【第61話】偽王と王妃は業火に焼かれる
薄暗い船底の倉庫を、三人はゆっくりと歩く。
窓が一切ないこの空間は、所々に据え付けられているランプの灯りだけが頼りだ。
食料や武器が積み上げられた中を、慎重に歩いて行く。
「イェルハルド兄さん、いるなら出てこい。このスペンサー、兄さんと勝負しにやって来た!」
しかしスペンサーの声は、船底の空間を響かせるだけで、返事はなかった。
「しかし、本当にこの艦は巨大だな。船底の倉庫がこれほど大きいとはな……」
とピョートルが呟くように言う。
積荷の物影から、兵士が飛び出して、剣を大きく振りかぶって、ピョートルに斬りかかる。
ピョートルは、それをヒラリとかわし、首を一刀両断した。
「ここは死角が多過ぎる。何処から敵が出てくるか分からない。二人とも気をつけろ」
ピョートルの言葉に頷く二人。慎重に、奥へ奥へと進んでいく。
空間はやや広くなり、積荷も少なくなっていた。
まもなく船底の船尾部分のあたりへと差し掛かろうとした時、空間の片隅に寄り添う二人の人影を見つけた。
イェルハルドとシャナイアだった。静かな目でスペンサーを見据えていた。
それを見たスペンサーは剣を構えた。
「イェルハルド兄さん、遺書王令に従い、このスペンサーが王位継承者になるため、兄さんとシャナイア姉さんを討つ。申し訳ないけど、その首をもらうよ」
三人はゆっくりとイェルハルドに近づく。
その時だった。
イェルハルドがフッと笑ったかと思うと、積荷を積み上げた物影から、複数の兵士が姿を現し、三人に向けて弓矢を放った。
気配を感じ取り、咄嗟にスペンサーはその場を離れたが、シンディはその場に立ちすくんだままだった。
「危ない!よけろ!シンディ!」
ピョートルが、シンディをかばうように立ち塞がった。
複数の矢が、ピョートルを身体を貫通する。
ピョートルはガクッと膝をついて、ゆっくりと仰向けに倒れた。
「ピョ……ピョートル……!?」
「き……気をつけろと言っただろう……シンディ」
その間に、スペンサーは電光石火の攻撃で、弓矢を放った兵士たちを斬殺していった。
貫通した箇所から、赤い血がドクドクと流れ落ちる。すでにあたり一面が血溜まりになっていた。シンディはピョートルの手を握って話しかける。
「ピョートル、やだよ。なによこれ、大丈夫、すぐに治癒魔法で治してあげるから……ね」
シンディは急いで魔法を詠唱した。
「復氣療癒!」
それでもピョートルの血は止まらなかった。
「復氣療癒!」
「復氣療癒!」
「何よ、これ……治癒魔法が効かない……!」
「ど……どうやら、治癒魔法耐性の……毒矢だったようだな……とにかく、シンディ、君が助かって良かった……俺はもうダメなようだがな」
シンディはピョートルの手を握り続ける。
「やだよ……ピョートル……ねえ……お願い……死なないで!」
シンディは涙が溢れて止まらない。
ただただ、ピョートルの手を握りしめることしか出来なかった。
「軍人が……戦場で死ぬのは、軍人の本懐だ……最後に……君のことを守れて……良かった……」
「ピョートル……何を言ってるのよ……二人でルーテシアに帰ろうよ!……生きて帰ろうよ!」
「終わりが……来た……ようだ……ルーテシア王国万歳!」
「ピョートル……いやだ!私を一人にしないで!」
「フッ……やっぱり……万歳という……言葉では……死にきれない……だから、本当の……最後の言葉、言うぞ……シンディ、君を愛している……」
そう言うと、ピョートルの手は、シンディの手からスルリと抜け落ちた。
そして、大量の血を吐いて、静かに天に召されて行った。
「シンディさん、ピョートルは?ピョートルは大丈夫なのか……!?」
スペンサーが、二人の側に駆け寄る。
スペンサーがピョートルの側に来た時には、もうすでに生き絶えた後だった。
その天に召されたピョートルの顔は、何かを成し遂げたような、安堵と安らぎの中で死んでいったかのように、軽い笑みを含んでいた。
そして、シンディは血溜まりの中で、ひたすら嗚咽していた。
「ピョートル……駄目だったか……」
ピョートルの姿を見て、スペンサーもまた立ったまま、肩を震わせて、涙を落とす。
シンディは、肩を落として、無言のまま立ち上がる。そして、イェルハルドとシャナイアを睨みつけた。
シンディは完全に怒りの感情に支配されていた。
許せない。
絶対に許せない!
憤怒の炎で、心を燃やすシンディは、
「スペンサー、残りの二人は……私が殺るわ」
と静かに落ち着いた声で言い、ロッドを構えた。
シャナイアが、気だるい声でシンディに語りかける。
「あらあら、カタブツ提督、死んじゃったわね!彼ってあなたの何だったのかしら?恋人?ほんと残念よねえ」
シャナイアの横でイェルハルドが剣を構える。
「シャナイア、最後に、あなたに聞きたいことがあるわ。アイリスお姉さまに毒を盛ったのは、あなたなのね?」
「そうよ。男子のお世継ぎなんて生んだりしたら大変だもの。私だけが男子を産んで、デガッサ家に縁戚の姫と結婚させるはずだったの。そうして、ラークシュタイン王国は、デガッサ一族の濃い血筋の王朝にしていくはずだったのに、全てが台無しだわ」
シャナイアは、全く悪びれずに答えた。
「なんだ?スペンサーじゃなくて小娘が朕の相手をしてくれるのか?朕を舐めているのか?」
イェルハルドは剣先をチラつかせながら、シンディを威嚇する。
しかしシンディはそんな威嚇など、どうでもよかった。心にあるのは、二人への憎しみだけだった。
シンディは思いの丈を、二人にぶつける。
「よ……よくもアイリスお姉さまを……!そして……よくもピョートルを!」
アイリスの微笑む姿が、心の中に浮かんだ。
そして、ピョートルと過ごした日々が思い出された。
アイリスお姉さま、ピョートル……今、仇を討ってあげるからね……とシンディは、心の中で呟いた。
シンディの怒りの業火の炎の感情が、ますます燃え盛かる。そして、イェルハルドたちを睨みつけたまま、魔法を詠唱した。
「眼球破裂!」
詠唱が終わると、イェルハルドとシャナイアの眼球が、みるみる膨らみ始めた。
出目金のようにギョロ目になったかと思うと、その4つの眼球はパァンと破裂した。
「ああ、朕の……朕の目が!……目があああ!」
「ああ、国王陛下、わ……私も見えません……全くの暗闇です!」
フラフラと徘徊し始めるイェルハルドとシャナイア。シンディは、それを侮蔑の眼差しで眺める。
「エドナから聞いたわ。アイリスお姉さまが、毒の影響で盲目になった時、あなたたち二人は、手を叩きながら、からかっていたそうじゃないの?どう?盲目になった気分は」
イェルハルドとシャナイアは、何か訳の分からない言葉を発しながら、両手を前にして、フラフラと徘徊していた。もはや、シンディの言葉など届いていないようだった。
シンディは魔法を詠唱した。
「火炎飛球!」
倉庫内の荷物に火が付き、あたり一面は、火の海になった。
「雷電鋭刃!」
雷電が船底の壁に命中し、バカン!と木が破裂する音が響き渡る。そこから、チョロチョロと海水が船底内に漏れ始めた。
それを確認して、シンディは口を開いた。
「この業火で焼かれて死ぬか、それとも海水に溺れて死ぬか、自分がどう死ぬか、分からない暗闇の中で死ぬが良いわ……業火に焼かれ、溺死すれば良い……せいぜい、死ぬまでの間に、自分たちの罪を悔い改めることよ……」
側にいたスペンサーが、シンディを急かす。
「さあ、僕たちは早くこの船から出よう!早くしないと僕たちも巻き込まれて死んでしまう」
スペンサーはピョートルの遺体を抱える。
シャナイアは精神がおかしくなったのか、笑い声を上げていた。
「せいぜい苦しんで、死ぬが良いわ……」
そう言い残し、シンディとスペンサーは、ピョートルの遺体とともにその場を立ち去った。
イェルハルドの軍艦を出て、ピョートルの船に乗り込んだ二人は、生き残った者たちとピョートルの水葬を行った。
シンディは泣かなかった。泣けばピョートルが悲しむと思ったからだ。
安らかな顔をしたピョートルは、布で身体を包まれる。そして、スロープから勢いよく滑り落ち、その蒼く深い海の底へと、ゆっくり沈んで行った。