第26話 呪いと獣性
「プ、プ、プ」
音階はないけれど規則正しいリズム、そんな鼻歌みたいなものが聞こえる。おまけに時々降ってくるかすかな感触。なんだろう、ごく軽い何かが頬を滑っていく。
その正体は、瞼を持ち上げる前に判明した。
「ぃッ、キシッッ!」
「プー!」
盛大なくしゃみの反動で目が覚める。その勢いで身を起こすと、辺りは見慣れた私の部屋だった。
「あれ……私確か気絶して……」
「プププ! プー!」
「あ、マートル・ビー……ふわ、ぃッキシ!」
鼻の奥がムズムズする。よく見ればマートル・ビーは全身花粉だらけで、それを纏ったまま可愛く突進してくるので、全部私が吸い込んでいるのだ。
視線を落とせば、枕を囲むように大量の花粉の粒が盛られていた。
「……ああ……」
──まだこれだけ残っていた。目先の被害にばかり囚われていたけれど、全部が終わったわけじゃない。作物自身がそう教えてくれた気がして、少しだけ救われた想いだった。
「プ! プウゥゥウ」
「うぶっ! あ、いただきますいただきます、ありがとうね」
口元に粒を押しつけられ、思わずのけ反る。またくしゃみが出そうなのだ。今度こそマートル・ビーを吹っ飛ばしてしまいそうなので、花粉の粒をいただく代わりに少々毛繕いさせてもらうことにした。
ベッドサイドテーブルに置いてある小筆で小さな体躯をなぞる。さり、さり、と柔らかい音を立てて零れていく花粉がキラキラと反射した。何の気なしに始めた行為だが、マートル・ビーはこの感触が好きらしく、毎度くたっと力を抜いて大人しくしている。
そのまま眠ってしまったのかと思いきや、筆を離した瞬間、待ってましたとばかりに飛び上がって再び粒を運んできた。どうやら本当に私が食べるまで見張るみたいだ。
「た、食べるよ、食べる! いただきまーす!」
「プププププ……」
「んっ? あ、ちょっと甘い……」
ハチミツみたいに濃厚ではないけれど、控えめな甘さと少しの香ばしさがあった。それに適度に固いので、口の中で飴玉のように転がせる。不思議な食べ物だが私は好きな味だ。
「プ?」
「いろんな種類の花粉があるからかな、舐めてると別々の甘みが次々に出てくるっていうか……うん、思ってたよりずっと美味しいや」
「ププププププ!」
「むぐぐぐ! はい、はい! 食べるから落ち着いて!」
「そうだろ? そうだろ?」という副音声付きの圧だった。稀に見る押しの強さではあるが、寝起きで食欲のない身体にはありがたい。
わんこそばの如く渡される粒をパクつきながら、曇り空から差し込む僅かな日差しをぼうっと見上げる。
「あれから半日ちょっとくらいかあ。私、かなり寝てたんだね」
「いや、一日半以上だぜ」
咄嗟に振り向けば、まるで嵐に遭ったかのような出で立ちの掌サイズの男の子。シナモンブラウンの髪はボサボサで、顔の至るところに泥を跳ね返し、けれどいつもの彼がそこにいた。
「ユーンくん……」
「ようやく起きられたか。具合はどうだ? どこか痛むところは?」
「ううん、何も……」
「そうか、よかった。後遺症も特にないみたいだな」
「私は大丈夫だけど、ユーンくんは……?」
普段と変わらない、快活な笑顔に心地良いアルト。あの時一瞬だけ感じた凍てついた雰囲気は微塵もない。あれが彼の何かを刺激してしまった結果なのだとしたら、窺うべきはユーンくんの方だと思ったのだが、目の前の妖精は私の杞憂を余所にニコッと笑った。
「ああ、これか? 今畑を片付けてたんだが、昨日の雨と風が残っててな、もうベチャベチャだ」
「っそ! そうなの、すごい、あの、大変なことになっててっ!」
「ああ落ち着け、そっちはとりあえず大丈夫だ。それより君にお客さんが来てるぜ」
「お客さん?」
「僕だ。入ってもいいか?」
開け放たれたドアから顔を覗かせたのはアッドさんだった。常と同じく頭のてっぺんから靴の先までピカピカで優雅──であるはずの彼は、両手いっぱいに袋やら箱やらを抱え、バーゲンを梯子したような恰好である。
「ど、どうされたんですか……? 何かセールでも……?」
「いや、全部お前宛だぞ。個別に押しかけたら迷惑だろうから、僕が代表して見舞いに行くといったらこうなった」
あいつら加減を知らん。アッドさんはため息を吐くと、椅子を置いてくれたユーンくんにお礼を告げて、肩をぐるぐる回した。
「……さて、息災か? 術の効きが悪いところはないか?」
「あ、はい、おかげ様で。どこも痛くないですよ」
「そうか、それは何よりだ。あの槍で傷をつけられて生きている者はそういない。仮に傷が癒えても精神が崩壊するからな」
「それは……あの時おっしゃっていた『呪い』のせい、ということでしょうか」
「ああ。奴の武器は少々特殊でな、非常に強い怨念を宿している」
ある種加護の側面も持つ呪物。半獣人の持つ長槍はそういった曰く付きの代物だとアッドさんは言った。
前提として、ロンドルフさんが半獣人や半端者を忌避するように(今は少し打ち解けられたように思いたい)、多かれ少なかれ獣人はそういう性質を有するらしい。これは獣人族が生まれる際、彼らが信仰する神によってもたらされる祝福で、そのコミュニティの中では純粋な動物的資質や野性、残忍な一面等の獣性が全て。獣性を持たない者、そして大事な獣の血を分け与えてやったとされる半獣人は下等な生物に値するという。そうして目の敵にされ続け、気紛れに殺されたヒト達も数多くいたのだ。
「獣人に殺され、死して尚呪い続ける輪廻を選択した者達。彼らの骨から作られたのがあの槍だ。威力もさることながら、傷口から侵入する呪いが獣性に絶大な効果を発揮する」
加えて、獣人は魔力適性を持たない種族だ。つまり魔力に耐性がないため、肉体的には致命傷でなかったとしても、魔術の派生とされる呪術の前では無力に等しくなる。要するに、あの武器は獣殺しに特化したものなのだ。
「奴──ヴェルナがどこでそれを手に入れたのかはわからない。多くの半獣人がそうであるように、過去に何度か獣人と衝突し、今でも深く恨んでいるとは聞いているが……とにかく奴が暴れ出すと周囲を巻き込むことになる。だから互いに揉めるなと、ヴェルナとこの町、特に工房の三兄弟とは不可侵を約束させているんだ」
「なるほど。その理屈でいうと私は町の住民じゃないから……」
「今回はそれを逆手に取られたわけだな。全く……変なところで嗅覚が鋭いというか、奴は何かにつけて誰かを傷つけられる機会を窺っている」
「それも槍のせいなんでしょうか」
「原因の一つではある。なんだ、知っていたのか?」
「きちんと伺ったわけではないですが、私を殺せばコイツが大人しくなるとか、呪いの道連れとか言われてたので……」
力というものは強大であればあるほど諸刃の剣と化す。それこそゲームでも「とても強い呪われた武器を手に入れた、でも装備したら外れなくなった」みたいなことは結構起こるものだ。それを踏まえると、彼女に何らかの悪影響を及ぼしているのが槍の効果ではないだろうか。
そう問えば、顎に手をやったアッドさんが神妙に頷いた。
「あの槍は傷つけられた相手だけではなく、使用者にも負担が大きい。本人曰く四六時中呪いが聞こえているそうだ。槍がうるさいから黙らせるために殺す、そうして一時静かになってもまた呪いが始まる、だからまた殺す。それを上手く魔物退治に仕向けてギルド員にしたわけだが……お前の言う通り、奴の隈と素行不良の半分は槍のせいだな」
「道理で……」
「だが、それとこれとは話が別だ」
彼が言うには、槍は別に自分の意志で手放せないわけではないそうで。槍の方は彼女を当面の持ち主と認めているが(だから刺されても彼女は生きているらしい)、それでも持ち続けることを選んだのは彼女自身なのだから、そこに同情して今回のことを有耶無耶にすべきではないのだと。
「とはいえ、だ。お前に極力近づけないよう配慮はしたいが、先日話した通り完全な追放は難しい。正直なところ、これは首輪のようなものだ。仮に奴を解放し、獣人を片っ端から殺し回るのを放っておけば、彼らが担っていた社会的な役割……つまりギルド員や力仕事だな、そこに不足が生じる」
「はい」
「不足があるとどうなるか。補うために他の種族が投入されたとして、順応できるかはまた別だ。獣人族の身体能力は人間の遥か数倍。今まで棲み分けがなされていた物事が滞り、あちこちで綻びが出始めれば、問題は世界規模に膨れ上がる可能性もある」
「プラス、槍とそれを持った彼女に勝る人物がそういないというのもありますね。危機的な状況になっても抑えられる人がいるかどうか」
「ああ、並の半獣人とは比較にならん。僕もさすがに無傷とはいかなかった」
特に呪いが厄介だったとアッドさんは語った。吸血鬼の血に獣性のような凶暴さがないとはいえないため、当然人間以上に効いたという。
私はというと、一通りの背景を知ってしまった結果、上手く折り合いがつけられないでいた。同じ目に遭いたくない、近くにいるのも気が進まないというのが本音だが、アッドさんの立場や世の中の動向、ここでの私の仕事もある。
ウンウン頭を捻っていると、静かに名前を呼ばれた。
「そのようなものを受けておきながら、お前の肉体も精神も無事でよかったと本当に思う。もしかしたらお前にはかなり強い加護がかかっているのかもしれないな」
「加護、ですか。自分じゃよくわからないですが……」
「目には見えないが常にお前を守っている、加護とはそういうものだ。……あるいは、槍の呪いを上回るほどの──」
────ドンッ!
眼前にトレーが降ってきたのはその時だった。乗っていたポットやカップが甲高くぶつかり合って、あわや大惨事の一歩手前。ギリギリ溢れなかった雫が宙に浮かされて、ポチャンと水面に沈んだ。
シン、と静まった空間を硬質な声が切り裂く。
「やあ悪いな、手が滑っちまった」
「……ありがとう。冷める前にいただこう」
「あ、ありがとうユーンくん。大丈夫? 火傷してない?」
「ああ、平気さ。君も飲んでくれ。俺は少しアッドに聞きたいことがある」
くるりと向き直ったユーンくんに、アッドさんは無音でカップを置いた。
どこかぎこちない雰囲気に私は息を潜めて、言われた通り砂糖を混ぜて準備する。するとマートル・ビーが頬を触角でくすぐるので、ティースプーンにお茶を掬って近づければ、少しずつ含み始めた。
「話は聞いていた。そうまでしてあれを庇う理由は?」
「獣人族・半獣人族双方への抑止力だ。槍の脅威は獣人に手出しを躊躇わせる。一方で、獣人を殺すことで虐げられていた自分達を救ってくれたと、半獣人の中にはヴェルナを英雄視、もっと言えば神格化する者さえいる」
「つまり、あれを排斥すれば獣人と半獣人の全面戦争を引き起こしかねない……というわけか」
ユーンくんが口惜しそうに呟いた。
私も里でエルフとハーフエルフの間の溝について耳にしたことがある。異種族同士のしがらみはどこにでもあり、そして大なり小なり根深い問題なのだ。それぞれの主張を聞き入れて平等に均せない場合、第三者の介入で余計に拗れることもある。互いに武力を持つのであれば尚更で、どんなに歯痒くても現状維持が精一杯なのは理解できる。
「話を戻すが、とにかく追放が難しい以上、ヴェルナには別の形で償わせる。具体的な贖罪の希望があれば教えてほしい。ちなみに奴は細かい作業には向かない性格と不器用さだから、作業場の修復はこちらで請け負うつもりだ」
「あ……ありがとうございます! あはは、それじゃああんまり希望はないですね……」
「俺もアオに二度と近づけさせないでくれればいい。が、それは無理な話なんだろう?」
「そうだ。お前達には申し訳ないと思っているが、特にユーンの希望は完全には受け入れ難い。だが我儘なのは承知の上で、本当にないか? 一応無理矢理捻り出すとすれば、奴が最も得意とするのは戦闘、あとは獣人ほどとはいかないが高い身体能力、丈夫さ、それから……」
「ならいい、やめてくれ。いくら並べられたって落としどころは──」
「あ」
つらつらと提示される条件に引っかかりを覚え、次いでピーンと思い当たる。ぽろっと零した一言に二人と一匹の視線が集まった。
「してほしいこと、ありました……!」
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