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ファンデア・テイル  作者: 八架
一章
25/80

第25話 狂騒

 ダンピールは長命種だ。身体の中には古の時を生きる吸血鬼の血が半分、おまけに冗談みたいに強くて深手を負うことすら稀なので、当の本人は三桁の端数を忘れてしまうくらい長生きしていると笑っていた。

 いつも優雅で余裕があって、不安は豪快に笑い飛ばしてくれて。頼れる冒険者ギルドの支部長であり、ミネフの最後の砦。そんな彼の表情が綺麗さっぱりなくなって、髪が逆立つほど魔力を猛らせる様を私は初めて目の当たりにした。

 ──アッドさんが怒っている。それもたぶん、とてつもなく。


「ああうっぜえ! キーキーキーキー馬鹿の一つ覚えみてえに……!」


 舌打ちと共に槍が一閃される。銀の軌跡は黒い群れを断ち割り、コウモリ達が塵のように霧散して──そこでようやく目が暗闇に慣れてきた私は、(くだん)の人物の姿を目撃した。

 奔放に跳ねた髪、濃い隈に縁取られた吊り上がった(まなじり)、そして簡素な鎧に包まれた豊満な胸。身長と同じくらいある長槍を構えたそのヒトは、引き締まっていて筋肉質ではあれど、紛れもなく女性の体格だった。口調や声音から半ば男の人だと思い込んでいたため、まずその点にびっくりしてしまう。

 さらに驚くべきはその珍しい特徴だった。頭のてっぺんには三角の獣耳が生え、背後からは屹立した尻尾が覗き、獣人三兄弟に似た牙が威嚇のように剥き出されている。

 まるで獣人と人間のハーフみたいな出で立ちに『半獣人』の文字が脳裏を過ぎった。


「毎回毎回しつけェんだよ! 大人しく棺桶で寝てろジジイッ!」


 吠える彼女を無視してアッドさんが片手を払う。黒霧のような魔力はすぐさま形を成し、見慣れたコウモリとなって再び標的へ向かった。

 今度は数が桁違いだった。あっという間に物置を覆い尽くした群集の絶叫が(ほとばし)る。鼓膜を突き破る勢いのそれは私にも耐えかねたのだから、五感の鋭い半獣人には生き地獄のようなものだろう。


「どけ!」


 壁の一部が轟音を立てて崩れる。案の定外へ飛び出した彼女をコウモリ達が追って行き、騒音が遠退いたところでアッドさんが振り返った。


「大丈夫──ではないな。すまない、遅くなった」

「ァ、ドさ、」

「いい、まだ喋るな。傷を塞ぐ」

「あ、マートル、」

「ああ、わかっている。お前は何も心配するな。楽にしていろ」


 そっと上半身を引き寄せられ、アッドさんの肩と首の間にぽすっと頭が埋まった。人間より低いはずの彼の体温が今は熱いくらいで、自分が相当冷えきっていることに気づかされる。

 アッドさんは左手で私の首筋に、右手で私の手の中のマートル・ビーに回復魔術をかけてくれた。シュラブルームの実を採ってきた時と同じ、じんわりと巡る心地良い温かさ。かすかに香る彼のトワレも相まって、眠ってしまいそうになりかけたところで、手中の翅が弱々しく広がる気配がした。


「……プ」

「マートル・ビー……!」


 複眼がゆるゆるとこちらを見上げた。徐々に手足が動き出し、よじよじと私の手首を登ってくる。触角が擦りつけられる懐かしい感触に、胸がぎゅっと引き絞られる心地がした。


「大丈夫!? どこも痛くないっ?」

「プ!」

「ああよかった……助けてくれてありがとうね……」


 翅についた皺を伸ばすようになぞると、ぺちゃっと力を抜いて寝転がる。その様子があまりにも可愛くて、本当に可愛くて、ぽろりと目頭から滴が零れた。


「ぅ……ひぐっ」


 あの一瞬、私は最悪を想像してしまった。でも彼は生きていた、生きていてくれた。心からの安堵と、一歩間違えば取り返しのつかなかった恐怖の名残で、ぐちゃぐちゃの感情がひっきりなしに頬を伝う。


「怖がらせたな。これを使うといい」

「い゛え……ぞんなぎれいなの、ぐず、おぎもぢだげで」

「何を気にしている。こういう時に使わないなら本末転倒だぞ」


 ピシッと糊のきいた真っ白なハンカチが押し当てられる。ああ、涙どころか鼻水までついてしまった。洗濯で元通りになるだろうかと、思考がぼんやり現実逃避し始める。


「すまない、部下がとんだ目に遭わせた」

「部下、って……前におっしゃってた……?」

「ああ、素行の悪い戦闘狂が奴だ。町の人間には手を出すなと言付けていたが……いや、これは言い訳だな。どうあれ僕の監督不行届きだ。すぐに奴を回収する、悪いが謝罪は後日改めて──」

「目障りなハエめ。今すぐ葬ってやる」


 不意に木霊した刃物のように冷たく固い声。同時に天井が瓦解し、何かが物凄いスピードで床に叩きつけられた。辺り一帯に亀裂が走り、飛んでくる破片をアッドさんが弾いてくれる。

 瞬間的に充満した埃と煙が晴れていく。やがて現れたのは、壁や床から生えた私の胴回りくらいある太く尖った木の幹と、それに四肢を絡め取られた半獣人の彼女だった。


「はっ、なせクソ! 殺すぞチビッ!」


 四方八方から伸びた木々が獲物を締め上げる。ぎりぎりと音がするほどの苦痛は意識を失いそうなほどだったのか。牙がぶっつりと唇を穿ち、真っ赤な液体が彼女の細い顎から滴った。

 この木は地属性の魔術だ。そう思い当たった時、既にその術者は私達の上空にいた。


「貴様が誰だか知らんが、よくもこの娘を好き勝手嬲ってくれたな。不快で辛抱たまらん」

「ユーン、くん……?」

「半獣人如きの生命力で驕るなよ? 死ぬまで殺すだけだからな」


 ぞわ、と全身に鳥肌が立った。明確な(あざけ)りを以て放たれた死刑宣告。普段の陽気なアルトは影も形もなく、純然たる殺意の念だけが色濃く滲んでいた。ビタッと私の頭にくっついたマートル・ビーもぶるぶる震えている。

 喉がひくついて息が詰まる。この場にいるだけで足が竦むような、首を垂れて平伏したくなるような、とにかく尋常ではない空気だった。果たして一介の妖精がこれほどの圧力を発することができるものなのか。彼は本当に『私の相棒のユーンくん』なのか。


「申し訳ないが」


 アッドさんがユーンくんを仰いだ。いつの間にか、その手にはあの長槍が握られている。


「それは看過できない。お前達の怒りはもっともだが、魔物が増殖している昨今、ギルド上位の戦力を失うのは得策ではない」

「ほう? では此度の件はどう責任を取るつもりだ」

「日を改めて謝罪させてほしい。おそらく数日は動けないだろうからな」


 ためらいはなかった。真っ直ぐに振り下ろされた銀の切っ先は、這いつくばる彼女の腹部をいとも容易く貫く。


「がっ、ああああああああッ!!」


 それはまさしく獣の慟哭だった。ぐるりと剥いた血走った白目、喉が裂けそうなほどの雄叫び。世界中のありとあらゆる痛みを詰め込まれたみたいに、半獣人は狂ったように床に頭を打ちつけ、ひっきりなしに身悶えしていた。

 きっとあの『声』が彼女を攻撃しているのだ。槍の傷より何倍も酷く、惨たらしく。少しだが体験した私にはわかる気がした。延々と垂れ流される陰鬱な響きによって、死へと引きずり込まれる予感がこの上なく恐ろしかった。

 呻き声を漏らす手負いの獣の横で、アッドさんがマントを翻す。


「アオイ、本当にすまなかった。今は充分に休んでくれ──」


 コウモリ達が彼らを取り囲む。何百という黒い翼が空間を埋め尽くした次の瞬間には、黒霧となって溶けるように消えて行った。二人は姿形もなく、後には私達だけがぽつんと取り残されていた。


「アオ……!」


 ユーンくんが音もなく飛んでくる。大きな瞳を揺らし、心配そうに私を窺う彼の様子はいつも通りだった。どうしてさっきは変なことを考えてしまったんだろうと自省するほどに。


「起きて大丈夫なのか!? これはどこの血だ、傷はっ──」

「あ、ええと、大丈夫! アッドさんが全部治してくれて……ほら全然! どっこも痛くないよ!」

「プー!」


 マートル・ビーと力こぶまで作ってみせたのに、ユーンくんの表情は浮かない。振り切るように服に染み込んだ血の跡から目を逸らしたかと思うと、彼は手を伸ばして私の下瞼を撫でた。散々擦ったせいでひりひりと熱いそこに、ぴりっとした刺激が生まれる。

 思わず肩を強張らせれば、目の前の顔がくしゃりと歪んだ。


「ごめんな、アオ……相棒なのに……間に合わなくてごめん……」

「そんな……誰にも予想できなかったことだよ……ゆ、ユーンくんが、気に病むこと、じゃ……っ!」


 急に鼻の奥がツーンとして、視界が一気に水っぽくなってしまった。ああ、いい歳こいて涙の一つも我慢できないなんて。そう自分を叱咤してみても、みるみるせり上がってくるものを止める術すら私は持たない。弱くて甘いのだ、どうしようもなく。だからこんな目に遭っているのだ。

 五感もあって、生きていて、それなのにいつか自分が終わるかもしれない想像を怠っていた。心のどこかでゲームの世界だと油断していた。これはきっと、何かあってもリセットできるんだろうなと呑気に過ごしていた私への罰だ。


「う、げほっ、ひ、ひっ」

「いいさ、我慢するなアオ。君はよく耐えた。一人で怖かっただろうによく折れなかった。頑張ったな、偉いぞ、君は本当によく頑張った」


 柔らかい掌が頬や頭を何度も撫でてくれる。もう前がぼやけてよく見えないくらいなのに、不思議とユーンくんがどんな顔をしているかは想像できた。


「ほ、ほんどは、ごわがった、けど、まだ近くに゛いるがもしれないっで、おもっだらっ、ゆーんぐんよべなぐで……っ! ごめんなざい~~~!」

「そうだな、そうだよな。大声を出したらもっと酷い目に遭ってたかもしれない。うん、咄嗟に判断できてすごいな。さすが俺のアオだ」

「ううう~~~」


 私の全肯定マシーンと化したユーンくんに慰められ、それからどれくらい経ったことだろう。気づけば涙や鼻水は乾き始めていて、パリパリと引っ張られた皮膚が痛かった。


「ずっ……ケホッ、ンン……お゛、おぢつき、ました……」

「いいよ、無理するな。疲れたろう? 運んでやるから君は寝ちまいな」

「んふ、ふふ……気持ちだけもらっておくね……とりあえず、危ないからここ片付けないと──」


 私は羽ペンほど軽くないのにどうやって運んでくれるつもりなんだろう。もう勘弁してほしい、気遣いが嬉しくてまた泣きそうになる。

 全身に力を込めて立ち上がりかけたその時、ふっと眼前が暗くなった。


「おやすみ」


 その囁きが届いた刹那、なぜか一歩も動けなくなって。重心を引っこ抜かれたようにぐらりと傾いた身体を何かに受け止められた。

 あれ、床に逆戻りしたはずなのにびくともしない。それどころか、どこもかしこもふわふわしている。疲れ果てた一日の最後、毛布にくるまって「さあ、あとはもう寝るだけ!」というあの瞬間のような。

 そんなぽやぽやした思考の合間、唯一感じ取れたのは若々しい草花の匂いだった。綺麗に咲いた一面の花と緑の大地が脳内に浮かんで──私の意識はそこで途切れたのだった。

閲覧ありがとうございます!

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