第29話 乙女達の赤裸々な饗宴
「『あんたの快気祝いに女子会やるわよ』……!」
おそらく手紙用なのだろう、ポストに入っていたメッセージカードサイズの小奇麗な羊皮紙。そこには冒頭の一言と、日時と場所が記されていた。手紙のお終いには『手ぶらで来ること』の後に「!」が二つもついている。
とても嬉しくて何度も見返しつつ、すぐにユーンくんへ外出の旨を告げた。有無を言わせない、まさに鶴ならぬフェイドリムの一声だ。
「わざわざ女子会と銘打つからには、男は禁制みたいだな。留守番してるから目一杯楽しんできてくれ」
「うん!」
あまりに楽しみ過ぎて、普段はつけない髪飾りまで荷物の奥から引っ張り出してきてしまった。小花の飾りが散りばめられた髪紐。ハーフエルフの里の自室に大切に保管されていたものだ。
仕事では何があるかわからないのでつけられなかったが、そろそろ虫干しもしなければならないだろう。なんのかんのと理由をつけながら、編み込んだ髪を崩さないように巻いていく。
「確か……こういう使い方だったはず……」
鏡に映る、白銀に寄り添うような淡い桃色の花。この世界のファッションはまだ未知の部分が多いが、色味的にも大丈夫だと思う、たぶん。
気を抜けばたちまち緩んでいく頬をぎゅっと持ち上げて、私は足早に会場へ向かった。
◆ ◆ ◆
フェイに指定されたのは、ミネフの町中にある一軒家だった。『ミヅカネ商会』の裏手にある住宅街の一角、エメラルドグリーンの屋根が目印で、雑貨屋と工房の間の細い路地を進めば早々にわかるという。
いつも表通りのお店ばかりで、この辺りは立ち寄ったことがなかった。他の人の家もここらへんなのかと手紙片手にテクテク歩いていると、ふっと脇から影が射した。
「っ、すみません!」
「……っ」
あわや接触しかけたところで、慌てて身を引く。走ってきた人物は一瞬肩をビクつかせると、長い髪を翻してそのまま路地を抜けていった。華奢な後ろ姿をつい目で追ってしまう。
「泣いてた……?」
「アオイちゃん?」
声の主を仰げば、そこにはこちらを覗き込むようにしているレグさんがいた。見慣れた腰丈のコートのない、ぴったりした胴着だけのラフな格好は、彼の脚の長さとスタイルの良さを最大限に引き出している。
レグさんは私の周囲をきょろきょろ見渡すと、びっくりしたように両目を丸くした。
「一人? 珍しいね」
「あ、はい。フェイが女子会するからって呼んでくれて……私の快気祝いなんだそうです」
「ああ、今日だったんだ。何かやるんだろうなって思ってはいたけど。確かに店も休みだし、ちょうどいいか」
くすくす笑って、レグさんは教えてくれた。フェイやニキちゃんが最近こそこそ話し合っているのを何度か目撃したらしい。かと思えばアレ仕入れろコレ仕入れろとヤイヤイせっつかれたのだそうだ。色々と準備してくれたことを知って、胸が温かくなる。
「じゃあもう怪我の方はバッチリ?」
「はい、おかげ様で! お見舞いもありがとうございました」
「とんでもない。それにしても面倒なことに巻き込まれたね。アッドがわかりやすく落ち込んでたよ」
「そんな、アッドさんのせいじゃ……」
「まあ直接的には違うかもしれないけど、『監督不行届きで怪我させた』って、俺もアッドの立場だったら思うなあ。……アオイちゃんが怪我してるとさ、嫌だなって思うもん。痛かっただろうな、怖かっただろうなって。浄化師になるんだったら切り離せないものかもしれないけど、何でかな……正直、そういうのとはできるだけ無縁でいてほしいんだ」
レグさんが寂しそうに目を細める。彼の言う通り、浄化師という生業と傷や病気が切っても切れない関係なのは私が一番よく知っていた。魔物や瘴気等の原因に対峙し、里に運び込まれた重傷のハーフエルフを何度も見かけたから。
故に頷くことはできない。けれどその気持ちは痛いほどわかったから、深く腰を折った。私だって彼やミネフの人々が傷つくのは嫌だった。
「ありがとうございます。なるべく怪我しないように気をつけます」
「うん。アオイちゃんは例の美徳があるから、その方がいいと思う。たぶん意識してないとどこまでも深追いするでしょ」
「ウグッ……い、否めない……」
「アハハ! ……ねえ、俺で力になれることがあったら言ってね。パートナーなんだから、困ってるならいくらでも手を貸すよ」
甘やかすように優しい声音だった。取引先全員にそう申し出ているのであれば、なるほど、やり手の名を表すのは店構えだけじゃない。実際、彼に助けられた人も多いのだろう。
しかし、相手がそんな傑物だからといって天秤を傾けたままにはしたくない。私も同じ気持ちです──そう返そうとした刹那、不意にレグさんが身を屈め、鼻先で低く囁いた。
「それと髪飾り、似合ってるよ」
────え。
ボッ、と火を噴く勢いで顔が熱くなるのがわかった。反対に思考は一気に真っ白になって、二の句が継げなくなる。咄嗟に目を逸らしてしまった。
いきなりどうしたことだろう。嬉しいやら気恥ずかしいやら、おかしくなかった安堵やらで、バクバクうるさい心臓にひたすら「鎮まれ!」と念じる。
「そそそそうですか、よか、よかった、アハハ……」
「装飾が細かいな……ハーフエルフの里で作られてるヤツ?」
「あ、た、たぶんそうかと」
「へえ……」
動けば鼻がぶつかってしまいそうな距離に光り輝く鎖骨がある。加えて、ふわりと香るシトラス系のいい匂い。急に大人の男の人だということを強く意識させられて、耳の先までもがじくじくと燃えているような錯覚さえした。
「……クッ、耳真っ赤」
「だっ! す、すいませんビックリして!!」
「はは、なんで謝んだよ。……こっちこそ驚いた。デートにでも行くのかと思ったわ」
「デッ!? いやハハハまさか! まず相手がいな──」
素っ頓狂な声を上げたせいか、ようやく僅かな余裕が生まれ、彼に視線を戻すことができ──そこで初めて気がついた。逆光によって真っ暗な影の中で唯一、ギラギラと瞬くレンズの奥の双眸に。いっそ怒りすら感じるほどの冷たさに。
「じゃあ次は俺と二人の時にだけ付けろよ」
◆ ◆ ◆
「アレがモテテク…………」
「神妙な顔して急にどうしたの……?」
「なになに、恋バナ? とうとうアオの心の準備が整ったっ?」
両脇からカップ片手に身を寄せてくる二人。ヘザーさんは怪訝そうだが、一方のラギーはウキウキしているのが丸わかりだった。男の人には厳しくても、恋バナ自体は好きなのだろう。
──あれからどうにか会場に辿り着き(フェイとニキちゃんの暮らす家だった)、私の様子に驚いた彼女達にそれはもう甲斐甲斐しく迎えられた。まだ万全ではなかったのかと心配させてしまい、その節は本当に申し訳なかった。
けれど、けれどもだ。イケメンにあんな文句を間近でぶつけられてどうにかならないのは、絶世の美女か人語がわからない魔物くらいだろう。もちろん私は美女でも魔物でもないので、当然頭の芯が茹だった。レグさんにとっては言い慣れたフレーズの一つなのだろうが、真正面から被弾したこちらはたまったものじゃない。へろへろになっても腰を抜かさなかったことを褒めてほしいくらいだ。
「何ていうか……モテるべくしてモテてる人のテクニックを見せつけられたというか……住む世界、いやもはや次元が違うっていうか……」
「誰のこと? そんなヤツここにいたっけ?」
「モテるといえばレグくんじゃない……? 暖かくなったからかしら、最近また女の子が増えたわ……」
「あれ追っ払うのホント大変なのよね。店が回らないったらありゃしない。そもそもアイツ、客とか取引先には手出さないんだから来ても無駄なのよね」
「わたしも毎回店長の歴代の恋人とか聞かれる。どんな感じの人かとか、どういう人が好きとか」
「個人的なことなんか知るわけないし興味ないって言ってんのに、ったく……今度聞かれたら私に言って。箒ではたき出してやる」
フェイが怒りを飲み干すようにぐいっと紅茶を煽る。どうやら被害はあちこちにあるらしい。私はまだその場面に鉢合わせたことはないのだが、今後は買い物のタイミングに気をつけた方がいいのかもしれない。
「で? レグのヤツ、アオにちょっかい出してきたって?」
「いやちょっかいというか、私が耐性なくて踏ん張れなかったっていうか……たぶんレグさん的には社交辞令みたいなものだと思う」
口を思いきりへの字に曲げたラギーがずいっと首を伸ばしてくる。そういう顔をしていてもサマになるのがすごい。レグさんの周りには彼女のような美女や美少女がたくさんいるのだろう。
そこまで考えて、はたと思い当たった。選り取り見取りの女の子がいる中で、なぜわざわざ私に社交辞令を述べる必要があったのか。フェイ曰く手を出さないはずの仕事相手になぜ。何より今までそんな素振りは全然なかったのに、あまりに唐突で直接的過ぎやしなかっただろうか。
それにあの口調。ともすれば乱暴や尊大ともいえる物言いは、たった一度聞いたきり。あの時のレグさんはロンドルフさんと怒鳴り合っていた。つまり、あの話し方をする彼は──。
「フェイ……もしかしてレグさん、何か私に怒ってる……?」
小声で問うと、フェイは初耳とばかりに首を傾げた。あれ、違うのだろうか。ほぼ毎日顔を合わせているだろう彼女がそう言うのであれば、私も勘違いで済まさざるを得なくなってしまう。
先程のレグさんは常の彼と比べて何だかちぐはぐな気がしたのだが、思えば私もミネフに来てまだ二週間だ。知らない一面を目の当たりにしたからといって、それも当人の一部であることには変わりない。訝しむのは些か尚早だったようだ。
とりあえず彼の発言についてはそっと流しておこう。もしかしたら恋バナにすら疎い干物女をからかってみただけかもしれないし。一人納得していると、そこへラギーが大皿を抱えてやって来た。
「ほら、アオ! そんなチャラチャラしたヤツのことなんか食べて忘れちゃえ!」
「わー! いい匂い!」
目の前にでーんと置かれた湯気の立つ長方形の大皿。中ではとろけたチーズがジュウジュウ音を立て、こんもりと小山を成している。パリパリになったキツネ色の焦げがまた何とも食欲をそそる色合いだ。
椅子から立ち上がったフェイが、大きなスプーンで取り分けていく。
「タラの卵とモチのチーズグラタンよ。タイミング良くナキリから仕入れられたの」
「もっ、モチ!?」
「この辺りじゃ珍しいけど、食べたことある? 名前の通りもちもちして面白い食感なの」
衝撃に語尾が上擦ってしまった。モチとはあの餅のことだろうか。この世界にもあるのだろうか。
断面からは、ホワイトソースに混じってピンクの極小粒と白い塊が覗いている。おそるおそる含んでみると、それは確かに日本でよく食べたあの餅だった。ピンクの方はタラの卵、所謂タラコである。タラコとチーズ、二種の塩気を餅がちょうどよく中和すると同時にまとめていて、噛めば噛むほど味が出てくる。マカロニもたっぷり入っているのでボリューム満点だ。
わざわざ取り寄せてくれたのはこれだったのか。そう考えるとますます幸せの味がする。
「おいし~~~!」
「フン、チャラ男め。アオに色仕掛けしたって無駄だっつーの」
「ラギーにも靡かないのにね」
「うっさいニキ!」
グラスのかち合う澄んだ音、次々に運ばれてくる手の込んだ料理、鮮やかな色彩のデザート。話題の尽きない華やかな歓談はいつまでも咲き誇り、陽が沈むまで存分に続いた。
◆ ◆ ◆
「ふう……ふう……おなかいっぱい……」
魔術で小さな光をいくつか灯しながら家路を歩く。拓けているとはいえ、トアンくんの牧場から先は森もあって結構暗いので、ユーンくんに口酸っぱく言いつけられているのだ。
それにしても楽しい会だった。歓迎会以来、なかなか一堂に会することができなかった彼女達に会えたし、モチもタラコも食べられた。今度は今回不都合だったフィオラさんも呼んで行うらしく、早くも次回に向けてのワクワクが止まらない。
ナキリという国についても興味深かった。モチがあるなら米もあるだろうし、きっと他にも。もしかしたら全体的に日本に似たところなのかもしれない。
「ユーンくん知ってるかなあ」
畑を横目に作業場近くを通る。どちらも修復を急いだおかげで、見た目はもうすっかり元通りだ。特に作業場は以前より頑丈にしてくれたそうで、一見すると石や鉄等の補強部分の方が目立つくらいだった。
扉は少々重くなったが、その分頼もしい。風通しのために日中は開け放っているそこを閉め、次いで鍵をかけようとした時だった。
「!」
暗がりでかすかに蠢くものがあった。サッと脳裏に先日の記憶が蘇る。ここで私とマートル・ビーは──だが、まさかまた彼女がいて、同じような状況に遭遇する確率なんて。心の中のもう一人の私が「ナイナイ」と大仰に手を振るが、残念ながら事実は時に小説より奇なり、である。
始めは炎かと思った。ちらちらと闇に浮かび上がる、既視感のあるファイアレッド。あの日とは異なり、その眼光がこちらを射抜くことはなく、ゆるゆると下りていく瞼に抵抗するように見え隠れしている。
反射的に息を止めた私の耳に、苦しそうに引き攣った呻きが飛び込んできた。
「グ、ッ……ぅ」
「ほ、本当にヴェルナさんですか……?」
一歩踏み出すと、骨ばった手の甲が光源に照らされた。指先が絶えず震え、縋るように地面を引っ掻いている。呼吸は荒く、幾度繰り返しても追いつかないばかりか、だんだん弱まっている。
──様子がおかしい。
「っ、ヴェルナさん? どうしたんですか!? ヴェルナさん!!」




