第27話 きみはぼくらの■■のなか
回復はしたが、大事を取ってさらに療養してから一夜。
すっかりいつもの日常を取り戻した私達は、畑の修復作業に本腰を入れて取り掛かることにした。
「なんで君はあそこで真面目に考えてやっちまうかなあ……」
「いやその……アッドさんいつもこうやって尻拭いしてるのかなって思ったら気の毒で……」
「アッドは上の立場なんだからそれが仕事だろう。俺はまず君がどうしたいか考えてほしかったのに」
ぶすっと頬を膨らませたユーンくんが、野菜の種を本体から勢いよく弾き飛ばす。それをマートル・ビーが上手にキャッチして畝に落としていくので、もはや一種の曲芸みたいだ。以前は花や若木が彼の視界を遮っていたのだろうが、大半がその形を失った今、皮肉にも飛ぶことを邪魔するものはない。
──あの日、畑の全てをひっくり返した犯人はヴェルナさんだという。アッドさん曰く、空腹で手当たり次第に口をつけ、満足して作業場の二階で寝転んでいたところに私が鉢合わせたらしい。
そのため、畑はすっかり始めた当初に戻ってしまった。一応全くのゼロというわけではなく、土にはこれまでの魔力の蓄積がある。また、少しずつ味見をしたのか実を採り尽くされたわけでもないので、残った種を取り出せば、今度は最初から魔力を含んだものになる。
そうした俯瞰で見れば、畑計画が全体的に早まったようにも考えられる。それでもやはり圧倒的に収穫数は減った。それにあの衝撃的な光景のショックはなかなか忘れられそうにない。
おまけに、昨日の話し合いからユーンくんがずっと不機嫌だ。一度極限まで煮えくり返った腸はなかなか鎮まらないらしく、どうにかヴェルナさんに一泡吹かせてやりたいと息巻いている。
「私は希望をちゃんと言ったつもりだよ」
「あれは仕事の話だ! そうじゃなくて、俺はそのヴェルナって奴を殴りたいんならやってやるぞって……!」
「あ、それは大丈夫で……」
「なんでだ! まさか俺ができないとでも思ってるのか!? 君も見てたろう、アッドが止めなきゃあんなのっ──」
「ううん。もう溜飲が下がっちゃったから」
は、と萎んだ吐息が空気に溶ける。大きな瞳がこれでもかと見開かれる様に、口端が緩んだ。
「お詫びをしてもらえるからじゃなくて、ユーンくんがこうやって私以上に怒ってくれるから。もういいんだ、私。すっきりしちゃってるから」
「────」
「だからね、そうやって私のために怒ってくれるの嬉しいけど、ユーンくんも何とか切り替えてほしいなって。ここでの任期、一年しかないから。怖くても何でも好き嫌いしてられない、それが必要なことならやらなくちゃって思うんだ」
私は既に花村葵ではなく、この世界のアオイだから。ミネフの皆の役に立ちたい、支えたいという気持ちに嘘偽りはない。けれど同時に、浄化師見習いという肩書を失えば明日をも知れない我が身を思うと、死に物狂いでしがみつかなければならないとも強く感じる。そういう不安はずっと頭の片隅にあるのだ。
そしてもう一つ。
「……なんで君は、そんな……いつもそんなに真面目じゃなくたって……」
「そりゃあやりますよー! ユーンくんにふさわしい浄化師になりたいもん!」
目の前の相棒に報いたい、それが私の三つ目の本心だ。
鼻息荒く訴えた私のドヤ顔に堪えきれなくなったのだろう。さっと顔を背けたユーンくんの肩が徐々に震え出す。
「…………ぶっ、くく……もん、って君なあ、いくつだよ……!」
「いやちょっと今のは勢いで! 言ってから自分でもやばいなって思ったよ……」
「はーっ! どこかの誰かさんのせいで何だか阿呆らしくなってきちまったなあ! はいはい、もう君がいいならそれでいいさ。好きなようにやってくれ」
「ふふ、うん、ありがとうね」
咄嗟にまろび出てしまった私の口調のせいで、ようやく腹の虫は治まったようだった。この分だと本心の方は受け流されているみたいだけれど、でもいいのだ。ただ知っておいてほしいだけだから。いつも私を案じ、絶対に私の味方でいてくれる彼がいなければ、私は浄化師見習いどころかまともに生きていられなかったに違いないということを。恩返しができるとしたら、大成して安心してもらうしかないということを。
それからユーンくんは作物で鬱憤を晴らすのをやめて、いくつか種を持ってマートル・ビーのところへ飛んで行った。私も種取り作業を再開しようとすれば、現在修復作業中の作業場から声がかかる。
「ねーねーアオイちゃーん! これも直していいー?」
やって来たのは工房の双子。私の数倍はあろうかという彼らの掌には、壊れた罠が乗っていた。
「えっ、いいんですか? お願いできるのであれば是非!」
「いいよー、全然やるよお。……ていうか、ねえ?」
「腹が立つから改良して壊せなくしてやりたい」
「さ、左様でございますか……ではどうぞ良しなに……」
気持ちはわかるが、一体どんなものが出来上がるのかは知りたくない気もする。悪っぽい笑みを浮かべる二人に冷や汗を流したその時、はたとあのことを思い出した。
「そういえばお二人とも、少々お伺いしたいことが」
「なんだ」
「どしたの?」
「恋人さん? いや番さん? って、いらっしゃいます?」
ぴゅーっと私達の隙間を北風が流れた。比喩でなく。
ですよね、いきなり合コンの質問かよって感じですよね、ハハハハハ。そろそろと顔を上げれば、ハイライトの消えた四つの眼がじっとこちらを見下ろしていて、私はすんでのところで悲鳴を飲み込んだ。
「すっ、すみません、私的なことに立ち入るつもりは全くなく……! ただなんというかその、少々看過できないことがあったというか、このままでは皆さんの沽券に関わるというか──」
「……アオイちゃんさあ」
「っはい!」
「たぶん知らないからだと思うんだけど、獣人にそういうこと聞くのは──」
「オレは別にアンタでも構わないぞ」
「ほらもう~~~! ちょっとウェンデル黙ってて! アオイちゃんが本気じゃないのわかってんだろ!」
「???」
喚くルドガーさんにゲシッと蹴られたウェンデルさん。結構な威力だったと思うのに、彼は顔色一つ変えず、横を向いて大きく欠伸をした。
「あのさー……まずなんで番のこと聞いたか教えてくれる?」
「あ、ええと、あの時ヴェルナさんが……」
ケモノ共のメス。そう吐き捨てられたことが胸に引っかかっていた。私達は仕事相手あるいは隣人として節度を持った間柄だと認識していたが、何かの拍子に誤解を招くようなことがあったのだろうか、と。そしてそのことが番の方の知るところとなり、彼らの関係にヒビが入るようなことがあれば、真摯に説明せねばと考えた次第なのである。
「こう、たぶんニオイ的なものを嗅がれまして、三匹分ついてると言われ……」
「ごめんなさい……」
「へっ?」
どこから出したのかと思うほど細い声音だった。当の本人はみるみる青白くなって、洗われたネコのように巨躯を縮こまらせる。
「アオイちゃんが怪我したのオレ達のせいだ……すいませんごめんなさい!! ウェンデルも謝れよホラッ!! ぼけっと突っ立ってんじゃねえ!!」
「誠にゴメンナサイ」
「ちょ、待ってオレ兄ちゃん呼んでくる! いややっぱウェンデル行って! オレ先に死んどくから!」
「えええどうしたんですか!? なんで斧構えるの!?」
躊躇なく首に当てられた分厚い刃に驚いて、慌ててその柄を掴んだが、獣人の握力は当然びくともしなかった。なので取り急ぎユーンくんとマートル・ビーを全力で呼んだ。彼らの中で何がどうなっているのかさっぱりわからないが、とにかく成り行きを見守っておいていい雰囲気ではなかった。
そこへ複数の荒い足音が到着する。息を切らせた長兄の姿に、ああよかったと安堵したのも束の間──。
「大っ変申し訳ございませんでした!!」
轟音を立てて地面にロンドルフさんの顔面がめり込んだ。お手本みたいに綺麗な土下座だとか、「なんだこれ」と胡乱な目つきのユーンくん達だとか、言いたいことは色々あるけれどとりあえず。
「こ、こわい……」
背後でバサバサと飛んで行く野鳥が心底羨ましかった。
◆ ◆ ◆
「つまり、なんだ? アオには君達のニオイがついていて、そのせいであの半獣人の勘に障ったと?」
「…………グルル」
「沈黙と獣語は肯定と取るぞ」
三兄弟が喉の奥で唸る。正座させられた全員が視線をうろうろと彷徨わせ、非常に居心地が悪そうだが(よく見るとウェンデルさんはそうでもない)、腕を組んだユーンくんの詰問は続く。
「まず訳を聞こう。シバき回すのはその後だ」
「……始めは自然に、だ。獣人の近く、つまり縄張りの範囲にいれば多少なりともニオイが移る。この町の他の奴らにもついてるはずだ」
「所謂虫除けってやつだよ! 獣人は縄張りに敏感だからさ、ニオイがついてれば他の獣人はほとんど手を出してこないし」
「なるほどな。アオもここで暮らしていて、君達の店に行ったりするからニオイが移ってたってことか。それで? 『始めは』ってのは何だ」
「…………ソイツにはそれ以上ついてるってことだよ」
「えっ」
「は?」
ユーンくんのこめかみにビキッと筋が浮かんだ。私も咄嗟に袖口を嗅いでみたがよくわからず、マートル・ビーと首を捻る。
「その虫除けとやらは自然についた範疇で問題ないんだろう? それ以上ついてるってどういうことだ」
「喰われそうだからだ」
それまで黙していたウェンデルさんが口を開いた。「ウゲッ」という表情の兄二人に構わず、彼は真っ直ぐこちらを見つめる。
「前から思ってたがアンタは色々と危なっかしい。獣人の前で無防備に急所を晒したり、ニオイがついてる身体に会ったばかりの魔物を留まらせたり、挙句に番がいるのか直接聞いてくる始末だ。他の獣人の前でそんなことしてみろ、とっくに巣へ連れ込まれてるぞ」
「……アオの危機感の無さについては俺から言い聞かせておく。とりあえず、君達はアオを守るためにニオイを上乗せしたということか?」
「そっ、そうそう! 火の魔石取りに行くとか言ってたからさ、これから外に出る機会も増えるのかなって! 余所の獣人に襲われたら大変だし!」
「真似するな、ルドガー。オレが最初に言ったのに」
「お前が勝手に自分のニオイだけ濃くするからじゃん! ずるいよ!」
「……おい」
ジロリとユーンくんに睨みつけられ、ロンドルフさんが大きなため息を吐いた。
「コイツらの言った通りだ。単なる虫除け厄除け、それ以上の意味はねェ。町に厄介事を持ち込まれる前に予防線を張ったまでだ。浄化師ってのはどうも高尚なオシゴトみてェだからな」
「ちょっと、兄ちゃん」
「……すみません」
十中八九、今のは良い意味じゃない。証拠にすぐさま舌打ちが返ってきて、ああやっぱりと思い知る。アッドさんから聞いたじゃないか。ルドガーさんとウェンデルさんが特別気さくなだけで、彼の反応が獣人の普通。少しでも打ち解けられたと思いたかったのは私の希望的観測だ。
俯いた顔を上げられないでいると、興を削がれたように鼻が鳴らされる。
「つっても、今回テメェが半獣人にブッ刺されたのはオレ達のせいでもある。雌をキズモノにするのは雄の名折れだ。そこの責任は取るぜ」
「あ、うん、もちろん! 斧使う?」
「いや斧はもう結構です……じゃなくて、あー、あの、えっと……と、とりあえず、そのことは大丈夫です、はい。お気になさらず」
「えっ、何でぇ!?」
心外だと言わんばかりのルドガーさんの優しさが身に染みる。建前でなく本意だったと知ることができて、そのことだけでもう充分だった。
「ありがとうございます、色々と気を回していただいていたようで……私、もっと勉強します。何とかご迷惑をおかけしないように」
頭を下げながら、もっと気を引き締めようと誓った。元はといえば自分の無知さが招いたこと。私に獣人や半獣人についての知識があれば、彼らがニオイを重ね掛けするなんて手間を払う必要はなかったはず。
ロンドルフさんの言う通りだ。このままではいつか私だけでなく、ミネフに取り返しのつかないことを引き起こしかねない。
「……聞いたな。お咎めはなしだとよ。お目付け役がブチ切れる前に戻るぞ」
「え、でも……」
「いいっつってんだからいいんだろ。……ウェンデル! オマエも早くしろ!」
立ち上がったロンドルフさんの後を、こちらを振り返りつつルドガーさんがついていく。しかしウェンデルさんだけは怒鳴られても尚、動かなかった。
「ウェンデルさん? ロンドルフさんが──」
「アンタが気になるなら狼の生態でも調べろ。番云々もそれでわかるだろ」
不意に腰を上げたかと思えば、瞬きの合間に眼前にあったマズル。シルバーグレーの虹彩にはポカンと口を開けた私が映っている。それが可笑しかったのだろうか、ウェンデルさんは重たそうな瞼をいっそう垂らしてから、ようやく踵を返した。
去っていく後ろ姿を見送りながら、半目のユーンくんをちらりと見やる。
「……ユーンくん、狼の生態って知ってる?」
「知らないし知りたくもないし調べなくていいぞ。君にとっちゃあろくなもんじゃない」
「えっ早口……でもまたトラの尾を踏むようなことしちゃったら……いやこの場合は狼だけど」
「言わせておけばいい、ロンドルフは単にめちゃくちゃひねくれてるだけだ。じゃなきゃ三匹分濃くする必要なんてなかったんだから」
「???」
ユーンくんは頭痛を紛らわせるみたいにやれやれと首を振って、のろのろ畑に戻っていった。肩にずっしり重石が乗っているような、目に見えて疲労困憊している様子だ。その理由に思い当たらない我々は安易に労わることができなくて。マートル・ビーと二人、やっぱりハテナマークを浮かべて顔を見合わせた。
「兄弟だから好みが似るのか……? 自覚されたら大変だなこれ……面倒なことになりそうだ……」
だからそんなことが呟かれていたなんて、思いも寄らなかったのである。




