第18話 商売人の矜持
「おはようございます、お水ですよー」
滴る透明な雫がテラコッタの内部に染み渡っていく。敷かれた土が万遍なく黒に染まり、充分に水が浸透したところでジョウロを引き上げた。濡れた双葉が太陽に反射してキラキラと眩しい。
先日ニキちゃんにもらった小さな鉢植え──観察の結果判明したドライアドという種の魔的生物は、ユーンくんの結界を纏って、我が家の玄関前に行儀良く鎮座している。
「おおすごい、風がないのに揺れてる! かわいいなー」
「自我が出てきたのかもな。しっかし、何だってこれが普通に売られてたんだか……」
シナモンブラウンの髪を掻き、ユーンくんが滅多にない溜め息を吐いた。
ドライアドとは樹木の精霊のことを指す。多くの魔的生物と同様に、我々でいう心臓に当たる魔石が体内にある限り長命だが、彼らの場合は自らの宿る木が枯れると共にその生命活動を終えてしまう。そのため、己自身にも等しい樹木を非常に大切にしており、そこから離れることはないそうだが──。
「大元の木が枯れたか切られたかで、この芽はその欠片から生えたものだろう。本来は宿り木がなくなった時点でドライアドも死ぬが、実か何かに移ってかろうじて生きてたんだな。それを誰かが拾って、市場に紛れて売られてたってところか」
「まだ……生きてるんだよね? この木が育てば宿れるよね?」
「ああ。俺達にできることはとにかく育てきることだ。その後は元の場所に戻るか、別の安全な地を探すか……いずれにしても、このまま見殺しにするのはどうにも忍びない」
「うん、私も」
植物に関係する魔物なら、おそらくこのドライアドも地属性だ。精霊なら妖精のユーンくんとも成り立ちが近い。故に彼は親近感のようなものを感じているのだろう。ドライアドが埋まる土に魔力を流し、一番日当たりの良い場所を探し回って、傍を通りがかる度に鉢を覗き込む姿を私は何度も目にした。
──いつも甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれるユーンくん。彼の大事なものを私も一緒に大事にしたい。
「ここは安全だし、何かあっても俺達がいるんだ、君には何の心配もないぜ。ゆっくり元気になってくれ」
ユーンくんがドライアドに向かって穏やかに呼びかける。優しいアルトの響きに応えるように、また二股の頭がふるふると揺れた。
◆ ◆ ◆
C級昇格のための依頼を受けに、午後一番に訪れた冒険者ギルド。
重たい扉の隙間に身体を滑り込ませると、視界に燃えるような赤毛が飛び込んできた。開閉音に気づいた長身が首だけで振り返る。こちらを確認するや否や、端整な口元が緩く弧を描いた。
「こんにちは、レグさん」
「ハイこんにちは。昨日はどーも。ニキが厄介なモノ押しつけちゃったみたいでごめんね」
「とんでもないです、むしろお世話楽しいですよ。もう双葉がけっこう大きくなってて! ……あの、もしニキちゃんがまだ気にしてるようなら、可愛く育ってるって伝えていただけますか?」
「アハハ、可愛いんだ。りょーかいりょーかい、伝えとくよ。……立て続けにこういう話をするのは気が引けるんだけど、よかったら俺の話も聞いてもらえる?」
「はい、何でしょう?」
「一つ提案があるんだ。例のポーションの件で」
「座って」と受付カウンターから離れたテーブルに案内される。そこは依頼の発注者と受注者の顔合わせや少々込み入った話をする際に使われる、フロアの奥の方の応接セットだった。大抵はカウンターで用が済むので、普段あまり人気はない。
レグさんは長い足を滑らかに折り畳み、上半分に走り書きのある羊皮紙と年季の入った短い羽ペンを卓上に並べた。そうして緊張を逃がすように、ふ、と一呼吸。こちらを真っ直ぐ見つめる眼差しは、いつになく真剣さを帯びていた。
「──単刀直入に言うよ。アオイちゃん達のポーションをミヅカネ商会の商品として扱わせてほしい」
「是非! そうしていただけると嬉しいです」
「販売ルートはこれまで通りだけど、材料を提供してもらってる以上話しとかないとって思って。もちろん無料でとは言わないよ。販売活動は報告含めてきっちりやるし、経費も────え?」
「元々そのつもりで作ったので……え?」
お互いにぽかんと口を開けたままフリーズ。レグさんの瞼だけがパチ、パチ、と何度も上下して、ユーンくんがメガネギリギリに顔を寄せても微動だにしなかった。
その背後で黒いマントが翻る。
「だから言っただろう、お前の杞憂はある意味無駄だと。合理主義の商売人が形無しだな」
面白そうにニマニマしたアッドさんがレグさんの肩に肘を置いた。そのままグリグリ押し込むので、痩身にめり込んで痛そうなのに、当人は壊れたように頭を掻き毟る方が忙しそうだった。
「いや、でも、え、マジで……? ええ……?」
「アオイ、依頼を受けるなら後でカウンターに寄ってくれ。お前に合いそうなものを見繕っておいた」
「助かります! 後でお邪魔します!」
「そうだ、紅茶は好きか? 話が弾めば喉が渇くだろう」
「ありがとうございます! いただきます!」
「マフィンもあるぞ。食べるか?」
「ちょちょちょ、待って待って待って」
「何だレグ、そんなに焦るな、人数分ある。プレーンとチョコレートを一つずつやろう」
「ありが……いやマフィンの話はいいんだよ! え、なに? 俺がおかしいの? 独占契約なら普通もっと吹っ掛けて──」
「別に何のことはないだろう。アオイ達がそういうやり方をしないというだけの話だ。背景を知らないが故の素直さかもしれないが──そこでお前の出番だ、レグ」
マフィンの欠片を口の端につけたアッドさんが厳かな声で言う。
「商売人は相手に合わせて商売するのが基本、そのための契約もまた然り。二人が心配ならお前が手取り足取り教えてやればいい、ただそれだけのことだ」
「……あ゛ー……そうだそうだ、最近ウゼェ取引ばっかで忘れてた。そうだよな、浄化師だもんな……」
目を覆ったレグさんに一つ頷いて、アッドさんはおやつ片手に去って行った。
残された私達の間には奇妙な沈黙が漂う。何とはなしにマフィンをモッサモッサ頬張るユーンくんを眺めていると、同じく彼に目線を落としていたレグさんが脱力したように笑った。
「ごめんね、ちょっと取り乱した」
「あ、いえ……あの、確かに商売のことは私達詳しくありませんが、契約とか料金とかそこまで厳密にしていただかなくて大丈夫です。里への依頼料からお給料もいただいてるので仕事のうちですし。それに私達は材料の提供だけで、実際に作ってくださるのは教会の方々なので。……私、皆さんにはいつも親切にしていただいてすごくお世話になってます。だからお役に立てるなら全然構わな──」
「それだけじゃないでしょ」
ぎくっと身が竦む。先程とは打って変わってレグさんの声音は落ち着いていたが、その裏に有無を言わせない圧力を感じた。
「魔術で特別に用意した材料とか消費した魔力とか、かかった経費は色々あるはずだよ。そもそもポーションを改良しなくたってキミ達の仕事が滞ることはない。それでもわざわざ形に残してくれるのは町のためだよね? 正確には魔力適性がない人への」
「……はい」
「だろうと思った。気持ちはすごく嬉しいよ、でもどちらかが多く負担してたらいつか絶対に破綻する。俺が言わなかったら丸々抱え込む気だった?」
返答に詰まった。図星だからではない、そこまで言及されるほどのことだと考えていなかったからだ。私が勝手に始めたことなのに、まさかその背景を汲み取ってくれようとする人がいるなんて。
すると心を読んだように「これは大袈裟な話じゃないよ」と釘を刺され、またドキリとする。
「浄化師の行動原理は誰かのため──つまり今はミネフのために尽力してくれてる。……アオイちゃんさ、この前俺が急いでるだろうからって、本来の仕事以上のことも引き受けてくれたよね?」
「はい、でもそれは──」
「自分ができると思ったから? 俺が気の毒になったから? 浄化師としての責任? 何にせよ、キミは平気で仕事の範囲や対価以上のことを申し出る。もちろん美徳ではあるけど、だからこそ俺は、その良心を利用されて必要以上に搾取されないよう気をつけてほしいんだ」
「搾取……」
「そう。何でもかんでも与え過ぎれば、薬だって毒になる。どんなに親しい仲でも締めるところは締めて、公平で適切な距離を保てば付き合いも長続きするから。特に俺の仕事は商品を用意してくれる人がいないと立ち行かないことだから、仕事に対する対価は銅貨一枚まできっちり支払いたい。他人の努力の上澄みだけを掠め取るようなことはしたくないんだ」
呆然とする私を宥めるようにレグさんが微笑む。その表情は、配達以外の仕事の礼としてミツロウを手配してくれた時と同じだった。
自分に不利益がないなら無視したって責められることではないのに、彼は一つ一つを掬い上げてきっかり天秤で計ってくれる。どんな時でも誠実かつ公平にあろうとする。彼だけじゃない、ロンドルフさんもニキちゃんも、この町の人々は他人の厚意に胡坐をかかないのだ。かつてここまで思いやられたことがあっただろうかと、心臓が震えた。
──彼らは幸せになるべきだ。常に幸福で満ち足りた世界に包まれているべきだ。そして私は、そんな場所を作り上げるためにここに来たのだと、今まで以上にはっきりと自覚する。
「てなわけで! もしアオイちゃんもパートナーがミヅカネ商会でよければ、こちらは対等で良い関係を築く努力を怠りませんよってこと! 条件は全部契約書に載せるし、契約の場に商業ギルドも立ち会わせるからさ。契約書の原案も渡しとくから、誰かに見てもらってもいいし。よかったら検討してみて」
ピカピカの笑顔を浮かべたレグさんが、取引先と交わす契約書のひな型をくれた。条項がいくつも連なっているが、ざっと目を通した限りではとてもわかりやすく書かれている。現代でも契約書を扱う機会はあったし、内容の把握もそう難しくないだろう。どうしても理解できないところは商業ギルドに質問すれば良いそうで、詳細を隠さない潔白な姿勢に頬が緩んでしまう。
「あはは、じゃあ一応確認させていただきます。答えは始めから変わらないと思いますけどね」
「お、嬉しいな~。楽しみに待っておくよ。いやー、緊張したあ! 見てほら、手汗びっちょびちょ」
「ぶわ! 近づけないでくれ!」
のけ反るユーンくんを大きな掌が楽しそうに追いかける。その様子にぼんやり呟くと、レンズ越しに不思議そうな視線が寄越された。
「レグさんって……」
「ん?」
「人にはきっちりしてるのに、自分のことは結構おざなりですよね。飴くれたり配送してくれたり、最初にたくさんサービスしてくれたじゃないですか。あの対価はいいんですか?」
「ああ、いーのいーの、あれは販売活動の一種だから。ミヅカネ商会を知ってもらうためのね。他の店だって試供品とか渡すでしょ?」
「ああ言えばこう言うな」
「そうじゃないと客商売は成り立たないんでね~」
レグさんは悪戯っ子みたいに舌を出す。平然としてはいるが、立場上相手にへつらうことも一度や二度ではなかっただろう。この若さであれだけの店を構えるほどだ、その苦労は計り知れない。
だから私も正しく真面目であろうと誓った。器用で不器用なこの人に報いたかったから。
「レグさん、お仕事に不都合があれば遠慮なくおっしゃってくださいね。私もなるべく疑問点や改善点は言葉にするようにしますから」
「……うん、そうだね。できるだけお互いに真率でありたいね」
一瞬瞠目したレグさんは、次いで子供みたいにくしゃりと破顔した。完璧に整った営業スマイルとはかけ離れたそれが、彼の心からの笑い方だったらいいなあ、なんて頭の隅でひっそり思う。
──それからしばらく、日頃閑散としているギルドの隅では珍しい笑い声が響いていた。
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