第6章 邂逅
暗闇の中に浮かび上がる、多数の光の点。滲むように点いては消える光の群れは、行先も知らずふわふわと揺蕩う。ザーッと流れ落ちる水の響きと、しぶきを含んだ心地よい涼風。
手を伸ばすと、指の先に一点の光が留まる。
「きれい・・・。」
隣で私と同じように手を伸ばしたピナが、ぽつりと漏らす。
「遠かったけど、来てよかったね。」
「うん・・・。」
うっとりした顔で、ピナが頷く。
エルフの学園の側に位置するディパルセ山のふもと、山から流れ出る無数の川のひとつに、私たちはやって来ていた。私が盛大に誤答した授業中に、先生がこの光の群れを紹介していたらしい。
ディパルセ山は火山で、立ち入り禁止となっている。火山とは、火の聖霊をため込みやすい山を指す言葉だ。山にためられた聖霊の数が閾値を超えると、一気に放出される現象、すなわち噴火が起こる。火の聖霊と光の聖霊は親和性が強く、一緒にため込まれた光の聖霊は定期的に追い出される。それが、今私たちが見ている幻想的な光景ということだ。光霊流と呼ばれるらしい。
「レトちゃん・・、頭・・・。」
「え?」
さっと頭を払うと、光が霧散する。
「わわっ、なんでこんな寄ってきてたんだろ。」
「ふふっ・・。何も感じなかったの・・?」
「うん、全く気付かなった。」
「光の聖霊は・・視覚以外に干渉しないもんね・・そんなものなのかな・・。」
「あ、ピナの頭にも。」
「え・・・?」
ピナが両手で頭を払う。
「気づかないもんでしょ?」
「全く分からなかった・・・。」
「気が付いたら後光が差してるんだもんね。ある意味ありがたいかも。」
「ふふっ・・なにそれ・・。」
川辺に座り、二人でぼんやりと光を眺める。森のざわめきに耳を澄ませていると、自然と溶け合うような心地よい感覚に至る。
光の聖霊と自然を堪能し、そろそろ帰ろうかなと思った矢先。誰かが歩いてくるような音が聞こえてきた。ここは、すぐ先が立ち入り禁止区域になるほど山に近く、あまり生徒は来ない場所だ。人混みが苦手な私とピナで念入りに調べたんだから、間違いない。わざわざこんなところまで来る物好きが、他にもいたとは。
近づいてくるにつれて、話し声が聞こえてくる。
「むぬぅ、ここも監視結界が張られておる。」
「やっぱり、山全体をぐるっと囲むようになってるみたいだね。抜け道はなさそう。」
「うーむ、どうにかあれを抜けれんものか。」
「うーん、せめてどういう仕組みなのかが分かればね。」
「おそらく監視小屋の間で魔法の線が繋がっていて、それに触れるとバレるのだろうが、実際にどうなるかは分からん。これさえ分かればな。」
おや、聞きなれた声だ。ライトの光が私達を照らす。
「ピナとレト!?なんでここに?」
ライトを持つアルジェが、驚いた声を上げる。隣にはダリーが立っている。
「私たちはディパルセ山からの光霊流を見ようと思って。それで、二人は?」
「なんか・・不審な会話が聞こえてきたけど・・・?」
あちゃー、とバツの悪い顔をするアルジェ。
「ダリー、どうする?」
「仕方あるまい。見つかったのがこの二人であったことは、まだ果報である。話してしまおう。」
なんの話だろう?二人が私とピナの隣に腰掛ける。
「そちらは入学式の日、窓の外を見ていたか?」
「私は・・あんまり・・・。」
「なんか大きい鳥が飛んできてたのは、見たなぁ。」
オクタコ事件の発端を思い出す。
「そう、まさにそれだ。あの鳥は何か、レトは知っているか?」
「うーん、翼が燃えてて、めちゃくちゃでかいマードジルを持ってたことくらいしか。」
窓全体に広がる足を思い出して、ウッとなる。嫌なもの思い出しちゃったな。
「あれは、イグニカルコと呼ばれる最大級の鳥類であり、このディパルセ山の生態系の頂点に君臨している。50年以上生きたイグニカルコは幻獣にも匹敵すると言われるほど、
強大な力をもつ種族だ。そんな種族が、何故、山から降りて来たと思う?」
「餌がなくなったとか・・・?」
「それなら、レトが見たおっきなマードジルなんて、持ってるはずないよね。」
「あ・・確かに・・・。」
「それ以上の存在が山にやってきたから、とか?」
私の回答に、ダリーがニカッと笑う。
「ご名答。今ディパルセ山には、少なくとも幻獣クラス、それ以上の存在が潜んでいる。」
ダリーの言葉に、私とピナは息を飲んだ。
「幻獣以上って言うと、神話級・・・?」
しばしの沈黙の後、ピナが口をひらく。
「然り。そのレベルがいても不思議ではない。」
重苦しく首肯するダリー。
しかし、ちょっと待ってほしい。言葉の重さからヤバさは分かるけど、どう凄いのかを実は分かってない。幻獣とかのワードでわくわくするけど。
「幻獣以上って、どんなもんなんだっけ?」
分かってますよという顔で、それとなく聞いてみる。
「幻獣は、魔法陣なしで聖霊を使役できる存在だね。ボクはウンディーネに会ったことあるよ。」
「すごい・・・。どうだった・・・?」
「やっぱり水の聖霊を自由に使役できるだけあって、圧巻だったなぁ。自由自在に水流を操っているのを見ると、これが魔法!ってなったね。」
なるほど、幻獣は自由に魔法を使えるようなものか。
「幻獣より上ってなると?」
「いわゆる神話級と呼ばれるもの達であるな。彼らは聖霊に愛されている。周囲の聖霊すべてが彼らの元へ集まるとも言われる。」
「愛される?」
イマイチぴんと来ない。
「そうだね、例えば、ウンディーネなら、周囲の水は操れるけど、その空間に存在する水しか操れないんだよね。それに、全ての聖霊を完璧に操れるわけではない。」
「ふむふむ。」
「でも、神話級とされるリヴァイアサンなら、その体に夥しい数の水の聖霊を宿しているから、そもそも使える水の制約がないに等しい。それに、神話級となると意のまま、自由自在に全ての聖霊を使役できる。それこそ、湖を作り出したり消滅させたり。」
湖を消滅!?そんなことが可能なら、確かに神話だそれは。
「まあ、神話級なんてうわさに過ぎないけどね。」
「一生で出会えたらいいけど・・出会ったら人生終わりそう・・・。」
「そういった性質を併せて、愛されると表現するのだ。」
なるほどなぁ。
「でも・・神話級とかほんとにいるなら・・避難警報がでてないのおかしくない・・?」
もっともだ、大災害みたいなものじゃないか。
「うむ。そこで、吾輩が考えたのが、我々に友好的な個体なのではないか、ということだ。」
「そそ、それで何とか山の中に忍び込んで、会えないかなって思って。」
「なるほど・・・。イグニカルコが逃げるほど強いのに・・警報が出てないとなると・・・その可能性は高そう・・。」
うんうん、と頷くピナ。
「ちなみに、ダリーとアルジェの予想だと、何がいるの?」
「ディパルセ山は他の森林等と繋がっていない孤立火山である。よって、空からやってきた可能性が高く、考えられる個体としては、ファイアエレメントやフーミエスなどか。」
「ドラゴン・・って可能性は・・・?」
「フハハハ。そんな輩がいたら、すぐに警報が出とるはずだ。」
「まあ・・確かにそっか・・・。」
「ドラゴンってそんなヤバいの?」
「気性が荒い個体が多いらしいね。昨今確認されてる中では、最も神話級に近い存在らしいけど。」
翼竜に乗った時、目が合ったけど殺されなくてよかった。あれ実は結構危なかったのかな・・?
「その会いに行くやつ、私もついて行って良い?」
「レトちゃんが行くなら・・私も・・・!」
私とピナの申し出に、ダリーが渋い顔をする。
「それがだな、肝心の山への侵入に難航しておるのだ。」
「どこから入ろうとしても、監視機器があってね。ボクらが調べた感じだと、生物が通るとだめみたい。」
「うむ。石や折れた枝などを投げ込んでも反応しないが、生物が通ると警報が鳴り響く。すぐに監視小屋から警備員がやって来るのだ。」
「入学式後のガイダンスで・・入らないように言われてたもんね・・。見つかりたくはないな・・・。」
困ったもんだ。騎馬戦の時のようにうまくいかないものか。
「私の血束陣は、上手いこと使えないかな?」
「うーん、1匹モンスターを操れたとしても、何とも言えないね。」
みんなで頭を抱えるが、中々アイデアは浮かばない。監視機を避ける方法かぁ。
「私・・1つ思いついたかも・・。」
暗闇に紛れて、学園を取り囲むプリーマの林を抜ける。
ピナの作戦準備のために一旦寮に戻った私たち4人は、再びディパルセ山へと向かっていた。ティシから話には聞いてたけど、プリーマの木々には本当に鎮静作用があるようだ。先ほどまでの興奮や緊張も解けて、眠たくすらなってくる。いけない、いけない。さすがにちょっと緊張感がなさすぎる。
頬をつねって目を覚ませようとしていると、アルジェが何かを差し出す。
「これ、舐めてみて。」
白い包装紙に覆われた小さな塊。開けてみると、白い透明な丸い球体が入っている。口に入れると、鼻と目がすーすーして眠気がマシになる。
「ありがと。準備してたの?」
「そそ、前テイカャイに買いにいったんだよ。ほら、レトとティシさんと会ったじゃん。実はあの時、今日の準備を買いに行ってたの。」
「なるほど。コスプレしに行ってたわけではなかったんだ。」
「あれはボクの趣味。」
なんと。自前の衣装とかも持ってるんだろうか。今度、部屋にお邪魔した時に聞いてみよう。
「ふわぁ・・・。でも・・すごく眠くなるね・・これ・・・。」
眠そうに瞼をこするピナ。
「あの脱走した生徒の話が、ほんとかもって思えちゃうね。」
「エルフの学園7つの怪談の1つ、か。」
神妙な顔でつぶやくダリー。後6つもあったのか、知らなかった。
「まあ、サティエの退屈な授業に比べたらこんなのヨユーだよ、ヨユー。」
私がおどけて言うと、皆クスっと笑う。サティエの担当授業は『エルフと人類の関わり合いについて』で、2つの種族関係の歴史を習う時間だ。私はあまり関心がなく、しかもお昼休み後すぐの時間なので、いつも眠気と格闘しながら受けている。
「たまに眠気に負けてるの見るけどね。」
アルジェがいたずらっぽく笑う。
「うん・・・、今週も・・授業開始15分後と・・終了10分前に舟をこいでたよね・・レト・・・。」
ギクッ、監視されていたとは。
「二人とも、私を見てる暇あったら、ちゃんと授業聞かなきゃ!」
アルジェとピナの二人から、お前が言うなオーラ全開の目線を向けられる。まいったな。それにしてもアルジェはともかくとして、ピナは正確に時間まで覚えてるなんて。もしかして、彼女は友人束縛しちゃう系なんだろうか。嬉しいような怖いような。
「がはは、しかしサティエ氏がちと好かんくて、あの授業に身が入らんのは分かるな。」
ダリーにそう返され、少し驚く。なにせ、サティエは割と人気のある教師で悪く言う人はほとんどいないのだ。それに、あんなかっこいいのに。何が不満なんだろう。
「ダリー、監視小屋の辺りまではあとどれくらいだっけ?」
サティエのことを聞こうと思ったが、アルジェが先に声をかける。
「多分、5,6分もしないうちにつくだろう。そろそろ足音にも気を付け始めよう。」
ダリーの言葉に、少し緊張する。いよいよ、山への侵入作戦開始だ。深呼吸して頭の中で段取りを思い出す。
準備のために、一旦寮に戻った時のこと。女子寮のロビー、誰でも使える談話スペースで、4人で机を囲む。
「山に入ってからはどうやって居場所を見つけるの?」
「この杖を使うのだ。」
そういってダリーが差し出したのは、明かりを灯すために使われる杖だった。
「これでどうやって分かるの・・・?」
「先端をよく見てみろ。」
ダリーの言葉に私たち3人は杖をのぞきこむ。よく見ると、先端の方に描かれた魔法陣がわずかに書き換えられ、杖の形も変わっているのが分かる。
「ここの書き換えで、本来、聖霊が停留して光を灯す杖が、精霊が行きたい方向に光が揺れるようになっている。試してみよう。」
杖を手に持ち、短く何かを唱える。すると、杖の先端に明かりが灯ったが、本来上へ伸びるはずの明かりは、ダリーの真後ろへ先端を向けている。
「わっちの後ろに何があるか、見てみな。」
椅子から立ち上がって確認すると、そこには大きな暖炉が鎮座している。
「暖炉というものは、強い力で光や火の精霊を誘い込むのだ。杖の光は魔法陣によって向きが制御されているのだが、今は束縛の部分を消しているため、精霊の望む方向に明かりは向かう。こういった仕組みだ。」
ほえーっと私とピナが感嘆を上げる。すごい、ダリーって魔法陣に詳しいんだ。私も魔法陣学を齧ってはいるけど、そこまで解読できていなかった。
「ディパルセ山は火山だから、今いる何かは光か火の聖霊に関連するもので、杖の光も幻獣の方に引き寄せられるってこと?」
「うむ、まさにその通りであるな。」
「じゃあ・・、私の作戦で山に入ってからは・・その杖を頼りにするってこと・・・?」
「その通り、ボクらの命運はピナの作戦にかかってるってことだね。」
「上手くいくはず・・・!」
リスのようにふるふると震えながらも、力強くうなずくピナ。どうかうまくいきますように。
「見えてきたな。」
前方には草が不自然に生えていない、横一直線に伸びる土の道。この上に、目に見えない監視線が張り巡らされているらしい。
「ピナ、例のものは?」
「これです・・・。」
ピナが差し出した大きな布を、体を寄せ合って四人で被る。
「これで、監視系魔法は遮断できるはず、なんだよね?」
「うん・・大丈夫なはず・・。」
ピナの作戦とは、ピナが母親からもらっていたこのマントを被ることで、監視機の目を避けることだった。母親お手製のマントらしい。ハリー〇ッターかな?
「よし、では向かうぞ。」
マントがずれ落ちないように、ゆっくりと一丸となって動く。
マントの先端が、監視線があるであろう領域に差し掛かる。
「いくぞ。」
ごくり、と唾をのみこむ。
ゆっくりと通過していく。今のところ、警報らしきものは何も鳴っていない。ダリー、アルジェ、ピナ、私とゆっくり通過する。
私が通過し、警備員がやってきていないことを確認すると、全員がフーっと息を吐いた。
やった、ピナのマント作戦、大成功だ。安堵しているピナをぎゅーっと抱きしめる。わわっとピナが慌てるのが伝わるが、すぐに体を預けてくれた。かわいいやつめ。
「こらこらそこ、大事なのはこれからだよ。全く仲良しさんめ。」
アルジェのからかう声にちょっと恥ずかしくなる。ティシの甘やかしが移ったみたいだ。ぱっと腕を話すとピナは少し寂しそうな顔でこちらを見る。うぅ、そんな捨てられた子犬みたいな目でこちらを見ないでくれ。帰ったらいっぱいなでなでするから。
「ほらほら、早く来ないとおいて行っちゃうよ~。」
アルジェとダリーは、すでに先へ進み始めている。慌ててわたしとピナも、後を追う。
山に入ってしばらく歩き、最初の杖チェックを行う。常に山頂の方角を示す道具、パンコスを取り出し手に持つ。ダリーは自身の手に持つ杖に光を灯す。パンコスと杖の光の方向が一致しなければ、杖は幻獣の方を指しているということだ。
「それでは、参る。」
ダリーが短い呪文を発すると、杖に光が灯る。暗闇に慣れた目にはまぶしすぎて、つい顔を背けてしまう。少ししてパンコスを見てから杖の光を見ると、それはパンコスから80度ほど傾いた方向を指していた。4人で顔を見合わせる。
「こんなにうまくいくなんて。ダリー、今回は冴えてるね。」
「フハハ、我は常に冴えておるぞ。」
そういうアルジェとダリーも昂っているのか、声が弾んでいる。
「ほ、ほんとうに幻獣がいるんだね・・・。」
「うん、ドキドキするね。」
ピナの不安を和らげようと、手を握って答える。私を見てはにかむピナ。
「でも・・レトちゃんと一緒なら・・なんとだって仲良くなれそう・・・。」
嬉しくて顔がほころぶ。
「ほんとに仲いいんだから。ほら、行くよ。」
呆れるアルジェにせかされ、私たちは光の方向へと向かった。
杖の指す方角に進むにつれ、その光はより強く歪曲していく。目標に近づいている証拠だ。歩みを進めるにつれて、空気が重く、言いようのない圧力のようなものさえ感じる。
「なに?この、体が重いような感じ。」
「分からぬが、想定以上のものがいるのかもしれぬな。」
そう言うダリーの表情は険しい。いったい、なにがいるんだろう。
歩くにつれて皆、口数が減り緊張した面持ちになっていく。限界まで曲がっていた杖の光が、杖から離れ宙に浮き、指していた方角に向かって飛んで行く。ゴクリ、と唾を飲み込む。光は、前方に見える大きな岩をすり抜けていった。この岩の向こうに、何がいるのか。
「左からこの岩をゆっくり回って、見てみよう。くれぐれも見つからないように、ゆっくりな。」
ダリーの囁きに、こくこくと頷く。ダリーを先頭に岩を回り込む。そーっと岩の向こうをぞくダリーと、それに続くアルジェ。私も続いて、覗き込もうとする。もう後ちょっとで岩の向こうが見える。そんなタイミングで、怒りに震える声が、体中に反響する。
『何用で来た、人間。先の使いであるなら、貴様らの命を持って罪の償いとす。』
生まれて初めて感じる、音だけで体中の毛が逆立ちするような迫力。ほんの少し前に出るだけで姿が見えるのに、そのわずかな距離をつめることすら体が拒む。私の前でその声の主の姿を目に収めたアルジェは、顔面蒼白となって口をパクパクさせているが、声となって出る音はない。
「突然の訪問に無礼な振る舞い、心からお詫び申し上げる。偉大なる火竜よ、我々は山のふもとの学校に通う学生だ。貴殿が滞在しているとは露知らず、好奇心のみで訪れた次第だ。貴公の言う「先」が何かは分からぬが、我々は誰の命令で来たわけでもない。すぐに立ち去るので、どうかこの場はお見逃し頂けないだろうか。」
すくみ上ってなにもできなくなっていた私達に対して、ダリーが堂々とした様子で受け答えする。足は小刻みに震えているがその背はぴんと張り、決してその圧に屈しないという意思を感じさせる。すごい、いつもの大言壮語な様子は張りぼてじゃなかったんだ。ダリーがいてくれて本当に良かった。
『バハハハハ、年の割に肝の座った人間よ。面白い、その胆力気に入った。』
大地が響く笑い声だ。耳を通して頭が震える。
『隠れている二人も、こちらに来い。久方ぶりに、人の赤子と語らおうぞ』
やばい、私たちのこともばれていたのか。すくみ上った私たちに、ダリーが大丈夫だと目で訴えかけ、前へ歩き出す。ダリーの姿が岩に隠れて見えなくなったが、アルジェはまだ腰が抜けているようで、固まっている。と、ダリーの手がアルジェの手を握り、引っ張って行ってしまった。どうしよう、私たちも行かなくちゃ。
怯えるピナと手をつなぎ、えいや、と岩の影からその姿を目に移す。が、目に映ったはずのその姿は、最初認識できなかった。
彼ら幻獣以上の存在は聖霊に愛される、つまり世界に愛されるがゆえに、その全存在が世界に肯定されている。彼らが存在する空間は、その空間が存在するのと同じ比重で、彼らが存在するために存在する。世界はただただ存在し、それと同じ比重で、彼らが存在するために存在するのだ。
そういった思考が、頭で理解するよりも先に、体で感じた。ハッと我に返ると、その大きさに倒れてしまいそうになる。
当たり前のことだが、高層ビルなんてものは写真で見ると大して迫力は感じないが、実際に前に立ち仰いで見ると、ただただその大きさに圧倒される。そういった、実存的なスケールの大きさ、その大きさゆえの圧力に潰されそうになる。幅が十倍になったスカイツリーがこちらに向かって倒れ掛かっているような、最早どうしようもない圧迫感。火竜の実際の大きさは、座っている地面から頭の上まで二階建てビルほどだが、とてつもなく大きな存在のプレッシャーを、ひしひしと感じさせられる。
こんなものとダリーは対等に渡り合っていたのか。改めてダリーの凄さに平伏する。私なら、とっくの昔に尻尾を巻いて逃げてしまっている。
『なるほど、生まれの地をシュティーゼに焼かれたのか。それも幼子の時に。数奇な運命だ、その胆力も納得いく。逆に、よくお前は消されなかったな。あやつが見逃すとはなんとも珍しい。』
「あのドラゴン、そのような名前であったのか。となると、貴殿も次に会うときは。」
『バハハハ、そうだな。次に会うときは、どちらかが死ぬ時となるだろうな。』
ダリーにはすっかり心を許したようで、楽しそうにドラゴンが会話している。その光景だけでもう神話の一ページを見ているようで、恍惚としてしまう。心なしか、ダリーの姿を見るアルジェもうっとりしているようだ。それにしても、笑うたびに大地が震えるのは何とも慣れなくて怖い、やめてほしい。
『して、小童の胆力に免じて今回は赦してやろう。我もちと腹の虫が悪かった。詫びと言っては何だが、貴様らに火竜の加護を施してやろう。一人ずつ並べ。』
そう告げると、くいと顎を前にやる。すこし顎を動かしただけなのに、ブルドーザーが動いたような重みを感じる。
それにしても、火竜の加護だって?犬も歩けば棒に当たる。思わぬ収穫だ。火竜の指示に従って、ダリー、アルジェ、私、ピナの順に並ぶ。火竜はゆっくりとその前足をダリーの前に近づける。ダリーは一歩前へ、歩み出る。
『ふむ、やはり貴様は大精霊も面白い形をしている。貴様には、「復讐者」の加護を与えよう。巨大な敵と相まみえるとき、その命を糧に炎を燃やせ。』
火竜の前足の先の爪に赤い光が灯ったと思うと、ゆっくりと爪から離れ、ダリーの体を覆う。しばらくダリーの全身が赤く発光したと思うと、穏やかに光は収まっていった。
ダリーは自分の体に何かの変化を感じ取ったのか、腕を胸元まで上げ、キョロキョロと体を見ている。しばらくして、ドラゴンの方に居直り、
「寛大な対応に施し、心から感謝の意を申し上げる。かたじけない。」
と告げ、深く礼をする。火竜も満足げに頷き、つづいて震えるアルジェの方に前足をやる。
『ほう、貴様も珍しい形をしておるな。ふーむ、これはどうしたものか。』
火竜が楽し気に唸る。だから、体が震えるので控えていただきたいんですが・・・。
『うむ、貴様には、「暗殺者」の加護を与えよう。炎に焼かれ、思うがままに姿を変えろ。』
再び、火竜の爪先から薄紫の光が落ちる。ダリーの時とは色が違うが、他は同じだ。アルジェの体が薄紫に光り、収まる。アルジェもしばらく自分の体を見た後に、
「火竜様、無礼な訪問申し訳ございませんでした。そして、施しをありがとうございます。」
と震える声で述べ、深く頭を下げた。再び火竜が満足げに頷く。よし、いよいよ私の番だ。
ダリーに習い、一歩前に出る。火竜の大きなスイカほどもありそうな巨大な爪が目前に迫る。怖い。
『む?貴様もしや・・・。』
今まで上機嫌だった火竜の顔が曇り、声の調子も不穏な色を帯びる。
あれ、なに?私また何かやっちゃいました?
ふざけている場合ではない、私たちは今まさにまな板の上の鯛。竜の機嫌一つで、一瞬で、よく焼きステーキになってしまいうるのだ。
「あの、すみません。私、何かご無礼を致してしまったのでしょうか?」
震える声で、尋ねる。しかし、火竜には私の声など届いていないようで、眼光は益々鋭くなっていく。
『いや、間違いない。おい、ダリーといったか!お前、この娘の正体を知っているのか!?』
火竜の怒声に、大地が大きく揺れる。
なに、本当になに?意味が分からなくて泣きたいような目でダリーを見るが、彼もこの事態は全くの不明のようで、目を白黒させていた。
『その反応を見るに、貴様も知らぬのか。許されん、友すら欺くとは、やはり穢れた種族だ。』
火竜の剣幕に、逃げ出したいような、泣き出したいような、ぐちゃぐちゃの気持ちで困惑する。とっさに、落としそうになった、胸元に差した万年筆を握りこむ。それを見た火竜がさらに激昂する。
『それは!やはり貴様は先の者共の一味か!前途ある若者をだまし、更には我が加護をすら預からんとするとは!許されん、ここで消えろ!』
頭にガンガンと言葉が響いたと思うと、火竜の口元が赤く光る。
人ひとりをゆうに飲み込んでしまうほど大きな火の玉が、私に向かって飛んでくる。もう、どうしようもない。頭で考えるより先に、体が隣のピナを守ろうと動く。
私が盾になったところで変わらないかもしれないけど、ピナの苦痛が少しでも減ればいい。
私の背の後ろでピナが何か声にならない響きを叫ぶ。
「イアイアクトゥルフフタグン!フングルイムグルウナフクトゥルフフタグン!!」
もう火の玉は目の前だ。目を閉じて、2度目の人生の終わりを待つ。
意識を失う直前に覚えたのは、奇妙なことに、火の玉に体を焼かれる猛烈な熱さや痛みではなく、一度どこかであったような、頭の上のぶにぶにとした触感だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私は、目の前で何が起こったのか、全く理解できなかった。
レトちゃんの大精霊を見ていたはずが、突然怒り出した火竜。さらに、胸元に手をやるレトちゃんに激高する火竜。ありえない速度で口元に特大のファイアボールを形成し、私たちに向かって発射する。すくんで何もできない私の前に飛び出すレトちゃん。
どうしようもなかった私が唯一できた行動は、子供のころから大好きだったママに教えられた、おかしな呪文を口にすることだけだった。
「いあいあくとぅるふ・・・?」
「そう!よく言えました!本当に困ってどうしようもないときは、そう呟いて、神様どうか助けてくださいって、お願いするのよ。」
「むーん・・・?でもこれ、ママがいつもいってることばみたいに、いみがとおってないよ・・・?こんなのにたよるなら、まほうをがんばったほうがいいんじゃないの・・・?」
我ながら、生意気な子供だった。そんな私をママは優しく諭した。
「そうね、冷静でいられる状況だと、ちゃんと魔法陣を展開しないとだめよ。でも、この世の中には、私たちの理を外れた信じられない存在がいっぱいいるの。ママはそんな奴らに対抗できるように研究を進めてるんだけど・・・。まあ、どうしようもなくなったら、唱えなさい。きっと、力になってくれる。」
「ふーん・・・?」
幼いころから、子供に理詰めで論破するような酷い母親だった。感情で動く子供を口で負かすなんて、今考えてもひどい。でも、その分愛情を沢山注いでくれた。
そんなママが、唯一言っていた、とっぴぬけた話。それが、あの呪文だった。言葉を覚えたばかりの当時の私にもあの違和感は際立っていて、まるでママが別人のようだった。それゆえか、私の記憶に深く刻みつけられていた。
特大ファイアボールがまさに直撃する寸前、私のとっさの叫びにこたえるようにレトちゃんの頭が光った。火球に包まれ焼き死ぬと思い、目をギュッと瞑っても一向にその瞬間は訪れない。
私が恐る恐る目を開けると、火球によるクレーターができているであろう場所には凹み一つなく、そこにはレトちゃんが、いつか見た髪の毛がティコンとなった状態で、何事もなかったように立っていた。訳が分からず、レトちゃんのそばに駆け寄ろうとして、違和感に気づく。
このティコン、前よりも数段大きくなってる・・・?肥大化した(?)ティコンはレトちゃんの頭をすっぽり覆っており、レトちゃんは顔だけ蛸人間になってしまっていた。
『貴様、なんだその力は!それもあの憎き種族によるものか!?』
自身のブレスをかき消されたからか、ドラゴンが狼狽し激高する。
『許せん、許されんぞ!貴様らごときが我の力に及びうるとは!!』
それと同時に、先ほどまでの姿勢から一転する。翼を大きく広げ、頭をのけぞらせる。口元には、前のファイヤーボールとは比べ物にならないほど大きな、深い赤黒い球が咥えこまれている。その球の肥大化と共に、辺りの気温が下がっていくようにすら感じる。これがきっと伝説にある、その地の精霊を吸い上げ全てを破壊尽くす、ドラゴン固有の極大魔法なんだ。
「あんなの、どうしろってんだ。」
右後方から、茫然自失となったダリーの呻きが聞こえる。アルジェはすっかり腰が抜けてしまったようで、座り込んでしまっている。
それでも、私は何故か安堵した気持ちでいた。あそこにいるレトちゃんが、なんとかしてくれる。そんな根拠のない安心にあふれていた。これまで、私が怖くて動けなくなった状況で何度もレトちゃんは助けてくれた。今のレトちゃんは、そんなやさしさと共に、底知れない奇妙な力を持っているように感じる。きっと、レトちゃんを信じていれば・・・。
極大まで膨れ上がった赤褐色の球を、竜は頭を振りつけると共にこちらへ飛ばす。
空気すらも焼き尽くすような激しい音が耳を支配する。突然、鈍い痛みと共に音が急にやみ、衝撃と振動のみがこちらへ向かってくる。私の鼓膜は破れてしまったようだ。
全てを焼却する球が正面から近づいてくるのをものともせず、レトちゃんがドラゴンの方へゆっくりと歩みだす。
レトちゃんと火球がもうぶつかる。
その瞬間に彼女は右手をサッと前に突き出す。
火球に飲み込まれる―――。そう思った途端、火球は跡形もなく消えていた。
その場にいる誰もが、何が起こっているのかわからず、茫然と立ち尽くす。翼をはばたかせ、ブレスの反動で空中にいたドラゴンすらも、唖然とした様子だ。誰も何もできない状況で、一人レトちゃんは竜に向かって歩み続ける。ハッとドラゴンが我に返った時には、すでにレトちゃんはその足元までたどり着いていた。
『き、貴様、なんなのだそれは!もしや、旧支』
ドラゴンが何かを叫んでいたようだが、レトちゃんに足をつかまれると、その姿は跡形もなく消えてしまった。
突然、空間を支配していた圧がなくなり、全身の力が抜けてぺたんと座り込む。気が付くと、目からぽろぽろ涙がこぼれていた。私、助かったんだ・・・!こちらにしずしずと歩いてくるレトちゃんに向かって微笑みかける。よかった、レトちゃんも無事だったんだ・・・!
嬉しくて駆け寄ろうと、ふにゃふにゃになった足で立ち上がろうとする。しかし、力が入らずこけてしまう。腕で支えてなんとか体を起こし、レトちゃんの方を見る。
そこで、彼女の頭がまだ巨大なティコンに覆われていることに気づいた。レトちゃんがオクタコと名付けていたあの可愛いティコンとはくらべものにならない、グロテスクで寒気を覚えるような容姿だ。オクタコが全体的に丸みを帯びた愛らしいフォルムであったのに対し、今のレトちゃんの頭を覆うのはとげとげしく、人をよせつけようとしないティコンだった。
気持ち悪くなりながらもその厳めしいティコンから、何故か目が離せなかった。近づいてくるレトちゃん。距離が縮まり、その顔がはっきりと見えるようになる。
改めて、うにょうにょと顔を蠢くグロテスクな触手に気持ち悪くなりながらも、私は目を離さずにはいられなかった。そして、その顔の中心に位置するあの、あの深遠なる目を見てしまった。
あの目を、あの目を・・・。