森は住民共有で、近場にある小川といい、まさに至れり尽くせりだ。
浄化師は出張が多い分、住環境がころころ変わりがちだとニエマ氏は言っていた。なので私もてっきり宿屋暮らしになると思いきや、まさかこんなところを用意してもらえるなんて。
目線を何度も上下させながら外観の周囲を歩く。半開きになった口を閉じ忘れながら、裏手に回ったその時だった。
「──来たかよ」
ぬっと眼前に現れた巨体。太陽を背負った黒々としたシルエットがでんと立ちはだかって、咄嗟に呼吸が止まる。
ぴんと起立した獣耳に精悍なマズル、シルバーグレーの虹彩に浮かぶ黒曜石のような瞳孔。そこにいたのは、銀と青の体毛を纏った二足歩行の狼だった。
「やあお疲れ様、ロンドルフ殿。彼女が浄化師見習いのアオイ殿、そしてこちらが彼女の契約妖精のユーン殿」
「……フン」
ロンドルフと呼ばれた彼はこちらを一瞥すると、興味なさそうに鼻を鳴らした。すぐに逸らされた目線に内心ウッとなる。
この人──否、狼獣人の彼もトレーラーでちらっと紹介されていた人物だ。その時は様々な種族の一人と見ていただけだが、いざ相対してみるとかなり長身で迫力がある。ユーンくんはもちろん、私も彼の影の中にすっぽり収まってしまうほどだ。
「初めまして、アオイです」
「ユーンだ、よろしくな」
「…………」
差し出した私達の握手は受け取られなかった。無言で斧を担ぎ直した彼は、すれ違いざまに声を張り上げる。
「ルドガー、ウェンデル! 終わってんだろ、行くぞ!」
「あいよー」
家の中から別の狼獣人が二匹、ひょっこりと首を伸ばす。まるでコピーしたみたいにそっくりだ。驚くこちらにモンテスさんが「ロンドルフ殿の双子の弟だ」と教えてくれる。
「そだよー、オレがルドガー」
「ウェンデル」
「ユーンとアオイです、よろしくお願いしますっ」
「ごめん、オレら手ェ汚れてるかも」
「いいえ大丈夫です!」
今度はきちんと握手してもらえてほっとする。肉球なのか、掌のプニプニした感触が新鮮だった。
よくよく観察すれば、ルドガーさんは垂れ目でウェンデルさんは瞼が半分下りている。しばらくはこれを目印にさせてもらおう。
「家はねえ、最後の点検が終わったとこだから。もう今日から住めるよー」
「案内するか?」
「え、あの、お兄さんが待っていらっしゃるのでは……」
「兄ちゃーん! オレ達まだここいるから先帰っててー!」
瞬間、鋭い舌打ちが辺りに木霊して、また心臓がウッとなった。
荒く草を踏み締める靴音が遠ざかっていく。ルドガーさんはその様子を見届けると、困ったように耳を伏せた。
「ごめんねえ、兄ちゃん機嫌悪くて」
「別に半獣人じゃないのにな」
「半獣人じゃない……?」
「あー、えっとねー……オレ達獣人って、どうしても半獣人を目の敵にしちゃうところがあるんだよね。で、その延長で兄ちゃんはちょっと……そういう子が気になるっていうか……」
「あー……そういうことか……」
「私のことですね……」
半獣人とは獣人と人間の混血である。見た目は人間に近いが、獣人の耳や尻尾、そして能力を受け継いでいることが多い。けれど人間のように理性的で、獣人からすれば「ノリが悪くてどっちつかずの半端者」なところが面白くないらしい。
かくいう主人公、イコール私もハーフエルフである。つまり、ロンドルフさんの半端者の括りに片足を突っ込んでいる状態なのだ。
「あ、でも腕は確かだから! 仕事は手ェ抜かないよ! 絶対!」
「大丈夫です、この家を見ればわかりますよ。改修してくださったのって──」
「ああ、彼ら三兄弟、工房『キャニス・ルプス』の皆だよ。本当、いつ見ても惚れ惚れするほどの仕事ぶりだ」
「へへへー」
モンテスさんの紹介に照れ笑いするルドガーさん。一方、立役者の一人であるはずのウェンデルさんは顔色一つ変えず、兄弟を置いてさっさと家に入っていく。どうやら彼は結構マイペースな性分のようだ。
小さな階段を上がり、木製のドアからそろりと覗く。するとウェンデルさんに「自分の家なのに何してる」と引きずり込まれ、心の準備ができないまま、その衝撃に真正面から殴られることになった。
「……っ!」
まず感じたのは木の香りだった。乱れなく張られ、磨き上げられた飴色の床にブーツの足音が響く。
入ってすぐのところには広間と台所。広間は廊下と壁で仕切られていて、来客があってもプライベートな部分は隠せるようになっている。台所は薪を燃料にする大きなキッチンストーブが設置されていた。
右手の突き当たりにはトイレ、左手には二階へ続く階段、その奥はお風呂場。階段下にはちょっとした収納空間と、細身のドアが取り付けられていた。
「この先には何が?」
「これは外の小屋とつながってる。浄化師は汚れ作業も多いと聞いた、ここからなら風呂場へ一直線だ」
「君、狼じゃなくて気遣いの人型か……?」
「オレじゃない。間取りは兄さんだ」
それを聞いたユーンくんの目がくわっと剥かれた。きっと私も同じ顔をしていることだろう。ちょっと怖い雰囲気は否めないが、彼の全てがそうというわけではないのかもしれない。
二階へ上がると部屋が三つあった。一つは私の個室として、他の二つはユーンくんや来客用として使用できるようだ。
「もっと部屋がいるなら壁を仕切り直すから呼べ。あと、この先はさっきの小屋の二階に出る」
廊下の端に、一階の階段下にあったものと同一の扉があった。小屋も作業場や物置等、自由にレイアウトしていいそうだ。
素人目にも技術と心を尽くしてもらったのがわかって、やっとのことで階段を下った。元々あった家の改修といえど、浄化師用に専用の設備も誂えてある。これだけのことをしてもらっておいて中途半端な仕事は許されないだろう。
半ば放心したまま外へ出ると、モンテスさんがしたり顔で「どうだい?」とばかりに眉を上げていた。
「ここに住んでいられるように頑張ります……!!」
「ははは」
「気に入ったー? どっか直してほしいとこない?」
「いいえ全く! 素晴らしく素敵なお家でございます!!」
「よかったー、兄ちゃんにも伝えとく~」
「鍵はこれだ」
渡された大振りな鍵。金の光沢が反射するそれは、ゲームや漫画でよく見る鍵穴に差し込む部分が長いものだった。花を模した持ち手の部分がとても可愛い。
「じゃあ我々はこれで。また夜に迎えに来るから、それまで荷物の整理なり散策なり、自由にしていてほしい」
「二人ともまたね~!」
「腹をたくさん空かせておけ」
「はーい! ありがとうございましたー!」
そうして帰路に就く三人を見送ってから、荷物を個室に運び込み、改めて見学がてらユーンくんと一緒に家中を掃除する。どこもかしこも森にいるような良い匂いがして、幾度も吸い込んでは手が止まってしまった。
「……すごいところ用意してもらっちゃったね。ぺーぺーの私にはもったいないくらい」
「本当だよなあ。こりゃ早く一人前になるしかないな?」
「うん、頑張ろう!」
──その夜、町で開かれた歓迎会は、それはそれは盛大なものだった。住人全員が集まってくれ、華やかな飾りつけの会場で豪勢な料理が振舞われた。
宴の最中、耳にしたのはそれぞれの困りごと。どれも一様に古の災害に由来する、浄化師が呼ばれた理由だった。それでも彼らは笑顔を忘れず、日々を懸命に生きていた。
課せられた期限は一年。それまでにこの町を苦しめる全てを排除し、安心して楽しく暮らしてほしい──帰り道、いっぱいになったお腹を擦りながら、この日私は夜空の星々に誓ったのだった。
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